2026-03-28 21:05:43
5151文字
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Soup to nuts

はたらく魔術師と食事に関する物足りなさの正体について

 特に会話もなく身軽な格好で黒鋼と小狼は借り家を出た。物音を立てぬよう、少年が普段より少々慎重に行動をしているのがわかる。その甲斐あって静かに施錠を済ませると、小狼は黒鋼を見上げて端的に言った。
「彼が言っていた店への道はおれがわかる。ついてきてくれ」
 特に異論もなく、黙々と歩き出した少年の隣を進む。元々お互い饒舌な性質ではない。外出の目的も明確で、夕食のため食堂兼酒場に向かうだけだ。
 いつもかしましい一人と一匹は、今出たばかりの借り家に残っている。最後に見た時と同じように、机に向かって作業に集中しているのだろう。少しばかり珍しい事態にはなっているが、現在滞在している国は豊かで争いもない。これまでの交流からも人々の呑気と言っていい気質が窺えた。道の向こうからはそれを示すような賑やかな話し声が聞こえてくる。街の喧騒とお互いの足音だけを耳にしながら、黒鋼は歩を進めた。





 己が生まれ育った国とも、少年が両親と過ごした国とも、あの砂漠の姫の国とも、そしてあの魔法生物が居た店とも随分異なる魔術師の言語。それがこの国に存在する一部の文献とほぼ同じだと分かったのは、ここへ降り立って数日後のことだった。
 黒鋼が都度その土地の酒を嗜むのと同じように、小狼も折に触れて知見を深めるためか、その土地の文化に積極的にかかわろうとしている。もちろんそこが平和な場所である場合に限るが。今回は仮住まいの近くに図書館を見つけたこともあり、モコナを連れ毎日のように通っていたようだ。土地柄、小狼の年齢では就労が困難だったのもそれに拍車をかけた。そして数日間紙という紙を捲っていたところ、古文書とも呼ばれるとそれが魔術師の綴る呪文にそっくりであると気づいたのだという。
 その話を聞いて目を丸くしたファイは、へにゃりと笑って「せっかくだから、一度小狼君と一緒に図書館行ってみようかなぁ」と言った。そもそも魔術師はこの国で日常的に使われている文字があらかた理解できるようで、当初から買い物が楽だと随分喜んでいた。黒鋼が突然放り出された国で翻訳なしに意思疎通ができたことがあるように、今までの経験を顧みても何もおかしい話ではない。
 黒鋼は出された夕食を咀嚼しながら、黙って彼らの会話を聞いていた。思えばあれが、この地でファイが作る食事を揃って囲んだ最後の日だったかもしれない。

 翌日の朝早くからファイと小狼は目的の図書館へ向かった。そこで魔術師たちが具体的にどのようなやりとりをしたかは定かでない。ただ陽が落ちたころ、借り家へ戻ってきたのは少年一人だった。わずかに疲れた顔で話し始めた小狼から、心配そうに耳を傾けているモコナと共に説明を受ける。
 彼の予想通り古文書、正確に言えば図書館に置かれたその写しは、あの魔術師の使う言語とよく似たものだったらしい。閲覧用スペースの片隅で声を潜め話していたところ、幸か不幸か偶然それを聞きつけた者が居た。館長を名乗る老人は穏やかに挨拶を済ませると、ファイにいくつか確認を取った。そしてそれが終わるころには、こちらが心配になるほど興奮しきりだったという。おそらく無意識に、小狼は一度ため息をついた。
 ファイたちは熱心な説得を受け、図書館から少し離れたところにある書庫へ案内された。適当にごまかせばいいものをなぜ素直についていく。黒鋼は思わず額を抑えた。
 館長の知人とやらに手厚く出迎えられた二人が、自分たちの状況と経緯を簡単に説明する。すると予想外の切実な訴えが返ってきた。滞在中だけで構わないので、翻訳の確認作業を手伝ってほしいのだという。確かに魔術師であればおそらく可能な依頼だ。
 知人であり学者だという彼曰く、解読できる知識を持つ者が居ないわけではない。だが残された文献に対してその数があまりに少なく、おまけにこの国において難解な言語とされているせいか翻訳どころかそもそもその言語を学ぶ者が少数らしかった。その点については黒鋼も同意する。魔法を使う魔術師にすっかり見慣れた今でも、あの呪文は理解できる気がしない。

