おひつじ
2026-03-28 19:00:53
18621文字
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Gm7のラストソング

寺の息子、七竈慈苑(ナナカマドジエン)が呪われたリッケンバッカー相手に格闘する七日間。ClubPinQNoizで一瞬出て来ていたギター「りっちゃん」との出会い編です。

◆登場人物
・七竈慈苑(ナナカマドジエン)
本作の主人公。煩悩滅殺不可説転(ぼんのうめっさつふかせつてん)というバンドのリードギター。赤髪長髪。見た目に反して身持ちは固い。バンドはミツナリに呼び込まれて加入。作曲と編曲を担当。実家が寺。
・七竈慈照(ナナカマドジショウ)
慈苑の父で、寺の住職。
・六波羅ミツナリ(Vo)
煩悩滅殺不可説転のフロントマン。白髪に近い派手髪。割とぶっ飛んでる。楽譜が読めない。たまに作る曲がバズる。愛称はみっつん。
・八角ユージ(Dr)
温厚。黒髪ツンツンヘア。パーカーを愛している。ライブで急にアレンジをぶち込む。脅威のテンポキープでユージ様と呼ばれている。恋人募集中
・九谷ケイト(Ba)
編曲がうまい。愛称はけーちゃん。青髪ショート。酒をこよなく愛する。彼女が毎回変わる。

目が覚めたら、隣に爆美女が眠っていた。
おいおい嘘だろ、慌てて起き上がる。時計は6時と45分、朝の読経開始15分前を指していた。
えー嘘でしょ、俺そんな……不純異性交遊?
親父に知られたら殺される、仮にも寺の息子。武士は食わねど高楊枝、ならぬ仏門の五戒律のうち少なくとも三つくらいは自ずと守ってきたはずだ。ウソはつかない、盗みはしない、殺生はしない。ただ、酒と性的なことは……いや、まだ若者だから許してほしい、でもせめて誠実な行いは……ましてバンドマン下半身緩し、と言えど、俺に限っては硬派を貫き異性を一晩部屋に連れ込んだ、などと眉を顰められることはこれまで一度も……
「ね〜え おにいさん。お名前なんてゆうの?」
同時くらいに目を覚ましたのか、気怠そうに爆美女は俺に尋ねる。いやいや、君こそなんでここに。
とりあえず毛布をめくる。何事もない、はずもなく。一矢纏わぬ露わなお互いの裸体に「わー!?」と慌てて相手には毛布を投げつけ、己は側に落ちていた下着を手繰り寄せる。

「慈苑〜!!いつまで寝てるんだ!!!」
階下から親父の怒号。やばい、今日は檀家も来るから掃除をする約束だった。

「そっか〜、おにいさん、慈苑くんって言うのね〜」
うふふ、と美女は笑う。真っ白な肌と艶々の黒髪が眩しすぎて、いやちょっとこの四畳半の部屋には場違い過ぎます、なんかの間違いです。
「え、ごめん確認するけど俺、君に何もしてないよね?してないはずだけど??」
なんで尋ねてしまったのか。
「え〜ひどおい。あんなこともこんなこともしておいて?」
と、よよ、と泣くフリをしなから爆美女はそのたわわな胸を震わせ胸元に毛布を引っ張り上げる。
「ええ……マジで……
「そうよ〜、もう離れられない♡お前しか考えられない♡ってずっと首締めて激しくストロークして」
「わー!なんてことを!やめてやめて」
「しかも明け方まで何回も♡」
「神よ……
いやここは神ではなく仏だろうが。場違いのセルフツッコミをしつつこれが真実なら仏様に合わせる顔、1ミリもなく。

「慈苑ーーーッ」
足音をドスドスと響かせて階段を上がる音がする。
やばい、親父が部屋に入ってくる。
「はいはいはいはいはいはいおりますおりますおります!」
大声を出しながら、俺は慌てふためいて袈裟を身にまといつつ「とりあえず話はあとで、お願いなんだけど部屋から出ないで隠れてて、後で出すから……」と言いながら振り返ると、そこにいたはずの爆美女は忽然と姿を消し、代わりに古びた黒いリッケンバッカーがひとつ。

…………え?」

パコン、と上がってきた親父に後頭部をはたかれる。目をぱちくりさせる俺を一瞥すると、
……お前。昨晩『何か』連れ込んできたな」
親父は勘が鋭い。
「とりあえず、掃除」
「ハイ」
「水撒き」
「ハイ」
「読経」
「ハイ」
「後で話だ」
「ハイ」
その後は剣呑とした空気の中でそれらを淡々とこなすしかない。
最悪の日曜日の始まりだった──。


……
「いやー、本当に困る」
バンドのメンバーからのグループLINEが忙しなく動いているのを、線香の後始末をしながらようやく気づく。
「俺……昨晩の記憶が無いな」
記憶が無いから親父に何を尋ねられても要領を得ない。親父は俺が嘘をついていると思ったのか、はぐらかしていると思ったのか、ふと問い詰めることをやめ、「ちょっと気がかりだな」と言いながら翌日の挨拶回りと講話の準備に入ってしまった。
昨晩の記憶は消え去っていたが、幸いにしてこれまでの檀家さんのことや日々のお勤めの内容は身体が覚えていてくれたらしく、どうにかこなして冷や汗をかかずに済む。それよりあの布団にいた爆美女はなんだったんだ。今鎮座しているこの黒いリッケンバッカーは誰のギター?全く思い出せなくて、はてさて、そんなに酒でも飲んでいたか?

