もろみ(もず味噌)
2026-03-30 07:45:39
14158文字
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自己同一性から導かれるアンサー

カルデアのデュマオラです 全部嘘です

 回る光が収束し、弾けた。
「サーヴァント、セイバー……は? 何、ルーラー? いや何かの間違いでは……間違いではない? …………改めて、サーヴァント、ルーラー。生前の名はオーランド・リーヴ。ああ先に断っておこう、私は英雄ではない──ただの、警察官だ」

§

 資格はあるが彼は本当の意味での「守護者」ではない、と赤い弓兵は言った。
「えーと、どういうこと?」
 カルデアのマスター、その自室。
 腕を組んで壁に寄り掛かるエミヤに、椅子の背もたれに腕を乗せながらマスターは首を傾げて尋ねた。自らに課せられた仕事を仔細を語るつもりのないエミヤは、隣に立つ男──先刻召喚されたサーヴァント・ルーラー、オーランド・リーヴに視線を滑らせて肩を竦めた。
「彼は課せられた仕事に逆らうような信念がある。本当の意味で『そう』なのだとしたら正気の沙汰ではない。或いは生前からそういう性質であり、そういうものとして『契約』を為したのか。いずれにしても、私の知るそれとは随分在り方が違う。よほど強い加護でもあるのかね?」
 弓兵はちらりと男が持つ刀を見た。
 オーランドは「これか」と手に持つ日本刀を掲げた。それから何でもないかのように、エミヤにぽんとそれを手渡す。
「それは贋作だ。紛れもなく宝具ではあるが、真贋の話で言えば紛い物に過ぎん。だが真作に劣るわけではない。君ならよく分かるだろうが」
……なるほど、羨ましいことだ。それはそれとして、西洋人の正義の警察署長の武器が日本刀とか、ちょっと盛りすぎではないのかね?」
「は? 何と?」
「うーわマジで分かる、オレもビックリしたもん。格好いいよね、アメリカンポリスと刀の組み合わせ……疼いちゃうよね、少年の心が……
 刀を返しながら呟いた弓兵の言葉と、それに「わかるわかる」と真剣な顔でしみじみ頷くマスターに、オーランドは困惑して視線を往復させた。
 オーランド・リーヴというサーヴァントの性質を理解するために設けられた会談の場は和やかであった。
 カルデアには様々なサーヴァントが数多くいる。即ち、生前死後問わぬどうしようもなく強い因縁が渦巻いている。使役するマスター側がサーヴァントの性格、信念、宗旨、思想を知らずしてカルデアの平和は成り立たない。よって召喚直後から暫くはマスターに連れ回されるのが通例だった。
 そんな事情があって、オーランドは召喚直後からマスターとの対話の席を設けられた。あらかじめ縁があれば施設内の案内を優先する場合もあるが、いずれも特に珍しいことではない。
 一つ珍しい部分を挙げるならば──オーランドは自らの英霊としての在り方、或いはその自覚が曖昧だった。
 英雄のような、守護者のような、そうではないような──彼等だけでは理解が難しいかも、と同席者にエミヤをチョイスしたのはダ・ヴィンチである。最初こそ複雑な顔をしていたエミヤも、真面目な相手には真面目な態度を返して皮肉は封印していた。
 刀を受け取ったオーランドは、その柄を眺めて言う。
「私には特別な力も記憶もないし、人類の味方である以外の使命もない……まあ確かに、君とは違うものなのかもしれない。それが私自身の問題か、世界やシステムの問題なのかはわからないが」
