ラテラルタウンの芸術的な遺跡が破壊され、その内側から秘匿された真実が明らかになったのは記憶に新しい。時折221Bを訪れるソニア博士の著書にも、その新事実に関する記載がたくさん書かれている。
私はベッドボードに背中を預け、薄型のラップトップパソコンの画面に映された画像を見た。そこには嘗て訪れたシンオウ地方——テンガン山の山頂付近にあり、シンオウポケモンリーグの本部としても利用されている遺跡がある。
遺跡を維持するにも、場所が場所なだけに費用が莫大なのだ。それを賄うための差配なのだろう。実際にそのような話をした記憶が頭を掠めた。
221Bの管理人であるシャーロック・ホームズは、今日は随分早朝にフラットを出ていた。もう正午に差し掛かろうかという時分ではあったが、一向に帰ってくる気配がない。
「ちる~」
チルタリスが機嫌よくベッドの上で鳴いている。時計を見れば丁度針がぴったりと重なり、正午を示していた。
「シャーロック! いますか?!」
戸を叩いたのは見知らぬ顔だった。くせ毛の明るい茶髪が高い位置で結われている。彼の後頭部でふわふわ揺れているのを見て、私は無粋にもハンディモップを思い出した。
「……外出しています。恐らく、早朝に」
「たぶんって、一緒に住んでるのに」 彼は不満げに唇を尖らせる。
「……乱暴に戸を叩く音で目を覚ましたもので」
「それは、えっと。……すみません。失礼しました」
真面目なのか、ガラル市警のウインドブレーカーを着た彼は頭を下げた。そう素直に頭を下げられると居心地が悪くなる。
彼の傍にひかえているファイアローは、警察のロゴが入ったチョッキを着ている。彼は恐らく〈竜騎士〉の名で親しまれる、空飛ぶ警察官なのだろう。彼の手元を彩る指ぬきグローブが、私の推理に正解のマルを与えた。
「バレル・ホークアイと言います。刑事事件捜査課所属の飛行警官です」 バレルは人懐っこい笑顔を浮かべた。
「……航空安全課ではなく?」
私は問いかける。彼らの職務は主に空の交通事故にかかわるものだと、勝手に思い込んでいたからだ。
「飛行警官はそこだけの所属じゃないんです。よく誤解されるんですけどね」 バレルはそう言って肩を落とした。「あの、シャーロックはいつ頃帰って来るかとか、わかりますか」
「……申し訳ないが、何とも」
「その必要はないよ」
「うわーッ!?」 バレルは慌てふためいて私に抱き着いた。「おばけーッ!!」
「失礼だな」 シャーロックは横長の箱をかかげた。「どうしてもクリスピークリーム・ドーナツが食べたかったんだ。朝から並んで買ってきた。ここに十七個ある」
「……そうか」 私は重たい警官に耐えながら、「よかったな。……ところで助けてくれ」
シャーロックがバレルを私から引き剥がし、依頼人用のソファに座らせる——というか、放り投げているように見えたのだが——のは、随分俊敏な動作だった。私は人数分のコーヒーを淹れ、ローテーブルに並べる。シャーロックは機嫌よくドーナツを取り出して早速食べ始めた。ラズベリーチョコレートのコーティングが施されたものだ。
「ふぉれで」
シャーロックが口元を動かしつつ、バレルに問いかける。
「殺人事件だろう? ワイルドエリア所轄の君がここにいるということは、それ以外考えにくいね。随分アーマーガアに無茶させたんじゃないか」
バレルは深刻そうな顔でシャーロックを見つめ返す。私はコーヒーを一口飲み、緊張を誤魔化した。また殺人事件なんかに巻き込まれるのはごめんだったが、その祈りが無駄な祈りになるのは明白な事実だった。
「そうです。状況がかなり不可解なので、シャーロックの助力をと、グレグソン警部補からの指示で」
「成程。不可解というのは、殺人事件そのものが不可解という意味か? それとも遺体が不可解なのか?」
「両方です」
