来羅
2026-03-28 23:01:01
2346文字
Public トワウォ
 

会合(風信)

ワンドロライ第37回。




 給仕としての心得。
 給仕なんて仕事はただ料理を運ぶだけだと思われがちだが、そうではない。もちろん、温かい料理も冷たい料理も、素早く的確にサーブするのは第一の仕事だ。けれども給仕は店の顔。少しだけ口角を上げて、目尻は柔らかく、微笑むというほどではないけれども、真顔ではない──そんな店の顔としての重要な役割だってある。
「本日は朝市から良い魚が入りましたので、黄アラのポワレ、生ウニ添えをご用意いたしました」
 シェフの得意げなご高説のそばで、私は邪魔にならないよう影に徹して皿を並べた。
 今日の客はちょっと要注意な御一行様だ。
 見た目は普通。けれども滲み出る異様さはそう簡単に誤魔化せるものじゃない。たぶん、関わってはいけない類の、覚えられてもいけない人たちだろう。
 この店はそれなりの格式があるためか、政府高官や有力者たちに混じって、黒社会の重要人物たちの利用もままあったりするのだ。
 今日だってランチは警察関係者がその席に座っていた。ニアミスなんて絶対させないけれども、リスクはある。そんな点も含めて、緊張感はいつもの数倍だ。
「悪い、ちょっと休憩させて」
 従業員通路の端、私の持ち場にしゃがみ込んだ美丈夫がへらりと笑って見上げてきたのは、ポワゾンを並べ終えたあとのことだった。
「お客様、こちらは」
「ちょっとだけ。……駄目?」
 イケメンってずるい。
 小首を傾げる拍子にウェーブのかかった髪がさらりと揺れた。計算し尽くされた美しさは、きっと男もわかっている。
「お偉いさんとの会食って息が詰まるっていうかさ」
 ちょいちょいと指で呼ばれて腰を屈めると、悪戯めいた声が囁く。
「超高級すぎて料理の味もわかんねぇっていうか、ぶっちゃけ、雲吞麺の方が美味くね?」
 あまりにあけすけな愚痴に、思わず笑いがこぼれた。
 肩を竦める男はやっぱり自分の魅力をわかっているのか、甘やかされ慣れている態度は許されることを疑いもしない。男はカウンターから見えないように床に座り込むと、ちょっとだけ、と人差し指と親指を近づけてみせた。
 しかたがない。こういうことも、まぁ、ないわけではないのだけれども。
 もちろん穏便に席にお戻りいただくことが責務だ。が、正直なところ、黒社会の男の機嫌を損ねることは怖かった。
 いいよとも、駄目とも言えずに、素知らぬ顔で前を向いた私に、察したらしい男がサンキューとまた笑う。
「そこから客の様子見える?」
 返事をしない私にも構わず、男は歌うように続けた。
「背の高い、サングラスかけた、ロマンスグレーの超色男。いるでしょ。あれ、俺のボス」
 指し示す先、先立って給仕したばかりのテーブルにつく一行の中でもひときわ目立っていた男が、ゆっくりとワイングラスを傾けている。
 男の言う通り、他の客たちよりも背は高い。室内でも薄い色のサングラスを外さず、整えられたロマンスグレーの髪は紳士的で、顔のつくりもまた美しい。
 イケメンのボスもまたイケメンなんて、もっとずるい。
 思わず凝視してしまった私に、男はにたりと唇の端を上げた。
「見惚れちゃった?」
 そうではない。そうではないけれども、見惚れる美しさなのは確かだ。
「わかるよ。大佬ほどカッコイイ男はいないもんな」
 酒飲んでる姿もカッコイイ。
 フレンチなんて普段食わないくせに、マナーとかしっかりしてんのもカッコイイ。
 食ってる姿もカッコイイ。
 カッコイイ。
 カッコイイ。
 それに見た、さっきの。
「大佬が先に指洗わなきゃ、絶対ひとりはフィンガーボールの水飲む馬鹿がいたと思うね」
 惚れ惚れする、と男は甘ったるくべた褒めだった。酔っているのかもしれない。言葉に滲む甘さは、自分のボスを自慢するそれとはなんだか違う。
「なのに、あの人、こういう会合嫌いだからさ。今日も行きたくないってごねて連れてくるの大変だったんだよ」
 それはちょっと想像しがたかった。
 目の前で魚を崩さず綺麗に切り分けている男は涼し気な顔で、ごねる、なんて言葉は似合わない。
「あ、信じてないな? そーいうとこ狡ィよなー!」
 なんでも完璧にこなすように見えるんだから、と尖らせた唇が、けれどもすぐに締まりなく弧を描いた。
「ああ見えて、すっげーズボラだし、朝も弱いし、なんでもテキトーだし、気が短いし、今日のマナーだってすんげー事前にレクチャー受けてきてるし、計算苦手で領収書は出さないし」
 領収書?
 随分とまた似つかわしくない言葉だ。
 ふはっと笑ったイケメンは、それでも柔らかく目を細める。
「ま、そういうのは俺だけが知ってればいいことなんだけど」
 だからさ、と言葉を切った男は、またもやちょいちょいと指先で私を呼んだ。
 あまりに小さな声で言うものだから、辺りに視線をやって素早くその場にしゃがみ込む。
 なに、と顔を寄せれば、色めいた眼差しが鋭く射抜いた。
「あれは、俺のオトコだから、駄目だよ」
 ふっと耳元に息が吹きかけられる。
 ぞわりとした。
 ぞわりとした、のは、冷たいナイフの刃先が、いつの間にかベストとスカートの隙間に押し当てられていたからだ。
「駄目、駄目。嫌がってもごねても今日来たのは、これが結構大事な会合だからでさ。有能な右腕としては、ここで騒ぎにしたくはないわけ」
 すうっとナイフが肌を押す。切れてはいない。けれども、服は裂けたかもしれない。
「どうする? これでもまだ龍捲風のタマ取りに行く度胸、アンタにある?」
 剣呑とした瞳がゆうるりと細まる。笑みが深くなる。
 ベストの下、隠したナイフはそのままに、私は張り付いた喉にごくりと唾を流し込んだ。