……ふむ。まあその辺りは本質ではなさそうだな」
 視線を落として考え込むオーランドに、エミヤはぱっと両手を開いて肩を竦めた。繊細ではなさそうだが、真面目で考えすぎる性質たちの人物に見えたので、あまり思い詰めさせることもないと判断したためである。
 実際のところ、カルデアにおいてあまりその辺りの区別は意味がない。自らの在り方を理解すること、定めることを軽んじるわけではないが、カルデアを取り巻く世界の状況としてそもそも「何」であろうと変わらない、という意味で。そもそもビーストが召喚されるような場所なので、赤い弓兵と新入りの警察署長の違いなどどんぐりの背比べである。
「マスター、私が関わる話はこれくらいでいいのではないのかな? 申し訳ないがそろそろ席を外させてもらおう」
「あっ、ごめんエミヤ。そろそろ食堂行かないとだもんね」
「食堂?」
 サーヴァントに食事は必要ないのでは、とオーランドは首を傾げる。エミヤはああ、と頷いた。
「基本的に電力でサーヴァントの維持に必要な魔力を供給しているが、食事でも補給をしている。効率は良くないが、電力にも限りがあるからね。それに人間の職員もいるからな。閉鎖空間において食事という娯楽は重要だ」
「なるほど、では君はその調理スタッフを兼ねているのか。賞賛に値する勤勉さだ。私は料理が得意ではないが、その姿勢は見習わせてもらおう。戦闘以外に仕事があるなら教えてほしい」
……そちらも大概ワーカホリックのようだが」
 皮肉屋の弓兵は真っ直ぐな賞賛にやや面食らったように目を明後日の方向に逸らして呟いた。照れているようにも見える。う~んいつものキレがない、とマスターはちょっと笑う。
「オーランドさんはまた後で食堂案内しますね。そういえば、最近キッチンのみんな何か気合い入ってない?」
 イベントか何かあったっけ、とマスターに問われて、思い出したようにエミヤが溜め息を吐く。
「最近来たサーヴァントがまた、賑やかな美食家の御仁でね。とにかく美味いメシ、と毎日所望してくる。いや、それ自体は喜ばしいのだが……
 賛美やらリクエストやらに奮起したキッチンの守護者たちが、あれやこれやと新メニューを考案したり改良に励んだりする羽目になっているらしい。まだ改良の余地とかあるんだなあ、とマスターが頷いてエミヤを見送ろうとした、その時だった。
「それは」
 低く、やや揺らいだ声音に、エミヤもマスターを顔をそちらに向ける。
「──誰……なのか、聞いてもいいかね」
 彼らの予想に反して、オーランドの表情は硬かった。
 マスターと弓兵は顔を見合わせた。彼らはまだオーランドの『生前』の話を聞いていなかったが、互いに察するものがある。恐らくは何らかの因縁。オーランドの表情が硬いせいでそれが歓喜とも嫌悪とも判断がつかず、マスターは迷った。特定の名で豹変するタイプのサーヴァントを見てきたためである。
「えっと……ちょっと前に召喚されたキャスターなんだけど……
 その言葉に、オーランドの身体が目に見えて強張った。
 これ大丈夫なやつかな、言っていいのかな、とマスターはエミヤに目配せする。エミヤはその視線を受けて、覚悟を決めたように頷いた。豹変したとしてもなんとかしよう。もう大分長い付き合いであるので、マスターもまた赤い弓兵の無言の了承を過たず受け取って、オーランドに向き直った。
「──アレクサンドル・デュマ・ペール。モンテ・クリスト伯の作者です」

