ポほ
2026-03-28 06:09:28
12741文字
Public 跡取り息子、やめました!?
 

昨日より、少しだけ

りやめ二学期編第13話

 翌日。宗真は何事もなかったかのようにセーラー服で登校した。
昨日の出来事が嘘だったかのように、制服のスカートはいつも通り足にまとわりつく。
 冬の朝の空気はきんと冷えていて、吐く息が白くなる。通学路にはいつもと変わらない景色が広がっていたが――宗真の視線は、無意識にある人物の姿を探していた。
 しかし、通学路ではヨツダを見かけなかった。
(肝心な時にいねえし朝練とかか?)
 少し拍子抜けしたような気持ちのまま、宗真は校門をくぐる。そして学校に着くと、心配したちなつやゆきがすぐに話しかけてきた。
「おはよう。昨日は大丈夫だった?」
「今年の風邪長引くらしいから心配したよー」
 宗真は一瞬だけ言葉に詰まる。昨日の男に戻った件を思い出しそうになったのを、無理やり笑顔で押し込めた。
「まあなんとかな。鍛え方が違うんだよ!」
 そう言って胸を張る。もちろん本当は、風邪どころの騒ぎではなかったのだが。
 そしてそれは、後ろの席のニヤついたこの男からも向けられた。
「宗真くん、良かったな、女の子に戻れて?」
「え?赤星くん、どういうこと?」
「な、なんでもないってば!」
 宗真は慌てて声を上げる。嵐士は面白がるように肩をすくめるだけだった。
(それより、新倉さんとヨツダのことが気になる
 頭の中を占めているのは、昨日見た光景だった。放課後の廊下。ヨツダと、新倉が話していたあの場面。するとちょうどその時、教室のドアが開いた。
 新倉が登校してくる。
「に、新倉さんっ!」
 思わず声をかけると、新倉は少しだけ驚いたようにこちらを見る。
「月城、おはよ」
「あのさ、昨日一組の吉田と話してなかった?」
(吉田って言うの、なんかくすぐったい)
「うん、ちょっと話したけど」
 さらっとした答えだった。
(何話してたのって聞くの、怖いな……
 聞けば何かが変わってしまうような気がして、宗真はそれ以上踏み込めない。
「つ……月城こそ、用事はそれだけ?」
「うん……
 短い返事。会話はそれで終わってしまった。新倉は自分の席へ向かう。
(じゃあ、吉田くんが言ってたのって何だったんだろう?あんまり気にしなくていいのかな?)
 新倉もまた、少しだけ引っかかるものを胸に残したまま、席に鞄を置いた。
 冬の朝の教室には、まだストーブのぬるい空気と、どこか落ち着かない沈黙が漂っていた。

 宗真は次の休み時間に、一組へ駆け込んだ。廊下の窓から差し込む冬の光がやけにまぶしい。息を切らしながら教室を見回すと、目当ての姿はすぐに見つかった。
 ちなみに海成は日直の仕事なのか、教室にはいなかった。
……何の用だよ」
 机に肘をついたまま、ヨツダは面倒くさそうに顔だけこちらへ向ける。
「あのさ……昨日、新倉さんと何か話した?」
「え、なんでそれを……
 一瞬だけヨツダの表情が固まる。
(注意してたつもりだけど、結局見られてたか……
「もうお前のせいでなぁ!昨日大変だったんだからな!」
「話が見えないんだけど……?俺関係ある?」
「だってさ、昨日いきなり男に戻ったんだぞ!?」
「え、なんで?」
 あまりにも素直な疑問だった。宗真は一瞬言葉を失う。
……こっちが聞きてえよ」
 小さく肩を落としてから、宗真は続けた。
「まあ何話してたかは聞かないけど、さ……
 そこまで言うと、宗真は急に言いにくそうに視線を逸らした。指で自分の髪の毛の先をくるくるといじりはじめる。
「まさかお前、新倉さんのことが好きとか言わねえよな?」
「は?」
 思わず素の声が出た。
(こいつ、そんな斜め上の誤解を……
「違えよ。……宗真いるかなと思って、適当に声かけただけ。櫻井も藤枝もいなかったし」
 一拍だけ間を置いて、そっけなく付け足す。
(ってことにしとこ)
 すると――宗真の口角が、目に見えて上がった。
「そそっかー!お前オレのこと探してたんだ!?あんな真剣な顔で!」
 一瞬で機嫌が良くなる。
「オレってばほんと愛されてるな?てかお前、オレなしじゃ生きられないんじゃね?」
 腰に手を当てて、完全に調子に乗った顔で言い放つ。ヨツダにとっては当たらずとも遠からずなのだが、いきなりここまで自信満々に言われると、さすがに反応に困る。
「何いきなり自惚れてんだ?お前……
 呆れたように言いながらも、ヨツダは小さくため息をついた。
――けれど内心では、今の言葉を完全には否定できない自分がいることに、少しだけ苦笑していた。

