今日はバレンタイン。学内がピンクとブラウンで彩られ、そこら中から甘い香りが漂ってくる。娯楽の少ないJCCという孤島でそういう季節のイベントは大きく取り上げられるらしく、正月が終わったと思えばすぐに学内がバレンタインに染め上げられた。
「いたいた、朝倉く〜ん! はいこれ、義理チョコね」
「おー、サンキュー! 美味そう、手作り?」
「もちろん! 配れるだけ配って、お返しを大量獲得するんだよ。あ、もう受け取ったから返却不可ね、三倍返しでお願いしますっ」
「うそだろ、女子こえ〜」
ハートマークがつきそうなほど甘い声を出した同じ暗殺科の同期の狙いに、シンは思わず苦笑いを浮かべた。どちらかといえばシンもそういう季節のイベントを楽しむ方なので全力で乗っかるのは賛成ではあるが、迂闊に受け取った数秒前の自分を少し恨んだ。こういう時はしっかりお返しをしないと怖いのだと直感で分かる。
もらったチョコレートを手に下げていた紙袋に入れる。袋の中はたくさんのチョコレートやクッキー、マカロンやタルトなどのお菓子ですでにいっぱいだ。学内で知り合いの多いシンに義理だと言って渡してくる女子はそれなりにいる。本命であったり、はっきりとは言われていないが明らかにそうだと分かるものについては申し訳ないが断っている。エスパーを使ってまで本命を受け取らないのは、今年受け取る本命は一つだと決めているからだ。
「あ、シンさんこんにちは」
「アキラ、何してんだ? こんなところで」
「昨日虎丸ちゃんと作ったチョコを皆さんに配ってたんです! シンさんもどうぞ」
「まじ? ありがとな!」
「いえいえ、いつもお世話になっているので……」
アキラから渡されたのは、チョコレートの上にナッツやドライフルーツを乗せたもので、かなり美味しそうだ。綺麗にラッピングされたそれを少し眺めて、それからまた紙袋に入れた。
「虎丸は?」
「虎丸ちゃんは推しにしかあげないって言ってて、今本土に行ってます」
「すごい行動力だな」
「ですから皆さんには私から配ってるんです」
「そっか、虎丸にもあとで連絡しとくよ。ありがとうな」
「いえ、それではまた」
晶に手を振り、「さて」とシンは目的の場所に向けて歩き出した。
今日はバレンタインである。殺し屋時代そういうイベントごとを経験したことがなく疎かったシンでも、バレンタインというものの存在自体は知っていた。そして商店で働き始めてから、初めてその内容を深く理解したのだ。葵さんと花ちゃんが二人でチョコレートを作ってくれて、坂本さんと同じようにラッピングまでしてくれた。初めて受け取ったそれに戸惑うシンに、花ちゃんが教えてくれた。「今日はチョコをもらえる日なんだよ!」と。
いたく感動したシンが目一杯花ちゃんを抱きしめ、坂本さんに脳内で殺されたのは余談である。
つらつらと考えながらも目的地に到着したシンは、「たのもーう!」と大声を出しながら扉を開けた。「うるせーよ朝倉!」といつもなんだかんだ構ってくれる先輩に笑顔で手を振り、それから見慣れた背中に突撃した。
「セーバ! よっす、元気かー?」
「うるせーのに絡まれて今元気なくしたとこ」
「あん?」
「落ち着けって、顔すごいぞ」
「てめーが舐めたこと言うからだろ⁉︎」
はは、と笑いながら思ってもいない謝罪を繰り出す夏生に、シンも笑いながら肩を小突いた。
バレンタインにわざわざ夏生を訪ねたのには訳がある。それは、夏生からいわゆる本命チョコをもらうためだ。
バレンタインで送るチョコレートには種類があるらしい。友だちに送る友チョコ、お世話になった上司や先輩に送るチョコ、義理で渡す義理チョコ、そして好きな人に渡す本命チョコだ。そうであるならば、シンは夏生から本命チョコがもらえると確信していた。
だって夏生は、シンのことが好きなのだ。それに気がついたのはいつの頃だっただろうか。覚えていないけれど、まだ暑さの残る季節だったように思う。他人の思考を、いつも読んでいるわけではない。だけどその日は、夏生がシンを見つめる視線がやけに熱くて、ついその思考を覗いてしまった。
そして脳内を埋め尽くすほどの夏生の想いが、流れ込んできた。
ほんとこいつ、ムカつくくらいバカだな。だけど目が離せない。ずっと目の前にいてほしいし、ずっと隣に立っていたい。無茶をして怪我するくらいなら俺を呼べば良いのに。だけどこいつはそんなことしないから。それなら俺が追いつくしかない。あと顔がかわいい。なんだそのバカみたいなツラは。口の隙間に指突っ込んだらどんな反応すんだろ。やってみていいかな。さすがにキモがられるか?
