相変わらず、アストルが何処から来たのかはわからないままだった。彼は自分の素性を話さないし、ガノンドロフもまた聞こうとしなかった。聞いてしまえば、知ってしまえば、アストルがいなくなってしまうような気がする。帰りたくなったならアストル自身が何かしら口にするだろう、と……ガノンドロフは自分に言い聞かせていた。
そんなアストルは宮殿に住ませてもらう対価として、ガノンドロフの側仕えとして働くことをセラジェに求められた。コウメとコタケはあまり良い顔をしなかったが、族長命令に逆らうわけにはいかない。渋々ではあったが、二人はアストルが次期王の側仕えになることを受け入れた。
しかし、一番嫌な顔をしたのは、意外なことにガノンドロフ本人である。
「アストルはオレの友だ。側仕えなどになっては、友では無くなってしまう」
ガノンドロフは直々にセラジェへ抗議をした。対等な友であることをアストルを求めているのに、主従にされるなど堪ったものではない。しかしセラジェはニコリと笑い、「友でなくなるわけではありませぬ」とガノンドロフを窘めた。
「彼が側にいる時、ガノンドロフ様はよい顔をされます。その時間を、増やしてもらいたいだけなのです」
実際、セラジェはアストルに対し『側仕えになること』を求めはしたものの、従として行動することは求めなかった。
つまりこの命令は、『コウメとコタケによってガノンドロフからアストルが引き離されるのを防ぐため』だったと考えるべきだろう。時折、二人がこちらを思い通りに動かそうとしているのは目に見えている。ガノンドロフは常々それが不満でならない。いつかこちらが二人を思い通りに動かしてやりたい……そんな企みがある。ならば『思い通りにならない状況』を続けるべきだ。
コウメとコタケ云々に関して、セラジェは明言していない。つまりは『そういうこと』なのだろう。ガノンドロフはそう考えることにした。
✽✽
「では、午前はこれで」
「あぁ、ご苦労であった」
一礼した家庭教師は、そそくさと王の勉強部屋から出ていった。堅苦しい学習の時間が終わり、開放感からガノンドロフは身体を思い切り伸ばす。部屋の後方を見ると、アストルが真剣な様子でゲルド語の教本を読み耽っていた。彼は自分と違って座学を好み向学心が強い。だからこうして、学習の時間が終わっても平気で分厚い本を読んでいられるのだ。
「アストル、勉強の時間は終わったぞ。そろそろ遊びに行こう」
「ん……ごめん、もうちょっと待って。あと一行で読み終わるんだ」
アストルの視線は頑なに動かず、硬い木の実をじっくりと咀嚼するかのようであった。ゲルド語がわからなければ苦労するだろうと、お古の教本を与えたのはガノンドロフ自身である。自分の母語へ真面目に取り組んでくれるのは嬉しいが、本にアストルを取られた気分だ。ガノンドロフは唇で砂山を作る。
「……ふぅ、お待たせガノン君」
「アストルは、オレより本が好きなのか?」
ヴェーヴィのような拗ね方だと思いつつ、ガノンドロフはその質問を投げかけた。本を閉じたアストルはポカンとしたあと、教本とガノンドロフを交互に見る。
「本を読むのは好きだけど……ガノン君はモノじゃないから比べられないよ」
「そりゃまあ……そうかもしれないけどさ……」
ムッとしてしまう自分が情けない。次代の王だなどと大言壮語を吐いておきながら、これでは駄々をこねるただの子どもである。
「ガノン君」
「なんだ?」
突然アストルに肩を掴まれ、そのまま唇が耳元に寄せられる。ヒソと囁かれた言葉に、ガノンドロフは軽く目を見開いた。
「お前……」
「どうかな……発音とか、合ってる?」
ガノンドロフはブンブンと首を縦に振った。合ってるも何も、完璧としか言いようがない。この砂漠で生まれ育ったかのようである。
「へへ、良かった」
アストルは安堵の照れ笑いを浮かべる。相変わらずヴァーイに見間違えそうなほど可憐な笑みだが、ガノンドロフの関心はその言語能力の高さに向いた。彼は頭が良いのだろう。
実際、アストルは博識だ。特に天文やそれに関する算術に明るく、そこに関してはガノンドロフを軽く凌駕する。
ガノンドロフが学習をする後ろでアストルも独学に励んでいるが、本来はその必要など無い。自ら進んで学んでいるのを見るに、余程勉強好きなのだろう。
……この、オレがいるのに?
