朝、登校前。宗真はリビングでテレビを眺めていた。隣では静乃がコーヒーを飲みながらニュースを見ている。
(次の新月は土曜だし
……新倉さんをデートに誘ってみようかな。でも、どこに行ったらいいんだろ)
テレビからアナウンサーの声が流れる。
「定禅寺通りでは毎年恒例の『光のページェント』が今日から始まります。〇万球のイルミネーションが街を彩り
――」
「はー、出た出た」
静乃は呆れたようにため息をついた。
「こんなの、ふるさと納税とかクラファンでよそからお金集めてまでやるくらいなら、地元民の住民税安くしてほしいわよ」
「えー? 綺麗なのに。静姉は冷めてんなぁ
……」
「でもまあ、カップルには人気あるみたいだけどね。
……この時期はこっちの方、行かないようにしてるけど」
要するに僻みである。
……が、それを指摘したらどうなるかは、宗真も身をもって知っていた。
(カップルか
……)
その言葉が頭に引っかかる。
(そうだ!)
――ここに新倉さんを誘ってみよう。
宗真のこの思いつきが、思わぬ騒動につながることになるとは。この時、まだ誰も思っていなかった。
宗真は登校中もそのことを考えていた。
(でも、いきなり二人きりで誘ったら引かれるかな?オレだって逆の立場なら、なんか怖いし
……。ちなゆきにセッティング頼むとか?)
女の子でいるうちは直接のアプローチは控えていた宗真だが、女心が少しわかるようになってきたこと自体は、しっかり利用するつもりらしい。
その時、後ろからヨツダが声をかけてきた。
「おはよ」
(あ! ヨツダと例の本命の子とダブルデートにするとか良くね?)
「おはよ。なあなあ、お前、光のページェントって興味ある?」
「いや、別に
……」
「でも女子はそういうの好きな子多いよな?」
(静姉みたいなひねくれ人間以外は
……)
その頃の静乃は、自転車の上で派手なくしゃみをしていた。
「何の話だよ?」
「オレさ、次の新月の時に新倉さんをそこにデートに誘おうと思うんだ。でも、いきなり二人きりじゃ向こうもびっくりするかなって思って。だからさ、お前も本命ちゃん誘って来いよ! ダブルデートだったらお互い緊張もしないし、良くね?」
「え
……?」
(だから『本命ちゃん』なんて女子はいないっての)
……とは、口が裂けても言えず。
ヨツダは断ろうと口を開きかけた。だが、その瞬間
――八木山での“デートの練習”の時の宗真の言葉が、ふと頭をよぎる。
「オレが男に戻るのって、基本的に新月の時だけ
……年に十二回しか戻ることないじゃん? 男として話すチャンスなんて全然ないんだよ」
(ここで断ったら、宗真が悲しむ
……なんてもんじゃないよな
……)
少し考えて、ヨツダは一つの案を思いついた。
宗真ではなく、新倉に口裏を合わせてもらうのだ。ダブルデートとして現地には行く。だが、存在しない「本命ちゃん」には、来る前に喧嘩して振られたことにして、そのまま当日は自分はフェードアウトして、宗真には新倉と二人きりになってもらう
――。
(新倉さん、話を聞く限りいい人そうだし
……きっとその辺は上手くやってくれるだろう)
「わ
……わかったよ。行くよ」
「ほんとか!?お前って最後には頼れる奴だよなぁ〜!」
そう言って、宗真は男の時の距離感のままヨツダの肩を組んだ。
「
……女の時にそういうことすんな」
(いや、今となっては男の時の方が
……?)
「樹くん? 君は朝からそういうことをするんだね
……」
いつの間にか海成に見られていたらしい。
「ご、誤解だよ! こいつが勝手にひっついてきただけ!」
――何の誤解だというのだろう。
「僕、先に行くね
……」
そう言い残して歩き去る海成の背中を、二人は呆然と見送った。
一年一組の教室。ヨツダは、ひとりで悩んでいた。
――新倉つむぎに、どうやって声をかけるか。
自分には彼女と接点がない。櫻井ちなつや藤枝ゆきなら、宗真の友人繋がりで問題ないのだが
……。
そもそもヨツダは、昔の海成ほどではないにせよ、自分から女子に話しかけるのが得意ではない。
それも、宗真がそばにいることで、いつの間にか忘れていただけの話で。気がつくと、海成が目の前に立っていた。
「樹くん。なんで君が溜息をついているのかな?」
「わ、悪いかよ
……」
「宗真くんに肩を組まれても、まだ足りないんだ?」
(ああもう、こっちの気も知らないで
……)
「
……という冗談はさておき。なにか悩んでる? 僕でよかったら聞くよ?」
(
……嫌な冗談だな)
「ちょっと用があって話したい女子が三組にいるんだけどさ
……言っとくけど宗真のことじゃないからな?どうやって話しかけたらいいのかと思って。
……って、お前もそういえば女子が苦手だったか」
少し間を置いて、海成は答えた。
「うーん、最近はそうでもないかな?」
「え?」
「今の僕の中では、宗真くんとそれ以外の女の子しかないからね。そう考えたら、どんな女の子でも別に緊張しなくなったっていうか、他はどうでもいいっていうか
……自分で言うのもなんだけど、開き直った感じかな?」
(ずっと思ってたけど、こいつはこいつで凄ぇな
……)
「言いたいことがあるなら、その子に伝えてあげようか?」
「いや、俺が直接言うよ。ただ、どうにか宗真のヤツに見つからない形でその相手にサラッと伝えたいっていうか
……」
「樹くん、まさか宗真くんのこと諦めて、その子に
……!?」
「そうじゃねえよ!ほんとにちょっとした口裏合わせ的な?ていうか、『諦めて』ってなんだよ」
「その女子と宗真くんって、よく一緒にいる感じ?」
「多分違うけど
……」
(じゃあ、櫻井さんや藤枝さんじゃないんだな)
「ふーん。じゃあさ、移動教室の前後を狙うのは? 三組は今日の三時間目に理科室で実験があるんだ」
「
……なんでそんなこと知ってんだ?」
「宗真くんのスケジュールはちゃんと把握しておかないと、彼が忘れ物した時に助けてあげられないからね」
(怖っ!
