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吾妻
2026-04-03 05:16:26
9695文字
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アークナイツ
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溺れるほどのキスを貴方(だけ)に
◾️テキ博♀ 付き合ってる キスが大好きなテキーラくんの話。本気になったらキス魔だといい。
「
――
クター
……
」
まどろみの向こう側で、誰かが呼んでいる。
心地良い声だ。いつまでも聞いていたくなるくらいに。
「ドクター」
続けて、今度はもう少しはっきりと。同時に、優しく体を揺する手の感触。
朝特有の、わずかに掠れた声だった。人前に出るときは身も心も完璧に装う〝彼〟の、滅多に見られない無防備な一瞬。
昨日もベッドに入るのが遅かったから、本音を言えば、まだこのぬるま湯のような眠りに浸っていたい。
しかし
――
「朝食を抜いていいなら、もう少し寝る時間はあるけど
……
今朝はドクターが食べたがってたパンケーキを焼く予定なんだよね」
「
……
起きる」
他愛のない雑談も忘れずにいてくれる有能な秘書兼恋人が、わざわざ耳元で甘く囁くので。彼の気遣いを無碍にするのも悪い気がして、眠りとは決別することにした。
決して、彼の焼いてくれるベーコンとチーズのパンケーキに胃袋を掴まれているというわけではない
――
はずだ。
「本当に? ちゃんと起きれる?」
温かい指先が、未だ閉じたままの瞼をそっとなぞる。
起きようという気概とは裏腹に、目はなかなか開こうとしない。連日積み重なった眼精疲労は、一晩の睡眠程度では回復しないということか。
「起きないなら、キスしちゃおうかなぁ
……
?」
うだうだと悪あがきをしていたら、今度は睫毛に吐息がかかった。おそらく、触れるほど近くに彼の唇があるのだろう。
なかなか起きようとしない相手に、イタズラをしようと画策しているようだが
――
「そう言われると、起きたくなくなるな」
目を閉じたままで言い返せば、間近から「え?」という少々間の抜けた声がした。
「だって、起きたらキスしてくれないんだろう?」
「
……
」
じゃれあいにじゃれあいで返したつもりが、青年はぴたりと黙り込んでしまった。
(
……
ん?)
眠気が遠のき、頭が冴えてくるにつれ、だんだん恥ずかしくなってきた。もしかして自分は、とんでもないことを口走ったのではないか?
あれでは、「キスをしてほしい」とおねだりしたも同然だ。
今度は羞恥で目を開けられなくなっていると、大きくて温かい掌が優しく頬に触れてきた。
「
……
だったら」
艶を含んだ、やや低めの声。夜、二人きりで過ごすときに聞く声色に似ていて、背筋がぞくりと震えた。
「目を開けて。俺を見て?」
甘さの奥に、隠しきれない情欲の気配がする。
促されるままに両目を開けば、恋人
――
テキーラが、薄水色の双眸に密やかな熱を宿して、こちらを見つめていた。
トレードマークのサングラスも、よそゆきの笑顔もない。飾り気のない一人の男の顔。
それが、ゆっくりと近づいてきて
――
優しく、唇が重なった。
「ん
……
っ」
はじめは啄むように。
それから、舌先を絡めてじゃれあうように。
やがて、幾度も角度を変えて、貪るように。
段階を踏んで、キスが深くなっていく。
「は、っ
……
ン、ぅ
……
」
呼吸が覚束なくなって、反射的に唇を離そうとしても、両頬を手で覆われていて逃げられない。
「逃げないでよ、ドクター? ほら、もっと
……
」
「ふ、ぁ
……
、ちゅ
……
」
大きな舌に口内を荒らされる。かと思えば、こちらの舌先を絡め取られ、ちう、と吸われる。
起き抜けにはあまりに刺激的すぎるくちづけに、眠気とは別の意味で意識が遠のきかけた。
これでは、まるで
――
(食べられてる、みたいだ
……
)
捕食されている。あますところなく、丹念に、隅々まで。
あんなに温厚で、とにかく優しく振る舞う男なのに。作戦中ですら、余裕を崩すことはほとんどないくらいなのに。
こうしてベッドの中で向き合っている瞬間だけは、獰猛な野生を剥き出しにしてくるので面食らう。
あまりに熱烈に求められるから戸惑うのだ。彼がどれほど自分を好いてくれているのか。必要としてくれているのか。痛いほど伝わってきて、ときめきで胸を塞がれる。
どうしてこんなに、愛してくれているのだろう?