「お前は飲み込みが早いんだな」
「だって、ガノン君と一緒にいたいんだもん」
淀みない即答に、ガノンドロフはたじろいだ。アストルは決して、自分の知識欲のために学んでいるわけではないらしい。
「ぼく、ガノン君のこと大好きだよ。ぼくのこと、守ってくれるから。けど……ぼくはゲルド族じゃないし……」
眉尻を下げて笑うアストルが、ガノンドロフには悲しんでいるように見えた。そう、彼は故郷や親元を離れてここにいる。帰り方もわからない。
そんな状況で『恐らくはハイリア人』という考えの下に追い出されれば、あっという間に行き倒れることになるだろう。そうなってほしくないからと、ガノンドロフは彼の庇護を買って出たというのに。
「……アストル、オレ、」
「ね、遊びに行くんでしょ? 早く行こう!」
アストルはガノンドロフの手首を掴む。自分よりも小さく細くなよやかなアストルに引かれているのに、安心感と頼りがいを感じていた。
「ガノンドロフ、アストル、こっちだよ!」
街の入口でアルディが手を振っている。ガノンドロフは己への不甲斐なさをやや無視しながら、アルディに手を振り返した。アルディの隣にいるのはその親友であるショニだ。最初はアストルもショニも互いに人見知りしていたが、今では随分と打ち解けてきている。
「今日はどこに行くんですか?」
「渓谷の手前まで競争だぞ! ま、今日もアルディが勝つだろうがな!」
ショニが偉そうな態度でアルディの功を己のもののように語るので、本人から「コラ」と小突かれた。
「お前も多少は私に勝つ努力をしろ。その内アストルに負けるぞ」
「ぼくはショニさんにも勝てないと思う……」
控えめにアストルは言った。そんなアストルへガノンドロフは異議を唱えたくなったが、先程気まずい雰囲気になったばかりだ。また空気を重くしたくない。
アストルが勝てるよう手加減してやろうか。しかしアルディはともかく、ショニにまで態と負けるのは御免被る。
「スナザラシはもうそこに留めてあるから、自分のを連れて行ってくれ」
アストルはテクテクと自分のスナザラシの元まで歩み寄り、しゃがんで「今日もよろしくね〜」と挨拶をした。この砂漠で生きるならば、スナザラシの相棒が一匹は必要だ。特に長距離移動と、もしも極寒の夜間に砂漠のド真ん中で過ごすことになっても、スナザラシの体温があれば生き延びることはできる。
ゲルド族は一定の歳になると、相棒となるスナザラシを自分で捕獲する。アストルも『自分で捕まえたい!』とやる気十分だったが、困難を極めた為にガノンドロフが捕獲した。アストルもそのスナザラシも随分と仲が良い。
「アストル、盾は持ってきているな?」
「うん、大丈夫だよ! ガノン君がくれたやつだもん!」
アストルはニコニコ笑って太陽の盾を見せる。この前は鍋のフタで間に合わせたのだが、移動手段でもある以上は良いものを持ってほしい。輝く盾にショニは「すご……」と呟いた。
スタート地点に足で線を引き、その上に盾を四つ、一直線に並べた。そこにスナザラシを連れていき、四人は片足を盾の持ち手に乗せた。左からアルディ、ガノンドロフ、ショニ、アストルと並ぶ。
「じゃあ、準備は良いな?」
端っこにいるアルディが、並んだ三人を見て確認を取る。
「あぁ」
「いつでもいいよ」
「お願いしますッ!」
「位置について、よーい……」
パチンッとアルディが指を鳴らすと、ズドンと雷が落ちる。スタートの合図だ。一斉に四人のスナザラシが砂を掻いてグングンと泳ぎ進めていく。
ガノンドロフとアルディが競り、ショニがその二人を追う。アストルは顔に砂がかかる度に首を振るので、視界がグラついてコントロールも進みも悪い。
アストルを気にしていると、アルディが目の前に躍り出た。やっぱりアルディに負けたくない。対抗心に火が付いたガノンドロフはスナザラシに鞭を入れ、グンと頭ひとつ抜きん出た。今日こそ、アルディに勝ってやる!