(あれ、でもなんでこんな嬉しいんだ?)
 さっきまで宗真の胸の奥をもやもやさせていた不安が、いつの間にかすっと軽くなっている。理由はよくわからないけれど、とにかく気分は悪くない。
「それで、新倉さんのことは誘ったのか?」
「実は……まだ」
「え?」
 宗真は少し気まずそうに頬をかく。
「だってお前と新倉さんが話してんの見ちゃって、てっきりお前の本命がそっちなのかと思って心配してさ。新倉さんにも朝話しかけたけど、そのこと聞くの怖くて誘うどころじゃなかったんだって!」
 早口で一気にまくしたてる。
「そ、そうか……なんかごめんな、誤解させるようなことして」
「ほんとだよ!昨日は男のまんまセーラー服で早退したし散々だったよ」
 思い出しただけで顔が熱くなる。上着のフードを被っていたとはいえ、セーラー服に身を包んだ男の身体のまま早足で帰るときの気まずさといったらなかった。
「にしても、なんで戻ったんだろうな?」
「それ昨日嵐士にも聞かれた!」
「なになに、ボクの話?」
 突然、背後からぬっと顔を出す声。
「うわ出た!なんでお前まで一組に!?」
 振り向くと、いつの間にか嵐士が机に肘をついてこちらを覗き込んでいた。にこにこと、やけに楽しそうな顔だ。
「えー?昨日の今日やから宗真くんのこと心配するん当然やんか?
てか今ボクのこと名前で呼ぶとこ初めて聞いたわ!もっと呼んでもええで?」
 わざとらしく胸に手を当てて嬉しそうに言う。
「誰が呼ぶか!」
 宗真は思わず顔をしかめた。さっきまでヨツダと真面目な話をしていた空気が、すっかり台無しである。
 ヨツダはというと、面倒くさそうに二人のやり取りを眺めながら、机に頬杖をついた。
……なんでこいつまで来てんだよ)

 嵐士がふっと身を寄せ、宗真にだけ聞こえる声で耳打ちした。
「その様子じゃ、結局誤解だったみたいやね?」
「うん!良かったよほんと。これでいきなり女に戻るとかの心配しなくてよくなったしな」
 宗真はほっとしたように笑う。昨日の出来事が嘘みたいに、肩の力が抜けていた。
「で、どっちに妬いてたかはわかったんか?」
 その言葉に、宗真は一瞬だけきょとんとする。嵐士の視線の先には、何事もない顔で机に肘をついているヨツダ。そして、廊下の向こうには同じクラスの新倉の姿。
 新倉と話すヨツダか。ヨツダと話す新倉か。嵐士が言いたいのは、そういうことだった。
「そんなん……どっちもだろっ」
 少しだけ頬を赤くして、ぶっきらぼうに言い返す。
(なんだこいつら、人の席の前でコソコソ話して……
 当のヨツダは、目の前でひそひそ話をされていることにうっすら気づきながらも、内容までは聞き取れない。
 ただ、妙に楽しそうにしている二人を、なんとなく不審そうに見ていた。その時、廊下に本鈴前の予鈴が鳴り響いた。
「やべ、戻らないと」
「ほな、またな吉田くん」
 ひらひらと手を振りながら、嵐士と宗真は一組の教室を出ていく。二人の背中が廊下の向こうに消えるのを見送ってから、ヨツダは小さく息をついた。
(あいつ、新倉さんのことほんとに誘う気あるのか?)
 さっきの様子を思い出すと、どうにも頼りない。窓の外では、冬の薄い日差しが校庭を白く照らしていた。その光をぼんやり眺めながら、ヨツダは何となく落ち着かない気分のまま、頬杖をついた。

