捌色
2026-04-03 21:46:10
4548文字
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白昼悪夢

オベヴォがデート中に宗教勧誘を受ける話。本当にそれだけです。オベロンがちょっと(だいぶ)下劣なことを人前で言います。

 休日の街は人が多い。
 駅前の大きな交差点を抜けた先。ガラス張りの商業施設が並ぶ通りは買い物袋を提げた人間でゆるい渋滞を起こしていた。日が高い。風はぬるい。
 眠たくなりそうな空気の中、ヴォーティガーンは雑踏を歩きながら隣の男を横目で見た。
 双子の兄は機嫌が良さそうだった。
 誰かに会いに行くでもなく、用事を済ませたついでに限定の紅茶缶を買って、気まぐれに百貨店の催事を覗いて、喫茶店で甘いものでも食べて帰ろうというだけの外出。
 実の兄弟という肩書さえ無ければ至極真っ当なデートプラン。だからオベロンは上機嫌になる。
「次はどこに行く?」
「まだ歩けるんだ」
 オベロンはふふ、と小さく笑った。歩けない訳がない。
 淡い色彩のせいか彼は陽光に溶けそうなくらい儚く見える瞬間がある。実際には雑草のように頑丈なことをヴォーティガーンだけが知っていた。
「折角だから、この先も見ていこうかな」
「また砂糖みたいなもの買うつもり?」
「食べるだろ?」
「君ほどは要らない」
 そんなやり取りの最中。
「すみません」
 二人同時に、異なっていた足どりの左右すら揃えて歩みを止める。
 声をかけてきたのは、二十代後半くらいの女二人。オフィスカジュアルと呼ばれそうな、清潔感と親しみやすさで固めたよくある身なり。
 貼り付けた愛想笑いも相俟って大概の空間を通れそうな装い。
 そういう人間が人込みの中から、わざわざ二人を選んで近寄ってきた。
 ヴォーティガーンはその時点で少しだけ面倒くさくなる。オベロンは面白いものを見つけた顔で首を傾げた。
「なに?」
「少しだけ、お時間よろしいでしょうか」
 そこから先は、あまりにもヴォーティガーンの想像通りだった。
 心の支え。真の安らぎ。人とのつながり。迷いや孤独を抱えた現代人に必要な救い。
 片方が喋り、片方が頷く。時々役割を入れ替える。押しつけがましくないよう慎重に計算された言葉選び。
 二人にとってうっすらと心当たりのあるやり口。
 オベロンは最初の数分、ヴォーティガーンが驚くほど行儀よく付き合った。
 へえ。そう。大変だね。と適度に相槌を打ち、パンフレットまで受け取った。
 ヴォーティガーンはその隣で黙っていた。別に退屈を隠すつもりもない。
 彼が冷淡であるほど、話は隣の人当たりの良い方へ寄っていく。実際、相手の視線はオベロンへ集中した。
「とてもよくお話を聞いてくださるんですね」
「そう?」
 オベロンが微笑む。この顔と声でこんなふうに首を傾けられて、話し手が気を良くしないはずがなかった。
 ヴォーティガーンは煩わしさを溜息に混ぜた。ああ、引っかかってる。
 美しい人間に熱心に耳を傾けてもらえるだけで人は勘違いをすることがある。
「きっと、何か思うところがあるんじゃないですか?」
「うーん」
 オベロンは少し考えるふりをした。その実、何も考えていない。
 類稀な芸術品でも心が動かない人間が居るように。路傍の石に何かを考えさせられる人間も早々居ない。
「そうだね。人間関係のことは、少し」
 その声色は、オベロンを知る人間ほど危険信号だとわかる。彼は明確に飽きてきていた。
「やっぱり」
「難しいからね」
「ええ。とくに、正しくない関係の中では、本当の意味で心が安らがないことも多くて」
 正しくない関係という言い方に、オベロンの睫毛がわずかに持ち上がる。