§

 デュマは通称・作家部屋──主にシェイクスピアとアンデルセンが根城としているカルデア内の部屋であれやこれやと談義に花を咲かせていた。花というにはいささか毒々しく荒々しいものだったが、話題はいつまでも尽きぬほどである。
 そこにノックの音が鳴る。「おい出ろ」と放られたアンデルセンの横柄な言葉に「うるせえ命令すんな」と悪態を吐きながらも、デュマははいはいと扉の方へ寄る。
 開けた扉の先にいたのは、見慣れぬサーヴァントだった。
 長躯矮躯怪物ケモノ、様々いるカルデアの中でも人間の範疇内で大柄な西洋人の男。プラチナブロンドに碧眼というわかりやすい白色人種のくせ何故か携えているのは日本刀だが、まあそういうこともあるだろう。見たところ近代、いやもっと新しい時代のサーヴァント。
 上から下まで順繰りに眺めて、デュマは首を捻った。どうにも見覚えがない。
「あ~、えーと? 何か用か?」
……君に、礼を言いに」
 しかも不可思議なことを言う。デュマは更に首を傾げた。
「あんたみたいなのに礼を言われる筋合いは……あ、いや待て、もしかしてあれか、俺の、いや俺の作品のファンか? 結構新しい時代のサーヴァントだよなおまえさん! いや残念だったな、モンテ・クリスト伯は退去済みらしいぜ、俺も一目くらい見ておきたかったんだがよ──あん?」
 デュマの言葉を無視して、男は無言で刀を差し出した。男の宝具なのだろう、当人とは不釣り合いなまでに濃密な魔力と神秘が籠められた武具である。男の顔を見て、もう一度刀を見て、デュマは顎を撫でてよくよくそれを観察する。
 なんとなく縁を感じるような、感じないような。
 デュマがじいっと刀を観察しているのを男は青い目でしばらく見つめていたが、やがて笑いとも溜め息ともつかぬ息をふっと吐いてその刀を引っ込めた。
「おい、何だよ?」
「君の作品だ」
「あ? ……あー、もしかしてどこぞの聖杯戦争か何かで縁があったか? つーか座に持ち帰ってOKなのか、俺の料理した宝具は? なるほど、道理で! じゃあ礼ってのはそれか? 生憎俺ぁあんたみたいなサーヴァントのことは覚えちゃいねえんだが」
「──ああ、理解している。サーヴァントとはそういうものだ」
 無表情で頷く男に、例外はいるがな、とデュマは心の中だけで呟いた。アンデルセンなどまさにそれだ。それと神霊に近い者は記憶がある場合も多いようだった。
 或いは、英霊としての在り方を再定義するほどの大きな出会いは記憶として残ったり、影響が強すぎて記憶にも匹敵する記録になる場合もある。デュマは召喚されて数日であらかたカルデアの主な記録を閲覧していたので、そういった例をいくつか知っている。
 つまり、どこかで召喚されたデュマにとってこの男との関係はそういったものではなかったようだ。デュマは肩を竦め、男を睨め上げて嗤う。
「悪いが俺に何か期待してるならやめてくれ、俺はあんたの知ってる俺じゃない。迷惑とまでは言わねえが、あんたも過去にしがみつくのはやめといた方がいい、魂が腐ってちゃ折角の英雄も宝具も塵同然だからな! カルデアここはいいぜ、美味い飯もいい女もよりどりみどりってなもんだ! まあちっと手を出すとおっかない女も多いが、口説くのは自由だとマスターのお墨付きでよ。いや口説いた後がおっかない女も多いが。あんたもせいぜいここを楽しんで、」
「元気そうで何よりだ。あまりマスターに迷惑を掛けないように」
 男はデュマの止まらない口を慣れたように遮った。
「ではな、。望み通り、君に何かを期待するのはやめておこう。私はこれで失礼する。また何か縁があれば」
 デュマを素っ気なくクラス名で呼んで、男はくるりと踵を返す。
 その姿にか言葉にか、妙な違和感らしきものがデュマの胸を走るが、デジャヴュのようなものだろうとそれを無視しようとした。──男が数歩遠ざかったところで、結局それはわけもわからず口から飛び出たのだけれど。
「あんた、名前は?」
 男が振り返った。
 少し迷うような素振りを見せた後に、諦めたように口を開く。
「オーランド・リーヴという。覚えなくてもいい」

§

 オーランド・リーヴには妙な記憶がある。
 一度だけ、男とセックスをした。
 他の記憶と比べると日時や場所などがいやに曖昧で、本当にあったのかどうかを確かめる術もない。ただの願望か何かか、捏造された記憶か、別の記憶を混同しているのかもしれない。
 けれど嫌な記憶ではなかった。オーランドにとっては良い記憶だった。抱かれたのはオーランドの方で、慣れていない身体は安いポルノのようにとんでもなく気持ちいいなどということはなく、けれど確かにその時その繋がりをオーランドは「嬉しい」と思っていた。
 サーヴァントは夢を見ない。
 単なる願望が見せた虚像だったとしても、少なくとも今のオーランドの夢ではない。生前に焼き付いた願望だろう。
 どちらにしても──それくらい、オーランドにとって「彼」は大切な人物だった。記憶がないとあしらわれようともそれは変わらない。ただ、ここにいる彼はオーランドの知る彼ではないと痛感せざるを得なかった。
 妙な記憶が本物であったとして。生前の記憶として保持するオーランドでもここまで曖昧な出来事なのだ。前も今もサーヴァントである彼にとっては、座に記録としてすら刻まれないのは道理である。
 彼にとって歓迎できる行為ではなかったという可能性は考えないようにした。他人の感情を過剰に推し量るべきではない。
 オーランド・リーヴは英雄ではない。少なくとも、古今東西様々な歴史や伝承を収集したカルデアのデータベースにその名は存在しない。であればこの浅ましい記憶が共有される心配もないだろう。
 そうして、オーランドはあっさりその記憶と感情に蓋をした。

