都内ホテルの大宴会場。シャンデリアの光が、着飾った俳優や監督、スタッフたちの上で煌めいている。壇上では、司会者が最後の一枚のカードを読み上げるところだった。
『最優秀主演男優賞は……田中ゲゲ郎さんです!』
会場がどよめきと、割れんばかりの拍手に包まれる。
ゲゲ郎は、自分の名前を呼ばれたことが信じられないといった様子で呆然としている。その隣で、ノミネートさえされていなかった水木は、寸分の狂いもない「親友の快挙を心から喜ぶ男」を演じ、満面の笑みでゲゲ郎の背中を叩いた。
「おめでとう、ゲゲ郎。行ってこい」
その言葉にハッとして、ゲゲ郎は立ち上がった。カメラのフラッシュが真昼のように明るく、彼の姿を照らし出す。その背中を見送りながら、水木の頬の筋肉がわずかに引きつった。
――――ああ、決まりだ。今夜、自分たちの立場ははっきりと分かれた。大衆に求められているゲゲ郎と、見向きもされない自分。
ステージの上で、黄金のトロフィーを受け取ったゲゲ郎は、マイクの前でたどたどしく感謝を述べ始めた。
『わし一人の力では、ここには立てませんでした。……厳しく、時に温かく導いてくれた監督、スタッフ……何より、わしの相棒に、この賞を捧げたい』
ゲゲ郎の視線は水木に向けられていた。その目に浮かんでいるのは、水木への深い感謝と愛情だ。
――――反吐が出る。
水木は、微笑みを絶やさないまま、心の中で毒を吐いた。
授賞式の後、もう一軒行こうと誘われたのを、「明日早いので」と断って一人タクシーに乗った。
ネクタイを緩め、ミネラルウォーターを飲む。
「はあ……」
胃のあたりがむかむかする。喉の奥からせり上がる吐き気を、冷たいミネラルウォーターで飲み下す。食べたら吐きそうで、昼から何も口にしていない。胃が空なのに酒ばかり飲んで、いつも以上に酔いが回るのが早い。
明日は早いなんて嘘だ。本当は、これ以上人々に称賛されるゲゲ郎の姿を見ていたくなかっただけだ。もう今日はこのまま寝てしまおう。明日はオフだ。昼まで眠って、それで酒を飲みながらお笑いでも見よう。
目を閉じかけたとき、インターフォンが鳴り響いた。こんな深夜に誰だろうと思いふらつきながら画面を見ると、マンションの玄関にゲゲ郎が立っていた。タキシードのままだ。
「お前、なんでこんなところにいるんだ」
『ああ!よかった、帰っておったんじゃな』
ゲゲ郎はホッとした顔をした。
『気づいたらいなくなっておるし、電話にも出んから心配しておった』
「主役がこんなところにいてどうすんだ。早く戻れ」
『水木のそばにいたい』
穏やかだがきっぱりと言い切った。この様子では戻るつもりはなさそうだ。このマンションは芸能人御用達で、俳優の一人や二人で騒ぎだてされたりはしないだろう。だが、今夜アカデミー賞を取ったばかりの田中ゲゲ郎がいつまでもマンションの入り口で棒立ちになっていたら、さすがにまずい。
「……分かったよ」
玄関を開ける。すぐにエレベーターで上がってくるだろう。水木は玄関の鍵を開け、リビングのソファに身を沈めた。
「水木」
髪を軽く後ろに撫でつけ、タキシードを着た男が立っていた。背が高くすらりとしたゲゲ郎によく似合う。彼は眉をひそめ、いかにも心配そうな表情で水木の顔をのぞきこんできた。
「なんだよ」
「大丈夫か」
「大丈夫なように見えるのかよ」
吐き捨てるように言うと、ゲゲ郎は傷ついた顔をした。
「……すまん」
「そりゃ、何に対しての謝罪だよ」
「わしが……おぬしを差し置いて、賞をもらったから」