 ヴォーティガーンは隣で小さく溜息を吐いた。どちらを黙らせる方が早いか迷った。
「正しくない関係、ね」
 オベロンはパンフレットの表紙の端を指先で弄びながら、柔い声で繰り返す。
 ヴォーティガーンからすると人工甘味料のように物足りない、取り繕った甘さを含んでいた。
「例えば、どういうのが正しいんだろう」
「そうですね……誠実な関係、と申しますか」
「互いを唯一の相手として大切にし合う、清い結びつきです」
 慣れている女のほうがそう補足した時、オベロンは明らかに笑うのを我慢していた。
 口元だけ見れば穏やかだが、ヴォーティガーンにはわかる。面白がっている。
 どちらかなどと迷っていないでヴォーティガーンはオベロンを今すぐ黙らせるべきだった。
「へえ」
 オベロンはゆっくりと頷いた。そして自らを節のちらつく指で示し、ひどく無邪気な顔で訊いた。
「実は僕、弟と毎晩寝てるんだけど。それでも救われるかな?」
 ヴォーティガーンから街の喧騒が一瞬だけ遠のいた。
 女の笑顔が固まる。女の目が瞬く。
 そしてヴォーティガーンは心底嫌そうな顔で隣を睨み、小さく舌打ちをした。
……おい」
 オベロンは平然としている。悪戯が上手くいった子供の顔をしている。
 自分の言葉が周囲の空気を切り裂いた感触を味わっていた。
「なに?」
「余計なこと言いやがって」
「だって気になるだろう」
 相手の女達は揃って言葉を失っていた。
 自分の信じる宗教勧誘だか自己啓発だかを、まさかこんな美丈夫にここまで下劣な方へ捻じ曲げられると思っていなかった。
「そ、それは……
「冗談を仰っているんですよね?」
 女の声が少し引きつる。
 オベロンはそこで初めて、ほんの少しだけきょとんとした。
 ヴォーティガーンは黙って一人で腕を組む。他人のふりをするには隣の人でなしと色々外装が似過ぎていた。
 周囲の何も知らない通行人たちは、逆か順ナンパかはともかく熱心な声掛け、くらいにしか見ていない。その温度差を少し楽しむくらいしかやることがなかった。
「俺を巻き込むなよ」
「聞きたくない?」
「別に」
 即答すると、オベロンは笑う。その笑い方がまた、見目だけは品良く在るのがヴォーティガーンには腹立たしかった。
「ほら、君と僕って仲良しだし」
「覚えが無いなあ」
「さっきも手繋いで歩いてたじゃないか」
「それは人混みで君が勝手に」
 そこで女のほうがようやく会話へ割って入ろうとした。
「私たちは、そういう特殊な例を話しているのではなくて」
「特殊?」
 オベロンが片眉を上げる。
「君たちの知らないものは全部そう呼ぶの」
「いえ、そういう意味では……
 笑ったままなのに、目の奥が少しだけ冷えた。この男は飽きた上に気を悪くした。
 相手の女もようやくそれに気づいて、ぎこちなく居住まいを正す。
「誤解しないでいただきたいのですが、私たちはただ、人が真に安らげる関係について」
「安らいでるよ」
 あっさりとした声だった。
 相手の女がさらに困った顔をしたのが少しだけ愉快で、ヴォーティガーンは口を挟まなかった。
 オベロンは冊子をぱたんと閉じる。
「安らぎなら、毎晩足りてるんだ」
 女のほうが一歩引いた。
 もう一人も、今すぐ逃げたいのを礼儀で耐えている顔だった。
 ヴォーティガーンはため息をつく。
「もういいだろ」
「まだ聞いてないよ」
「何を」
「君と寝てる僕は救われるのか、って」
 今度こそ、ヴォーティガーンは露骨に嫌そうな顔をした。
 勧誘の二人も同じ意味の顔をしていた。見知らぬ他人と利害が一致した瞬間だった。
 オベロンはくすくす笑って、勧誘の二人へ視線を戻した。
「まあ、別に本気で答えを期待してるわけじゃないんだけど」
 その言い方は軽いくせに、芯が冷たかった。