§

 オーランド・リーヴの召喚から7日が過ぎた。
 マスターが何事か言いたそうにしているのを、オーランドは黙殺し続けていた。マスターとの対談の最中、「彼」のところへ押しかけてから、マスターにはかのサーヴァントとのかつての客観的な関係を開示している。
 聖杯戦争で召喚したサーヴァント。オーランドの手にある宝具を、本物以上の贋作へ押し上げた存在。
 マスターは驚くこともなく「仲良かったんだね」と牧歌的な、しかし過去に焦点を当てた感想を述べた。オーランドはそれをありがたく思いながらも曖昧に頷いた。既に彼──キャスター、アレクサンドル・デュマ・ペールとは必要以上に関わらないことを心に決めていたためである。
 オーランドの線引きは明確だった。会わない、話さない、近づかない。避けていると言ってもいい。他のサーヴァントや職員は不審がってはいないものの、事情を把握し行動を共にしているマスターから見れば一目瞭然である程度には徹底していた。
 普段は作家部屋か図書館、食堂あたりにしか出没しないデュマは容易に回避でき、出撃メンバーに同時に選ばれることがなければ顔を合わせる機会は皆無である。幸いマスターが二人を同時に選ぶことはなかったが、たとえ選ばれてもオーランドは彼の支援を拒絶しただろう。

 以上の強情さを見て、歴戦のマスターは察知した。
 ──これあんまりよくない時限爆弾だな、と。

 一週間共に行動した結果、マスターはオーランド・リーヴというサーヴァントの人となりをおおよそ理解した。
 生真面目で勤勉な秩序側の人間。普遍的な正義感と魔術師としての合理性のバランスを場面によって使い分けている節がある。尊ぶあるいは優先する価値観は人間的だが、自認の上では人でなし。強大な悪に屈することはないが、退くべき時には退く冷静さを持つ ──こんなところか。
 その上で確信する。おそらく彼は押し掛けた一週間前、デュマときちんと話をしていない。打ち解けた様子がないのはともかく、軋轢が生まれた様子すらない。
 とはいえ対話を面倒くさがって軽んじるタイプではないので、彼と話をしていないというのはつまり、そういうことだ。話さない方がダメージは少ないと判断したが故の戦略的撤退。或いは話をしても無駄だと判断したが故の合理的結論。
 すなわち今現在、オーランドはデュマを「敵」に近いものとして認識している。
 マスターの判断はおおむね正解だった。デュマが不用意にオーランドの聖域と化した記憶に踏み込もうものなら、オーランドは自己防衛のために刀を抜いただろう。
 表面上は問題ないが、いつそれが爆発するか分からない。しばらく一緒に行動させる荒療治も手といえば手だが、デュマはともかくオーランドにはあまり効果がないと判断した。恐らくこのままでは態度を軟化させることはないだろう。いや、軟化しなくてもいいのでとにかく敵のように見ることをやめてもらえばいい。
 無理にでも組ませるべきか。いや、そう簡単な話だろうか。むしろ悪化する可能性は、ある。経験上十二分にある。
 うんうんと一人唸ってはみたものの結局方向性が決まらぬまま、マスターは新入り連れ回し週間最後の出撃へ向かった。