 昼休み。宗真はいつものように、ちなつやゆきと机をくっつけて給食を食べていた。そんな中ちなつが切り出した。
「そろそろクリスマスだけどさ、二人ともなんか予定あったりするの?」
「んー、私は空いてるけど」
 ゆきはスプーンをくるくる回しながら、少し考えるように視線を上げる。
(ちなっちゃんと二人きりか、宗真も入れて三人で過ごせたら楽しそうかな)
「宗真は?吉田くん達となんかあったりする?……それとも、次の新月狙って案外女の子と過ごす、とか?」
「は、はあ!?まだなんも決まってねーよっ」
 思わず声が大きくなる。慌てて周りを見回してから、宗真は少し声を落とした。
「あ、でもちょっと気になることあってさお前ら、イルミネーションとか好き?」
「あ、もしかして光のページェントのこと?定禅寺通りの!今年も始まったってテレビで見たよ。あたしは行ったことないけど綺麗でいいと思う!」
「毎年すごい混むらしいよねー。私も好きな人と行けたら素敵だなって思う」
(ちなっちゃんと、とかね)
 その言葉に、宗真は思わず箸を止めた。
「そっか。女子はやっぱそういうの好きなのか……!」
「何その言い方。まさかあたしらと行きたいとか?」
「え、えっと……嫌じゃないけど、お前らとは普通にクリスマスパーティーとかしたいかな。ケーキとかチキン食べてさ」
 少し考えるように視線を泳がせてから、ふと思いついたように言う。
「そうだ、うち来いよ!きっと姉ちゃんズも大歓迎だろうし」
(あ、なんか話の流れで関係ない約束を
「マジ!?宗真の家って行ったことないから楽しみ!」
「確かに、お姉さん達にも挨拶したいよね」
「じゃ、クリスマスはうちで女子会ってことで!」
 勢いのまま、そんな約束が決まってしまった。二人はすっかり乗り気で、ケーキはどうするだのプレゼント交換しようだのと盛り上がり始めている。
 その様子を見ながら、宗真はふと我に返った。
(いや、ちなゆきと遊ぶのは全然構わないけど……オレがしたいのはこんな約束じゃないだろ!?)
 スプーンを握ったまま、宗真は心の中で頭を抱えた。窓の外では、冬の青空の下で校庭の木々が冷たい風に揺れていた。

 次の休み時間。宗真は、自分の席でぼんやりと窓の外を眺めていた。冬の空は高く澄んでいるのに、胸の中はどこか落ち着かない。
 ふと、昨日の嵐士の言葉が頭をよぎる。
「宗真くんってどっちに嫉妬してるんやろうね?」
 あの時は流したつもりだった。けれど、その直後――自分は女の身体に戻った。
 ということは。本当に誘いたかったのは、新倉ではなく――吉田樹なのだろうか?
 彼のそばに女の子として立つことを、自分は望んでいるのだろうか?胸の奥が、少しだけざわつく。
 確かめるには、簡単な方法がある。昨日、宣言した通り。新倉を誘えばいい。
――大丈夫だ。ヨツダと新倉さんの間には、何もなかったんだから。
 そう自分に言い聞かせるようにして、宗真は立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響く。そして、そのまままっすぐ新倉の席へ向かう。