自室に戻り、傍のリッケンバッカーを眺める。
黒い塗装はまだら状に色が変わっていて、中央部へ広がるグラデーションの木目は褐色に変色している。今は流通していない、年代物と思われる。
ネックがかなり傷んでいて、12フレットあたりで折れている。乱暴なことに、ここから先ナットの近くまでを動物の脊椎のような異素材で接合してあり、この見た目がエレキギターを異形の生き物であるかのような魔改造感を与えていて、やや気味が悪い。
どういうわけか弦は外されていた。なんでこんなもん持って帰ってきてんだろ。

シャワーを浴びて着替えた後、グループLINEをのっそりと開く。ここでは自分が所属するバンド、「煩悩滅殺不可説転」のメンバー達がやり取りをしている。メンバーは六波羅ミツナリ(vo)、八角ユージ(dr)、九谷ケイト(ba)と俺の4人だ。
「おつかれ」とスタンプを一つ送ると、トーク画面が忙しなく動き出す。
「あ!慈苑やっと来た!」
「おーおっつ〜おつとめ?」
「ねえみっつんのデモ聞いた?俺手に負えないんだけど慈苑編曲できそう?も〜無理マジでトンチキすぎる〜」
「おい人様の自信作disんな」
一斉に飛び交うレスポンスの数々。俺はそこまで文字を打つのが早いわけじゃ無いから、ここまでの290件くらいのやり取りをざっと目を通しながら今の会話にどうにか追いつく。
「ごめん、その前に……。昨日の夜って俺どうしてた?」
え?」
「どうってお前」
「はあ?」
口々に困惑した様子のメンバー達。
「とりあえずお前通話繋ぐぞ」
「あ、うん」

携帯の通話をグループのFaceTimeに切り替え、慌てて髪を拭きスウェットに着替えながら応答する。
「で、覚えてないの慈苑」
開口一番、神妙な顔つきでケイトが尋ねる。編曲を手分けすることがあるので、ケイトとは1番よく会話をしているのだ。
「うん」
「えやば」
ミツナリはケラケラと笑い転げている。
「ウケる」
「昨日のライブは?」
同じく神妙な顔つきでユージが尋ねてきた。
「え昨日ライブだったの」
「そこから〜?」
3人は呆れた顔をする。
ミツナリがペラペラとまくしたてる。
「えっと昨日はノイズでオールナイトのイベントだったよ!ロージーさんとこと一緒にお呼ばれで行ったから、対バンで0時くらいから三曲。メインはサブカルクライシス、あとサプライズで確か
「ヴァイオレットヴァイオレンス。オレあそこのベースのスラップめちゃくちゃ好きなんだよな」
へー。ケイトてよそのバンドのベーシストに興味あるんだ。と、頓珍漢な感想が浮かぶ。
……思い出した?」
「いやなんも」
うわ引くわ〜〜〜、とミツナリはケラケラと大したことねえよとでも笑い飛ばすように続ける。このバンドはミツナリの弾丸おしゃべりで7割のコミュニケーションが成り立っている。
「ほんで打ち上げに誘われたけどオレらコミュ障やん?だって基本的に仏法パンクスネタで最近走り抜けてっからさ」
「知らんがな」
俺が加入してからの方向性変換らしいので、元の方向性をよく知らない。あと、ミツナリがコミュ障とも思えないが話が長くなるので黙っておいた。
「で、夜遅かったし挨拶もそこそこに撤収して、軽めにメシ食おうってなって近くのサイゼに行ったわけ。ほんでそこで
「同じくライブに来ていたファンの子3人組もそこで始発を待ってたんよ。みんな女子!アツくね??俺ら目当てで来てくれてたらしくて、嬉しくて握手とか写真とか応じてた」
淡々とユージが続ける。
「そうそう。ケイトが早速ラインとかどこ住み?とかやるから俺が引き剥がして〜〜」ミツナリがぺらぺらと再現し始め、ケイトが苦笑しつつ止める。
「いやその話はいいだろ」
目に浮かぶようだ。
「慈苑のファンだったらしいぞ、マジで覚えてねえの?」
「え、」
「だから連絡先聞いとけって言ったのに〜」
「ケイト」
ユージが嗜めつつ、話を繋げる。
「ほんでそのうちの1人がさ、お前に渡してたじゃん。ギター」
「あっ」
ようやくそこで話が繋がるわけか。ここまで長かった。
「いやそれ、そのギターのことで聞きたくて」
「?」
「朝起きたら」爆美女が隣にいた、なんて言ったら大騒ぎになる。少なくとも今言う話じゃ無さそうだと咄嗟に判断し、
「俺起きた時にギターがどうして部屋にあるのかも全然わかってなくて、ようやく合点がいったわ」
すかさずミツナリに突っ込まれる。
「マジでウケるどんだけ忘却してんの」
「そんなに酒飲んでたの?俺」
「いやいやいや、お前断ってたじゃん、酒」
冷静にユージが続ける。
「明日朝早くて実家の手伝いあるから今日はウーロン茶で〜て、ゆうてましたやん」
「ええ〜〜」
シラフ?シラフでファンの子からギター受け取ってたわけ?俺は……
「いやマジでごめん、わかった。じゃあこのギターは預かり物なんだな」
「は?」
ケイトが素っ頓狂な声をあげる。いい加減俺はどこまで記憶をなくしていたのか自分が怖くなってきた。
「そのギターの話結構怖くなかった?」
「うん俺も思った」
ユージとミツナリは顔を見合わせる。
「俺あんま聞いてなかったわ、ギャルかわい〜てなってたから」
「ケイトは黙ってて」
「あのな」
ミツナリは息を潜めて言う。
「そのギター、呪われてるらしいぜ」


話をまとめるとこうだ。
ライブの後ファミレスでファンの女の子3人組に出会う。そのうちの1人が本当は自分のお兄さんと来たかったらしいのだが、数日前にバイクで事故ってしまい病院に入院中。お兄さん曰く、ひと月ほど前に買ったギターがやばいかもしれない、慈苑さんに会ってもし話せたら相談してきてくれないか。そう頼まれて、思い切ってライブハウスに足を運んだ。
終演後出待ちしていたが俺らはそれより少し先に退出してしまっていたので、がっかりしてファミレスに寄ったら奇しくも俺らがいて、そこでこの件の相談をした、と。

お兄さんはくだんのギターを購入してすぐ、家の中で異音が響き渡ったり、アンプにすら繋いでいないのにコード(和音)が流れてきたりして、眠れない日が続いたらしい。
元々彼は俺らのライブに時々足を運んでくれていた。最近じゃもはやネタ扱いされてるが、ライブのMC中やメンバー紹介でミツナリから「ギター!ナナカマドジエン!寺の息子!」て吹聴されまくっているもんだから、本当にそれだけの理由で相談しようと思い立っていたらしい。
やれやれ、安直か。
その矢先の事故だったそうだ。不幸中の幸いは、バイクは大破したものの片足の骨折程度で済んだ事。ただ、本人はすっかり怖くなってしまったらしい。