§

 食堂へ向かう途中だったデュマは、妙な騒がしさに目を眇めた。
 同郷のムッシュ・ド・パリ処刑人、それからクリミアの天使が走っていく先は中央管制室だろうか。壁には「廊下は走らない」と貼り紙が躍っている。あまり良い事態ではなさそうだ。多大な好奇心と僅かな憂慮から、デュマもそちらに向かって歩いていく。
 果たして、管制室では一人の男が診察を受けていた。
 一週間前、突然デュマの下を訪れた、聞いたこともない名前のサーヴァントである。
 マスターに支えられて座る男は傷だらけで、表情には生気がない。薄く目を開けているが意識は無いようだった。周囲に他のサーヴァントが数騎いるが皆女子供で、一様に負傷している。
 青褪めるマスターを見るに、どうやら不測の事態が起こったらしい。カルデアのスタッフも慌ただしく動いている。出撃先は分からないが恐らくは微小特異点とやらだろう。事前の観測よりも厄介な特異点、というのはままあることと記録から知っている。マスターが無事で幸いと言うべきか否か。
 デュマが管制室全体を観察している間にシャルル=アンリ・サンソンは診察道具を手早く片付け、男の服を脱がせて傷を検分し始めた。ややあってサンソンは男のシャツだけを戻しながら、マスターに向かって診察結果を述べる。
「見たところ霊核は問題なし。致命傷といえるほどの外傷もありませんが、著しい血圧低下、脈も呼吸もかなり弱い。それと魔術回路が機能していません。恐らくせいでしょう。モリアーティは?」
「戦闘不能でドクターに緊急治療を受けています。しばらくの間、動くのは困難かと」
「仕方ない、効果切れまでバイタル観察を。医務室へ運びましょう。心停止の危険があるので、マスターは医療班の面子を集めて常駐させるように指示をお願いします」
 マスターが頷いて駆けていく。サンソンとナイチンゲールが大柄な男を担ごうとするが、マネキンじみた様子の体格の良い男を担ぐのは難しいだろう。担架を持ってきます、と盾の乙女が走り出すのを片手で制して、デュマは一歩足を踏み出した。
「手伝うぜ、ムッシュ。その大荷物、嬢ちゃんらには厳しいだろ」
「あ、ありがとうございます。ではすみませんが、上半身を抱えていただけますか」
 サンソンはデュマを見上げて一瞬薄青の目をぱちりと瞬かせたが、すぐにてきぱきと指示を出した。言われた通り、後ろから脇に腕を通して抱え上げる。──なるほど、脈をあまり感じない。斜め上から見下ろす男の顔色は青白く、血を流す傷口がなければ人形と言われた方がまだ納得できる。
 そのまま足を抱えたサンソンに先導されながら廊下に進む。重労働だなコリャ、と軽口を叩くと、サンソンが「なんでも起こる場所ですからね」と肩を竦めた。
「で、こいつはなんだってこんなことになってんだ?」
「マスターの話では、想定外の数のエネミーとの乱戦になり、彼がジャックを庇い敵を押し留めているところにモリアーティの宝具が直撃したそうです」
 モリアーティの宝具、というのは単純な武具や攻撃ではないらしい。悪性を奪うもの。戦意や敵意すらも摘出する宝具。
「彼は近現代の在り方が不安定なサーヴァント。出力によっては敵意や戦意以外が『摘出』されてしまうことも有り得なくはないでしょう」
 魔術回路もその一部かと、とサンソンは言う。
 それはデュマにもなんとなく納得できる。戦闘中であれば魔術回路の励起そのものを「敵意」と見なすこともあるだろう。そういえば魔術師だったのかこいつは、とデュマは男の上半身を抱え直しながら思った。
 だが、と弱弱しい脈を辛うじて感じながら、デュマは片眉を跳ね上げた。
「生命活動に支障があるほどにか? 息が止まるのも心臓が止まるのも、悪性とも敵意とも関係ねえだろうよ。それともあれか、生きてるだけで『悪』だってのか、こいつが?」
「──そうなのでしょうね」
 デュマの言葉を、サンソンは痛ましげに肯定した。
