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2026-04-03 20:00:00
25378文字
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上向けば星

鉢雷/25,000字
現代転生パロ。特に大きな事件もなく前世の話もほぼなく、記憶あり雷蔵と記憶なし三郎が仲良くなっていく話。
※モブ同級生(女子)から好意を持たれる描写があります(二人とも)。

 高橋三郎です。――ちっとも気負ったところのない口調でそう自己紹介をした新しい同級生を見て、おや、と好奇心を擽られる。これまでの人生で出会った『三郎』はこれで三人目だった。ひとりは雷蔵が幼少の頃に通っていた小児科の先生、もうひとりは小学生の頃の二つ上の上級生、目の前の彼で三人目だ。
 中学二年生に上がり、二日目のホームルームで紹介された転校生は、教師に促されて雷蔵の隣の空席に腰掛けた。クラス中の視線が集まっているというのに悠然と構えている様子は、これまでの中で一番『鉢屋三郎』に似ていると思った。
 クラス替え直後とはいえクラスメイトは殆どが近隣の小学校からそのまま持ち上がった顔見知りだった。その中に混ざった転校生は嫌でも皆の興味を惹く。
 ホームルームが終わるやいなや、隣席の特権で雷蔵は先んじて彼に声を掛けた。

「高橋くん。ぼくは不破雷蔵。これからよろしくね」

 同時に右手を差し出す。高橋三郎は人好きのする笑みを浮かべて躊躇いなく手を握り返してきた。

「三郎でいいよ。前の学校では下の名前で呼ばれてたから慣れなくて。こちらこそよろしく」
「分かった。三郎くん、教科書はもう揃ってる? 何かあれば遠慮なく声を掛けて」
「ありがとう、助かるよ」

 一通りお決まりの挨拶を終えると人懐こい性格のクラスメイト達が寄って来て、好き好きに質問を投げかける。三郎はそのどれもに好意的な返事をしていた。親の仕事の都合でこの街に越して来たこと。前の学校のことや得意科目。特に部活動はしていなかったこと。
 とても社交的な性格のようだった。あっという間に馴染みやすい人物であることがクラス中に伝わる。
 鉢屋三郎もクラスでは皆に好かれる人物だった。いたずら好きなところがあったけれどつい許してしまうような愛嬌があった。
 目の前の彼はもしかして、雷蔵の知る三郎なのだろうか? 雷蔵自身も会話に加わりながら、和かに皆と話す彼の姿を見て内心首を傾げる。
 迷うのには理由があった。
 ――雷蔵は、変装の達人であった己の半身とも呼ぶべき鉢屋三郎の素顔をついぞ拝むことなく前の人生を終えてしまっていたのだ。だから今世で三郎と街中ですれ違っても残念ながら気付くことができない。それ自体は悔やんだところで仕方のないことだった。まさか来世で判別がつかなくなるから、素顔を確認しておくべきだ、などと予想できたはずがない。
 それにどういう理屈かは分からないが、己は不破雷蔵という名前で生を受けており、ついでに言うならば同じクラスには竹谷八左ヱ門、隣のクラスには久々知兵助、尾浜勘右衛門までがいる。ここまで揃って三郎だけが高橋三郎などという名前で登場してくるだろうか? 答えが出ることのない疑問につい腕を組む。

「雷蔵はどうしたんだ?」
「ああ、いつもの悩み癖だ。しばらくしたら戻ってくるから大丈夫」

 その高橋三郎とクラスメイトの会話が右から左へ通り過ぎていった。

 ***

「おはよう。雷蔵、竹谷くん」

 翌朝、登校してきた三郎は朝の日差しもさわやかに微笑んでそう挨拶をした。雷蔵の机の横に立って話をしていた八左ヱ門が意表を突かれたような表情をする。名前を覚えられていたことに驚いたのだろう。隣席の雷蔵はともかく、八左ヱ門はまだ三郎と会話らしい会話をしていない。
 すぐに八左ヱ門は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「おはよう。おれのことも名前で呼んでくれよ。下の名前は、」
「八左ヱ門だろ。よろしく」
「えっ」