「新倉さん!」
「どしたの?改まって……
 突然呼び止められて、新倉は少し不思議そうに首をかしげた。
「『光のページェント』って興味ある?」
「ああ、あの定禅寺通りの?テレビでしか見たことないから、いつかは行ってみたいとは思うけど……
 宗真は一瞬だけ言葉を飲み込んでから、意を決したように続ける。
「あのさ。今週の土曜日って空いてるかな?」
 新倉はスマホを取り出し、予定を確認する。
「うん。塾もないし暇だよ」
 その言葉を聞いた瞬間、宗真の心臓がどくんと大きく鳴った。
……良かった。一組の吉田ってやつと、オレと……あともう一人の女子と新倉さんの四人で見に行かない?」
 少しだけ言い淀みながらも、なんとか言い切る。
(吉田くんが言ってた約束ってこれかなんか必死な感じしたし、断る訳にはいかないよね)
 新倉はほんの少しだけ考えてから、やわらかく笑った。
「うん、いいよ。楽しみにしてるね」
「ほ、ほんとっ!?」
 ぱっと顔が明るくなる。
「あとさ、その日ってオレたぶん男の日だと思うけど、大丈夫だよね?」
「別に気にしないよ。月城は月城……でしょ?」
 さらっと言い切るその言葉に、宗真は一瞬胸を打たれる。
(新倉さん、優しい……!)
 思わず感動しかけて――
(ん、でも正直オレのことは男として見てほしいような気も?)
 ほんの少しだけ、引っかかる。
 けれど。とにもかくにも、約束は取り付けた。宗真は自分の席へ戻りながら、口元を緩ませる。
(やったー。次の土曜日が楽しみだぜ)
 まるで某恋愛シミュレーションゲームの主人公のような、どこか浮かれたモノローグが頭の中に響いていた。

 そして宗真はその勢いのまま一組へ向かい、ヨツダの席へと一直線に乗り込んだ。
「おい、誘えたぞっ!」
「よ……良かったな」
 一瞬だけ目を丸くしてから、ヨツダは短くそう返す。
(これで当日は俺がさっさと現地解散すれば……丸く収まるな)
 内心では、すでにその後の立ち回りまで考えていた。

 そして、放課後。昇降口。
 この時期は冬至前で日が短いため、その分部活の終わりも早い。授業のコマ数によっては、活動がほとんどない日もある。外はすでに薄暗く、校舎のガラスに夕方の空が鈍く映っていた。
 ゆきと例のパーティについて話していたことで少し帰りが遅くなった宗真は、昇降口でヨツダを見かけたので声をかけた。
「あれ、もう帰り?部活は?」
……こんなに暗かったらボール見失うだろ」
「そっか!じゃ一緒に帰ろうぜ」
「ああ……
 並んで校門を出る。冷たい空気が頬に触れて、思わず肩がすくむ。

――帰り道。
「土曜日楽しみだなーっ!『新倉さん、君はイルミネーションよりも眩しいよ』なんてなっ」
 一人で盛り上がりながら、妙に気取った台詞を口にする。
(なんだそのノリ……
 ヨツダは思わず眉をひそめた。
……そうだな」
 気のない相槌。
……お前なんか静かじゃね?」
「いつもこんなもんだろ。お前が喋りすぎなだけ」
「いやー?なんかあんまり楽しみじゃないのかなって……あ!もしかしてパーティ派か!?」
「なんの話だよ」
「いやな、クリスマスはオレんちでちなゆきとパーティしよってことになってさー。ついでにサンタのコスプレとかしちゃおうかなっ?」
 楽しそうに両手を広げる。
「きっとオレってまあいつもの事だけど可愛いだろうし……
 無邪気に言い切るその様子に、ヨツダは一瞬だけ言葉を失う。
――その姿を想像してしまったからだ。
 思わず、わずかに頬が熱くなる。だが宗真はそんなことにはまったく気づかない。
……でもダメだな」
「なんでだよ」
「女子会だから!男子禁制!来るならオレみたいに呪われてから来いよ!」
……そこまでして混じりたいわけじゃねえよ」
 小さく呟きながら、肩をすくめる。
(こいつが変なコスプレしてたらちょっと面白いけど)
 頭の中に浮かんだのは、サンタではなく――トナカイやツリーの格好で騒いでいる宗真の姿だった。思わず、ふっと鼻で笑う。
 その笑い声が、冬の冷たい空気の中に小さく溶けていった。