その通りだった。水木は自嘲気味に口の端を吊り上げ、ソファに深く身体を埋めたまま男を下から睨みつけた。
「そうだよ。お前は天才で俺は凡才だって、大衆が認めたってことだ。よかったな」
「そんなつもりは……!」
「あんな大舞台で世間様に認められておいて俺に謝るのか? やめてくれ、余計に惨めになるだけだ」
水木はフラつく足取りで立ち上がり、ゲゲ郎のタキシードの襟を掴んで無理やり引き寄せた。間近で視線が絡み合う。怒りのまま、水木は低い声で囁いた。
「お前に同情されると、死にたくなる。二度と謝るな」
「水木……」
ゲゲ郎は何か言おうとしていたが、結局何も言わなかった。ただ黙ってされるがままになっている。理不尽な怒りを向けられているというのに、ゲゲ郎は水木に怒りをぶつけるどころか、困った顔をして「許してくれ」と言ってきた。
「わしは、本当に自分だけの力で賞をもらったとは思っておらん。おぬしがいてくれたから、わしはここに立っていられるんじゃ」
それは彼の本心なのだろう。ゲゲ郎はまっすぐな男だ。だが、その純粋さが、今の水木にとっては耐えがたかった。俳優として売れるために努力してきたのに、水木は誰からも求められない。しかし、ゲゲ郎はこれからも大衆に求められ愛されるのだ。
羨望と嫉妬が身を焼いた。ゲゲ郎が羨ましかった。何か一つくらい、自分だって優れていると証明してやりたかった。
水木は掴んでいた襟を離した。そして目を伏せ、肺の奥まで深く息を吸い込んだ。
「……悪い。八つ当たりだ」
水木は、ふっと毒気を抜いたように声を落とし、弱々しく微笑んだ。相手の庇護欲をかきたてるように、目を潤ませることも忘れない。ゲゲ郎の瞳が大きく揺れた。雷に打たれたような顔をして、彼は水木の震える手を、壊れ物を扱うように包み込んだ。
「わしは……わしは、おぬしを傷つけたのではないかと思って、そればかりで……!」
「傷ついたよ。だから……責任、取ってくれ」
水木はするりとゲゲ郎の首に腕を回し、その耳元で熱い吐息を漏らした。
「俺を慰めてくれよ、ゲゲ郎」
――――怒りに任せてこいつを追い出したところで、惨めなだけだ。こいつの圧倒的な才能を否定できないのなら、別のことで屈服させるしかない。
それが水木の結論だった。
「お前に抱かれるなら、俺、……怖くないから」
俳優として培ってきた技術のすべてを注ぎ込み、今にも折れてしまいそうな孤独な男を完璧に演じきる。ゲゲ郎は優しい。剥き出しの嫉妬をぶつけるよりも弱さを見せた方が効くはずだ。
「な、……なにを言って、」
「なかなか決心がつかなかったんだ。待たせて悪い」
「いや、その、本当によいのか?」
何度も「よいのか」を繰り返すゲゲ郎に、水木は「しつこいな」と苦笑した。
「いいに決まってるだろ」
「み、水木……!」
感極まった様子で抱き着いてきたゲゲ郎の背中を優しく撫でてやりながら、水木は心の中でほくそ笑んだ。
かつて圧倒的な実力を見せつけられた時の、あの吐き気がするような敗北感が、歪んだ万能感へと書き換えられていく。こんなに才能に溢れた男が、水木の言葉一つで一喜一憂する。それはなんて愉快なことなのだろう。
「本当にわしでいいのか」
「お前がいいんだよ。……行こうぜ、寝室」
かぷりと耳を甘噛みすると、ゲゲ郎の喉がゴクリと鳴った。
寝室へ移動する間も、ゲゲ郎は「本当にいいのか?」と繰り返し聞いてきた。水木は笑い出しそうになるのをこらえ、恥じらうように目を伏せた。
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