ねぶくろ
2026-03-28 17:58:52
3114文字
Public Skeb
 

失楽園には至らない

Skebにて納品した作品です。

「なかなか『リセット』されませんね~」
 先輩の、少し間延びした声がする。
 ムギ=オルコットは、瞼を持ち上げ、片方だけになった瞳で声の主を見返した。ムギの傍にしゃがみ込んでこちらを覗き込んでいる先輩、メイメイ=スウィフトを見つめる。彼はムギを見下ろしながら、「もしも~し、聞こえてますか~?」と白手袋に覆われた手を目の前で振って見せた。
 かすかに頭を揺らしてそれに頷き、次いで口を開く。「あまりに大きな損傷なので、『リセット』までは時間がかかるのでしょう」と、──紡いだはずの言葉は声にならなかった。代わりに、ヒュウ、と喉の隙間から息が零れる。ムギがわずかに顔をしかめれば、メイメイは笑いながら、「ムギさん、喋れてないですよ」とこちらの頬をつついた。
「大きな怪我だから、時間がかかるんでしょうか? いずれにせよ、その状態じゃあしばらくは何もできませんね」
 彼は自身の膝に頬杖を突いてこちらを眺めながら、笑いを含んだ声を発した。両の瞳が真っすぐにムギを見ている。観察している、と言い換えてもいい。いつだったか、「趣味はムギさん観察」などと言っていた彼の言葉を思い出し、呆れに似た感情が去来する。
 ムギが返答できないことを気に留める様子もないまま、メイメイは「そういえば、」と一方的に言葉を続けた。
「ムギさん、聖書って読んだことありますか? 面白いですよ、聖書。神様についていろんなことが書いてあります。その中に、僕たち死神は出てこないって、知ってました?」
 面白いですよねぇ、と彼がいつものように声を弾ませる。メイメイは目を細め、酷く楽しそうに口角を持ち上げて、千切れたムギの胴体を見下ろした。生きてなどいないのに、大きな傷口からはまるで死にゆくように真っ赤な血が溢れ出ている。無残に抉れた患部に指を触れ、「痛いですか?」と彼が首を傾げた。痛いはずがない。ムギが首を横に振れば、メイメイは弾けるような笑い声を返した。
「そうですよね。僕も、怪我をして痛いと感じたことはありません。当然ですよね~。死神が死ぬはずはありませんから! 死なない者が、『怪我』をするはずがありません」
 ひどく今更なことを言う。ムギが訝しむような視線を返せば、彼はにこやかとは言い難い、どこか酷薄な笑みを浮かべて小首を傾げた。
「でも、不思議だとは思いませんか? どうして死なないはずの僕たちにも、血が流れているのか。痛みはないのに、なぜ負傷をするのか」
 問われて、考える。
 死神に命はなく、心臓も動いていない。否、心臓という機構が自身の内部に存在するのかさえ、疑わしい。もしかすると、この体の中には何も詰まっていないんじゃないか、という気もする。にもかかわらず、死神は怪我をする。──正しくは、血を流す。
 しかし、先にも言った通り、死神に『死』は訪れない。どのような怪我を負おうとも、人間や他の生き物のようにそれが死をもたらすことはなく、痛みを感じることもない。欠損は、時間の経過や生気を摂取することで回復していき、いつかは『リセット』される。それが死神の肉体だ。
 また、死神たちは基本的に人間の目に映ることはないが、自然物からは干渉を受ける。雨に打たれれば濡れるし、目の前で爆発が起きれば体が千切れる。食事を摂れば味を感じるし、真夏の日差しを受ければ汗をかく。──だけれどなぜか、『死』だけは訪れない。
 考えてみれば確かに、不思議なことだ。なぜ、死神には死だけが訪れないのだろう。死ぬことがないのなら、同様に負傷をしない体であっても良いはずだ。死神に命はなく、心臓の音は聞こえない。それだというのに、この体には真っ赤な血だけが流れている。