バレルは険しい表情でそう言って、足元に寄ってきたファイアローの頭を撫でる。緊張しているのか、ファイアローは羽毛を膨らませて嘴を鳴らした。
「遺体はミイラの状態で、ラテラルタウン周辺にある遺跡の玄室から発見されました」
ミイラという言葉に神経が凍りつく。私はコーヒーの温かさに意識を向け、必死でそのイメージを脳から追い出そうと躍起になった。これも、無駄な努力であることは承知の上だったが。
「玄室から?」
どこか弾んでいるシャーロックの声に、バレルは頷いて続ける。
「最初、研究チームもその遺体が古代人のものだと思って調査を進めていたそうなんですが、四年前に行方不明になった発掘調査員のDNAと一致したんです」
「ほう?」
片眉が器用に持ち上げられる。シャーロックが頷くのを見て、バレルは続けた。
「科捜研の鑑定の結果、死因は頭部外傷。しかし現場から血液などは出ていません。それに、玄室自体が漸く発掘され、到達できたという段階らしくて」
「……不可能犯罪、というわけですね」 私は恐る恐る呟く。バレルは「そうなんです」と頭を掻いた。
「野生ポケモンに襲撃された線もあり得る場所なので、ポケモンレンジャーも呼んでるんですけど、めぼしい手掛かりが出てなくて」
「具体的に」 シャーロックはコーヒーカップを無作法に掴む。
「被害者はミイラ化していますが、遺体が綺麗すぎるんです。まるで誰かが、丁寧に埋葬したみたいでした。発見当時も、石棺の中で眠っているようで——」
「実に興味深い事件だな。ぜひとも遺体を見たいね」
バレルの言葉は正鵠を射ていた。司法解剖のためガラルヤードの監察医務院、その第三解剖室には女性の遺体が寝かされている。
確かに遺体はミイラ化していた。後頭部には、確かに酸化した血がこびりつき、そこに大きな傷があることをうかがわせる。しかし生前の柔らかな面影を留めたままというべきか、実に丁寧に埋葬され、安寧を保証されているようにも思えた。私はすこしばかり彼女を憐れむような気持ちにさせられる。霊廟を暴き、そこで眠りについていた死者を現実世界へ引っ張り上げる。それが果たして本当に正しい事なのか――わからなくなっていた。
「四年前に行方知れずになった、発掘調査員というのは?」 シャーロックが小型のルーペで遺体を具に観察しながら問いかけた。
「マロン・テイラー。シュート大学考古学部に所属する発掘調査員で、六年前に博士号を取得。そのまま研究室の一員になったようです。DNA鑑定の結果、この遺体とマロン・テイラーのDNA型が一致しました」
「ヤードに何か相談に来たとか、事件に巻き込まれたことがあるとか、そういう過去もないのか?」
「ありません。あ、待ってください。嘘つきました。自転車を盗まれたと相談に来たことが一回だけあります」
私は首を傾げる。自転車の盗難被害と、今回の一件はどうにも噛み合わない印象を受けた。
「……その自転車の件は、いつの話です?」
「えっと…、四年前の三月ですね。シュートシティ・モノレール駅に停めていた自転車が誰かに盗まれて。犯人は分からないままのようですが、自転車はその後、シュート・アイの近くに放置されているのが見つかって、そのまま返還されているようです」
「……本当にこの一件とは何も関係がなさそうだな」
「そうとも言い切れないよ、マイディア」
シャーロックはルーペをスラックスのポケットに戻して言った。この数分ほどの間に、大量の手掛かりを得られたと言わんばかりの得意げな表情に、私は彼がまた剃刀の如き叡智で真実を明かすことに期待していると気付く。何だかんだ文句を言ってみても、私はシャーロック・ホームズという探偵を信じ切っているのだった。
「いいかい。如何に奇妙なことであれ、有り得ない可能性をすべて削除していき、最後に残ったものが真実だ。バレル、彼女の健康保険証と通院歴を調べてくれないか?」