 結局あの魔術師は懸命な説得を断れず、こういった方面に疎い自身にも破格だろうとわかる謝礼を渡されその依頼を受けることになったという。魔術師はその場に呼び出された同業者と共に、そのまま打ち合わせを始めたそうだ。
「『少し長くなるだろうし特に危険もなさそうだから、小狼君だけでも帰って』と言われてしまって……
「じゃあファイもちゃんと帰ってくるんだよね?」
「ああ、話が終わり次第彼らに送ってもらうと言っていた。夕食は先にみんなで食べていて、とも」
……面倒なことに巻き込まれやがって」
 思わず舌打ちが出る。素直に従うのは癪だが、いつ戻るかもわからぬ魔術師を待っているわけにもいかない。ひとまず今日は簡単に作った料理で食事を済ませることにした。ファイが大きな荷物と共に帰ってきたのは、小狼たちが寝室に戻る少し前のことだった。



 次の日からファイは持ち帰った分厚い文献に囲まれて、仕事に没頭し始めた。いつこの国を去ることになるかわからない状況がよりその傾向を強めているのだろう。こうして無駄口を叩かずに机に向かっている姿を見ると、あの雪の国で目にした幼少時の魔術師が思い出された。机の上に積まれた重厚な装丁は、門外漢の黒鋼からしても貴重な品だとわかる。
……こんなもん、身元も証明できねぇ人間が持ち出して大丈夫なのかよ」
「あはは、そう思うよねぇ。オレも『大丈夫ですか?』って聞いちゃった」
 魔術師が困ったように笑う。黒鋼の実感からしても、この国の人間が楽天的なのは疑いようがなかった。
「でも不思議なんだけど、この本たちからはわずかに守護の力のようなものを感じるんだよね。モコナもそう言ってたし」
「この国に魔法とやらはないんじゃなかったのか」
「そのはずだよー。普段過ごしてても魔力の感じはしないしね。ただここに住んでる人たちはこの本に限らず、なんとなくそういうのを受け取って暮らしてるんじゃないかなぁ」
 黒鋼には把握しかねるなんとも曖昧な話だ。ただそうであればあの能天気な性格にも多少の説明はつく、のかもしれない。眉を寄せ黙りこんでいると、不意にファイが声を上げた。
「あ、そういえば黒たん、お金足りてる?」
「いきなり人を甲斐性なしみたいに言うんじゃねぇ」
「わー呑んだくれ亭主さんが怒ったー!」
「誰がだ!」
 ファイの働きによって引き続き相当な額の報酬を得ていることもあって、ここ最近の暮らしでは完全に財布を握られていた。もっとも当人にそれを使う余裕がないために、自分たちも稼いでいるにもかかわらずまとまった額を有無を言わさず渡してくるのだ。実質的に養われているような格好になっているのが不服極まりない。
 初めは魔術師の作業を妨げないよう自室で一人にさせていたが、途中から自分の体質をいいことにすぐ食事を抜くことがわかったため、自然と誰かがそばに居ることが多くなった。少年から懇々と説教を受け神妙な顔をしている魔術師など、なかなか見られるものではない。小さく笑ったところをじっとりと蒼い瞳に見咎められたが、そもそも本人が悪いので黒鋼としては痛くも痒くもなかった。





 普段とはいささか異なった形式で暮らすようになってから、それなりに日々が過ぎた。今日は外で食事を済ませようと、ファイが仕事で知り合った人間から薦められた近所で評判の店とやらに向かっている。家に残るのは作業内容や日中の行動を鑑みて、モコナであることが多かった。
 小狼の先導により問題なく辿り着いた先で、ちょうど空いたばかりの席に案内された。二人で腰を下ろしそれぞれ注文する。人々で賑わう店内は明るく活気があり、話題になるのも頷けた。頼んだ料理は間を置かず到着したので黙ってそれらを平らげる。淡々と食事を終え、店の外に列ができはじめるのと同時に店を出た。
 味にも量にも文句はない。それでもどこか物足りなさを感じているのを黒鋼は自覚していた。そしてそれはおそらく、隣を歩く少年も同じだろう。