俺自身は確かに実家の仕事柄、こういう相談にごくたまに遭遇することはある。ただ、そんなに大っぴらに受け付けているわけでもない。面倒やトラブルの原因にもなりかねないからだ。

「で、どうすればいいの?お祓い?」
「いえ。兄は怖くてもう持ちたくないと。お店に返そうと相談しに行ったらしいのですが、お店ももうシャッターが何日も降りたままで。このまま捨てたらもっとバチが当たるかもしれないし、できればお焚き上げとかの形で、処分してもらえませんか」

そういう会話をしていたらしいが、俺はその子の連絡先も聞かずに「わかった」と安請け合いをしてしまったらしい。やれやれ、なんてもんを背負い込んでしまったんだ。

「いやマジで話聞いてからだと怖く見えてくるよなって話してたんだよな」
ミツナリは流暢に話を続ける。
「慈苑、その後俺らより先に帰るわってタクってたし、まぁこんなの都市伝説?ネタだろって気にしてなかったんたけど」
うーん、とユージが唸りながら続ける。
「昨日の今日で早速お前が『このことを覚えてない』
てのが、割と怖いよな」
……そうだな」
見た感じそんなに大したことなさそうなんだが、と言おうかと思ったが、とはいえ記憶を無くしている手前もある。
メンバーがなんとなく心配する雰囲気を出し始めたので、手短に礼を言って、「お祓いなり何なり、うまくやるから」とその場はお茶を濁すことにした。

……
その後メンバーと何を喋ったかよく覚えてない。
おそらくはミツナリの送ってきた新曲のデモを皆で聞いて、アレンジの相談をしていたのだろう。次のライブまでに仕上げられそうか、とか、スケジュールなんかを通話の後のLINEのやり取りから察する。

問題はその後。
俺は寝たはずなんだが、翌朝目を覚ますとまた隣に爆美女が居たので「おい!」と声を荒げてしまった。

「おはよう♡慈苑くん♡」
……要件は何」
「ひどぉい。一晩散々寝かせてくれなかったのに、寝て起きたら冷たくするの?」
「お前が人間じゃ無いことはわかっている。去れ。さもなくば、」
枕元にあった錫杖(しゃくじょう)を素早く構え、首元に突きつける。
「除霊するぞ」
途端に、爆美女の笑顔がぐにゃりと歪み、ものすごい憤怒の形相に変わる。
「オン・クリカクリカ カカソワカ オン・クリカクリカ カカカソワカ」
激しく抵抗しようと掴みかかってくるが、片足でぐっと押さえつけ祓詞を唱える。
「ギイイイイ……ギギギイイイイイ」
女の姿だったそれは、男や獣やあらゆるものが混ざった奇怪な姿に目まぐるしく変わりながらもがいている。
こんなに禍々しいものに対峙するのは久しぶりだ。
いつもは一発で消えることが多い中、思いの外の抵抗に背中を冷や汗がダラダラと流れる。

 そのまま一気に除霊しようと札を取り出し、錫杖を握る腕に力を込める。チリチリと音がして、錫杖を怖がってコバンザメみたいに群がっていた低級霊が早速ぱらぱらと逃げ出した。雑魚どもは一息で吹き飛ばしてやる。空いた手で印を結び祓詞を呟く。ブワッと大きめの煤が二、三ほど、ギターのフレットの隙間から漏れ出して霧散していった。
もう一度。深く息を吸って祓詞を唱えようとした時、黒い煤の塊が腕のように伸びてきて首を物凄い力でグッと絞めてきた。

「え……通じない?」


「慈苑!」
親父の声でふと我に返る。
気がつくと意識を失い、倒れていたようだった。
隣で読経してくれていたらしく、くだんのギターはぐるぐるに宝布で塞がれ護摩札が貼られている。親父は勘は鋭いが人ならざる者がそこまではっきりと見えるわけではなく、また、厄除けはできてもお祓いができるわけでは無い。
「様子がおかしかったから来てみれば。取り憑かれたかと思ったぞ」
………大丈夫」
話を続けようとした瞬間、ぺしん、と軽めに横っ面を叩かれる。
「なんでこんなに危険なものを持ち込んだんだ」
親父は続ける。
「お前、昨日から様子がおかしかったぞ」
「え、」
「一晩中、部屋からギターの音がしていた。夜中は弾かない約束だったろう」
「えええ、俺弾いてないよ」
親父はゆっくりと首を振る。
「聴こえていたんだ」
……
「それにお前、歌っていたぞ」
「ええ?」
全く覚えがない。またしても、このギターの仕業なのか。朝まで何度もとは確かに爆美女にも言われたが、演奏していたってこと?
「一晩中誰かと話をしているのか、電話なのかわからないが」
……確かに通話はしていたけど、小一時間満たないくらい。その後は……
思い出せない。怖い。記憶の連続性を奪われることが、こんなにも恐ろしいとは。
親父は怪訝な顔をしながらリッケンバッカーに目をやり、眉を顰める。
「弦、外れているのか」
「そうなんだよ」
……いつものお前なら、この手のものなんてさっさと片付けるじゃないか。一体どうしたんだ」
厄介なことになってきた。
俺は生まれつき「そういうもの」が見えるし、聞こえる。物心ついた頃から虚空と会話していたせいで、親父には護身だけは徹底して叩き込まれた。宗派の壁はあるが、密教系の知り合いから祓いも教わっている。だからまあ、こういうことは慣れている――はずだった。