「え? 通院履歴ですか?」
きょとんとした顔のバレルに「いいから早くやってくれ」とシャーロックは手をひらひらさせた。私とバレルは顔を見合わせる。
「わ…、かりました。大きい病院ですか?」
「全てだ。小さいのも大きいのも。服薬記録も出してくれ」
解剖室を後にして、近場のカップ自販機に向かう。COSTAコーヒーを愛飲するシャーロックにとっては、車にガソリンを注ぐのと同じ感覚なのだろうと思われた。随分濃そうなストロングコーヒーなるボタンを押して数分ほど待つ。豆の挽かれる音と抽出音が途切れるのを待って、シャーロックは口を開いた。
「死因が頭部外傷だと、バレルが言っていただろう」
「……ああ。それでは説明のつかない何かが?」
「勿論」 シャーロックは唇をすっと横へ引き、「確かに彼女に致命的な一撃を与えたのは、頭部外傷で間違いない。だがそこに至るまでの課程がある」
「それが……通院履歴と、服薬履歴でわかるのか? 彼女が何か重大な疾患を患っていたと?」
「可能性の段階ではあるがね」 シャーロックは指を鳴らした。「まず、前提として――これはただの殺人事件ではない。その可能性が非常に高い」
私は思わず呆けた表情になって、「何を言っているんだ?」そう聞いていた。こんな奇怪極まる状況が殺人ではない、という根拠がどこにある? シャーロックは私の表情を見て面白そうに微笑んだまま、「『ただの』殺人事件ではないんだよ。順を追って話そう、ジョン」と人差し指と中指を立てた。
「奇妙な点は二つある。一つ目は遺体。もう一つは彼女の発見状況だ。マロン・テイラーは痩躯だが、顔が異様に丸かった。骨格そのものが丸いというよりも、まるで詰め物によって顔が丸くなっているようですらあった」
「……確かに、エンバーミングが施されたような、ふっくらした顔だったな」
私は遺体を思い返す。柔らかな雰囲気を覚えた理由はそこにあったのだ。
「これは見逃すべき兆候ではない。満月様顔貌といって、ステロイドの服薬を突然中止すると、こうした副作用が出ることがある。彼女は生前ステロイドを服用していた可能性がある――そして何らかの事情で服薬できなくなり、副作用を発症した」
「……その副作用によって倒れて、後頭部を強打した?」
「その可能性も否定はできないが……まず彼女が発見された時、発掘調査員たちは彼女を古代人のミイラと勘違いしている。普通に考えて、奇妙だと思わないか? ミイラ化しているといっても、この遺体は明らかに古代人の骨格とは違うし、新しすぎる。だというのにその道のプロフェッショナルが気付かなかった? どう考えてもおかしい話じゃないか」
「……その発掘調査員たちが、共謀して殺害した可能性か」
「ああ」
シャーロックは浮いているスマホロトムに触れ、指を滑らせながら、「だが――そうだ、とは言い切れない」
「……珍しく歯切れが悪いな」 私は難しい顔をして画面を睨んでいるシャーロックを横目で見た。「ああ…」と少しぼんやりした答えが返ってくるばかりで、それ以外に何か言うことはなかった。
***
221Bに戻ってからもシャーロックは難しい顔をしたまま黙っていた。白いタブレット端末に表示された資料と、バレルに色々と屁理屈をこねて分捕ってきた死体検案書を交互に睨みながら、ついに「はあ」と額に手を当てて溜息を零し、「休憩だ、ドーナツを食べよう」と、冷蔵庫のクリスピー・クリームドーナツへふらふらと吸引されていく。
残念ながら、服薬記録と通院履歴にはめぼしいものは何一つなかった。彼女は健康そのもので、確かにアレルギー性鼻炎の治療の為にステロイドを処方された記録はあったが、それ以外に重篤な疾患や注目すべき点はどこにもない。大病院にかかった履歴は健康診断だけで、それ以外は耳鼻咽喉科のクリニックと歯医者、婦人科。健康そのものといった具合なのは、あらゆる履歴から伺える。
