ten_matoi
2026-04-01 00:23:39
4787文字
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泣くなよ、ダーリン

クリレオ




しまった――と思った時には既に遅い。腹を裂くナイフの投擲。熱が患部から広がり、じくじくと痛みよりも先に疼きが起こっていく。
「クリス!」
アンバーアイズが焦っている。クリス、と呼びかけられたのがその証拠だ。ぐ、と奥歯を噛んで目の前の男を取りあえず殴り飛ばす。もんどり打って倒れていったその男を、他の隊員たちが拘束した。
アドレナリンが出ているうちに、素早くツンドラがクリスの腹部に応急措置を施す。血が止まらず、衣服が血でびっしょりと濡れてしまっていた。
「アルファ、寝ては駄目。アルファ! ほら、しっかりして!」
頬を叩かれるが、もう眠くて仕方がない。いつの間にか抱えられてヘリに乗せられていたが、その瞬間も意識が朦朧としていた。
アルファ! クリス! 部下たちが叫んでいる。もう眠いから寝かせて欲しい――その欲求に抗えないでいると、誰かが「レオンのところに帰るんじゃないのか!」と叫んだので辛うじて意識を繋げた。
そうだ、レオン。自分のパートナー。
最近めっきり会えていない彼のことを考えると、おちおち死んでなんていられない。どくどくと自分の中から命が流れていっている感覚をも凌駕するそれは、レオンをこの手で抱き締めたいという衝動ゆえだった。
……レオン」
それでも、それでも強烈な眠気に抗えない。クリスはがくっと落ちるような感覚を最後、真っ暗な場所に意識が飲み込まれていった。