不思議で仕方ない。
そして同時に、
(ちょっと、キスが好きすぎるだろ、君は)
たしかにキスをねだったのは自分だ。
それでも、朝っぱらからこんな、息ができなくなるほど濃厚なものをされるとは思っていなかった。もっとこう、挨拶のような可愛らしいものを想定していたのに。完全に油断した。
まったく、テキーラときたら、隙を見せるとすぐにキスをしてくる。唇だけでなく、額や頬、鼻先、それ以外のあちこちにも。お付き合いを始めるまでは、こんなにスキンシップが多い男だとは思わなかった。
……
だが、一番どうしようもないのは、何度も貪るようなキスをされておきながら、簡単に油断してしまう自分。彼と交わすキスが好きでたまらない自分、なのだろう。
「
……
、は
……
」
やがて、濡れた音を立てて唇が離れると、滲んだ視界に、やたらと満足げな青年の顔が映った。
「目は覚めた?」
わずかに濡れたこちらの目元を親指でそっとなぞりつつ、テキーラは柔らかく微笑する。
「
……
おかげさまで」
こっちは息も切れ切れだというのに、目の前の男はあまりにも平然としている。悔し紛れに少々拗ねた返答をしても、嬉しそうにニコニコされて、余裕の差を見せつけられるばかりだ。
「シャワー浴びるでしょ? その間に朝ごはん、用意しておくから」
前髪をさらりと掻き上げてくる指先。あらわになった額に、そっと押し当てられる唇。反射的に目を瞑って受け入れてしまう。
はたから見れば砂糖を吐くようなやり取りにも、いつのまにか慣れてしまった。そのことに、自分が一番驚いている。
先にベッドを降りたテキーラに引っ張り起こされて、ようやく地に足をつける。
彼と過ごす一日がまた、始まろうとしていた。
*
『永久保存版! 種族別、愛情表現大全!』
タイミングがいいのか悪いのか。
執務室のソファの上に謎の雑誌を見つけてしまった。
大方、誰かが置いていったものだろう。指揮下のオペレーターたちは基本的に執務室を自由に出入りするため、土産物の飲食物や雑誌、ボードゲームなどが際限なく増えていく。
ある程度溜まったところで、世話焼きの面々がいい感じに食堂や病棟に分配してくれるので、もので溢れかえると言うことはないのだが。
しかし、ファッション雑誌ならウタゲ、推理小説ならイースチナ、映画雑誌ならティッピと相場は決まっているのだが、果たしてこの雑誌は誰の置き土産なのだろうか。
別に後ろめたいことなど何もないはずなのに、周囲に視線をめぐらせて、ひと気がないことを確かめてから、くだんの雑誌をぺらりとめくる。
最近どうしても気になることがあって、もしかしたらその答えがここに載っているかもしれないと思ったからだ。
つまり。
テキーラがあんなにもキスを好むのは、もしかしたら種族的特性なのでは? 近頃頭を悩ませているそんな疑問の答えが、見つかるかもしれないのだ。
(いや、ここに何が書かれていたとしても、科学的根拠や裏付けがあるわけではないし
……
)
確かに犬は、相手の口元を舐めて愛情を示すと言われる。だからといって、それがペッローにも適応されると考えるのは短絡的すぎないか? 悶々としながらも、手はページをめくり進めて、フェリーンやループスを過ぎ、とうとうペッローの項まで辿り着いてしまった。
恐る恐る、書かれている文字に目を向けた、そのとき。
「あっ、ドクター! おつかれさまでーす!」
「うわっ!」
あまりにも溌剌とした挨拶が背中に飛んできて、思わず大声を上げてしまった。
仰け反った拍子に膝がソファに当たって、中途半端にめくられたままの雑誌が床に落ちる。
「ご、ごめんなさい、びっくりさせちゃいましたか
……
?」
「いや、大丈夫。気にしなくていい」
早鐘のような鼓動を宥めつつ振り返れば、最近人事部に配属されたペッローの女性スタッフが立っていた。