確かに鼻炎シーズンを終えてしまえば、薬の必要性を感じなくなって、自己判断で服薬をやめる……というケースはあり得るだろう。だがそれ自体がこの奇妙な殺人事件の大きな手掛かりになるとも思い難い。第一に遺体がミイラ化しているという、最大の問題がある。たった四年であれほど綺麗にミイラになるのかも疑問な上、しかも発見場所は未発見の玄室だ。どうやってそこへ辿り着き、遺体を安置したというのか。そもそもどうやってミイラに変えたのか、それすらわからない。
「マイディア、カロス地方に行ったことは?」
シャーロックは唐突に問いかけた。私は頷く。といっても、ミアレシティに飛行機の乗り継ぎで立ち寄った程度のことだが。
「……なぜ急にカロス地方なんだ?」
「ミアレシティはすっかり変貌を遂げているのは知っているよな。そして今、また別の問題があの都市で起こっていることも」
シャーロックはスマホの画面をこちらへ見せた。何か奇妙な歪み――ひずみと言うべきだろうか? レンガの壁に穴が開いたような具合で、それがある。
「……何だ? これは」
「わからない。だがこの奇妙な穴の目撃事例は、決してミアレシティだけのものではないようだ。調べた範囲では、ガラルでも複数の場所で目撃事例がある」
シャーロックはSNSの投稿、そのスクリーンショットをいくつか見せる。
「ミアレシティでの発生事例が桁外れに多いのは間違いない。そしてこの穴の奥には、空間があるようだ」
「……空間……」
そう言われて真っ先に思ったのは、未発見の玄室――その単語だった。もしも奇怪な穴の奥、その内部に広がる空間が、その玄室だったのだとしたら。
「君と僕の考えは、どうやら一致しているみたいだね」 シャーロックは大きな口でドーナツを頬張った。
「……まずはラテラルタウンか」
「そうだね。急ごう、まだ事件の証拠が残っているかもしれない」
追加料金を払ってアーマーガアタクシーを急がせると、気流も味方についてくれたようで、想像よりも随分早くラテラルタウンに着くことができた。赤茶色の風景、焼き物を売る人々の声、そして――観光客に一番有名で一番人気なのは、最近発見された重要文化財ではなく、ダグトリオの巨大な像だ。
発掘調査が行われているのは、ラテラルジムがある場所の裏側――その奥にある。一般人が行くには少々難しい道のりを経て、私とシャーロックはその現場に辿り着く。気付けば日が傾き始め、赤銅色の風景を真っ赤に照らし始めていた。
「あれか?」
ペグとロープが設置された場所がある。確かにそこにはシュート大学の拠点が置かれ、砂まみれのトレーラーが一台停まっていた。
「どうも、こんにちは」 シャーロックは無遠慮にテントにいた男へ声をかけた。びっくりした様子で目を丸めた男は、「あ、ああ、どうも……、ええと、どこの大学の方で?」少しミアレ訛りのあるガラル語で言った。
「失礼。大学の調査員ではありません。僕はシャーロック・ホームズ。探偵です――こちらは助手のジョン・ワトソン」
私は慌てて「山岳写真家をしています」と付け加える。
「はあ……、あ、もしやあのミイラのことですか」
「警察に調査を手伝うように言われてここへ来ました。玄室を見せていただくことはできますか?」
「勿論です」 男は身軽に立ち上がった。「ああ、自分はドミニク・アンドレといいます」
「ミアレシティ大学からお越しになったんですか?」
玄室に通じる狭苦しい道を行きながら、シャーロックは問いかけた。割と大柄なアンドレは苦しそうに背をかがめつつ、「ええ」と短く肯定する。