「うーん、そうなんだけど……どうにか手を打たないと」

一旦ギターをケースごと本堂へ移し、標縄(しめなわ)で囲った結界の中に安置し、日本酒や塩を四方に置く。これらは、中に居る「何か」から身を守りながら引き摺り出す時にしかやらない。
親父が読経で俺を護ってくれている間に、自前の錫杖を振りかざしながら祓詞を唱え、札をギターに貼る。なんとなく、このギターに入り込んでいるものを見極めようと心の目を凝らすが、ザワザワと頭の中に絶えずいろんな音が流れ込んできて、いかんせん霊視が効かない。効きそうな祓詞はギターのけたたましい残響音で悉く跳ね返されてしまった。

波乱の月曜日の幕開けだった。

………

「んー、それ、『夢遊病』みたいなものじゃ無いの?」
火曜の夜、スタジオにて。
この日は、来月のライブに向けた練習をする事になっていた。
機材を入れ替え直し、自分のエフェクターとベースに接続しながら、ちょっとだけ冷めたような顔つきでケイトが言う。
ちょうどミツナリはマイクの接続が悪いとシールドの交換を頼みに行き、ユージはスネアが割れてると気づきミツナリの後を追いかけて出ていったところだった。安スタジオは、人手も足りないので機材の確認が不十分のまま次の予約者への明け渡しが行われることが多い。
いきなり全員にこの話をすると気味悪がられるかもな、と判断してケイト1人のところを見計らい、自覚のないまま楽器を演奏していた件について打ち明けたのだった。
「んー。まぁその可能性も捨て切れないわな」
ごく一般的な冷静な反応なので、とりあえずは同意しておくことにした。何もかもを受け入れてもらうには無理が多いことは重々承知している。
「そだよ。慈苑、いくらそういう役回りだからといって
……
ふと黙りこくる。
俺、そんなに歌わないんだよな。基本的にボーカルはミツナリに任せてるわけだし。ギターを弾くのは好きだけど、難しいソロとかを弾くことに集中したいタイプで、歌にそこまで執心はない。
これらの言葉も一旦飲み込む。
……ごめんな変な話して」
「いやあのさ、俺も実は一個気になってることあんだけど」
神妙な顔をしてケイトは手を止めてから、「このLINEお前が送ってきたんだろ?」
と携帯の画面を差し出してきた。
そこには、ケイト個人宛に弾き語りの音源を特になんの説明もなく投げつけている俺のトーク欄があった。
「ン、何これ」
「お前これゆうべ、送ってきてたからさ」
「いや普通に覚えがない
……
自分のトーク欄を見ると、確かに昨夜の明け方ごろにケイト宛に音声ファイルを送信した履歴があった。
「聞いた?」
「うん」
「うわ恥ずかし」
「最初ギターの編曲できたよの連絡かなと思ったら全く違う曲だったからさ」
再生ボタンを押す。クリーンでほぼコンプレッションのかかっていないギターの音が響く。自分の音作りと違うので、既に混乱する。
『今でも 忘れない あの日のこと』
「えこれ俺の声??」
うーん、お前の声じゃねえの?とケイトが俺の顔を覗き込む。
『君の手を引き 走り抜けた 並木通り』
『日暮 陽炎 柔らかい風が』
「えなに、新曲?!?」
いきなり乱入するミツナリの声に、ケイトはびっくりして携帯を落としかける。
「珍しいな、慈苑が歌ってるの」
スネアを抱えたユージも、戻って来ていた。
『想い出ごと連れ去る』
………
まず俺がやらないジャンルのメロディやフレーズなので、ひたすらに困惑する。当然、メンバーも皆、「いい曲だけどお前こういうジャンルだったっけ?」と狐に摘まれたような顔をしている。
俺知らない。この曲歌ってるの誰?鳴っているのはあのリッケンバッカーなのだろう。確実に、自分の愛機のムスタングの音ではない気がする。
……はは、夢遊病、ですかね」
俺の茶化しに、ケイトは無言でうつむく。
ミツナリが言う。
「いや慈苑、良い声してんじゃん。こんな声出せるの?これだったら前の方向性やれるじゃん」
まー、今の方向性で気に入ってるから変えないけどさ、と言いつつ、ミツナリは硬直しているケイトと俺の顔を見て「えなに、どしたの」と慌てる。
……これ慈苑の声じゃない気がする」
ユージが眉を顰めて言う。俺もそう思う。
「じゃあ誰が……
大サビと思われるところで、唐突にスタジオの電気がプツンと停電し、真っ暗になった。
「うわっ」「こわ」「なになになに」「電気!」
ブレーカーが落ちたのかなんなのか、皆慌てて手元の自分の端末のライトを使う。
「神タイミングやめろし」「ビビるわ」
「お前誰」
不意打ちで尋ねられる。
「え?」
「お前誰」
「誰って……」「え今誰が喋ったの?」「俺違うよ」「俺も何も」
困惑してお互い声のする方にライトを向ける。
「うわ」「「……!」」「え??」
寺のお堂に置いてあったはずのリッケンバッカーが、そこに鎮座していた。
「うわーーーーー!」
全員の絶叫が響き渡る。

気づけば、俺1人じゃなくメンバーも巻き込まれ始めていたのだった。

…………
水曜の夕方。
俺はミツナリと一緒に、この前のイベントに呼んでくれたクラブピンクノイズというライブハウスに居た。
表向きはこの前出演させてもらったお礼の挨拶だが、別の目的があった。 

スタジオ練の時に突然現れたリッケンバッカーは、咄嗟に俺が寝ぼけて持ってきてしまったんだ、とうそぶいて皆を落ち着かせたが、すっかり練習ムードでは無くなってしまった。その日は皆でラーメンを食べ、取り留めもない話をしてそこそこに解散した。

親父とも話をした。実は月曜の夜から、自室とギターを安置しているお堂に暗視カメラを置かせてもらっていたが、確かにお堂に置いてあったはずのギターを、「自分の意志で持ち出した」ように見えるのだ。夜中に俺がムクリと起き上がり、電気もつけずに自室でリッケンバッカーを弾き鳴らしている様子も。弦なしなのにアンプからは音が出ていて、聞いたことのない歌声で歌をのせているところも。親父も懸念していたが、このままでは、俺がこのギターに「操られて」しまう。
寺の息子ゆえか生まれついての因果か、これまでもタチの悪い「なにか」に嫌がらせを受けたり、異様な出来事は無いわけじゃなかったが、割とすぐ祓えていた。しかし、今回はなんだか様子が違う。呪いのギターは俺の意志に反して何かを引き込んで周囲に影響を及ぼし始めている。