 そして約束の日。目を覚ました宗真は、布団の中でそっと自分の身体を確認する。……懐かしい感覚。違和感はない。
 ちゃんと男の身体に戻っていることに、心から安堵した。
(こないだのことがあったから心配してたけど良かった……
 胸の奥にあった小さな不安が、ようやく消えていく。
――その勢いのまま、宗真はベッドから飛び起きた。そして朝起きていきなり風呂場へ直行する。廊下に出た瞬間、掃除機の音が耳に入った。
 振り向くと、リビングでは静乃が掃除機をかけている最中だった。
「ちょっと何?朝からお風呂入るわけ?」
「だってさ!初めて女の子とデートするからちょっとでも身を清めたいっつーか……汗臭いとか思われたくないし!」
 勢いよくまくしたてる宗真に、静乃は呆れ半分でため息をつく。
「まあ、男の時でもちゃんと身だしなみを気にするのは結構だけど……
 言いながらも、どこか少しだけ感心したような表情だった。
――風呂場。
 シャワーを浴び、いつもより丁寧に身体を洗う。鏡の前で歯を念入りに磨き、最後に軽く頬を叩く。
「よし……!」
 気合いを入れるように、小さく声を出した。デート服は静乃に見繕ってもらおうとしたが、「男の服はわかんない」とあっさり匙を投げられてしまい、結局スマホであれこれ調べながら、自分なりにベストだと思うコーディネートを考えた。
 服を着替え、鏡の前で何度かポーズを変えて確認する。
(よし!)
 納得したように頷く。
そのタイミングで、後ろから静乃の声が飛んできた。
「気合入ってるとこ結構だけど、約束は夕方からじゃないの?イルミネーション見に行くんでしょ?」
「そ、そうだけどっ!」
 言われて、ようやく現実に引き戻される。時計を見れば、まだ昼前。勢いのまま準備を終えてしまった自分に、思わず軽くずっこけた。
 それでも、胸の高鳴りは朝からずっと止まらない。
 こうして、少し空回り気味のまま……宗真の“デートの日”は、幕を開けたのだった。

 待ち合わせ場所の駅のステンドグラス前にて。人の行き交う中、宗真は手を振りながら駆け寄った。
「おーい!」
「遅ぇよ。言い出しっぺが」
「ごめんごめん……
 軽く息を切らしながら笑う宗真を、新倉がやわらかくなだめる。
「まあまあ、無事に合流できて良かったじゃない」
――そう言って笑う新倉は、普段教室で見る制服姿とはまるで違っていた。
 差し色のように映える赤のモックネックのセーター。黒を基調としたチェックのロングスカート。そこにチェスターコートを羽織り、足元は少しヒールのあるショートブーツ。洗練されていながら、どこか柔らかさもあるコーディネートだった。
 並んでみると、そのヒールの分だけ、新倉の方がわずかに背が高く見える。自分の身長――男の時でも150センチ少し――を思い出し、宗真はほんの少しだけ複雑な気持ちになる。
「新倉さん……お洒落だねっ!」
「えへへ、そう?あっちの方行くんだったら、浮いちゃわないようにと思って少し頑張ってみたんだ。ありがとね」
 少し照れたように笑う。過剰に謙遜するわけでもなく、かといって押しつけがましさもない。
(いいな……新倉さん)
 自然と、そんな感想が浮かぶ。
「あれ、そういえばお前本命ちゃんはどうしたんだよ?」
……来た)
 ヨツダは一瞬だけ視線を逸らした。
「実はさ、言いにくいんだけど……ここ来る前に振られたんだ」
「えっ!?なんでまた?」
……悪いけど、あんまり触れないでくれるか?」
「あ、うん……
 言葉を飲み込む。
(もしかしてこの前一緒に帰った日の時点でフラれてたのか!?あいつのことだから言いづらくて隠してて……
「というわけだからさ。宗真は……新倉さんと、二人で行ってこいよ」
「え?吉田くん、せっかく来たのに」
(当日帰るとまでは聞いてないけど……
 ヨツダが踵を返そうとした、その瞬間。宗真は思わず、その手を強く掴んだ。
「な、何すんだよ……
「なんか今のお前一人にしたら、ふらふら歩いて車とかに轢かれそうでほっとけねーよ」
 真剣な顔だった。そしてその時、新倉は気づいてしまう。宗真に手を握られた瞬間、吉田の顔が赤くなったことに。
――全部、繋がった。
(吉田くんは月城のことが、女子とか男子とか関係なく好きで………今は月城のために何か遠慮してる?)
 だからこそ、自分に対してあんな回りくどい話を持ちかけたのではないか。
 そして――仮に自分が宗真と二人きりになったとして。彼の気持ちに、今すぐ応えられるかと言われれば、きっと無理だ。
……だとすれば。
「あのさ。私も実はちょっとお腹痛くって……先に帰ろうかな?」
(ちょっと嘘にしてはわざとらしいかな……
「え、新倉さん、どうして?」
……いや、女の子がお腹痛いって言ってんだから、突っ込むの野暮だろ。このノンデリ野郎」
 その言葉に、ヨツダは口をつぐむ。宗真は――その意味を、身をもって知っていた。
……悪かったな。新倉さん、でもひとりで平気?」
「うん、親に迎えに来てもらうことにするよ。吉田くん達は見てきなよ」
 そう言ってから、ふとヨツダに顔を寄せる。
「吉田くん、ほんとは月城と来たかったんだもんね?」
……
 赤面したまま、何も言えない。
「じゃあまた、学校でね。どうだったか聞かせてね!」
「う、うん……
 そうして、新倉は人混みの中へと消えていった。