「本当はシュート大学に行きたかったんです。でも試験に落ちてしまって。それでミアレシティに残っていたんですが、まさかこんな形で憧れの発掘調査に関われるなんて思いもしなかったですよ――それなのに……、」
「四年前に、マロン・テイラーという調査員が行方不明になった」
「…、はい」
アンドレは重々しい表情で懐中電灯を取り出し、奥を照らす。背筋を伸ばせるほどの天井高がある場所へ、私たちはようやくたどり着いていた。
「ドクター・テイラーは良い人でした。当時はまだ学部生だった俺を気にかけてくれて、分からないことは何でも教えてくれました」
「親しい間柄だったようですね」 シャーロックは言った。「ミイラ化した遺体の第一発見者は誰です?」
「それは、」 言い終わる前に入り口から「おい!」怒鳴り声が響く。「やばい、教授だ」
アンドレは面倒くさいと言わんばかりの顔になって、「すみません! 警察の方が来てて、現場を見たいって!」と叫び返す。
「……今の方は?」
「うちの教授です。ミアレ市立大学の……、いや、なんていうか、指導とかは悪くないんですけど。けっこう高圧的な人で」
「この奥ですか?」
勝手に玄室へ続く道の手前まで進んでいたシャーロックが、スマホのライトで奥を照らしながら言った。反射は無く、奥まで空間が続いているのがわかる。
「そうです。あ、気を付けてくださいね。足元があんまり良くないので」
「勝手に何やってるんだ」
眩しい光が私たち三人を照らした。口元をへの字に曲げた男は分かりやすく不満を表明している。
「警察の調査ならとっくに終わってるはずだ。何の真似だ? 冷やかしか?」
「まさか」 シャーロックは両手を上げて降参の意を示す。「僕は探偵です。玄室から発見された遺体について調べるのを手伝うように言われていてね」
「適当なことを」
「コルディエ先生」 アンドレが嗜めるように名を呼ぶ。が、ぎろりと一睨みされて委縮した様子で、「あの……、あ、いや、何でもありません。すみませんでした」
「コルディエ教授。今は一つでも多くの手掛かりが欲しいのです。この殺人事件を解決するためにも」 シャーロックは眩しそうに少し目を細める。「光で照らしても奥が見えません。随分と長い廊下の先にあるようですね」
「何が言いたい?」
コルディエはシャーロックの言葉に、少しばかり怒りを鎮めたのか――青い瞳に理知的な輝きを宿した。彼の言葉が興味深いと言いたげな表情に、もしかしたら彼はシャーロックを試しているのかもしれない、そう思う。
「この奥で発見された玄室とは、果たして本当に玄室なのでしょうか。もしもこの奥の空間が、見る者によって姿を変えるような性質のものであれば、僕らが入るとまた違う姿を見せるかもしれない」
「ほう」
コルディエは口元を歪めた。しかしどこか小賢しい学生を褒めるのが癪だ、と言いたげな顔に思え、私は確信する。
「探偵というからには、流石だな」
「光栄です。僕の推理は当たっているのですね?」
「その通りだ。……、確かに玄室の姿を見せるときもある。が、それ以外の時もある。荒野が広がっている時もあれば、左右反転したような……、ラテラルタウンの風景が奥に広がっている時もある。率直に言って、どれが正しい姿なのかはわからない。が、一つ確かなのは――ミス・テイラーは、確かに玄室で発見された。私は最初彼女だと認識できなかった……、古代人のミイラで間違いないと確信し、シュート大学のラボへと運んだ。年代測定とDNA鑑定をしてみるまでは、本気で古代ガラル人のミイラだと思っていた」
「……誰も疑問に思わなかったのですか?」 思わず詰るような声が出る。コルディエは「おかしな話だが」と前置きをして続ける。
「誰も、シュート大学の教員や、調査員でさえ。誰も指摘しなかった。ゾロアークが生み出す完璧な幻影を、皆で見ているかのように……誰も違和感を覚えている様子はなかった。……非礼を詫びよう、ミスター・ホームズ、ミスター・ワトソン」