そんなこんなで、少しでもこのギターの手がかりを探す必要があった。一体どんな経緯で人の手を渡り、何があったか。

ミツナリに相談したところ、「古い機材や中古の楽器についてはこの前ライブやったノイズのオーナーさんが詳しい気がする」となり、繋いでもらうことにした。
「あそこって年代物の機材多くて面白いんだよな」と、ライブでもないのにミツナリの足取りは軽い。きっかけさえあればどこにでも突撃できる男なのだ。

ライブハウス、クラブピンクノイズのオーナーは丹波さんという、柔和なおじさんだった。レコード会社を早期リタイア後、趣味が高じて機材集めを始め、初めは小規模でDJイベントをやる程度だったらしい。それがだんだん置き場所がなくなり、自前のビルの地下倉庫を改造して本格的なライブハウスにしてしまった、スキモノかつツワモノだ。

丹波さんは言う。
「最近は中古の市場って冷え込みまくっててね。アンプや音響の機材なんてかなりジリ貧よ〜」と、レア機材だらけの倉庫やPA室を見せてもらう。「ふーん」と見学していると天井のライトが「ジジ」と点滅した。コホン、と小さく咳をするふりをして、物陰から俺らを伺う小さめの浮遊霊を追い払う。こういう狭くて暗くて埃っぽいところも、割と溜まりやすい。
「年代物のギターに強い中古店ってツテとかありますか?」とそれとなく尋ねる。
丹波さんはうーんとしばらく考えた後、「楽器ならむしろPAの若い子の方が詳しいかも」
と、奥で作業していた若者に声をかけた。
「おーい、サワラくん」
鰆くんと呼ばれた若者は、俺と歳が近いだろうか。長髪を一つに束ね、黒いTシャツ姿で「はい」とひょこっと顔を出すなり「あーこの前はどうもどうも」とミツナリと俺にぺこっと頭を下げた。
「なんかこの子達が話聞きたいって」
「珍しいすね、PAに用事て」
「や、すいません。音響ではなく楽器のことで」

怖い部分は伏せて、簡単に年代物のリッケンバッカーの話をする。しかし鰆さんの方が話が早かった。
「もしかして、あの黒い骨とツギハギのリッケンバッカー?」
俺とミツナリは思わず顔を合わせる。
「そう、これ今訳あって俺が管理してるんです。曰く付きらしいものの、細かいことはよくわからなくて」
撮ってあった画像を見せると「あー」とはいはい、といった感じで鰆さんは頷く。
「だいぶ特徴的だったから見覚えあるよ、うーん……数年前に出入りしてたバンドマンが持ってたような」
「え、その、知り合いだったり
「いや流石に出入りが多すぎて覚えてなくて。ただ
少し彼は何か言い淀み、思案している様子だった。
思い当たりそうな中古店を三件ほど教えてもらい、お礼を言ってそこを後にしようとすると、鰆さんからも声をかけてくれた。
「それ系の話、なんか気になるし思い出したら連絡するわ。あ、そうそう。またここでライブやってよ。君らの音楽、好きだよ」
「あざす!」
ミツナリが調子良く応じ、そのまま目星の中古店へと向かうことにする。ドアを開けて外に出る時、耳元なのか背後なのか、「お前誰」という声がまた、聞こえた。

………
木曜の朝。
俺はぼんやりと自室の布団の上で頭を抱えていた。

あの後、二件の楽器店に行ったものの大した情報は得られず。最後の一件はシャッターが降りていた。接触できない以上一旦諦めるしかない。
ミツナリと別れた後、帰宅したことまでは覚えているが、またそこからの記憶が無くなっていた。
もっとも、ここ数日は眠っている時に他人の記憶が夢のような形で入り込んでくるらしく、だから全く眠れた感覚にはならない。
関わった人がどんどん危ない目に遭うシーンを嫌というほど見てしまい、参ってしまった。これらは過去の持ち主たちからの悲痛な訴えなのか。はたまた、ここから先の予知夢なのか。夢と霊視は内なる声に耳を傾ける行為としてなんとなく似ている。ただ、傾けすぎると聞いて欲しい有象無象達まで『集まって』きてしまう。俺の場合、こういう夢を見だすと良くない傾向を感じる。霊だろうがなんだろうが、俺の精神力がダメージを受け始めているからだ。
これが、持ち主が言っていた『眠れない』の正体か……
こんな状態が続けば、まともに判断する方が難しいというものだ。

火曜日以降は無理やり祓おうと何度も祓詞ばかりかけていたから、相手からも強い拒絶を感じた。結界や親父の読経のおかげで無意識のうちにギターを弾くことは無くなっていたが、代わりに霊障が増え、部屋の中が荒らされたり、メンバーや友人らに意味不明なメッセージを送っていた。標縄の四隅に置いている日本酒は半日持たずにドブ色に変わった。

「なあリッケンバッカー……お前の望みはなんなのだ。お前は一体、何をそんなに恨んでいるのだ」

これ以上深入りしても危険だし、なんなら埒があかない気もする。そのままお焚き上げをしてしまおうか……と、一瞬思ったものの。
強引に断ち切ると、多分今度は跳ね返って俺自身の運命が影響を受けそうだ。

一縷の望みを賭け、お勤めの後静かにお堂から件のギターを持ち出し、裏の納屋へゆく。音作りをしたい時はいつも、この納屋で作業をするのだ。
標縄と塩でギターの周りに結界を敷き、少し読経をする。ケイトに送信した音声データをもう一度聴きつつ、きちんと弦を張ってやる。結界に入り、アンプに繋いでパワーコードを弾き鳴らす。こんなことは危険行為だ。しかし、他に手が浮かばなかった。気付けばいつの間にか音声データの歌詞を書き起こしてタブ譜に書き付けていた。
そうしてそのまま、耳で拾ったコードと合わせて弾いてみる。Gm7、C7、F……