「出血がひどく、一時的に危篤状態でしたが何とか持ちこたえてくれました。もう大丈夫でしょう。麻酔もそろそろ切れる頃なので、傍にいてあげてください」
輸血が間に合い、手術も成功。様々な管に囲まれてはいるが、クリスは穏やかに眠っているように見える。
――レオンはそれを見下ろして、足元から冷え込んでいく自分の心と体を知覚していた。
今回は、本当に危なかった。
レオンが駆けつけるまで病院へ付き添ってくれていた彼――コードネームは確かアンバーアイズだったか。彼が、心底神妙な顔をしてレオンに「危ないらしい」と報告してくれた時から、レオンの心と体は冷え切っている。
アンバーアイズが去ったあと、レオンは医師からの説明を受けていまに至るのだが――安堵はしている筈なのに、それでも心身はひどく冷たかった。
触れたいのに、怖くて触れられない。レオンが触れれば、彼がもう目覚めないのではと思ってしまってどうしようもない。
震える手を伸ばしたまま固まっているレオンの目の前で、クリスの目が開く。びくっとして慌てて手を引っ込めれば、こちらを見て穏やかに笑うクリスと視線が合った。
「やあ、ここはどこだ?」
……レオンは思わず目を瞠ってまじまじとクリスを見るが、そういえば麻酔のあとはせん妄に陥って軽い健忘症になる者も多いと聞いた。恐らく、現在の状態のクリスはレオンを覚えていないのだろう。
「病院だ。あんた、大怪我して手術が終わったばかりなんだよ」
平静を装ってレオンは告げる。すると、クリスが自分の状態を見て納得したのか、うんうんと頷いて顔を顰めた。
「なんだか吐きそうなくらい気分が悪い。なあ、きみ……俺のパートナーを知らないか?」
――ここにいるだろ!
レオンは叫びたかったが堪えた。堪えて、しばらくこの茶番じみた展開を見守ることにした。健忘症のクリスに何を言ったとしても、無駄だ。レオンがパートナーだと言っても、混乱を招いてしまうだけだろう。
「さあ、知らないな。そのパートナーはいったいどんなヤツなんだ?」
すっとぼけてクリスに問えば、彼は眉間に皺を寄せてレオンを凝視している。いったい何の視線なんだと思っていれば、ふわっと破顔して彼がこちらに手を伸ばしてきたのでレオンは咄嗟にその手を握っていた。しまった、と焦っていればクリスの手が力強く握ってくる。
……似てるんだ」
「え?」
レオンが目を瞬かせれば、クリスがじーっとこちらを見てまた「似てる」と言った。
「俺のパートナーは生粋の男前でな。それはもう、こっちが惚れ惚れするくらい綺麗な男なんだ。俺にはずっと勿体ないと思ってるくらいに……そのパートナーに、きみはそっくりだ。瓜二つと言ってもいいくらい」
「そ、そうなのか?」
思わずレオンの声が上擦った。ここまで来ると本当に健忘症なのか、記憶の混乱なのかよく分からなくなってくる。
自分の〝惚気〟を聞かされて、複雑な照れの感情がわいてきた。レオンは手を離そうとするけれど、がっちりと握られていて叶わない。
「彼の親戚か何かか? なあ……今度、よければ酒でも一緒にどうだ。ここで会ったのもなにかの縁だろう」
きらきらした目で口説いてくるクリスが、そもそもその相手が自分のパートナーである〝レオン・S・ケネディ〟だと忘れてしまっているクリスがおかしくて、滑稽で、愛しくて、レオンは茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。反射的に笑ってしまったとも言う。
「それって浮気だろ? パートナーはいいのかよ、放っておいて」
途端、クリスが叱られた犬のようにしょんぼりと肩を落とした。
「ここにいないから、つい……その、きみを誘ってしまった。すまない……寂しくて」
本当に素直にひたすらパートナーがいなくて寂しいという感情を吐露してくるクリスに、レオンの冷え冷えとした感覚はいつしか薄れていた。
「俺は別にいいけどな。……あんまり、そのパートナーを心配させるなよ」
レオンは握られたままの手にもう片方の手も添えて、両手で握る。麻酔が切れてきているとはいえ、そろそろクリスも眠そうだ。
「いまは寝ろよ、クリス。……多分、起きたらあんたのパートナーはここにいるから」
「ん……レ、オン」
「うん?」
どうやら、記憶の混乱が落ち着いてきたらしいクリスに名前を呼ばれてレオンは優しい声で応える。
「愛してる」
――俺も、愛してるよ」
クリスの額にキスをする。どんどん力が抜けていく手を元の場所に戻してやりながら、レオンは椅子を引き寄せて傍へ座り込んだ。
……ほんとに、勘弁してくれ」
レオンはぼやく。ぼやいて、俯いて深く深く息を吐いた。吐いて、ぐ、と奥歯を噛む。
――くそったれ」
ひとりごちた声は誰にも届かず、ただ病室の空気に溶けて消えていった。


