久しぶりに全員で食卓を囲み、そのまま酒を持ち出してしばらく経ったあたりでまず小狼が部屋へと戻っていった。次に短時間ながらも相当な量の酒を呑み干したモコナが続く。そうしてグラスを傾けているのは自分たち二人だけになった。
いつもは黒鋼の酒量に付き合っても顔色一つ変えないファイだが、今日はほのかに頬を赤く染めている。言動もどことなく危なっかしいものの、以前のようににゃーにゃーと部屋中を逃げ回るほどではないので許容範囲だろう。
「あ、そうだ」
魔術師は不意に声を上げるとこちらを見てわずかに逡巡したのち、「まぁ黒たんならいっか」と一人納得した。何もよくはない。怪訝な顔をする黒鋼に構わず立ち上がり、脇に片付けてあった書籍の山とは違う場所から丁寧な手つきで一冊の小さな帳面を取り出した。ファイの私物としては珍しい、淡い紅色の表紙が目を引く。見た目は綺麗だがその手に馴染んだ様子からするに、ここ最近使われ始めたものではないことは確かだった。
「んだそりゃ」
「これはねー、オレが個人的に仰せつかった、ものすごーく大切な任務のためのノートなんだけど」
「……誰から」
「誰だと思う?」
「聞いてるのは俺だ」
「乗ってくれないとつまんないよぅ黒たん」
「知るか」
「もう!」
わざとらしく拗ねた顔をした魔術師は、すぐに下手な演技を止めて恭しく「ものすごーく大切な任務のためのノート」とやらを掲げた。
「じゃーん! オレによるサクラちゃんのための、小狼君攻略ガイドです!」
「……あぁ?」
ファイの口から出てきたのは聞き慣れた、それでいて予想していなかった名だった。細い指がぺらりと軽快な音を立てて紙を捲る。几帳面に中へ書き込まれているほとんどが、文字ではなく絵による説明のようだった。確かに姫へと宛てたものならば、魔術師の言語で文章を記しても大した意味を為さないだろう。
大概のことを器用にこなす魔術師は、相変わらず特徴を捉えた簡潔で分かりやすい絵を描く。何頁か目を通してその図が言わんとするところに気づいた。おそらくこれは今まで立ち寄った場所で食した料理の記録と、ファイが実際に作った食事の詳細な手順を記載した説明書だ。
「最近はできてなかったけど、旅の間って基本的にオレがみんなのご飯作るでしょう。その中でも特に小狼君の反応が良かったレシピとか、あと外で食べて気に入ってそうだった料理をこうしてメモしてるんだよねー」
「それを姫に頼まれたってわけか」
「二度目の旅に出て、初めて玖楼国に戻ったときだったかなぁ。サクラちゃんと二人で話してる最中、最近は姫の仕事に関わることだけじゃなくて、料理の勉強なんかも頑張ってるんだって教えてくれて。そこから今の小狼君の好みについての話になって、まぁオレから引き受けた感じだけどね」
話しながら魔術師は帳面を開くと、手早く何かを書き留めた。今思い出した事柄を忘れないように控えただけといった様子だ。先ほど目にした手の込んだ図解は、またのちほど暇を見て描くのだろう。
「ご両親の料理やそのあと過ごした玖楼国の料理の方が思い入れは強いだろうし、そもそも小狼君にとってはサクラちゃんが自分のために作ってくれただけで充分だと思うけど……。少しでも好きな人の好みに合わせたいっていうその気持ちが、すっごく可愛らしいよねぇ」
だから黒様もちゃんと秘密にしといてね。
そう言って笑ったファイは、元の場所へその記録を仕舞いなおした。わざわざ釘を刺されずとも、無粋な真似をするつもりはない。
「っていってもオレもちゃんと料理始めたのは旅の途中からで、まだまだ勉強中なんだけどね。でも今日は嬉しいことも言ってもらえたし、もっと頑張らないと!」
かつての魔術師はしばし嘘を織り交ぜつつ自身について発言していたが、この点に関しては本人の語る通りだったのだから驚かされる。ファイにその自覚はなくとも、こと料理の才能に関してこいつが外れ値であることくらい、黒鋼だってとっくに理解している。今思えば少年の両親である写し身の彼らと共に旅をしていたころから、思いがけず日常に組み込まれたファイの料理は、つかの間の安寧の象徴だった。
「ふふ、小狼君驚くだろうなぁ。黒様もこれ好きそうとか、なんか気づいたことがあったら教えてね」
「……気が向いたらな」
驚くかは別として、少年を喜ばせたいという少女の望みが、魔術師の助けを借りて成就するのは間違いない。そして小狼もまた、サクラへの思いを強くするのだろう。
長々と説明する必要はない。ただでさえ放っておけず守りたいと願う存在が、己に合わせた食事を作ろうしていることを知ったとして、その姿がどれだけ手放しがたく感じるか。黒鋼はもう、身を以って知っているからだ。
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