目を閉じると、所々、砂嵐のようなノイズが入り込んで来てきて、朧げなイメージな流れ込んで来た。
よくわからないが、とにかく悲しい。心にぽっかりと大きな穴の空いたような、喪失感。
誰かの耐え難い後悔と寂しい気持ちが溢れてきて、気がつけば声を殺して泣いていた。

「慈苑、大丈夫か」
納屋の外から親父が声をかける。俺が1人でギターを抱えてここに入っていったので、心配で見守っていたらしい。外から絶えず読経してくれていたのだそうだ。お陰か、幸いにして、持っていかれすぎずに済んだ。
「親父、頼みがあるんだけど」
なんだ」
「もしかしたら、こいつの『声』、聴けるかも」


………
金曜の夜。この日は再びメンバーらとスタジオ入りした。
火曜の夜以来、メンバーらはあまり態度には出さなかったが、それぞれ居心地の悪さや不安を抱えていたらしい。ミツナリだけは普通に接してくれていたが、ユージもケイトもなんとなくよそよそしい。
だから俺がスタジオに愛機ではなくリッケンバッカーをケースから取り出した時は、皆それぞれがギョッとした顔をしていた。無理もない。
「ごめん、みんなに頼みがあってさ。少し説明させて」
……いやマジ冗談キツいって」
「ケイト」
ミツナリが嗜める。
「それよりお前は大丈夫なの」
ユージは心配そうに伺う。
……なんかめちゃくちゃやつれてないか」
「そうかも。手に負えなくて」
皆、静かに息を飲む。
「でも、一個だけ、どうしても皆に協力して欲しくて。この前のケイトに送ってた謎の音源あったじゃん。あれ、こいつで再現したくて」
ケイトが真っ先に口を開く。
「でもそれさ、もう一回聞いてもヘーキなもん?俺、初めてデモ聴いた時、めっちゃしんどくなったんだけど」
大丈夫。ちゃんと皆のこともお祓いするし。だから」
俺はスタジオのドアの向こうに向かって合図を送る。
「助っ人を呼んであるんだ」


……
土曜の昼。この日はクラブピンクノイズで再びライブの対バンが夜に控えていた。
PAの鰆さんから話があるらしく、ミツナリから連絡があり、メンバー全員でライブハウスに向かう。
「やあ、ごめんね。リハ前に時間もらっちゃって」
鰆さんも気になって中古店やツテのあるバンドマンに聞いてくれたらしい。
「出入りのバンドマンに聞いたら中古店のうち一件、今休業中らしくて。店主が店内で転んで入院中なんだってさ。それでお見舞いがてら会いに行ったら、そのギターの話色々聞かせてくれたよ」
やはりシャッターが降りていたあの店だったのか。
鰆さんは続ける。
「レア物人気モデルゆえ歴代持ち主が居たらしいけど、数ヶ月以内に手放されて戻ってきちゃうらしい。だから、あの店によく行く人達の間では有名だったらしい」
楽器店の店主も、こうも続くと流石に気味が悪く感じていたらしい。本人が返しにくることもあれば、家族や友達が持ってきたり。事情は様々だったが、破天荒なパフォーマンスでネックが大破し、カスタムされた状態で戻ってきた時は、いよいよ売り物にはならないとも思ったものの。なんだか不憫に思い値札をつけずに飾っていたらしい。ところが数日後、どうしても、ととマニアックなファンが購入していったと。
売る時に念のため、曰く付きであることは説明はしたらしいが。そして今に至るわけだ。
「不思議なことに、誰も廃棄処分にしないんだよな」
鰆さんは訝しがる。おそらくそれはこのギター自身が仕向けているのだろう。少しずつ辻褄が合ってきた。
「どうりで、ちょっとやそっとの除霊じゃ太刀打ちできない訳ですね」
俺は頷く。
「えっ」
鰆さん含め、その場にいた全員が俺を見る。
「除霊ってお前、お祓いしたんじゃなかったのか」
ユージが尋ねる。
「言っただろ、俺の手に負えないって」
俺も気になってたんだけど」
ケイトがゆっくり口を開く。
「『そいつ』、俺らと同じくバンドマンなんだったら、聴いてもらいたいんじゃねえの……、誰かに」
「俺もそう思う」
ミツナリも頷く。
「昨日のスタジオ練で聞かせてくれたやつ、演ろうぜ」
ユージが続ける。
「俺即興に近いけど、アレンジして叩ける」
「俺もベースつけといたぜ」
「え!」
「よっしゃ決まりだな。俺もサブギターとハモるくらいならできるから、メインリードはジエンが歌えよな!」とミツナリが背中をドンと叩いてきた。
鰆さんが言う。
「じゃ、セトリ一曲追加ね。音響なら任せてくれ」
「いやみんな、気持ちは嬉しいんだけど!」
ステージにこんなギター持ち込んで、何が起こるかわからないからだ。本当に……やるのか?あの曲を。お客さんを危険には巻き込みたくない……
「第一、アレを持って来てないし俺1人だと歌いながらは読経も難しいし」
「そんなこともあろうかと」
ミツナリが「慈照さ〜ん」と舞台袖に声をかける。ひょっこり見慣れた、親父の顔。片手にはリッケンバッカーの入ったギターケースを携えていた。
「話は聞かせてもらった」
「え、親父?!」
「六波羅くんから連絡をもらってね」
テキパキと塩と御神酒を準備しながら親父は腕を捲った。
「もう一息だ。慈苑、きっと上手くいく」