「二人ともおかえりー!」
 饅頭というよりは餅のように弾んだモコナが出迎える。居間に進むと、出て行ったときと同じようにペンを走らせる魔術師の姿が見えた。自分が書き記した一文を検めるように視線を動かしてから、顔を上げてこちらへ微笑む。
 机の上にはスープが一皿、そしてその受け皿にはちぎりかけのパンが乗っていた。スープは量こそ減っているが、既に湯気も立っておらず作業にかまけておざなりに食べていたのが察せられる。それでも自分で料理を作り、食事をしようとしているだけ随分とマシではあった。
「おかえり、ご飯おいしかった?」
「ああ、貴方が紹介されるのも納得だった。ただ……
「ただ?」
「おい、これなんだ」
「もう黒りん、今小狼君と話してるのにー」
「いやいいんだ、それより」
「黒鋼どうしたの?」
 子どもたちの疑問には答えずに、黒鋼は食卓に上がった覚えのないスープを指差す。ファイが細い眉を寄せて苦笑した。大きめに切られた野菜と薄紅色の魚の切り身が、白っぽいスープと一体になっている。上には魔術師がよく用いる色鮮やかな緑色の香草が散らされていた。
「えっと、セレスの料理なんだけど……。こんな作業してるからかなぁ、なんかふと思い出して食べたくなっちゃって」
 どこか気まずそうな素振りは、あの国にかかわる記憶を口にしているからに他ならない。
「おいしかったよぅ! まだお鍋にいっぱい残ってるの! おかわりしてもいい?」
 笑って頷き立ち上がったファイを引き留めて、黒鋼は問いかけた。

「食ってもいいのか」
……どしたの黒ぽん、ご飯少なかった?」
「いや。んでこれは食っていいのか」
「でもオレのところのスープだし、ほんと適当に作ったやつだし、あと牛乳もちょっと入ってるから、黒たんには合わないかもー」
 婉曲的な断り文句を並べるファイを無視して、突っ込まれたままのスプーンを手に取り口に運ぶ。煮込まれた具材を咀嚼し、スープと共に飲み込む。牛乳特有の臭みは感じられず、鮭に似た風味の魚を中心になめらかな旨味がする。長く火にかけられていたのか、大き目の具材も口の中でほろほろとほどけていった。
「食える」
 目を丸くするファイに向かって、ぞんざいに言い放つ。食べたことのない料理であるのに、どこか親しんだ味だと認識するのが、我ながら不思議ではあった。とはいえその理由は明白である。様子を見守っていた小狼も、一歩ファイに近づいた。
「その、本当に構わないならおれたちも食べていいだろうか」
「小狼君まで……。いいんだけど、やっぱりご飯足りなかった?」
「いや、美味しかったし量も十分だった。……ただそろそろ、貴方の作る料理が恋しくなったんだ。彼も同じ気持ちだと思う」
 瞬きののちわずかに潤んだ瞳が小狼に、そして黒鋼にも向けられた。発言を否定するつもりはないが、素直に伝える気もない。視線から逃れるように台所へ踵を返す。

「鍋温めてくるぞ」
「モコナもおかわりするー!」
「貴方の分も温め直そう。パンももう少し食べられるだろうか。事情はわかるがここに来てから食事量が減っているから」
「えっ、うん。というかオレ、今ものすごく嬉しいこと言われちゃった……!」
 勝手に頭上へ飛び乗った白まんじゅうが賑やかすだけなのはいつものことだ。結局全員で台所に立つことになってしまった。
 このところどこか青白い顔をしていた魔術師の頬が、うっすらと上気している。それを見てふと、久しくこいつと晩酌もしていないなと思った。酒自体を呑んでいないわけではないが、手酌ではさして興も乗らない。確か食器が並ぶ戸棚の下には、ここに来たばかりの頃に手に入れた酒瓶が眠っているはずだ。これといった機会もなくしまい込んでいたそれを持ち出し、未だふらふらと所在なく立っている魔術師に声をかける。
「おい」
「黒様」
「今やってるのは今日片付けなきゃならんもんじゃねぇんだろ」
「うん」
「呑むぞ、付き合え」
……うん!」
 大きく頷き居間に戻っていそいそと机の上を片付け始めたファイを見て、黒鋼は満足げに鼻を鳴らした。

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Soup to nuts:コース料理のスープからデザートまで、転じてなにからなにまで
ニライカナイの食事風景やHOLiC18巻での晩酌の様子など、お互いが隣に居ることに慣れきっている光景にぐっときます