まだどこかに少女のようなあどけなさを残す若い娘は、心底申し訳なさそうな顔をして、立派な立ち耳をぺたりと寝かせている。
「外勤任務希望者の履歴書をいくつかドクターに見ていただきたくて
……
って、それは
……
」
携えてきたファイルをひらひらと振ってみせた後、彼女は床に落ちたままの雑誌に目をやる。
例の情報誌は、ちょうど先程開いたページのまま、二人の間あたりに転がっていた。
「あー、これ、たぶん食堂勤務の子の
……
」
スタッフがしゃがみ込み、雑誌を拾い上げる。
「昨日の夜、映画鑑賞会のためにここのプロジェクターを貸してくれましたよね? みんなで集まってランクウッドの新作を見てたんですけど、その時に調理担当の子が持ってきてたんですよ」
「
……
そうだったのか」
彼女がおしゃべり好きなタイプで助かった。こちらから質問を振らずとも、一から十まで話してくれる。
「最近、流行っている話題なのかな、その
――
」
「『種族別の愛情表現』ですか? まぁ、昔からよくある話題ですよ。星座とか、血液型とか、そういうのと同じっていうか。だって、私の元カレ、ペッローでしたけど
……
」
苦笑を目元と口元に浮かべつつ、彼女は雑誌のページに目を向ける。ペッローの項を指先でなぞってから、少々大袈裟に肩をすくめてみせた。
「かなり潔癖症で、ハグとかキスとか、肉体的な接触がすごく苦手だったんです。大体ペッローはいつも、キスが好きとかハグ多めって言われるし、まぁ確かにそういう傾向はあるのかもしれないけど
……
やっぱり人によるんじゃないかなぁ」
ボリバルなんかは土地柄もありそうですけどね、とおまけのように付け加える。彼女がなぞったページには、ボディタッチが多め、キスが大好き、好きな人とずっとくっついていたい
……
などの、中身があるようでないような文言が並んでいた。星座や血液型占いと同じとは、言い得て妙な話かもしれない。
〝人による〟。あまりに単純な真理だ。
どうして、そんな当たり前のことも忘れていたのだろう?
(ああ、なるほど
……
)
一つ糸口が掴めたら、あとは簡単に答えに行き着いた。
つまり自分は、彼が種族的な本能の発露として、誰にでもキスするのはなんか嫌だなぁ、と思っていただけなのだ。
もっとあからさまに言うなら、『ああいうのは、自分だけにしてほしい』と言う話だ。
(
……
ただの独占欲じゃないか)
自分は、こんなに子供じみた執着を誰かに向けるほうだったかな? しかも、無自覚のうちに。
いくら親しい間柄とはいえ、過度に相手の自由を縛るようにはなりたくない。お互い自立した大人なのだし、もたれかかりすぎるのも良くない。常にそう思っているはずなのに。
(でも
……
)
彼と交わすくちづけや抱擁は、あまりに心地よくて。
身体的な刺激や充足感だけでなく、細やかな気遣いや愛情がひしひしと伝わってくるので。
(やっぱり、他人には渡したくないな
……
)
心の狭い我儘を、どうにも手放せそうにない。
「そういえば
……
」
声をかけられて、我に返った。
人事部スタッフは、こちらに履歴書の入ったファイルを手渡しながら、執務室の中を見回している。
「今日はテキーラさん、いないんですか? 最近ずっと秘書されてたのに」
「ん? ああ、今日彼は
――
」
*
酒は好きだが、接待の席で飲む酒は、その限りではない。
本艦の通路に踏み込んだテキーラは、ネクタイの結び目に指を差し込み、襟元をやや雑に緩めた。
自然と深い呼吸がこぼれ、しつこくまとわりついていた緊張が、徐々に足元から抜けていく。
首元に紐を巻き付ける習慣がないので、ネクタイが必須の食事会はいつも以上に億劫だ。
仕事で出向いているのだから、どれほど上等な食事と美味い酒が提供されたところで、無防備に酔うこともできない。
