畑での作業を終えて本丸に戻る途中だった光忠は、ふと足元にたんぽぽの綿毛を見つけた。それは見た目こそ儚げだったけれど、綿毛にしては大きいサイズだった。
「わぁ、春って感じだ。立派だね」
光忠は綿毛のそばに膝をついて、より近くで眺めた。ふわふわとした綿毛の中心にたくさんの種が集まっているのが分かる。やわらかな見た目に反して、種をできるだけ遠くへ飛ばそうとする植物の強靭な生命力が感じられた。
鶴さんが好きそうだ。
ふわふわの綿毛を眺めながら光忠はふとそんなことを思った。別に彼がたんぽぽが特別好きだとか、そういうわけではない。でも、この綿毛をフーっと吹くことを彼は楽しむんじゃないかと思ったのだ。なんとなく。
だから、この綿毛を摘んで鶴丸のところへ持っていくことにする。ちょうど畑仕事で使ったために持っていた園芸用のはさみで茎を長めに残して切って、光忠は立ち上がった。
今日の鶴丸は馬当番だったはずなので、馬小屋へと向かう。
摘んだ一輪をそっと手にして歩き出した光忠は、風で綿毛が飛んでいってしまわないか心配になった。せっかくきれいにまんまるな綿毛なので、この状態のまま鶴丸に渡してあげたい。
光忠は風から綿毛を守ろうと、空いているほうの手のひらを綿毛の周りを包むように添えた。それは火のついたろうそくを風から守ることと少しだけ似ている。
そうやって、光忠はそっと早足で恋人のもとへ向かった。
馬小屋を覗くとちょうど鶴丸が一頭の頭を撫でてやっているところだった。誰かと一緒に作業をしているはずだと思っていたけれど、彼の姿しか見当たらない。
「鶴さん、!」
小屋の入口から光忠が呼ぶと鶴丸はこちらを見てから片手を挙げて、小屋の外へと出てきた。
「光坊じゃないか、どうしたんだい。俺が一人で作業していると誰かに聞いたのか?だがまぁ、もう片づけまで終わったところだぜ」
聞くと、一緒に馬の世話をしていた鯰尾が糞の山の中に転んで突っ込んだので、一足先に風呂に行かせたとのことだった。それで一人で作業をしていたのだと言う。
「そうだったんだ、お疲れ様。えっと、僕はお手伝いっていうか、鶴さんに見せたいものがあって――」
光忠はそういって、手のひらで守っていたたんぽぽの綿毛を見せた。
「ほら見て、鶴さん。たんぽぽの綿毛」
「おっ、春だな」
「うん。これ、あげる」
綿毛を見て最初の彼の感想が自分と同じであることを嬉しく思いながら、手にしていた一輪をそっと鶴丸に差し出すと彼は首を傾げた。
「……???」
「……、???」
首を傾げた鶴丸を見て、光忠もまた首を傾げた。光忠が不思議そうにしていることに鶴丸はさらに首をひねって、しばらく二人は顔を見合わせて首を傾げあった。
「……、あれ、鶴さん、こういうの好きじゃない?フーって種を飛ばせるよ?そういうの好きかなって思って持ってきちゃった」
「はは、光坊に俺はいくつの子供に見えてるんだ」
好きそうだという予想を外してきょとんとしているこちらへ、鶴丸は少し呆れたように苦笑を投げかける。
とはいえ、差し出した綿毛は受け取ってくれた。そう、鶴丸は、光忠が差し出すもの――あらゆる物、気持ち、手のひら、愛など――をいつも必ず受け取ってくれる人だ。今回のように、彼が別に欲していないものでも。
いや、それでも光忠はやっぱりこの人は綿毛を吹くのが好きなんじゃないかという予想を捨てられずにいるのだが……。
受け取った綿毛の茎を親指と人差し指でつまんで持って、鶴丸は顔の高さに持ち上げてくるくると回転させながら観察した。
「えらく立派な綿毛じゃないか?これ」
「うん、普通のはもう少し小さいよね」
「だよなぁ」
鶴丸はしばらくそうやってしげしげと綿毛を眺めていて、その様子を光忠がさらにまた眺めた。眺めながら光忠は思った。ふわふわと揺れる綿毛はやわらかいだけでなく繊細さもあって、なんとなく鶴丸の一部のようにも思える、と。