 は、とデュマは我知らず声を漏らした。憤るようでもあり、呆けるようでもあり、単なる疑問のようでもあった。
 そこでデュマはふと気が付いた。自分はこの男のことをろくに知らない。覚えなくていいと言われた意味の無い名前と、生前の警察署長という肩書を小耳に挟んだ程度である。だというのに、なぜか知らず知らずのうちに信じていた──彼の生き様が悪であるはずがないと。
 今腕の中にいる男が、果たして生きているうちに何を為した者であるか、知りもしないのに。
「いや、悪い。別にあんたに何か言いたいわけじゃないんだ」
 デュマは頭を振ってサンソンに弁明する。サンソンはそれをしばし眺めて、「推測に過ぎませんが」とぽつりと話し出した。
「彼は正規の英霊──境界記録帯ゴーストライナーではない。本来存在するはずの彼を英霊たらしめる人々、つまり信仰や想念がない。その上で、彼の在り方や信念には『善悪』が深く絡みついているのでしょう。それが丸ごと消失している。……ゆえに霊基が不安定になるのも無理はない、ということです」
 ──その言葉に、胸を過ったのは安堵だった。
……なるほどな」
 デュマは肩を竦めた。そしてなぜ自分は今安堵したのかもわからぬまま黙り込む。男の心臓は弱弱しく動いている。新鮮な血の匂いが鼻を掠めて、眉を顰める。胸と腹がぐるりと不快にうねり、自分は何かが気に食わないらしい、とデュマは結論付けた。この男自体ではなく、それがもたらす何かが。
 サンソンもそれ以上は追求しないまま、二人は間もなく医務室に辿り着いた。
 扉は小さな音を立て、ひとりでに開く。
「アスクレピオス!」
 サンソンは騒音にならない程度に声を張り上げる。衝立の奥から「どうした」と半神の医者が顔を出した。
「患者です。『数理的悪性摘出マセマティカル・マリグナント・アナイアレイト』の直撃による意識消失、血圧低下。外傷は切創と──ん、モリアーティは? てっきりここで治療をしているものと」
 室内に他のサーヴァントの気配がないことを訝しんだサンソンが尋ねると、アスクレピオスはじとりと常から不機嫌そうな双眸を更に機嫌悪く歪ませて、大きく舌打ちをした。
「あの愚患者か。逃げた」
「は?」
「奴の容態は8割だ。見つけ次第捕縛しろ、本物の傷の治療が済み次第きつく灸を据えてやる。ああそちらの患者はそこに寝かせろ、念のため回復体位でな」
 アスクレピオスが吐き捨ててくるりと医務室の奥へ向くと、後ろで纏められた髪が苛立たしげな猫の尾のように揺れる。
 サンソンは言葉を失いながらも指示には頷いた。デュマの方は「治療はするんだな」と思いながらも一体どういうことだと首を捻る。モリアーティとは、この男に宝具を直撃させたサーヴァントではなかったか。
 ベッドに男を運べばデュマの手伝いは終わりだ。しかし目に見えない何かが医務室からの退室を拒絶した。デュマは、横向きに寝かされた男にアスクレピオスが何やら器具を装着していくのをただ眺めている。何らかの波長がモニターに表示されているところを見るとサーヴァント版の心電図のようなものだろうか。
 サンソンがモニターを見つめてから、すいとアスクレピオスに視線を移す。
「逃げるための偽装だとすると、つまり……これは故意、ということかな?」
「そこまでは分からん、調べるのも裁くのも僕の役目ではない。だが何かしらの企みはあるだろうな」
……マスターに伝えてくるよ」
 一瞬憤りの表情を浮かべた処刑人は、大きな溜め息を吐くと頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら医務室を出て行った。アスクレピオスは「ああ」と頷いてそれを見送る。それから思い出したようにくるりとデュマを振り向いた。
「手伝いご苦労だった。患者の知り合いか? 暇ならその患者に触れて声でも掛けていろ、多少は意識に働きかける効果があるはずだ」
 そうでなければ邪魔だからさっさと帰れ、と言うだけ言って抱えたモニターとともに医神は再び衝立の奥に引っ込んだ。
