海野_海人卓
2026-04-02 02:28:41
1658文字
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ふたりでひとつ、ならばひとりは?

\\夢オチなんて、サイテー!//
(爆発音)

 目に痛いほど眩しい、夕陽だった。

「もういいの、ちぐさ」

 そう発された言葉を掬い上げようとする前に、あかねは力なく笑った。それはちぐさが、久々にエンバーズの外で見たあかねの表情だった。

 マンションの屋上で、ちぐさは必死に思考を回す。
 彼女は事故で足を動かせなくなったのか、心理的な不安や負担で動かなくなったのか……そんなことはどうでも良い。生きていてくれれば良かったのだ。だからあの日、あかねが口を噤んだことを掘り返すことをしなかったのに。
 傷ついて帰ってきたあかねの周囲から人は消えていった……否、あかね自身が遠ざけていった。優しく、気づかせないように、気づかれないように、傷つけないように。
 いつも俯いてばかりいて、家ではまるで人形のように言葉を発することはなかったあかね。エンバーズでだけ表情を見せるようになった彼女のためにずっと車椅子を押し続けてきた。
 あんなに大好きだった飲酒もできなくなった。向精神薬と睡眠導入剤でずっと眠らせ続けることも選択肢には入っていた。……できなかった。だって、ちぐさにとって彼女は誰より大事な、世界でたったひとりの片割れだったから。

 ちぐさは、今日だってあかねにとって日常の一部なのだと信じていた。けれど、そんなことはなかった。夕陽を見たいから屋上に行きたい。そんなわがままを叶えてしまったのは、最近の姉が安定しているように見えたからだ。
 履いていた靴もそのままに、あかねは車椅子から立ち上がる。よろめきながら、転びかけながら、痛みに耐えるような表情をしながら。彼女はマンションのへりにまで来ていた。風がびゅうびゅうと髪を弄んでいる。もう、あかねの目はちぐさを映してなどいなかった。その眼差しの先にあったのは、解放だったのかもしれない。

 ちぐさは駆け寄ろうにも、体が言うことを聞かなかった。ただ叫びたいのに、喉を震わせるのは呼吸だけだ。やめて、やめてほしいだけなのに。へりに座って夕陽を見て。眩しそうに目を細めるその表情があまりにも美しくて、儚くて、まるでフィクションみたいで。
 ちぐさが手を伸ばす、その手が空を切るのは、姉が指先をすり抜けていくのは、いつだって手遅れの瞬間なのだ。

「ごめんね」

 幻影のようにすり抜けた"それ"は実体を伴って、重力に従う。トマトが潰れたような、少し湿った炸裂音が響いた。悲鳴が聞こえる、その現実から目を背けたくなってちぐさの意識が遠のいていく。
 ごめんね、迷惑ばかりかけてしまうね。そんな事ばかり言っていたあかねのことを思い出す。足が痛くて動かせない。誰も信じてくれないけど、夢の中で何か怖いナニカに足を引きちぎられているの。
 ……そう言っていた姉の表情は、どんなものだった? 思い出せなかった。自分だけが、それを信じてやれたのに!
 けれどこんな自分では後を追うこともできず、そのまま意識を手放す。姉がお酒を飲みながら笑っている記憶が蘇る。
 ごめんね、姉さん。そう思ったのがどうしてなのか、既にちぐさは考えることも出来なかった。

 ……気づけばもう、朝だった。
 ちぐさはいつものようにスマートフォンを確認すると、二度寝する気分にもなれず顔を洗いに洗面所へ向かう。
 最近、悪い夢ばかり見ている。どんな夢かは思い出せないけれど、眠るのがあまりにも苦痛になるほどしんどい夢だ。
 メッセージアプリから通知が来る。今日は、あかねが珍しく暇な日だからとエンバーズに一緒に行こう……なんて誘ってくれたようだった。それに承諾のスタンプを返す。それだけの行為に指先が震える理由もわからず、眉を顰める。

 せっかくの休日、せっかくのエンバーズ。あの場所で時間を過ごすなら、ある程度は落ち着かないといけない。ふと、鏡を見た。いつも通りの自分だった。顔色こそ悪いものの……ひどく安堵した表情をこちらに向けている。
 鏡から目を離したちぐさの背後。鏡越しの彼は、やわらに微笑んだのだった。