 不思議に思ったムギの表情を読んでか、メイメイは左右で色の異なる瞳に好奇心を浮かべて、言葉を重ねた。
「不思議ですよね。そもそも、どうして僕たちは、聖書には出てこない死神という存在を知っていて、自分自身を『そう』だと認識しているんでしょう?」
 いつになく哲学的なことを言う。
 珍しいですね、先輩がそんなことを言うなんて。──そう返すはずだった言葉は、ヒュウと空気が漏れるような音となって喉の隙間から零れ落ちた。まだ『リセット』が掛からない。ムギはため息を吐きたい気分で瞬きをすると、メイメイを見つめた。唇だけを動かして、言葉を返す。
『先輩は、なぜだと思いますか?』
 その言葉を読み取って、彼が「さぁ? わかりません」と肩を竦める。メイメイはムギの傷口に触れていた指先を地面にこすりつけ、血で人の形を描き始めた。ジンジャーブレッドマンのような、やけにふわふわと丸い輪郭。彼は描いた人型を指さして、言った。
「どうして僕たちは人の形を模しているんでしょう? 魂を回収するだけなら、どんな姿でも問題はありませんよね?」
 それこそアップルパイの姿でも! と彼が笑う。体がアップルパイになってしまっては、満足に動くことも出来ないだろう。ムギは呆れながら、『せめて動物でなければ、仕事が出来ません』と唇を動かした。ふむふむ、と唇の動きを読んだメイメイが頷く。
 指先だけが鮮血に染まった白手袋を顎に当て、メイメイが考え込むような仕草をした。
「確かにそうですね~。じゃあ、動物であれば形は何でもよかったのかもしれませんね。……あ!」
 メイメイが何かを思いついたように声を大きくする。嫌な予感を感じて、ムギは彼を見つめた。メイメイがからかうような笑みを浮かべて、ムギを見返す。
「もしムギさんが本当に人間だったら、『リセット』なんてされずにこのまま死んじゃいますね。ね、ムギさん。もしもこのまま『リセット』なんてされなかったら、どうしましょう?」
 問いかけの中身に反して、声も顔も笑っている。メイメイは面白がるような視線をこちらに注いで、ムギの反応を待っていた。観察されている。ため息を吐きたい気持ちになりながら、『私は人間ではありません、そのうちリセットされます』と言葉を返す。
 彼は唇を読むと、つまらなさそうに「もしもの話ですよ」と息を吐いた。
「実際、なかなか『リセット』されないじゃないですか。アップルパイばっかり食べてるから、死神の国から追放されちゃったのかもしれませんよ?」
 アダムとイヴみたいに、と言いたげな眼差し。重ねられた問いかけに、ムギは片方だけになった視線を回復の遅い体へと向け、──このまま『リセット』されない可能性について思案した。
 声が出せず、目は片方で、足もなく、身動きの出来ないままここに倒れ伏して明日を迎える。朝が来るまでここにいて、夜が来てもまだここに倒れていれば、いずれ野犬なりなんなりがやって来て、餌にされるかもしれない。そうなれば、いくら死神といえども無事では済まないのではないか?
 死ぬことが出来ない身で、体のすべてをバラバラにされたらどうなるのだろう。そうなるより先に『リセット』が掛からなければ──、想像をして、目を瞑る。
 ムギは思いついてしまった最悪の事態を振り払うように息を吐いてから、瞼を持ち上げた。こちらを見下ろしている色違いの双眸を見上げる。にこにこと、いつも通りの上機嫌な笑みを浮かべる彼に向け、ムギは言葉を返した。
『寿命を時計に喩える人間がいますが、死神は初めから針のない時計を持っているようなものです。……初めから壊れているのに、壊れた時のことを心配する必要はないのでは?』
 ムギの言葉に、メイメイが目を瞬く。彼は笑みを浮かべると、それは楽しそうに声を弾ませた。
「やっぱりムギさんは、面白いですね」