 今度こそ驚いた声を上げる。分かりやすく目を丸くした八左ヱ門を見て三郎が笑う。昨日教えてくれたじゃないか、と言って面白そうに首を傾げた。

「すごいね。もう皆の名前を覚えてるの?」
「昨日聞いた人のはね。はやく仲良くなりたくて」

 思わず口を挟んでそう聞くと、何でもないことのようにさらりと返される。鞄から教科書を机に移し替えながら、にっこりと微笑を向けられる。
 記憶力が良く、人の顔をすぐに把握する観察力もある。それはいかにもらしい・・・のだが、鉢屋三郎にしてはやや社交的すぎるような気もする。
 三郎は言葉の通り積極的に、けれど悪目立ちはしない程度に、クラスの皆と分け隔てなく会話を重ねて、二ヶ月が経つ頃にはまるでずっと以前から同じ学校にいたかのように馴染んでいた。

「雷蔵、数学の答案みせてくれ」

 弱ったような声がして顔を上げると眉を下げた八左ヱ門が雷蔵を見下ろしていた。手には先ほどの授業で返却されたばかりの中間テストの答案用紙がある。

「最後の応用のやつが解答見ても分かんなくって」
「ぼくもそこ、途中点しかもらえなかった。――三郎くんは?」

 隣の席に向けて声をかけてみる。三郎はほんの一瞬だけ強張ったような表情をした後、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。そうして差し出された答案用紙には満点の赤い数字が載っている。

「おほー、すごいな!」
「頑張ったんだね」

 感心する雷蔵と八左ヱ門に、三郎は大して喜んだふうもなく、嫌味な様子もなくただ微笑んで「ありがとう」とだけ言った。

「解答見せてもらっても良い?」
「もちろん」

 三郎はいかにも慣れた様子で解法と途中式の説明をした。以前の学校でも同級生たちにそうしていたのか簡潔で分かりやすい。普段の会話からもそうと分かっていたが改めて優秀なのだなと思った。
 そう思いながら、どうしても鉢屋三郎のことを思い出した。教科試験で良い点を取ったとき、真っ先に雷蔵に見せては褒めてくれとねだられた忍術学園での下級生の頃の記憶。自慢げなまぶしい笑顔。
 人生はそう都合の良い話ばかりではないのだと、分かっていてもどこか落胆している自分がいた。

 ***

 三郎は学業ばかりでなく運動神経も良いようだった。
 全校全員参加の球技大会当日のこと。どうやら三郎の参加する我がクラスのバスケットボール選択チームは好調に勝ち進んでいるらしい。雷蔵と八左ヱ門がグラウンドで手持ち無沙汰にサッカーボールを抱えたまま木陰で座って他クラスの試合を眺めていると、同じように近くにいた女子が友人に誘われて体育館へ応援に行こうと手を引かれて誘い出されていた。

「青春してるなあ……
「そうだねえ」

 頬を僅かに赤らめて駆けていく様子を遠目で眺めて呟いた八左ヱ門に相槌をうつ。女子たちの弾むような声がまだ聞こえている。
 成績優秀、スポーツ万能、人当たりも良く親しみのある転校生とくれば当然の結果で、色々な意味で三郎はクラスで一際目立つ存在となっていた。
 しかし、それを他人事のように隣席で目にしている雷蔵から見ると、三郎は誰に対しても親し気に振舞うけれど、逆に特定の誰かと特別に仲が良いというわけではなさそうだった。それがまた年頃の学生たちには新鮮な存在感を与えているのだろう。
 雷蔵が午前中の試合を終え、ひとりで手洗い場に向かって校舎内を歩いていると聞き慣れた声がした。