たとえば、彼の細めの髪の毛先、繊細に揺れる睫毛、やわらかな白い肌、あるいは、戦装束についている象徴的な白い球状の房に感じる印象は、綿毛を見て感じる印象とどことなく似ているように思う。儚げに見えて実際は芯のある生命力を持っているという点も、それぞれ似ている。何より、光忠にとってはふわふわと愛らしく感じられるというところがとても似ていた。
「かわいい」
「……?綿毛か?きみがフーっとしてもいいんだぜ、光坊」
「いや、綿毛もだけど、どっちも」
「どっちも?」
「うん、鶴さんも、綿毛も、白くてふわふわでかわいい」
光忠が真面目な顔でそう言ったら、鶴丸は肩をすくめた。
「おいおい、それを三郎あたりに聞かせてみな。信じられないって顔されるぞ。『さすがの鶴さんもここまでふわふわと可愛らしくはないでしょ!』ってな。俺もそう思うが」
「そうかなぁ、鶴さんはふわふわでかわいいけど」
光忠が当たり前のように言って腕を組んで首を傾げていたら、鶴丸は呆れながら笑った。
「まったく、光坊の贔屓目はいつものことだが……。しかしまぁ、そうだな、光坊の言うとおり俺――」
「うん、鶴さんはかわいい、よね?――」
「いや、違う違う。そうじゃない、俺にはこいつをフーっと吹きたい気持ちがあるかもしれんって話だ。どうも童心がうずいてな」
そう言いながら鶴丸が見せた、へへ、という笑みは本人の言葉のとおり少し幼さがある。綿毛を顔の横に掲げて、彼は少し上目遣いでこちらをうかがった。
「これ、吹いて飛ばしてもいいかい?」
「もちろん、そうしたら鶴さんが楽しいんじゃないかと思って持ってきたんだからね」
「そうか。いや、なに、光坊がこのふわふわを気に入っているようだったから、部屋に飾ってもいいと思ったんだ」
確かにそれもいいかも、と光忠は思ったけれど、しかし、部屋に飾っていたらきっとその場にそのうち綿毛が積もってしまうだろうとも思う。
「遠くに飛ぶための綿毛だから、遠くに飛ばしてあげるのがいいんじゃないかな。フーってしてあげて」
光忠の言葉に鶴丸は頷いて、こちらから視線を外し、ひらけている方を向いた。口元に綿毛を寄せる。口づけるみたいに。
そうして、深く息を吸ってから彼が綿毛を吹いた。綿毛たちが勢いよく花芯を離れて宙に舞っていく。
ろうそくの火は息を吹きかけると消えてしまうけれど、綿毛は――つまり、来春の花は――息を吹きかけるとさらに大きく広がるのだな、とぼんやり光忠は思った。そのことは、鶴丸の吐息に生命力が宿っているんじゃないかという想像をかき立てる。そうかもしれない、この人は春そのものみたいな人だから。
花の種を広げる鶴丸の横顔は、綺麗で優しく、そして少し若々しく高揚しているように見えた。
「見たかい、光坊。よく飛んだな!これで来年もきっと花が――」
光忠の見立てどおり、綿毛を飛ばすのは彼にとってやっぱり楽しかったらしい。喋りながらこちらを向いて笑った鶴丸はいつもよりも子供っぽかった。
その彼があとに続ける言葉はきっと「咲くだろう」だったとは思うのだけれど、鶴丸がそれを続けることはなかった。
なぜならその言葉を続ける前に、こちらを向いた鶴丸へ光忠が一歩身を乗り出して口づけていたから。子供のように楽しみながら、そして同時に生命を慈しむような優しさで、綿毛を吹く彼を愛しいと思ったのを抑えきれなかったのだ。
「――、!?」
このタイミングで口づけられるとは思っていなかったのか、鶴丸は一瞬、驚いたように固まった。その緊張を解くように光忠は口づけながら彼の頭を撫で、髪を指で梳き、指先で頭皮をなぞった。そうすると鶴丸からは過剰な力が抜けて、しばらくすれば彼は委ねるように光忠の口づけを受け入れる。