 一回り近く年上の女たちが小さく息を呑んだ。表情を崩さないよう必死で、却って固くなっている。
 そこでヴォーティガーンがようやく口を開く。
「もういいだろ、飽きた」
「そうだね」
 オベロンは画面のスワイプより簡単に、纏う空気を切り替えた。
 相手へ冊子を返しながら、にこやかに言う。
「ごめんね、暇だったから付き合ってもらっただけなんだ」
……は」
「もっと素敵な話をしてくれるものだと思ってたから」
 女の頬が引きつる。
 もう片方の女はもう完全に笑えなくなっていた。
「失礼します」
「お時間いただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。暇だったし」
 完全に限界だった二人はどうにか頭を下げ、ほとんど逃げるように去っていった。
「次は、もう少し寛容な神さまを連れてきてくれたらいいなあ」
 人混みの中へ紛れていく背を眺めながら、オベロンはひどく晴れやかな顔で伸びをする。
「ああ、つまらなかった」
 少し間を置いて、ヴォーティガーンが低く言う。
「君のせいだろ」
「途中からちょっと面白かったくせに」
「引いただけだよ」
「ほんとに?」
「本当に」
 ヴォーティガーンは即答した。
 実際、引いた。勧誘の人間が引くのはまだわかる。どうして自分まで巻き添えで同じ側の顔をしなければならないのかと。
「なんであんな言い方したんだ」
「一番手っ取り早いだろう」
「俺まで変な関係みたいに聞こえるじゃないか」
「違うの?」
……言い方の問題だよ」
 オベロンはその返答に満足そうに目を細めた。
 つまり否定しないんだね、という顔。ヴォーティガーンは舌打ちしたくなる。
「大体、君は……
 言いかけたところで、オベロンがヴォーティガーンの手を取った。
 街中。白昼。人通りの多い歩道のど真ん中で。
「ほら」
……何」
「手、繋いであげる」
「いらない」
「救われるかもしれないのに?」
「野垂れ死んだ方がマシ」
 楽しそうに笑いながら、オベロンは離す気がない。
 上品な見た目のくせに、こういう時だけ指先に妙な粘りがある。
 ヴォーティガーンは一瞬、本気で振り払おうとした。
 けれど、通りすがりの女二人組がこちらを見て、ひそひそと何か囁きあっているのに気づく。多分「すごい。かっこいい」「双子かな」あたりの無駄な憶測。
 その視線込みで今ここで揉めるのが面倒になり、結局そのまま歩き出した。
……離せよ」
「いやだ」
「そっちが勝手に飽きて火をつけたんだろ」
「でも君の引いた顔、きれいだったよ」
「気持ち悪い」
「ひどいなあ」
 何ひとつ堪えた様子のない返事。
 ヴォーティガーンはうんざりと目を細めたが、手だけは結局振りほどかなかった。
 そのまま二人は次の角を曲がる。
 雑踏に紛れて、さっきの勧誘のことなど誰も知らないみたいな街の顔が続いていた。
「帰る?」
「行くよ。さっきので本当に口直ししたくなった」
「俺はいい」
「知ってる。でも君の分まで買うから」
「いらない」
 オベロンがそこで、声を立てずに笑った。
 機嫌はすっかり戻っている。最初から悪くもないが。
「次また声かけられたら」
 歩き出す間際に言い募る声。
「今度は君が訊いてよ」
「嫌だ」
「『俺は兄と寝てるけど救われる?』って」
「君を本気で黙らせたくなってきた」
 そう言いながらも、ヴォーティガーンは少しだけ笑っていた。
 それを見たオベロンは、繋いだままの手をわざとらしく軽く揺らす。
「ほら、仲良し」
「うるさいな」
「清いね」
「離してくれ」
「いやだ」
 結局その日、催事場に着くまでオベロンは一度も手を離さなかった。
 本気で面倒くさそうな顔をしたまま、それを許したのはヴォーティガーンだった。