「三郎、自分のクラスに戻らなくていいのか?」
「今日はずっとこっちに混ざっていようかな。なんか疲れたし」
「お前なあ」

 やや疲れたような三郎の声。呆れたような相手の声は隣のクラスの尾浜勘右衛門だった。手洗い場に並んで会話をしているらしい。

「すごい応援だったな。顔見せたら喜ばれるんじゃないか?」

 今度は久々知兵助の声。その昔、浅からぬ縁のあった友人たち。
 いつの間に二人と仲良くなったのだろう。クラスメイトの三郎に対して鉢屋三郎を重ねて見ていた訳ではなかったけれど、なんとなく微笑ましい気持ちになる。
 その矢先だった。

「自分のクラスで上手くいってないのか? 雷蔵も八左ヱ門もいいやつだぞ」
「いいやつなのは分かってるさ。けど、うちのクラスって善良で真面目なやつばっかりだろ。おれには据わりが悪いよ」

 ぎくり、と足が止まる。うっかり聞いてはいけない会話を聞いてしまったような気がする。慌てて周れ右をしようとしたが遅かった。手を洗い終えてこちらを向いた三人と思い切り正面から鉢合わせる。

「あーっと……

 沈黙の後、勘右衛門が気まずそうに呻くような声を出す。
 三郎はというと、らしくもなく雷蔵の顔を見たまま硬直していた。かわいそうに顔面いっぱいに「しまった」と書かれていて、己のタイミングの悪さに返って申し訳なくなり思わず頬を掻く。

「ええと」

 どうしたものかと一瞬考えるが、聞いてしまったものは仕方ない。幸いに悩むような要素はなかった。
 確かにクラスメイト達は平和主義で温厚な性格の友人のほうが多い。勉強でも運動でも、三郎と同じくらい成績優秀な兵助や要領の良い勘右衛門と一緒にいたほうが張り合いがあって楽しいのかもしれない。別に悪口を言われた訳でも失礼な態度を取られたわけでもない。けれど「つまらないやつら」と取られても仕方のない発言だった。ならばほんの少しなら、言い返してやるのも良いだろう。雷蔵は気を取り直して微笑んだ。

「ぼくはともかく、八左ヱ門のことを面白みのない優等生だと思っているのなら、それはちょっと見る目がないと思うよ」

 真っ直ぐに顔を覗き込んでそう言うと、三郎は目を丸くした。もう一度にっこりと笑ってみせてから三人とすれ違う。
 どういうわけか、三郎は転校初日からこれまでずっとクラスでは猫を被っていたようだ。どうりで中学生にしては大人びた性格をしすぎていると思った。
 雷蔵も三郎と同じだ。成績優秀、スポーツ万能、非の打ちどころのない優等生よりも、うっかり失言を聞かれて面食らっているくらいの同級生のほうが好ましく見える。
 球技大会を終えてホームルームで顔を合わせた時に微笑んでお疲れさまと挨拶をすると、三郎は一瞬だけ緊張した様子を見せたがすぐに表情を普段通りの笑顔に張り替えた。
 翌日以降も、雷蔵のほうに態度を変えるつもりがないと分かると、すぐに普段通りのやり取りをする間柄に戻った。休憩時間に会話もするし、体育の授業の待ち時間で雑談もする。

「あれ、八左ヱ門は?」

 グラウンドの隅に座る周りの同級生を見回して、やってきた三郎がそう言う。クラスでは雷蔵と八左ヱ門は行動を共にすることが多かったから隣にいないことを疑問に思ったのだろう。雷蔵にとっては別段気にすることでもなかったので、両手に顎を乗せたままの姿勢で三郎を仰ぎ見る。

「猫か狸でも見つけたのじゃないかな? 大丈夫、先生に見つかる前に戻ってくるよ」
「は? 狸……?」
「うん。この辺よくいるんだよ。八左ヱ門に裏の林を案内してもらうといいよ。色んな話が聞けるから」