接待は得意だが、得意と好きは別物だ。美味い酒は、やはり気心の知れた人々と気負いなく飲めたほうがいい。
(ドクターは
……
)
腕時計で時刻を確かめる。
すでに日付は変わっていて、船室エリアは静かなものだ。
もう寝てしまっただろうか? このまま訪ねていっても、別に嫌な顔はされないだろうけど、ドクターの部屋に酒や煙草、果ては香水の匂いなんかを持ち込むのは気が引ける。
自室に戻って、シャワーを浴びて
――
そこまでするくらいなら、今日は別々に寝たほうがいいのでは? 最低限の身支度を整えたら、訪ねる頃にはかなり遅い時間になるだろうし、彼女の貴重な睡眠時間を削るなんてもってのほかだ。
それでも本音を言えば
――
(やっぱり会いたいな
……
)
ドクターの代理として、面倒な会合をしっかりこなしてきたのだから、できれば褒めて欲しい。
〝家〟に帰ってきて気が抜けたのか、意識の外に追いやっていた酩酊が、じわじわと全身に広がって、自制心と理性を蝕み始める。
ふわふわと思考が緩んだ青年の脳裏に、ふと今朝の情景が蘇ってきた。
――
起きたらキスしてくれないんだろう?
眠気の絡んだ声で、あまりにも可愛い我儘を言う恋人の姿。
あんなふうに言われたら、誰がキスを我慢できると言うのか。
特に「最近は前よりもキスのおねだりが増えてきたかも?」と、内心で浮かれていただけに、破壊力はかなりのものだった。
付き合いたての頃は、お互いにそこまでキスに重きを置いていなかったから、この変化は嬉しい誤算でもある。
(俺も、こんなにキスしたくなったのはドクターが初めてだし
……
)
一般的にペッローは、忠誠心や仲間意識が強く、親しい人々にはストレートに親愛を示す種族として知られている。
特に恋人に対しては、キスやハグなどの身体的なコミュニケーションを取りがちであるとも。
確かに、統計的にはそういった傾向があるのだろうが、エルネスト・サラスにとって『ペッローはキスが好き』という風説は、これまであまりしっくり来ないものだった。
しかし、ドクターと親しく付き合うようになってからは、少しずつ事情が変わってきた。以前とは比べ物にならないくらい、『キスしたいな』と思う頻度が増えたのだ。ただし、相手はドクターに限るのだが。
過去に親しくしていた相手のことも、きちんと好きだったつもりなのにな。今となっては、その感情がどれほどの恋慕だったのかはわからない。すべてドクターに塗り替えられてしまったから。
キスも、ハグも、尻尾を振るのも。ペッローらしい愛情表現は、テキーラにとって比較的自制可能なものだった。それが今ではどうだろうか。ドクターに対しては、〝待て〟をするのが難しい。デキる部下でありたいから、耐えなければならない時は何としてでも耐えるけれど、それでもかなりの忍耐力を求められる。
(ちょっと俺って、ドクターのことが好きすぎるのかも
……
)
時折自分の感情の重さに呆れたりもするが、かといって改める気にもなれない。
彼女と過ごす今が、この上なく幸福だからだ。
「
……
?」
このあとの身の振り方を考えていたら、ジャケットのポケットに入れていた端末が震えた。
電話の着信だ。画面に表示されている名前が、今まさにテキーラの頭を占めていた人物だったので、喜びで尻尾がふわりと揺れた。
「もしもし、ドクター?」
勝手に声のトーンが上がってしまう。我がことながら、調子が良すぎる。
喜びが声に滲み出ていたのか、ドクターが微かに笑う声が鼓膜に滑り込む。
《そろそろ本艦に着く頃だと思ったけど、無事に戻れたかな》
あまりにもピッタリのタイミングだったので驚いた。まさか、監視カメラとか? いや、本艦のあちこちにカメラが設置されているのは知っているが、ドクターに限ってそんなものを覗き見するはずがない。単純に、彼女の鋭い洞察力が働いただけなのだろう。