「いいえ」 シャーロックは軽く首を横に振り、暗い奥へと視線を向ける。「しかし俄然興味深いですね。この奥に何があるのか……空間がどんな姿を見せるのか」
そう言って、彼は勢いよく暗闇の奥へ腕を突っ込んだ。
「……おい、シャーロック!?」
「成程。やはり明確に大きな空間がある。それも……かなり広い」
不安が顔に思いきり出ていたか、シャーロックはふっと微笑んで、「大丈夫だよ」と私を落ち着かせるように柔らかい声を出した。
「行こうか、マイディア。この奥に……何かいるようだ」
君と相棒たちがいれば問題ないだろう? との声に、私は白旗を振る。こうなったシャーロックは梃子でも動かぬことを、私は身に染みてよく知っていた。
「……何だ、この空間は」
三十秒ほど黒い空間を歩いたか――目の前に広がっていたのは、奇妙な街の風景だった。空を見上げてみる。どこかの街の風景が浮かんでいて、明らかに異様な雰囲気を持っている。
「空に浮かんでいるのは……、シュートシティか? それにこの周囲も」
「……様子がおかしい。警戒は怠るなよ」
私は腰からモンスターボールを手に取り、空中へ放る。ぽんと軽やかな音を立ててチルタリスが現れ、すぐに横で羽を羽ばたかせた。
風景そのものはベイカー・ストリートにも似ている。だが色彩と呼べるものは失われ、漂白剤であらゆる色を抜き取ったような――発泡スチロールでできた模型の中に迷い込んでしまったかのような、奇妙な感覚を覚える。私は背後の細い路地を覗き込んでみる。奥にはぐねぐねと歪んでいる出入口があった。あの黒い口が、先程私たちが入ってきた玄室と廊下の継ぎ目なのだろう。しかし玄室どころか! 街がひとつ廊下の向こう側にあるというのは、明らかな異常事態と言えた。
「どこかから屋根に登りたいところではあるな……空間全体を見たいが、……そうも言っていられなさそうだ」
シャーロックは建物の影から通りの向こう側を伺う。奥には――確かに何かがいる。ふわふわと浮いているそれは、棺――のように見えた。棺といえば、いくつか思いつく節はある。イッシュ地方のポケモン。デスカーンだ。ガラルにはデスバーンという、デスカーンの原種がいるが、ミイラという点で考えると、
「……あのポケモンがマロン・テイラーを殺めた犯人である可能性は?」
「マイディア。この空間は見る者によって姿を変化させる。僕らの意識がこの空間に影響を与えた結果、デスカーンが現れたのだとしたら……それは決して真実を投射しているわけではない。この空間は僕ら二人の思考を映す鏡に過ぎないよ」
「……待て。だとしたらマロン・テイラーはどうなる? もし彼女の遺体も、誰かの思考を反映した虚像であるなら、あのミイラ化した遺体は一体なんだ?」
「僕にとっても、そこが最大の疑問だ。仮に女史の遺体が、テイラー女史の願望……仮に、古代ガラル人のミイラを発見したい、という願望とするが……、それが歪んだ形で叶えられたものだとすると、これは事故ということになる。が、何者かが明確に意志を持って犯行に及んだという証拠が、あの遺体には残っている」
「……後頭部の外傷だな」
「素晴らしい理解だ」 シャーロックは楽しそうに笑った。「この空間は物凄く不安定だ。不安定であるなら、必ず安定させる方法がある。この空間を安定した状態にして調査することができれば、」
「……殺人事件の謎を紐解くことができる……、ミアレシティで起きているひずみの騒動が、この一件に関わっているかもしれない」
「その通り! さあ行こう、マイディア。――獲物が飛び出したぞ!」
……続く…?
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