 三郎が口を開けて固まった。前の学校は都心の方だったと聞いた気がするから、あまり馴染みがないのかと思いそう勧めてみる。
 ぽかんとしたままの様子を見て、狸の存在に驚いたのでなく、八左ヱ門が先生の目を盗んで授業を抜け出したことに驚いているのだと気付く。
 可愛げのある素直なその反応に思わず頬が緩んだ。

 ***

 期末試験を終えて夏休みを目前にすると生徒たちは浮足立つ。雷蔵もまた例外ではなく、八左ヱ門と休み中に映画を見に行く予定を確認する。公開をずっと楽しみにしていたスパイ・アクション映画だった。
 午前中に映画を見て、昼食を食べて午後はどこかへ寄り道をしよう。そう話を進めているところで八左ヱ門が急に困ったような妙な顔をした。どうしたのだろうと思うと、肘をついたまま雷蔵の隣に目を向ける。つられて横を見ると離席していた三郎がいつの間にか戻っていて、何かを言いたげな目でじっとこちらを見ていた。

「三郎も一緒に行く?」

 そう聞いたのは彼の表情がどこか拗ねて不貞腐れているように見えたからだった。そしてそれはどうやら勘違いではなかったらしく、三郎はぱっと明るい笑顔になって頷いた。
 球技大会以降、三郎は雷蔵と八左ヱ門と行動を共にする頻度が増えた。会話をしていればふらりと寄ってきて、昼食や休憩時間も一緒に過ごすようになった。もしかしたら本当に八左ヱ門に裏の林を案内でもしてもらって、親交を深めたのかもしれない。それは雷蔵にとっても喜ばしいことだった。そして、学校の外で遊ぶ約束をしたのはこれが初めてだ。

「隣街まで出ると映画館があるんだ。三郎は行ったことある?」
「いや、ないな。越してきてからあまり出掛けていなかったから」
「じゃあ案内するよ」

 そう言うと三郎がまた嬉しそうに笑う。自分で口にしてから気付いたが、三郎はまだこの街に来て半年も経っていないのだった。すっかりクラスに馴染んでいたから忘れていた。

「八左ヱ門とはあんまり映画の好みがあわなくてね。お互い交互に好きな作品に誘うルールなんだ」
「へえ。今回のはどっちの趣味なんだ?」
「ぼく」

 三郎が何かを言いかけてから口を噤んだ。なんだろうと不思議に思って視線を向けるが、誤魔化すように首を傾げられてしまう。気にした様子のない八左ヱ門がスマートフォンを取り出した。

「時間送っておくな。集合は駅前で」
「分かった」

 夏休みに入り迎えた約束の日は、気持ちの良い快晴だった。八月に入ったばかりの暑さだったから外で行楽するにはつらいだろうが、映画館へ出掛けるくらいには丁度良い。
 シアターの開場前について時間を持て余している最中、売店の前で雷蔵は腕を組んだ。パンフレットと一緒にドリンクを購入しようと思ったまでは良かったが種類が多くてつい悩んでしまう。コーラを飲みたい気分だが、どうせなら普段あまり飲まないジュース類のほうが良いかもしれない。炭酸飲料だと映画を見ているうちに気が抜けてしまうかもしれない。
 ううん、と悩んだ末、最初に選んだコーラを注文する。パンフレットと一緒に受け取って後ろを見ると三郎と八左ヱ門はすっかり話し込んでいるようだった。

「お待たせ。ごめん、悩んでしまって」

 慌てて二人に駆け寄ると、小学校からの付き合いの八左ヱ門は慣れた様子で笑った。

「まだ時間じゃないから大丈夫だ。売店見に行こうぜ」

 指差してそう促される。
 雷蔵の悪い癖は残念なことに生まれ直してもあまり改善はしていなかった。一度悩み始めるとつい周囲を忘れて没頭してしまう。今は忍者を目指しているわけではないので生死に直結するような危険もないのだが、いずれ受験や社会に出た後に苦労することになるかもしれない。
 映画の開始時間が近付き二人がどこにいるかと周囲を見回すと、八左ヱ門はグッズ売り場に、三郎はフライヤーが置かれているラックの前にいる。三郎は気になるものがあるのか何やら真剣な様子で俯いていた。今日一緒に着いて来たがったのは映画が好きだからということもあったのかもしれない。