妙な考えを抱いてしまうのは、自覚よりも酔っている証拠かもしれない。
「今着いたところだよ。どうしてわかったの?」
《君が帰ってくるのを心待ちにしていたからかな》
まさか俺に会いたくてたまらなかったとか? と、からかいを投げるつもりだったのに、向こうに先制攻撃されてしまった。
「
……
」
不意打ちであんまり可愛いことを言わないで欲しい。
なけなしの自制心もどこかに飛んでいってしまう。
テキーラは、無人の通路でひとり、真剣な面持ちで立ち止まった。
一瞬だけ、有能な部下としての矜持がストッパーをかけようとしたが、遅れてきた酩酊があっさりとそれを跳ね除けてしまい
――
「
……
じゃあさ、これから会いに行ってもいい?」
あまりにも正直な願望が、口から飛び出してしまった。
ふふ、と。ドクターの笑い声が再び耳をくすぐる。
《いいよ。早くおいで》
お許しを貰えたら、もう躊躇う必要もない。
「すぐ行くから待ってて」
ふわふわとした足取りが酩酊によるものなのか、恋人に会える喜びのせいなのか、すでにテキーラ自身にもわからなくなっていた。
*
「本当に早かったな」
自室を訪ねてきた恋人に向かって、ドクターは苦笑と慈愛が混ざり合った笑顔を向けた。
「ドクターに、早く会いたくて」
左胸の内側で、心臓がうるさく鳴っている。呼吸もわずかに乱れていて、これでは慌てて駆けつけたのが丸わかりだ。
平常時のテキーラなら、こんな不恰好な姿を人目にさらしたりはしないだろう。ドクター相手となれば尚更だ。好きな人には、できればスマートな姿だけを見ていて欲しい。
けれど、彼は酒にも恋人にもかなり酔っていたので。体面を取り繕う余裕など、あるはずもなかったのだ。
ドクターは腰掛けていたベッドから立ち上がり、最前まで読んでいたと思しき本をデスクの上に置いた。それから、ドア付近で立ち止まっているテキーラのもとへ、ゆっくりと歩み寄る。
テキーラはおとなしい犬のように、主人が自分の目の前に立つのを待った。
「面倒な食事会に参加してもらってすまない。本当なら私が顔を出すはずだったんだけど」
頭ひとつぶん低い場所から、ドクターが見上げてくる。
何の警戒心もなく、手を伸ばせば触れられる距離まで近づいてきてくれる。なぜか今夜は、それが無性に嬉しくなって、テキーラはドクターの細い腰に両腕を巻き付け、自分の方へ引き寄せた。
恋人の腕の中に閉じ込められたドクターは、わずかに目を瞠ったのちに相好を崩し、目の前に迫った青年の胸に手を伸ばすと、首からやや緩く垂れ下がったネクタイに触れた。
「らしくもない格好までさせて、息苦しかっただろう?」
「確かに、今日のお相手は少し扱いが難しかったかな。ドクターは顔を出さなくて正解だったかも。とにかくお酒を勧めてくる人だったから」
「だからか。君がそんなに酔っ払っているのは珍しいと思っていたんだ」
「そんなに酔ってるかなぁ」
腰を引き寄せた体勢のまま、テキーラは頭をもたげ、自分の額をドクターのそれと合わせる。
「酔っているよ。こんなに素直に甘えてくるんだから」
幼子をあやすように笑って、ドクターが両手を持ち上げた。今にも折れそうな指先で、テキーラの頬を両側から包む。その掌があまりにひんやりと心地よかったので、さすがに認めずにはいられなかった。自分の体が熱を持っているのだということを。
「どこかできちんと埋め合わせをしないとな」
「今じゃだめなの?」
理性の検閲をすり抜けて、本音が口からこぼれ落ちた。
認めざるを得ない。自分はかなり酔っているのだ。酔っ払って、自制心を隅に追いやって、欲張りになっている。
そんな自分をみっともないと嫌悪する冷静さが、ほんの一欠片ほど頭の片隅に残っていたけれど、腕のなかのドクターがきょとんと目を丸くするのが可愛すぎたので、すぐにどうでもよくなった。