 デュマは迷わず、けれど少し躊躇ってから、ベッドのそばに置いてあった丸椅子に腰掛けた。
 デュマには記憶がなくとも、この男にはあることは分かっている。ならば知り合いということになるのだろう。理由は多分、それだけだ。あとはまあ、食堂に向かう以外に用事らしい用事もないことだし。
……なあ、あんた、……
 男の両手から、汚れた手袋を外す。
 手の甲はどちらも真っ白だ。違和感すら覚えないほどにまっさらなそこが、デュマに微かな違和感をもたらしている。
 オーランド・リーヴ。米国の知らない市の警察署長。魔術師らしい。ライブラリにも名前のない、神秘の薄い近現代のサーヴァント。恐らく聖杯戦争でここにいるデュマではないデュマと縁があり、その際に得た宝具の刀を佩いている──知っていることはこれくらいだ。
 ──それだけ分かれば、確信に近い推測は得られる。
 だが推測して正解したところで、結局デュマにも相手にも益がない。とうに手放した作品を改稿することは叶わない。このオーランドという男もそうだ、今のデュマにとってはただの見知らぬ英雄でしかない。
 なにもない手の甲を何故だか見ていられず、デュマは手持ち無沙汰に男の肩をさすった。体温を分け与えるには至らないかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。男の目は茫洋と薄く開いたまま動かない。いつの間にか見つめていた顔から目を逸らす。
 魔力は足りているはずなのに、どうにも、腹が減っている。
……ゃ、ス……、た……?」
「うおっ!?」
 その声は唐突に発せられた。
 掠れた、舌が縺れたような声に、デュマはびくりと肩を大袈裟に跳ねさせて肩から手を離す。
 慌てて男の顔を覗き込むと、くすんだ金の睫毛が震えているのが見えた。目は先程と同じくあまり開いていないし焦点は合っていない。唇がゆっくりと、ほんの少しだけ開いては閉じている。かさついた、色を失った唇が、何かを求めるようだった。
「おい、おい起きたのか?」
………………
「あー、なんだ? 触ってたほうがいいのか」
 顔を覗き込んで観察していると段々と反応が鈍くなる。医神から言われたことを思い出して手を握ってみる。血が巡っていないような、冷たい手だった。少し力をこめて握ると、ほんの少しだがオーランドの手も動く。
 デュマはちらりと衝立を見た。バイタルをチェックしているであろうアスクレピオスがすっ飛んで来ないところを見ると、やはり悪い変化ではないらしい。
 サンソンは時間経過で効果が切れるようなことを言っていた。男の変化がデュマの行動によるものか単に効果切れが近付いているのかはわからない。ただ、前者の可能性があるならば触れない理由はない、と思う。後ろにおっかない医者先生もいることだし。
 ──言い訳だな、と苦笑する。
 手首を絡ませるように手を握り、親指で側面を摩る。話し掛けた方がいいと言われたので、適当に独り言のような話をしてみる。食堂のメニュー、カルデアの作家達、物語由来のサーヴァント、食べ物を生む宝具、エトセトラエトセトラ。
 話しているうちに、男の様子は少しずつ変化した。呆けたような様子はそのままだが、握る手に体温が戻る。瞬きがスムーズになった。唇もほんの少し血色を取り戻している。
 その唇がまた動く。デュマは口を噤んで耳を寄せた。
「きゃ、すたー……?」
「ああ、キャスターだ。それは間違いねえ。なんだ、何か用か? 身体の具合はどうだ、吐きそうだったりするか、医者を呼ぶか?」
……き、み…………あやまり、たい、と……
 まだ掠れてぼんやりとしてはいるが、発声も随分戻ってきたようだ。少なくとも言葉ははっきり聴き取れた。
 聴き取れたからこそ、デュマは困惑した。随分と突拍子もないことを言うものだ。カルデアでほとんど関わっていない彼に謝られるようなことをしただろうか。記憶を浚うまでもなく、された覚えもした覚えもない。