――残されたのは、男二人。
 だが不思議と、宗真はあまり落ち込んでいなかった。「セーリでお腹痛いなら仕方ない」と、どこか納得してしまっていたからだろう。
「あーあ。お前と二人きりになるんならさ、女の時が良かったわ。
そしたらもっと可愛くしてきたのに」
(俺もだよ。かえって男の時の方が、逆に緊張して
 口には出さず、心の中で呟く。
「まあ、ここで突っ立っててもなんだし。男同士で見ちゃいけないって決まりもないし、見るだけ見てくか!」
……だな」
 短く頷く。二人は並んで、定禅寺通りへと歩き出した。冬の夜の空気の中へ、少しぎこちない距離のまま。

 二人は人の流れに押されるようにして、なんとか会場までたどり着いたのだが――
「人やばっ!」
 思わず声が漏れる。視界の先までびっしりと人が埋まり、思うように前へ進めない。そして、なんとかして写真に収めたい人々が手を伸ばすため、特に小柄な宗真は離れて見ることもかなわなかった。
「みんな手伸ばしてスマホ構えてるから余計だな……宗真、お前下見とかしたのか?」
「いや、テレビで見ていーなーって思ってただけだから……
 周囲を見回しながら答える。実際に来てみると、想像以上の人の多さだった。
「人にはデートの練習だとか言って、お前はぶっつけ本番かよ。……ある意味良かったかもな、新倉さんと来てなくて」
「うん……
 素直に頷く。こんな人混みの中で、はぐれたりでもしたら大変だ。そう考えると、さっきの展開は結果的に悪くなかったのかもしれない。
 それでも少しずつ人混みが捌けてきて、宗真でも人の隙間から少しイルミネーションが見えるようになった。
「でも、遠くから見てても綺麗ではあるよな」
 視線の先。木々に巻きつけられた無数の光が、夜の街をやわらかく照らしている。
「ここにいる人達もさ、これを楽しみに見に来てて、楽しそうで……
 周りを見れば、笑い合うカップルや、写真を撮り合う友達同士。どこか浮かれた空気が、街全体に広がっていた。
「そうだな……
……オレ達もさ、傍から見たらカップルに見えんのかな?」
 何気なく言った一言。
「いや……お前今男だろ」
「あ、忘れてた……
 自分で言ってから、間の抜けた顔で頷く。
「せいぜい『塾帰りの中学生が人混みを見て寄ってみた』止まりだろ」
……だな」
 少しだけ肩をすくめる。
「まあオレは塾なんか死んでも行かないけどな!なんで学校以外で勉強しなきゃいけねえんだよ」
 宗真は開き直ったように言い切る。
「自慢げに言うことでもないだろ。ていうか、その調子じゃまた成績下がってそうだな、お前」
「ぎくっ」
 図星を突かれ、思わず変な声が出た。人混みのざわめきの中で、そんな他愛のないやり取りだけが、やけにくっきりと残っていた。