 ***

 昼食を食べ、ゲームセンターに寄り、電車で最寄り駅まで戻ってそろそろ解散しようかという頃、道の途中で幼い女の子の涙声が聞こえた。どうしたのだろうと視線を向ける。
 空き地の前の道で、鉄柵に両手を掛けた四、五歳くらいの女の子が内側へ向けて「シロ!」と声を掛けていた。すぐ隣では母親と思われる女性が焦ったような表情でどこかへ電話を掛けている。
 夏場で膝上くらいまで伸びた雑草の隙間から、小さな白い影がちらりと走りまわっているのが見える。どうやらペットの犬を空き地の中へ逃がしてしまったようだ。
 鉄柵は雷蔵たちの身長よりも高く気軽には越えられそうにない。電話が繋がらないのか、弱ったようにしている女性を見てから、雷蔵は周囲を見回した。近くに柄の短い鉄製のデッキブラシが置かれている。鉄柵の上に有刺鉄線はない。

「ちょっと待ってて」

 三郎と八左ヱ門に声を掛けてから、コンクリートの塀部分にデッキブラシを立てかける。柄を足掛かりに、一息で飛び上がり鉄柵を乗り越えて雷蔵は空き地の中に降りた。

「わあっ! 雷蔵っ!」

 柵の外から焦った三郎の声がする。空地の中は広く、白い小型犬の姿は視認できない。けれど風に揺れる雑草の中に不自然に揺れる場所が存在している。目で追いながらできるだけ物音を立てないように追っていく。
 犬は興奮しているのかずっと走り回っている。少し考えないと距離を詰められないな、と思ったところにすぐ近くで三郎の声がした。

「雷蔵! 待ってくれ……
「三郎、柵を乗り越えてきたのか? 危ないじゃないか」
「どの口が言っているんだ?」

 同じようにして鉄柵を乗り越えて来たのだろうか。怪我でもさせていないかと不安になる。あまり褒められた行動でもない。しかし入ってきてしまったものは仕方がない。

「ちょうどいいや。三郎、そこに立っていてくれる?」
「どうするんだ?」

 三郎と距離を取って犬を挟んで反対の位置までそっと移動する。雷蔵がわざと草を掻き分けて音を立てながら移動すると犬はまっすぐに三郎の方へと逃げて行った。
 そして三郎に気付いて一瞬足を止めた隙に、一息で距離を詰めて地面を這っていたピンク色のリードの端を足で踏む。抱き上げて繁みから出された犬は、真っ白でふわふわな毛並みの小さなトイプードルだった。
 鉄柵の隙間から子犬を出してリードの先を親子に渡す。
 雷蔵はデッキブラシを隙間から内側へ取り出して、入ってきた時と同じように柄を使って柵の上に飛び乗った。脚を柵に絡めて体勢を固定し、下にいる三郎に向けて片手を差し出す。三郎が呆然とした様子で顔を引きつらせたまま雷蔵を見上げている。

「雷蔵、きみ、体操とかやってる?」
「そんな大袈裟なものじゃないよ」

 手を繋いで三郎が地面を蹴るのに合わせて引き上げる。身体を支えてやりながら三郎が飛び降りるのを見届けて、後から自身も地面に降りる。何故か女の子と手を繋いだ状態の八左ヱ門が弱ったように眉を下げていた。