※※※


〝ほんっとに、兄さんてばひどかったらしいじゃない。覚えてる?〟
「なんのことだ……?」
本当になんのことか分からない。クリスが首を傾げていれば、電話越しのクレアが呆れて溜息をついた。
〝手術のあと、目の前にレオンがいるのに混乱して分からなかったって聞いたわよ〟
……初耳なんだが」
〝本当に? 挙げ句の果てには、レオンをレオンだと認識しないまま口説いて……
「なんだって?」
端末を落としそうになってしまった。クリスは衝撃的な事実に驚きすぎて、口が開いてしまっている。クレアがまたもや呆れた声で〝本当のことよ。ちゃんとレオンに謝ったら?〟と言って通話を切ってしまった。
――レオン」
キッチンにいる筈のパートナーを呼ぶ。途端、キッチンから「うん?」とレオンの声が聞こえたのでクリスは更に「来てくれないか」と言い募った。
「なんだよ」
二人分のマグカップを持ってキッチンから出てきたレオンが、クリスの隣へ座る。目の前のテーブルへマグカップを置き、レオンがクリスの肩にこてん、と頭を乗せた。
クリスは違和感を覚えて、隣のレオンをまじまじと見てしまう。上目遣いでこちらを見てくるレオンが「なに」と怪訝そうなので、クリスは試しに自分の膝をぽんぽん叩いて「来いよ」と言ってみた。
すると、本当にレオンが膝の上に乗ってきたのでクリスはぎょっとしつつも、受け入れて背中に腕を回して抱き寄せた。
「さっきからなんだよ」
首を傾けて怪訝そうなレオンに、クリスは苦笑しつつも「ごめん」と言った。
……それは何に対しての謝罪なんだ」
不思議そうなレオンの背中を摩って、クリスは一拍置いて口を開いた。
「手術後の俺の言動……酷かったんだって?」
――クレアだな?」
苦虫を噛み潰したような顔をしたレオンには心当たりがあったらしい。クレア、と名前が出たのでクリスは素直に頷いた。
「本当に悪かった……言ってくれよ」
「別に、面白かったから俺は気にしてない」
「面白かった?」
「だってさ、あんた〝俺のパートナーに瓜二つなんだよ〟って口説いてきたんだぞ?」
「な……
「面白いだろ、そんなの」
くすくす笑っている間も、レオンはクリスの体にべったりくっついている。妙だ――と思ってしまうのは、以前はここまでクリスにべったり甘えるようなレオンではなかったからだ。
怪訝というか、違和感というか。この感覚を逃してはならないと勘が告げている。レオンの様子がおかしい。その違和感を、逃してはならない。
「レオン」
「ん?」
「顔を見せてくれ」
クリスがねだると、レオンが素直に体を起こしてこちらに視線を合わせてくる。ブルーグレーの瞳が静かにこちらを見下ろして、少し無造作なアッシュブロンドの髪がさらりと揺れた。
――ああ、そうか。そうだったのか。
クリスは納得して、レオンを見返す。この男がここまで甘えてくる原因は、やっぱり。
「レオン、俺に言いたいこと……あるんじゃないのか」
「え……
突然の問いかけながらも、レオンがぎくりと肩を揺らして固まったので、クリスは真剣な表情で彼の背中を撫でる。その背中が少しだけ震えた気がしたのは、気のせいではないだろう。
「レオン、言ってくれ」
「あ、いや……その……
「レオン、頼む」
ぐ、と唇を噛んでしまったレオンだったが、目をうろうろさせながらしばらく経ったのち、ようやく口を開いた。刹那、ぽろっとレオンの眦から涙がまろびでて……クリスはぎょっとした。
「レオン?」
「あ、んたが……
ひっく、とレオンがしゃくり上げる。
「あんたが、死ぬかと、おもって……
まるで子どものように辿々しい。ひっく、ひっく、としゃくり上げながら必死に言葉を紡ぐレオンを抱き締めてクリスは物凄く後悔した。
「置いてくな、よ……くそ……ばかやろ……ッ」
止まらない……と泣くレオンの背中を撫でてあやして、クリスまで涙ぐみそうだった。後悔してもし足りない。こんな泣き方をさせたい訳じゃなかった。ただ、感情の捌け口を見失っているようだったから、発散させたかっただけなのに。
「ごめん、レオン……悪かった……泣くな」
「好きで、泣いてねぇ……ッ、あんた、の、せいだろ、ばか、ばか!」
相変わらずひっくひっくとしゃくり上げているレオンの目から涙が止まらない。いつもの軽口はどうした? と驚くほど稚拙な罵倒が彼の口からこぼれる度、クリスはひたすら彼を抱き締めて頬にキスをするしかできなかった。
「死ぬときは連れてけ……一人で死ぬな……
「物騒なこと言うんじゃない」
不意に落とされた言葉に、クリスは渋い顔をする。発作がおさまったらしいレオンが落としたそれは、クリスにとっては不本意な言葉だった。
ぎゅうぎゅうにクリスにくっついているレオンの表情は分からない。クリスは溜息をついて、そっと彼の後頭部を撫でた。
「お前がいる内は絶対帰ってくる……約束する」
「ほんとだろうな……嘘ついたら地獄まで追いかけてやるからな」
ひっく、とひとつまたしゃくり上げたレオンは、泣き腫らした顔をクリスに見せてくれた。泣き腫らした顔も綺麗で可愛くて、クリスは本当に彼が自分のパートナーで良かったと思う。
「愛してるよ、ダーリン」
……俺も愛してる」
ぶすっと照れ隠しに不機嫌な顔をしているレオンの唇にキスをして、クリスはソファに即物的に彼を押し倒したのだった。