 ──わかっている。彼が謝ろうとしているのは、自分にではない。

 デュマは笑った。自棄になった。別にあんたが謝らなくたっていい、と強がるように笑い飛ばそうとした。本当に、謝られる筋合いなどありはしない。
 けれど、意識が曖昧な男はデュマの言葉を正確に受け止めることができないらしい。そもそも言葉として聞こえているのかも怪しいが、とにかく男の唇はまだ動いている。掠れた声で、デュマではない『キャスター』に、何かを伝えようとしている。
 ──伝わるはずもないのに。
「わたし、の……ような、者を……きみは、抱きたく、など……なかった、だろうに……
「────は」
 抱いた? 誰が、誰を?
 ──俺が、あんたを?
 側頭部をぶん殴られたような衝撃に、デュマの息が止まる。
 デュマは女が好きだ。人間全般好きといえば好きだが、性愛の対象となるのは女だけだ。そのはずだ。少なくとも今ここにいるデュマはそう自認している。男を抱くなど──自分よりも大柄で、そこそこ歳を食っていて、仏頂面で、遊ぶには見るからに面倒くさそうな男を抱くなど有り得ない。
 有り得ないだろう、そんなことは。
 息を詰めるデュマに気付いているのかいないのか、男はぼんやりと言葉を続ける。
「すまな、い。しかし、私は……捨てられない……君には、迷惑、だろうが……
 声を発する度、男の言葉が明瞭になっていく。
 もう心停止の心配はないだろう。デュマは逃げるように手を離そうとした。出来なかった。男の手の力はまだ戻っていないのに、無理だった。
「うれしかった。……この記憶が、偽物でも」
「やめろ」
「私は、君を────」
 だが、言葉はそれ以上聞いていられなかった。
 なおも言葉を紡ごうとする唇を、唇で塞ぐ。手を離せないのだから仕方がないと言い訳する。離せないのはデュマの方だし、片手は空いているのに。
 至近距離でぼやける視界、男がゆっくりと目を閉じるのが見えた。深い青色が青褪めた瞼に隠れる。力の抜けた唇が受け入れるようにうっすらと開いた。
 ふざけんな、と身勝手に思う。
 ──許すなよ、俺はあんたの『キャスター』じゃないだろ。じゃあ誰でもいいんじゃねえか。あんたの俺じゃなくていいなら、俺じゃなくてもいいってことだろうが。
 別の自分が勝手にやったことだと政治家のように開き直るには、いささか衝撃が強すぎた。
 理不尽に腹が立つ。自分は、こんな狭量な男だっただろうか。おかしい。変だ。どうでもいいはずの男に、どうでもよくなくたって、こんな風に腹を立てるような人間だっただろうか。
 煮え滾る腹の底と、いやに寒寒しい胸がデュマを駆り立てる。男が抵抗しないどころか招くような仕草を見せるのをいいことに、唇の奥を探る。低い体温が侵す温度に馴染む。指を絡めて、男の吐息を聞いて、服に手を──
「おい」
「おわぁ!」
 背後から降りかかった声に、デュマは飛び上がった。
 ばくばくばく、とやかましい心臓を押さえて振り返る。案の定、モニターを抱えたギリシアの医神がじとりと男を襲うデュマを見下ろしていた。
 デュマよりも頭半分ほどは小柄なはずだが、威圧感が、すごい。
「おぉい、見て見ぬふりするもんだろ、こういう時はよぉ!」
「触れとは言ったがそこまでしろとは言っていない。ここは医務室だ。魔力供給程度なら見逃したが、事に及ぶなら殴ってでも止める。患者に無体を働くなら僕の敵だ」
 ぐうの音も出ない正論である。
 はいはい、と口元を拭ってハンズアップすると、アスクレピオスはデュマをもう一度冷たく見下ろしてからモニターと共に引っ込んだ。もしかして止まらなかった場合、あれが脳天に降ってきていたんだろうか。まあベッドを投げる看護師よりはマシか、とデュマは肩を竦めた。居合わせなくてよかった。
 ベッドを見ると、男は目を閉じていた。口元に手をかざして呼吸していることを確かめる。深い呼吸だ。眠っているらしい。いや寝るなよ、と突っ込みたいが、どちらかといえばデュマが眠りを妨げたことになるのだろう。
……『俺』は、どんな風にあんたを抱いたんだ」
 記憶はない。記録も恐らくない。オーランド・リーヴの言った言葉が本当だったとして。そのデュマはどんな気持ちで、どんな顔で、どんな態度で彼を──恐らくはマスターである男を、抱いたのだろうか。抱かれた相手が謝るような、本当は望んでいなかったのだと思うような、そんな最低な素振りを見せたというのか。
 ──この俺が?
 デュマは眉を顰めた。男を抱くのも有り得ないが、いざ「そう」なった時、腹を括った自分が果たしてそんなくだらない真似をするだろうか。いやしない。緊急事態だったとしても有り得ない。無理に抱かせたという状況なのだとしても有り得ない。よほど人格に問題があるような、生理的嫌悪を覚えるような相手ならばともかくとして。少なくとも、今のデュマが口づけられるような相手に、そんな態度は取らないだろう。デュマの矜持として。
 と、思う。思うが、記憶も記録もないので弁明も出来ない。なんで抱いた相手の記録が無えんだよ記憶ならともかくよ英霊の座なんてモンも役に立たねえなクソ、と俗っぽい悪態を吐いて、はたとデュマは唐突に思い至る。
……ああ? もしかして、そういうことか? 別の自分にもってのか!?」
 デュマは両手で顔を覆って天井を仰いだ。
 記録が残れば、記憶が残る可能性も出てくる。だがそもそも座に持ち帰らなければ、絶対にどこの召喚であろうと記憶には残らない。なんだそりゃ。独占欲ってやつか。滑稽すぎる。こいつは、あれだ、どうしようもない喜劇に違いない。そういう気配がする。
 ──あれか、ベタ惚れだったってことか!?
 だとしたらまあ、自分のことだ、随分献身的に振る舞っていたことだろう。多分、いや絶対。それは確信がある。アレクサンドル・デュマ・ペールとはそういう男であると、自分が誰より知っている。
 そんな相手がカルデアに来て期待するなだの過去にしがみつくなだの言う上、記憶も記録もないときた。心のガードが緩んで意識が曖昧となれば、デュマが本当は迷惑に思っていたと男が思い込んでもおかしくはない。
 デュマは「ふざけんなよ」と天を仰いだまま掠れた声で絞り出した。半ば笑いながら、いつかのどこかの自分に向かって吐き捨てる。

 ──くっだらねえ、初恋の相手で童貞捨てたガキでもあるめえし、後先考えねえ嫉妬してんじゃねえよ!