(結局新倉さんとは来れなかったけど。まあこれはこれでいいのか?)
 きらめく光をぼんやりと見上げながら、宗真はそんなことを考えていると、ヨツダが切り出した。
「そういえば、この前のいきなり男に戻ったって話さ……あん時は赤星のやつが入ってきてあんまり聞けなかったけど。結構大変だよな、お前も」
「あー、それなんだけど……なんか、もしかしたらオレの気持ちの問題……かもしれなくて」
「それだったらもっとしょっちゅう変わるんじゃないか?お前のことだから……
 軽く肩をすくめる。思いつくのは、どうせ「生理でだるいから男に戻る」とか「可愛くしたいから女に戻る」とか、そんな単純な理由ばかりだ。
「うーん。でもそん時にちょっと嵐士と話したんだけど……
(赤星って、宗真に絶対手は出さないみたく言ってるけど、結構距離近いよな……海成とは違うタチの悪さがあるというか)
 胸の奥に小さな苛立ちが芽生える。だが、それを表に出すことはなかった。
「そん時は『お前が浮気したら戻る説』とか冗談で言ってたよ」
「俺が?」
「だって、今回はお前と新倉さんが話してたの見てからそうなったし。その前はキャンプファイヤーん時に、岩切さんと踊ってたり、いつの間にか海成のこと名前で呼んでんの見てからだし……
 ヨツダは一瞬、言葉を失う。
(こいつって結構……
 思っていたよりもずっと、自分のことを見ている。
「それで、嵐士のやつに言われたんだよ。新倉さんかお前のどっちの方に嫉妬してんのかって」
「で、はっきりしたのか?」
 少しだけ低い声で問いかける。
……わかんない」
 視線を逸らす。
「さっきの新倉さんの格好、すげー可愛かったし……ほんとはデートしたかった。……でも」
 言葉が途切れる。ヨツダは何も言わず、ただ続きを待つ。宗真は一度だけ息を吸ってから、ぽつりと続けた。
「お前が他のやつといるのは、なんか嫌……かも」
 その一言は、夜のざわめきの中でも、不思議とはっきりと聞こえた。

 2人の間に、さっきまでの喧騒が嘘みたいに静かな空気が落ちた。遠くで人の歓声やざわめきが続いているのに、ここだけ切り離されたみたいに。
……そうか」
……うん」
 宗真は視線を落としたまま、足元の影を見つめる。さっき自分が口にした言葉が、じわじわと胸の奥に広がって、遅れて熱になって返ってくる。
(何言ってんだオレ……今、男なのに)
 押し黙る宗真の横で、ヨツダは少しだけ息を吐いた。
……俺さ、お前にずっと嘘ついてた」
「嘘?」
「『本命の子』のこと……
「あー、いいっていいって。そんな気にすんなよ。お前にはオレがいるだろっ?」
 反射的に言ってしまってから、はっとする。軽口のはずなのに、妙に必死な響きになっていた。
 ヨツダはそんな宗真を、まっすぐ見た。
……そうだな」
 一瞬、肯定されたことに安堵しかけて――次の言葉に、心臓が跳ねる。
「だって、俺もお前と同じだから。お前が他のやつと一緒にいるとこ、見たくないんだよ」
……っ」
 胸の奥が、ぎゅっと掴まれたみたいに苦しくなる。
「そ、そうかよ?まあオレって可愛いもんな、女の時はさ……
 誤魔化すように笑う。けど声は少しだけ上ずっていた。
「そうじゃなくて」
 すぐに、静かに遮られる。
「わざわざ新月の今日に言ってる意味……お前でもわかるだろ?」
「な、何言ってんだよ、いきなり……
 言い切る前に、言葉が止まる。
「お前が女とか男とかは関係なくて。ていうか、男の時から多分、ずっとお前のことが――
 ほんの一瞬の間。その一拍がやけに長く感じられて、宗真は息を飲んだ。
「好きなんだ」
 世界の音が遠くなる。さっきまでうるさかったはずの人混みも、光も、全部ぼやけて。ただ、その一言だけが、はっきりと胸に落ちてきた。
……は?」
 間の抜けた声しか出ない。ヨツダは照れたように少しだけ視線を逸らして、それでも逃げずに続ける。
「だからさ、さっきのも……カップルに見えるか、とか言ってたけど」
 一歩だけ、距離を詰める。
「俺は、別にそう見えてもいいって思ってた」
……っ」
 顔が一気に熱くなる。逃げようとしても、足が動かない。
(なんだよ、それ……
 言葉が出ない。代わりに、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。
(嫌じゃない、どころか……
 宗真はゆっくりと顔を上げる。目が合った瞬間、また心臓が跳ねた。
……お前さ」
 少しだけ唇を尖らせて、
「そういうの、反則だろ」
 でも、その声はどこか柔らかくて――
「二人して……同じこと思ってたなんてさ」
 小さく呟いたその一言は、ほとんど風に溶けるみたいに消えた。