え、うわ、なんだこれ。ぶわ、と顔に熱が上る。動揺してその場から逃げ出したシンは、その日初めて、夏生の気持ちを知ったのだ。だからといって、別にシンは夏生に対して何かを言うことも、態度を変えることもしなかった。夏生から気持ちを伝えられるまでは今までの関係を築くのがベストだと思ったからだ。まあ、口に指突っ込んでいいわけねーだろ、とは思うけど。
だんだんと寒くなってきた頃から、夏生がシンに何かを伝えようとしていることに気がついた。何か言葉を口にしようとして、だけど出てきたのは憎まれ口であったり、空気を吐き出すだけで意味のある言葉を発さなかったり。さすがに熱っぽい視線で見られながらそんな行動をされたら嫌でも分かる。ついにくるのか、と。
その頃にはシンも満更ではなくなっていて、まあ夏生が伝えてきたら応えてやらんでもない、と思うようになっていた。そうして年が明けて、バレンタイン一色の学内になったタイミングでシンは察した。夏生のことだ、きっとバレンタインを口実にしてくるに違いない。
だからシンは本命を受け取らないことにした。夏生以外からの本命は、一つたりとも。
「セバくんはバレンタインどんな感じですか?」
「なんだよその質問。別に毎年いつも通りだけど」
「ふ〜ん」
「お前こそどーなんだよ?」
「俺だって、まあ学校では初めてだけど、まあいつも通りだよ」
だから早くお前も、俺にチョコ渡せよ。そう思ってシンは夏生を見る。作業を止めてシンに向かい合っていた夏生も、同じようにシンを見た。
そこでようやく、「あれ?」と疑問を覚えた。夏生の身の回りには確かに溢れんばかりのチョコレートが置かれている。それは明らかに本命からあからさまな義理まで様々で、だけど全てが乱雑に袋や箱に入れられている。誰かに渡す用に隔離されているものは、見渡す限り一つもない。
「……ん?」
「え、なに」
「いや……」
首を傾げるシンに疑問を覚えたのか、夏生も不思議そうな表情を浮かべている。
授業が終わるまで夏生がシンの元へ来なかったから、研究室に会いに来た。ここまで来れば逃げられないだろうし、チョコレートを渡す格好のチャンスだからだ。だけど夏生は、シンにチョコレートを渡す素振りを見せない。嫌な予感が胸を走る。
もしかして、全部、自分の勘違いだった──?
ぞぞぞ、と何かが背中を這った感覚がして、シンは肩を窄めた。それからすぐにピーンとチャンネルを合わせて、夏生の思考を読み取った。
(急に黙ってなんだ? チョコくれんのかと思ったらそうでもなさそうだし。変な顔だし。その変な顔さえもかわいいってなんだよ、くそエスパーめ)
夏生の思考は相変わらずで、何も変わってはいなかった。勘違いではない、だけど何か違うものを勘違いしているような気がして、シンは思わず叫んだ。
「いややっぱりお前俺のこと好きじゃん! じゃあなんでチョコくれないんだよ⁉︎」
「え」
「え。……あ」
「……」
「……えーっと、その。ごめん、セバ」
「チョコ」
「え?」
「俺、お前からチョコ貰えるかと思ってた。だってくそエスパー、俺のこと好きじゃん?」
「……は?」
「あれ、もしかして違った? 俺の自惚れかよ、はずかし、……ん?」
気まずそうに目を伏せていた夏生は、違和感を覚えたように言葉を止めた。シンは夏生の発言の意味が理解できなくて、ポカンと口を開けたまま固まった。
妙な沈黙が室内に落ちる。
朝倉シンは実に素直な男である。それ故に、坂本の愛娘である花から聞いた「チョコをもらう日だよ!」という言葉を、文字通り捉えていた。バレンタインとは好きな人にチョコレートを渡す日ではなく、チョコレートをもらう日なのだと。
だからシンのことを好きな夏生から当然貰えると思っていたし、逆に夏生に渡すという発想は一ミリもなかった。
そして勢羽夏生は実にモテる男である。彼の人生の中でチョコを渡した事実はなく、ただひたすら学内の女子生徒からチョコレートを貰った経験しかなかったのだ。夏生がシンのことを好きなのは事実で、だけどシンも自分のことを好きだと思っていた夏生は、当然貰えると思ってしまっていた。
「もしかして俺ら、相当バカだったりする?」
「あー……。認めたくないけど、そうかも」
目が合って、お互いの考えを察してしまった二人は、はははと渇いた笑いを溢した。
思い描いていたバレンタインは、何一つシンの考えていたような展開にはならなかった。
まあ、でも。チョコレートみたいな甘ったるい関係は自分たちらしくないし、夏生の気持ちも、シンの気持ちもバレてしまった今、シンのとる行動は一つだった。だってシンは決めている。今年受け取る本命は一つだけだ、と。
「なあ、セバ」
「なに?」
夏生が立ち上がって、シンに一歩近づいた。自分が持つ甘いチョコレートたちの香りに混じって、いつもの夏生の匂いが鼻を掠めた。少し上から視線を注いでくる夏生は、今、どんな気持ちなのだろうか。読んでも良いけど、その口から直接聞きたいと思った。
「まだ購買にチョコ売ってたから。……その、二人で買って食べない?」
「じゃあ俺がお前の分買うから、お前は俺の分買ってよ」
「うん」
「……その時、ちゃんと告うから、お前絶対頷けよ」
「……うん」
いつの間にか上がってしまった体温を下げるように、二人は静かに購買へと向かうため歩き出した。黒髪から除く赤く染まった耳も、蒸気したぷにぷにの頬も、今は見て見ぬフリをした。どうせ数十分後には答え合わせをするのだ。自惚れていた恥ずかしさと、バレていた気まずさと、ベタ惚れである事実に向き合うのはその時で良いと思った。
シンと夏生が静かに出て行ったあと、研究室に残っていた先輩たちは、ようやく息を吐き出した。
「や、やー! なんかまあ丸く収まったみたいだな?」
「そ、そうだな⁉︎ ここが研究室だとか、周りに俺らがいたとかはあんま関係ないもんな⁉︎」
「そうそう! そう、だよな……?」
いまだに残る気まずいような甘酸っぱいような微妙な空気に、二人の恋路を見守ってきた先輩たちは思う。
これってなんのラブコメ漫画ですか、と。
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