………
かくして順調にイベントは始まり、滞りなくライブは進む。
俺らの出番になる。舞台袖では、親父が静かに読経している。盛り上がる定番曲をやって、ホールの中の熱気が高まったところで、MCに入る。
ミツナリが口を開いた。
「皆さんこんばんは。煩悩滅殺不可説転です。メンバー紹介行きます!ボーカル六波羅ミツナリ!はい、ベース!九谷ケイト」
キャーッと女子ファンからの黄色い歓声が上がる。
「ドラム!八角ユージ」
ウオーッと男性ファンからの野太い声が上がる。間に小さく「ユージ様ー!」とコールがかかる。
「ギター!七竈ジエン」
男女混ざった、ワーともキャーともつかない歓声が上がる。しかし今日は喜んでいる場合ではない。
ここでいつもなら弾き鳴らすはずのムスタングを側におき、傍に隠していたリッケンバッカーを取り出し、マイクの前に居直る。
……今日はジエンくんから話があるって。みんな聞いてあげて」
ミツナリが俺へと繋ぐ。普段MCなんてしないから緊張する。聴衆は、俺が喋ることなんて珍しいから、こちらをじっと眺めている。意を決して深く深呼吸をして、聴衆に語りかける。
「えーと、皆さんこんばんは。今日は、この場を借りて聴いてもらいたい曲があります。とは言っても。このバンドの曲じゃなくて……。このギターの古い持ち主が作ってくれた曲です」
ジジ……ギュイイ……と、触れても無いのにギターが小さく音を拾ってハウリングしかけるのをそっと片手で塞いで止める。
「んと今俺らは訳あって、このギターの持ち主のことを調べてます。でもこの曲くらいしか、手がかりがなくて。もし聴いてみて、なんか知ってたら教えてもらえると嬉しい。……いや、そこまでしなくてもいいや。とにかく、こんな曲を作った奴が『居たんだな』って、ちょっとの間俺らと一緒に想ってくれるだけでいいや。それじゃよろしくお願いします」
パラパラと、遠慮がちな拍手が起こる。
ゆっくりと、ユージのドラムが始まり、ミツナリとケイトも演奏を始める。
俺は静かに深呼吸をし、Gm7から音を辿り始める。

『今でも 忘れない あの日のこと』
『君の手を引き 走り抜けた 並木通り』
『日暮 陽炎 柔らかい風が』
『想い出ごと連れ去る』

『さようなら』
『それすら言えないで』
『さようなら』
『笑った顔で手を振る』
『もう会えない』
『わかっていても』

『この時間だけは』
『どうか このままで』

『この時間だけは』
『どうか このままで』

目を瞑ると、その情景の中に俺はいた。
寝床で遭遇していたあの女性は、白いワンピースを身に纏い鍔広の帽子をかぶって、遠くで手を振っていた。柔らかな日差しの間を、少し冷たい風が通り抜けていく。握ったはずの暖かな手を、自ら離さなければならない。ああ、もうこの人とは逢えないのか。もう少し一緒にいたかったな。どうしてこんなことになったのだろう、なぜこんな選択になったのだろう。こんなことになるなら……
俺自身は何も知らないはずが、この作り手の耐え難い後悔と悲しみの気持ちが溢れてきて、声が震えないようにするので精一杯だった。
聴衆達は、固唾を呑んで見守ってくれていた。
弾いてるといつもは頭の中がザワっとするリッケンバッカーが、今日は大人しく感じた。

演奏を終え、そのまま残響音を繋いでエフェクターを踏みかえる。合図とばかりに、いつもの通り締めに演奏するアップテンポの曲に切り替わる。しんみりとした空気は一瞬でにぎやかさと熱気に溢れ、ライブハウスの夜は更けて行った。

…………
日付は変わって、真夜中。
無事ライブも終え、メンバーとも別れ、俺は親父と帰路についていた。

ぽつり、親父がこぼす。
……あれ、いい曲だったな」
……うん」
「いやお前らの曲も、初めてまともに聴いたかも」
「はは、そうだったな」
俺がバンド活動をこっそり始めた時は、随分煙たそうな顔をしていたっけ。なんとなく、ライブに呼ぶのは気が引けていたまま、ズルズルと何年も経過してしまった。
「よかったよ」
「ははなんか恥ずかしい」
……お前、良い仲間を持ったな」
「うんあのさ、親父」
「ん?」
「ありがとうな」
はは、と親父は笑って首をふる。
「世話の焼けるドラ息子だよ」

帰宅後部屋とお堂に置いたギターの周りに塩を撒き直し、今日くらいはゆっくり寝かせてくれよ、と祈るような気持ちで軽めに読経する。

さっきから携帯の通知が鳴り止まない。どうやら、さっきの演奏の様子がSNSで切り抜き拡散されて、それがバンドのアカウントでバズっていたらしい。
通知の多くが「こいつ、⚫︎⚫︎に似てね?」「この曲知ってる、懐かしい」というリプライと共に、古い写真が添えられたものがいくつも通知に来ていた。
画像を調べてみると、15年ほど前に活動していたらしい、インディーズロックバンドのギタリスト。髪色こそ真っ黒だが、髪型も背格好も俺とそっくりだった。当時の週刊誌も切り抜きが残っていた。どうやら、当時人気絶頂でメジャーデビューの声もかかっていたところで、メンバー内でトラブルがあり解散。ギタリストは女性関係のもつれから刺され、死亡したらしい。
このトラブルで発売延期のまま中止になったデビューアルバムの最後に「銀杏並木」という音源未収録曲があり、ファンの間ではこれがその曲なのでは、という噂のようだった。