「新倉さん……全部、分かってたのかな?」
……かもな。実はさ、新倉さんと話してたのも……今日、『本命の子』が来ないことにするから、その場で話を合わせてほしいって頼んでたんだよ」
「はー?なんだよそれ、めちゃくちゃ回りくどい!」
「だってお前、新倉さんのこと好きだって言ってたから。俺なりに気ぃ遣ってたんだよ」
「気持ちは受け取っておくけどさ。……で?オレのこと、いつから好きだったわけ?」
……秘密」
「照れんなよ。もうお互いスキって言ったようなもんだろ?」
……お前からは聞いてないけど?」
 少しだけ拗ねたように、ヨツダは顔を背ける。
「はー、しょうがねえな、樹クンは
(いきなり名前で呼ぶなよ!)
 宗真は、ほんの少しだけ視線を逸らしてから――
「オレもさ。お前のせいで性別変わったりするくらい……好きなんだと思う」
「なんだよ、『と思う』って
「し、しょうがねえだろ!なんだよ、女の時だったら絶対もっと可愛く言えたはずなのにさ!」
 言い終わった瞬間、また顔が熱くなる。

 そのとき――ふわり、と白いものが2人の肩に落ちた。
……あ」
 空を見上げると、小さな雪が静かに降り始めていた。周りにいた人たちも気づいたのか、ざわめきが少しだけ浮き立つ。
「いいな、なんかホワイトクリスマスって感じで」
「クリスマスにはまだちょっと早いけどな」
「け、もうちょい感動的なこと言えよなー。女子の前だぞ」
「だから今は男だろ」
「そうだけどさー!」
 少しだけ間を置いて、宗真はちらっとヨツダを見る。
「なあ、オレってさ。どっちかというとやっぱお前のカノジョなのかな?」
……知らねえよ」
「なんだよ、大事なことじゃん!家族に紹介するときとかさあ!?」
「気が早いだろ……
 呆れたように言いながらも、ヨツダは小さく笑った。
……冷えてきたし、バス乗って帰るか。あんまり遅くなると、お姉さんたちも心配するだろ」
……だな」
 一歩踏み出してから、わざと軽い調子で振り返る。
「いざとなったら、お前に守ってもらわねえとな〜」
「ああ」
 短く返しながら、その背中を目で追う。
……ほんとは)
 白くなり始めた吐息の中で、言葉は胸の奥に沈む。
(お前と会った頃は、俺の方が守られてたのに)
 無邪気に笑って、距離も遠慮もなくて。勝手に隣に入り込んできて、勝手に居場所を作っていったやつ。
(いつの間にか……、逆になってた)
 でも、それも悪くないと思う。ヨツダは歩幅を少しだけ広げて、宗真の隣に並んだ。
 降り続く雪の中、今度は自然と肩が触れる距離で――どちらからともなく、そのまま歩き出した。