ナワーブという男は軽装で身軽な性格だった。好奇心に忠実でフットワークが軽い。かと言って軽率でもなかった。ナワーブと言う名前が本名かも分からない。
そして周囲からそう思われていた男が、最近大荷物を持ち歩いて行動しているらしい。これまでの印象にはそぐわない。
だが実際そうらしい。目の前の光景に、噂が本当だったことを知る。
ナワーブはキャリーケースを引いていた。今までは大きくてボストンバッグだ。
そうでなくても車に積んでいたりはした。手づから自分で荷物に触れて運んでいる様子は、確かに意外だ。
それとなく話題に出して聞いてみるも、ケースのことは肩を竦めて誤魔化される。それどころかケースに指一本触らせる気もないのか、近寄らせすらしなかった。
ナワーブは物持ちの良い男だが、何にでも執着するような男でもない。こだわりを持つ場合もあるが、仕事が終われば、あっさり手放す場合もある。キャリーケースは仕事用でもなさそうだった。私物をこんなにたくさん、しかも持ち歩いているなんて、かつてのナワーブからは考えられない。どちらかというとその場にあるものをその場でだけ使うような男だから。
ますますキャリーケースが気になった。中身はいったいなんなのだ。見詰めていても中身は透過しないが、ケースからは甘い香りが立ち上っている気がする、花のような匂い。香水なんてそんなもの、ますますナワーブは使わない。しかしそれは、纏わすためのものというよりは、別の匂いを消すためのもののようにも思えた。
その時、ケースががたりと動いた気がした。まるで挨拶でもするように。
「こら。」
ナワーブが軽い口調で言った。まるでキャリーケースを嗜めて叱るようにして。
ケースに向けていた視線をゆっくりとナワーブに向けた。キャリーケースの持ち主は、にこやかに笑うだけで、その場を誤魔化した。そんな表情一つで誤魔化しなんて効くはずがないのに。今までのナワーブならその場を笑って誤魔化そうなんてしなかった。表情なんて殆ど変わらない、不器用な男だ。
そしてナワーブとは別れた。男はキャリーケースを大事そうに携えて、去って行った。
ナワーブがキャリーケースを持ち運ぶようになったと噂になったのは、彼が霧の山荘に仕事行って、帰って来てからだ。
機会があって、その山荘の近くで仕事があったので、寄ってみた。しかし行ってみた山荘は荒れ果てており、巨大な爪痕が残っているだけだった。ナワーブのここでの仕事とは、いったいなんだったのだろうか。
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