「あんまり無茶なことするなよ、もう! 三郎はおれの肩足蹴にしやがって」
「悪かったって」

 八左ヱ門のTシャツの肩にくっきりと足跡がある。どうやら三郎は八左ヱ門の力を借りて雷蔵の後を追って来たようだ。

「雷蔵って昔っから妙に身軽だよな」

 丁寧に頭を下げる母親と子犬を抱きかかえた少女に手を振って別れて再び三人で帰路へ着く。その途中で八左ヱ門がどこか呆れたようにそう言った。

「身体の使い方が分かっていれば難しくないんだよ。後は知識があれば。特に鍛えているわけでもないしね」

 敷地内への侵入は忍者の得意技だ。本格的な修行をした訳ではないのでとても前世と同じようにはいかないが、培った知識で簡単なことなら今でもできる。八左ヱ門にもできていたんだよ、と伝えられないことがほんの少しだけ残念だった。

 ***

「三郎のやつ、すっかり懐いたなあ」

 テーブルを挟んだ向かいで肘を付きながらそう呟いたのは勘右衛門だった。その隣の兵助がジュースのストローを咥えたまま頷いて同意する。視線の先にはバスケットボールゲームの前で熱心に競う三郎と八左ヱ門がいる。大型アミューズメント施設の中のゲームセンターだった。夏休みも中盤に差し掛かり、五人で都合を合わせて出かけた先だ。

「うん、そうなんだ。八左ヱ門と気が合ったみたいでね」

 楽しそうに顔を見合わせながらボールを投げる二人を見て微笑ましい気持ちになる。最近の三郎は被っていた猫の皮をすっかり脱ぎ捨てて、素直に笑ったり子供のように拗ねたりと様々な表情を見せてくれるようになった。
 勘右衛門が呆れたような苦笑いを浮かべる。

「そうじゃないだろ。八左ヱ門とも仲良いのはそうだけど」

 どういうことだと首を傾げる。何故だか兵助までもに生暖かい視線を送られた。

「雷蔵に懐いてるんだろ。クラスで上手くいってるみたいで何よりだよ」
「え?」

 その瞬間に賑やかな音楽が筐体から流れて悔しがる八左ヱ門の声がした。三郎がまっすぐにこちらへ小走りで寄ってくる。

「雷蔵! 見てくれ、八左ヱ門に勝ったぞ」
「見ていたよ。上手だったね」

 弾んだ声で報告をして、手の中のものを見せてくる。ゲームの景品のキーホルダーのようだった。出会った頃の優等生然とした様子からは想像できなかった得意げな笑顔に胸の内がくすぐったくなる。

「勘右衛門、おれもあれやりたい」
「いいよ。行こう」

 ジュースを飲み終えた兵助と勘右衛門が連れ立って八左ヱ門のもとへ行く。開いた席に三郎が座り、両肘をテーブルに乗せてこちらを覗き込んだ。

「次はなにをする? 雷蔵の好きなものにしよう」
「え? えーっと」

 どうしよう、と顎に手を当てる。ゲームの種類は山ほどある。室内スポーツの類もできるようだ。きりがないほど選択肢がある。どちらかというと身体を動かすほうが良いが、球技の他にもアーチェリーなど道具を借りてできるものもあるらしい。ううん、と悩み始めたところで、すぐ隣で微笑む気配がした。
 結局見かけたものを片っ端から試して遊ぶのに、三郎はずっと付き合ってくれた。
 夕方まで楽しんだ後、日が暮れそうな頃に解散となる。駅前で兵助、勘右衛門と別れ、自宅への道すがら八左ヱ門と別れ、すぐ隣を三郎だけが歩いている。

「雷蔵、その……

 ぽつりと三郎が呟いた。服の裾を軽く引かれて雷蔵は足を止めた。辺りが夕闇に染まり始めていて、振り返ると俯き顔に影を落としていた。

「私は映画は好きでなんでも見るほうだ。だからその、八左ヱ門を誘いにくいときには声をかけてほしい」

 どこか緊張したような声音だった。普段は真っすぐに雷蔵を見つめる瞳がどうしてだか、今は何もない宙を見ている。
 その言葉がまた一緒に遊びたいというお誘いだろうということは雷蔵にも理解ができた。今日は皆で遊んで楽しかった。こうして帰り際に物寂しい気持ちになる感覚は一緒なのだと、三郎にも心底楽しんでもらえたのだと分かって安心する。