光忠は口づけを深くはしなかったけれど、かなり長いあいだ唇を合わせていた。愛おしさを示すように何度も頭を撫でて髪を梳く。愛しさのあまり、白くやわらかな髪を少しばかりくしゃしゃに乱してしまったかもしれない。
ようやく光忠が唇を離したら鶴丸は大きく息を吐いた。先ほど綿毛を吹いた彼の吐息はきっとみずみずしかったけれど、口づけを終えた今の吐息はほんの少しだけ熱を帯びているだろう。
「なんだい、急に熱烈だな、驚いた……」
呆けて困ったような顔で曖昧に笑う鶴丸は、髪が乱れていることもあって全体的にふわふわとした様子でかわいらしかった。だから、得意げに光忠は言う。
「ほら、」
「……?」
「鶴さんはやっぱりふわふわしててかわいい。きっと三郎さんもここにいたら納得してくれるよ。見せてあげたいな」
「……???」
鶴丸は話の流れが分からずにしばらく困惑していたけれど、光忠は気に留めずに微笑んだ。しかし、不意にはっとして手を伸ばすと、鶴丸の乱れた髪を丁寧に整える。
「いや、見せてあげたいなって言ったけど、ふわふわしててかわいい鶴さんは僕だけのにしておきたいかも」
「どうもよく分からんが……、きみは本当に俺が好きだな」
呆れた口調だったけれど鶴丸はくすぐったそうだったから、たぶんまんざらでもないのだろう。光忠はそのことが嬉しかった。
「うん、好きだよ、すごくね」
「はは、知ってる」
鶴丸は笑ってから、不意に光忠に耳を貸せ、と手招きした。
「……?」
少しかがんで光忠は彼の口元に耳を寄せる。そこに囁くように鶴丸は言った。
「知ってるかい、俺も光坊が好きだぜ、すごくな」
「……!」
鶴丸の言う「好き」に「すごく」がついていることはめずらしいから――いや、言わなくても彼が自分をすごく好いてくれていることは分かっているので大丈夫なのだけれど――、嬉しくなった光忠はまた軽く口づけようと思った。が、それよりも先に耳の中へ勢いよく息を吹きかけられて飛び上がってしまった。
「――っ!!??」
息を吹きかけられた耳を押さえて、混乱しながら驚いている光忠を見て、鶴丸はとても楽しそうだった。
「あっははは、良い反応だ、光坊。綿毛になった気分はどうだい、きみもかわいいぜ」
してやったりという顔で言う鶴丸に、光忠はもう、と口をとがらせたけれど、たぶんこの悪戯は彼の照れ隠しだと思ったので結局微笑んだ。
「まったく……、そんなこと言ってたら鶴さんも綿毛にするよ。同じように耳にフーってするからね」
「あー、それは俺はちと遠慮しておこう」
言いながら鶴丸は両耳を両手で隠して少し後ずさった。おや?と光忠はその様子を訝しんで呟く。
「あれ、鶴さんって耳、敏感だったっけ?」
「……、さぁ?」
鶴丸はこちらから目をそらしてとぼけた。その様子に、図星なのかもしれない、と光忠は思う。
「試してみてもいい?」
「いやいやいや、遠慮する!俺は綿毛じゃないからな、吹かなくていい」
「えぇ、鶴さんはふわふわだし白いしかわいいし、綿毛だよ。フーってさせて」
「お断り!だ!」
じりじりと近づく光忠からじりじりと鶴丸は両耳を隠したまま後ずさって、隙をついて逃げ出した。
「主に言われた急用を思い出した!じゃあな光坊!綿毛は楽しかったぜ!」
「あ、鶴さん!ちょっと!」
そう言いながら鶴丸はあっという間に走り去っていってしまった。けれど、光忠はその後ろ姿を見送りながら微笑んだ。あのとぼけた時の一瞬の動揺と、この逃げていってしまったという事実が、彼が間違いなく耳が弱いということを示していて。
確かにあの人の耳を丁寧にかわいがってあげたことがない。だから次に触れあうときは、たくさん耳に触れてそっと息を吹きかけてやろうと思う。
なぜって、鶴丸は光忠にとって綿毛のようにふわふわでかわいい人だから。
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