軽くシャワーを浴び、寝床に入ろうとした瞬間、違和感に気づく。
……は?」
布団の上に、先客がいた。
「あら、おかえり♡」
あの爆美女だ。
……なんの用だよ」
「ひどぉい。あんなにあたしのこと弾いておいて」
……お前、女じゃないだろ」
「うふふ」
輪郭が揺らぐ。
次の瞬間、そこに立っていたのは——俺によく似た、黒髪の男だった。
……はぁ。いくら似てるからって、それやられると迷惑なんだよ」
ようやく表した本性に、いささかの安堵すら感じる。
「そう言うなって」
ケラケラと笑うその顔が、ふっと寂しそうに歪む。
……約束、してたんだよ……守ってやれなかったけどな」
男は顔も体も、血だらけでぐちゃぐちゃの姿に崩れて行った。こいつは轢死か、事故死か。
一瞬だけ、空気が静まる。
けれど次の瞬間には、また女の姿に戻っていた。
「アタシね」
ぐにゃりと首が傾く。
「黙って置いていかれるの、嫌なのよ」
ニコニコ笑いながら、ぐるん、ぐるんと頭を振る。
こっちの女は縊死か。首に、紐の跡がくっきり映り、頭がグラグラと揺れていた。
「お前があいつを刺したんじゃ無さそうだな」
「あら」
「愛した男を殺したなんて週刊誌の大嘘、うら若き乙女にはキツすぎたわ………真実はいつも塞がれて、目立つものだけが皆んなを楽しませるの。そして、すぐに忘れ去る」
自嘲的な語りに、何となく真相の輪郭を知る。
……
「バカみたいな夢追いかけてさ、勝手にいなくなって」
……あの曲、アイツのだろ」
ぴたり、と女のグラグラとした頭の動きが止まる。
「お前とのこと。悔やんでたから、作ったんじゃねえのか」
……
「なら、それで終わりでいいはずだろ」
沈黙。
次の瞬間、
——うるさい」
空気が圧で歪み、ズシン、と両肩に重さがのしかかる。
「全部、なかったことにされて、勝手にひとごろしにもされて、音源も消えて誰も覚えてなくて、……それで終わり?勝手に終わらせないでよ、ふざけないで」
髪が、スルスルと伸びてきて、ものすごい力で首を締め上げられる。
「アタシが全部、思い出させてやるのよ」
……っぐ……!」
息が詰まり、意識が遠ざかる。なんとか錫杖に手を伸ばすが、思うように届かない。
女は高らかに笑う。
「慈苑、あなたならできるでしょ。寄越しなさいよ、身体を」
クククククと楽しそうに俺の顔を覗き込む。美しい顔は、もはや修羅に成り果てていた。
——黙れ」
喉が潰れそうになりながら、吐き出す。
「そんなやり方で、あいつが喜ぶかよ」
……
「お前がやってるのは、ただの当てつけだ」
一瞬の、空白。
次の瞬間、締め付けが一気に強まる。
「うるさい うるさい うるさい!!」
このままじゃ、絞め殺される。首がミシミシと嫌な音を立てていて、気を失いそうになる。
その瞬間——なにかが、身体の奥で“入れ替わる”感覚に陥った。
……貸せ。一度だけだ)
——っ」 

身体を別の何かに乗っ取られたらしい。
咄嗟に、女の顔を引き寄せ、触れる。
そのまま——唇を重ねる。
何処からか、Gm7のコードがジャーン、と静かに鳴り響いた。
女はハッと瞳を揺らす。
閉じられていた唇は静かに応じ、冷たい舌を絡ませて来た。
静かな吐息が流れ、そっと離れる。
……りっちゃん』
自分の口から出したはずなのに、自分の声じゃない。もっと枯れたような、甘ったるい声。あの音源で聴いたような声だった。
……俺さあの曲、聴いてもらえて、嬉しかった』
女の目が、見開かれる。
……だから……そいつ、殺すなよ』
首を絞めていた力が、ふっと緩む。
……なんで」
女のかすれた声。
「なんで、あんたが……
強く絞められていた手が離れ、俺はそのまま床に崩れ落ちる。思わず息を荒げながら、喉を押さえる。
……は、っ……
目の前で、女はその場に座り込んでいた。
……聞いたろ」
声を絞り出す。
「俺じゃねえ。あいつの頼みだ」
……
「思い出させたいんだろ」
女は静かに泣いていた。
「やりたいなら、やればいい。ただし」
女はゆっくりと顔を上げる。修羅の顔は、元の顔に戻っていた。
「やり方は、こっちで決める」
……なに、それ」
「あいつの曲、弾いてやる。……少しずつでも、外に出してやる。その代わり」
錫杖に手をかける。
「現世のものに手ェ出すな。それを破ったら、その場で滅却する」
沈黙が流れ、しばらくして——
……ふふ」
女が肩を震わせながら笑う。
「なにそれ。命令?」
「契約だ」
即答する。
また、少し間があく。
……いいわ」
ジジ、ジジッと音を立てながら、女の輪郭が崩れ始める。
「その代わり」
声だけが残る。
「全部、弾いてもらうからね」
気づけば、そこにはもう誰もいなかった。
ただ、床に転がったリッケンバッカーだけが残っている。
その夜から、嘘みたいにぐっすり眠れるようになった。

…………
エピローグ

日曜の昼。
久しぶりに眠り過ぎた俺はけたたましい着信音で目を覚ます。親父の温情でせっかく朝のおつとめを免除させてもらったのに、何。

「起きろ起きろ起きろ慈苑、大変だ大変だ」
ミツナリが携帯の向こうで叫ぶ。
「FaceTimeに切り替えろ、慈苑」
「んえ〜 俺今全裸だから無理」
「なんか着ろ💢」
「んえ〜」
ぼやきながらFaceTimeに切り替えると、ファミレスに居る模様の3人がノートパソコンの画面を突きつけてくる。
「待って 何 見えないって」
「フォロワー!めちゃくちゃ増えてる!」
XもYouTubeも、一晩で50000人ほどのフォロワーを獲得していた。
「え」
元々1500人程度しか居なかったのだ。何があったのだ。
「昨日やった曲がバズってここに辿り着いた人たちみたい」
「あの古い曲知ってる人も知らない人も、なぜか気になって辿り着いたんだと」
「え〜〜」

そういうのもういいって。どうせすぐみんな飽きちゃうって。あれは俺らの曲じゃないんだしさ

そう言おうとしたら、横から白くて細い腕が伸びて来て布団の奥に引き摺り込まれる。たわわな胸元が下半身にギュッと押し付けられて、思わず携帯を放り投げる。
「うわ」
「慈苑くん♡よそ見しないで、次の曲弾いて♡」
「ふっざけんな 怨霊と寝る趣味は無い💢」

「慈苑💢💢お前女連れ?!??何してんだよ💢💢」
ヒスっぽく叫ぶミツナリと、びっくりしているユージ。
「そういう感じだったっけ、慈苑って」
ゲラゲラと笑うケイトの声が響く。
騒がしい中で、床に転がったリッケンバッカーの弦が、ポン、と小さく鳴った。

——やれやれ、解放してもらえるのはしばらく先になりそうだ。
最高にめんどくせえ日曜が始まった。

【了】