「本当? じゃあ近いうちにまた誘ってもいいかな」
「ああ、そうしてくれ」

 どこかほっとしたように三郎が微笑む。この街に越してきたばかりで、あまり他の友人とも学校の外では遊んだりしていなかったのかもしれない。こんなことならもっと早く声を掛けておけばよかった。

「それじゃあ、また今度」

 そう言って三郎が回れ右をする。あれ、と思いその後ろ姿に声を掛けた。

「三郎、家はどのあたりだっけ?」

 八左ヱ門とは小学校から同じ学区の付き合いなので家が近い。それよりも近所に三郎が住んでいたなんて知らなかった。三郎がぎくりとしたような気まずそうな表情で振り返る。

「あ、いや……。三丁目のあたり……

 駅からまるで正反対だ。ぽかんと口を開けて呆けていると、そそくさと逃げるように三郎は走り去って行った。 
 ――雷蔵に懐いてるんだろ。
 勘右衛門の言葉が滑り込んで、身体の内側にすとんと転がり落ちた。

 ***

 夏季休暇も終わりに近付いた頃、再び雷蔵は隣街の映画館の売店前にいた。
 前回はコーラを頼んで映画の終わる頃には危惧した通り、すっかり気が抜けてしまっていた。ではお茶の類にするべきだろうか。しかし折角映画館にきたのなら、もう少し特別感のあるものにしたいところではある。
 三郎と八左ヱ門と見た映画は飲み物を口にするのも忘れて見入ってしまうほど面白かった。今日選んだ映画はミステリー小説が原作の作品だった。同じシリーズの前作に八左ヱ門を誘った時は途中からすやすやと寝息が聞こえていたので、本当は両親と来ようと思っていたのだ。
 そうしなかったのには理由がある。休み中、宿題をしたり本を読むために公営の図書館に通っていると、同じ習慣があるのか三郎と頻繁に出くわした。

「自宅だとちょっと勉強し辛いんだ」

 そう言ってよく雷蔵の隣の自習席に座って同じように問題集を広げていた。集中していて気付くといつの間にか横にいる日もあった。
 もし夏休み中暇を持て余しているのならと、もう一度映画に誘ったのだ。
 三郎と八左ヱ門と三人で来た日とは違って今にも雨の降りそうな曇り空だった。冷房のついた店内にいると少しだけ肌寒い。
 雷蔵は長考の末にホットの紅茶にしようと決めた。

「決まったようだね」

 すぐ側に立った三郎がこちらを覗き込んで言う。
 その瞳を視界に入れた瞬間、体内に小さく電流が走ったような錯覚がした。顔のつくりは全然違うのに目を細めて微笑むその表情と仕草が、遠い昔の懐かしい面影とあまりにも同じだったからだ。
 待たせてしまってごめん、と一瞬前までそう言うつもりだったのに、雷蔵の口から出て来たのは「うん」という淡泊な返事だった。謝る必要などないのだと脳でなく身体が理解しているようだった。少し肌寒いと思っていたはずなのに何故だか体温が上がり頬が火照る。一拍遅れて、自分が喜んでいるのだなと気付いた。
 紅茶を左手に持って財布を鞄にしまおうとしていると、言葉もなく三郎がカップをそっと奪って雷蔵のやりやすいようにしてくれる。二人でいるときの三郎は学校にいるときよりも少しだけ無口だった。けれど視線が合うたびに嬉しそうに微笑んでいるから沈黙も気まずくはなかった。
 夏休みの間、何度も会ってもそれは変わらなかった。