「何がほしい?」
ドクターが猫のように目を細め、声を潜める。
吐息混じりの声が耳に溶けて、背筋を寒気に似た興奮が這い上った。
蠱惑的に微笑む薄い唇から、目を逸らせない。腰に回した腕に力を込めて、互いの隙間がなくなるほどぴったりと引き寄せて。
「
……
キスしたい」
顔を傾け、ドクターの唇にくちづけ
――
ようとした。
だが、唇が触れ合うよりも早く、遮るように互いの間に掌が滑り込む。
「ダメなの
……
?」
正直な話、少々
――
いや、結構傷ついた。今のは完全にキスできる流れだったと思うのだが。
わかりやすく拗ねた顔をする恋人に向かって、ドクターは悪戯っぽい笑みを浮かべ、互いを隔てていた掌で、男の首に緩く下がっているネクタイを掴んだ。
「埋め合わせなんだから
……
」
そして、ネクタイを引っ張りつつ、自分も男の方へ顔を近づけて、
「私からするのが筋だろう?」
自身の唇を、テキーラの唇にそっと重ね合わせた。
「ん
……
」
唇同士を幾度か擦り合わせたあとで、ドクターは舌先で恋人の唇をちろりと舐める。
求めに応じて口を開けば、小さな舌先が探るように口内に滑り込んできた。
艶めいた水音と、浅い呼吸が室内に満ちる。
目がくらむほど幸福だった。ドクターのキスそのものも心地良いのだが、何よりも彼女のほうからキスをしてくれたという事実が嬉しかった。
思わず腰を抱く腕に力がこもる。体重を預けてくるドクターの体を抱き留めて、舌先を絡ませ合うくちづけに没頭する。
あまりに夢中になりすぎて、唇が離れる頃には互いに息が上がっていた。
ドクターを抱き寄せたまま、テキーラは背後のドアにもたれかかる。自分から仕掛けてきたくせに、息も絶え絶えで瞳を潤ませている恋人が可愛すぎて、揺らいだ尻尾がドアを叩いた。
「満足したかな?」
呼吸がまだ整っていないにも関わらず、どこか勝ち誇った顔をして、ドクターが微笑む。
テキーラは片手を持ち上げ、親指で濡れたままの女の唇をそっとなぞった。
「こんなに熱烈なのをしてくれるなんて思わなかったから、すごく嬉しかったけど
……
」
埋め合わせとしては充分過ぎるほどだ。耳の先から尻尾まで、満足感と幸福感で満たされている。だが、今日は酔っ払っているので、貪欲な本心を抑えつけられそうになかった。
「俺はドクターとのキスがめちゃくちゃ好きだから、もっとしたいな」
再び額を合わせれば、ドクターが目を丸く瞠るのがよく見えた。大きな瞳に、自分は一体どんなふうに映っているんだろう? 躾のなっていない犬だと、嫌われなければいいけれど。
しばらく見つめあっていると、ドクターがふっと堪えきれずに笑いを漏らした。
「君は本当にキスが好きだね」
「ドクターとのキスが、だよ」
そこを誤解されてはたまらない。キスなら誰とでもいいなんて思われるのは心外だ。
やや子供っぽい返答だとは思ったが、誤解の芽はしっかりと摘んでおく必要がある。
ドクターはもう一度楽しそうに笑ってから、
「
……
じゃあ、もう一回?」
テキーラのネクタイを再び軽く引っ張った。
「うん。でも今度は
――
俺にさせて」
覆い被さり、唇を塞ぐ。
小さな舌先を絡め取りながら、体の位置を入れ替えて、ドクターの背を扉にもたせかけた。
このあと、どうしようかな。
今夜は何もせずに寝かしつけるつもりだったのに、このまま美味しく食べてしまいたくなってきた。
明日は平日だし、シャワーも浴びたいし、どうしようか。真剣に悩みつつ、うっすらと目を開けたら、一生懸命にキスに応えてくれるドクターの顔があんまりにも可愛かったので。
まずは、甘く蕩けるようなキスに溺れることにした。
【おわり】
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