ザリザリと盾に砂がぶつかる音、振動、額にぶつかる風。速度が上がれば上がるほど、気分が高揚する。もっと速く、速く、目指すはモルドラジークのように……。
「ガノンドロフ! 止まれ!」
突然肩を掴まれ、バランスを崩したガノンドロフは滑るようにその場で倒れ込んだ。少しオーバーランしたスナザラシがくるりと回って戻ってくる。身体を起こすと、アルディが血相を変えてガノンドロフを立たせた。だが転ばせてくる理由がわからない。
「おいアルディ! どういうつもりだ!」
「呼んでも答えなかったじゃないか! 大変なんだ、アストルとショニが、はぐれモルドラジークに囲まれている!」
「ぇ……」
モルドラジークは、滅多にゲルドの街近辺には現れない。しかも自分たちが競っていたのは彼らの生息地から外れた、街と渓谷の間。そんなところに砂の鯨が現れたとなれば、他の者達にも影響が出る。
頭に思い描くだけなら、まだ怖くない。しかし現実となれば、話は全く変わってくる。その上、危機に晒されているのは自分ではなく友だ。
「助けなきゃ」
「けど、アタシ達だけじゃ難しいよ」
当たり前で現実的で、理性的なアルディが、ガノンドロフは時々憎らしくなる。当然のことを言っているだけとわかっているが、だからこそ冷たく見えてしまうのだった。
「ショニが食われても良いのか!? オレはアストルが食われるのは嫌だぞ!」
ガノンドロフは盾に乗り直し、「行け!」と叫んでスナザラシを促した。来た方向を戻りながら、ガノンドロフは目を皿にしてあたりを見回す。モルドラジークはどこだ。
進行方向左側に、不自然に移動している砂の山がある。あれだ。あれに違いない。小さな岩場をぐるぐると囲むように砂山は動いている。その岩場に、アストルとショニが震えて座り込んでいた。
歯ぎしりをして、ガノンドロフはモルドラジークへ更に近づいていく。波のようにうねる砂の上を渡りながら、ガノンドロフは盾の上でしゃがみこんだ。この魔物は音に敏感で、感知した方向に突っ込んでいく修正がある。手を砂に突っ込み、ザッ! と音を立てて砂を撒き散らした。パラパラと砂が舞い落ちる。
ずぉおおおおっ! と巨体が砂に潜ったまま迫る。ガノンドロフは手綱を思い切り右へ振り、緊急回避するようスナザラシに伝えた。
だが無情にも、目の前でガバリと巨大な口が開く。不味い、このままでは食われる。死ぬ! ガノンドロフは目をつぶった。
激しい雷鳴と共に、閉じた視界が真っ白になる。目を開くと、一歩手前でモルドラジークが感電して砂に横たわっていた。そして少しずつ真っ黒になり、霧となって消滅した。
「ガノンドロフ、大丈夫か?」
「あ、アルディ……」
ガノンドロフはようやっと振り向いて、へにゃりと砂に座り込んだ。動けない。情けない。
「ガノン君!」
岩場からアストルがふらつきながらも駆け降りる。その勢いのままガノンドロフに抱き着いて啜り泣いた。アストルの小さな手が、むぎゅうと背中を強く圧してくる。
「よかった、よかったぁ……食べられなくて、よかった……」
平たい額が胸に擦り付けられて初めて、アストルの視点から見た光景の恐ろしさを痛感する。目の前で親しい人が、巨大な生物に食べられたら。アストルはそんな恐怖を突きつけられたのだ。
「アストル……」
「カッコよかったよ、でも危ないこと……しちゃ、やだ」
「……ごめん」
ガノンはアストルの頭にそっと手を添えた。そして自分からもアストルを抱き締める。
いてくれるだけで良い。自分だけを見てくれなんていう我儘は言っちゃダメだ。これだけのことをアストルは言ってくれるのだから、その気持ちを疑ってはいけない。彼を信じてやるべきなのだ。
「アルディ、ごめん。アタシがちゃんとアストルを誘導してやれば……」
遅れて降りてきたショニがすまなさそうに俯いている。アルディは怒るかと思いきや、呆れのため息をついて笑っていた。
「あぁ、ガノンドロフに感謝しないとな。コイツが引きつけてくれなかったら、雷を落とせなかった」
グリグリとアルディはガノンドロフの頭を撫でた。
「さ、今日はもう帰ろう」
四人はスナザラシと共に、街へと向かって歩いていった。
続く
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