……でもまあ、助かったといえば助かったか)
「そっか。あ、ありがとう
……」
「これからは、今日みたいな抜け駆けは駄目だからね?」
「
……はいはい」
ヨツダは三時間目の授業が終わると、三組の教室の前で待機していた。
(あいつのことだから、実験の片付けとかで時間かかって、理科室出るのはどうせ最後の方だろ)
――という幼なじみの読みは、見事に的中した。
しばらくして、新倉つむぎが友人と一緒に教室へ戻ってくる。
(来た!)
「に、新倉さん
……だよね? ちょっといい?」
「うん。
……あ、月城のお友達かな?たまに見かけるよ」
「うん。一組の吉田っていうんだけど
……」
「月城に用だよね。呼ぼうか?
……って、まだ戻ってきてないかー」
「いや、そうじゃなくて
……新倉さんに用があって」
「いいけど
……どうしたの、吉田くん?」
二人はそのまま、廊下の隅の方へ移動した。
「あのさ、宗
……いや、月城から、なんか誘われたりした?」
「ううん。何も聞いてないけど」
「そっか。今からちょっと変なこと言うんだけどさ。もしかしたら、あいつが
……新倉さんと、もう一人の女子と俺の4人で遊ぼうって誘ってくるかもしれないんだ」
「う、うん
……?」
「でも、その『もう一人の女子』は、約束の当日に集まる前に俺と喧嘩したから来ない
……ってことにしてほしいんだ」
「
……話がよく見えないんだけど。わざわざ呼び出してそんな話するってことは、真剣なんだよね?」
「う、うん
……ごめんね、いきなりこんな話して」
「ううん、大丈夫。でもさ、それなら私、邪魔じゃない? 吉田くんと月城で、最初から二人で出かけた方が気楽でしょう?」
「そ、そしたら意味ないんだ!
……って、ごめん、ほんと意味わかんないよね
……それと、このことは月城には黙っててもらえるとありがたいんだけど」
「まあ、正直どういうこと? って感じではあるけど
……吉田くんの気持ちはわかったよ。とりあえず、吉田くんの言う通りに話を合わせておけばいいんだね?」
「うん!
……ありがとう、変なこと聞いてくれて」
「ううん。またね!」
そう言って教室へ戻っていく新倉の背中を見送り、ヨツダは小さく息をついた。
――無事に話はついた。あとは当日、現地で自分がさりげなく帰り、宗真と新倉に二人で過ごしてもらえば丸く収まる。
ほっと胸をなで下ろした、その時。
宗真は、新倉とヨツダが二人きりで話しているところを、しっかりと見ていた。
(なんで、あの二人が
……?)
宗真の全身の血の気が引いていく。何を話していたのかまでは分からない。だが
――
「宗真、大丈夫?顔色悪いけど
……」
「保健室行こうか?」
「うん
……」
横にいたちなつとゆきに声をかけられたものの、思考は完全に止まっていた。
真剣な表情で新倉に話すヨツダ。それを笑顔で受け止める新倉。どちらも、自分にとって大切な「異性」だった。
……よりによってあの二人が距離を縮めてしまうのか?
次の授業を受ける気にもなれず、宗真はちなつとゆきに連れられるまま、気がつけば保健室のベッドに横になっていた。
(オレってなんなんだ? 男としても女としても中途半端で。親友だと思ってたやつが、オレの好きな女の子と仲良くしてて
……。何がデートの練習だよ。何がイルミネーションだよ
……)
すべてが、急にばからしく思えてくる。
(
……ヨツダ。お前はオレのこと「それでもいい」って思ってくれてたんじゃないのか?でも、新倉さんはいい子だしな
……ヨツダも、まあいいヤツ
……ではある。はは、お似合い、か
……。オレみたいなやつより、ずっと
……「男女」として)
宗真は、ごろりと寝返りを打った。ふと手元を見る。
中学の頃の静乃のお下がりで、女子の宗真には少し余り気味だった制服の袖。
……それが、今はちょうどいい長さになっている。
(あれ、オレ
……なんか背伸びた?)
気がつくと、後頭部も妙にさっぱりしている。
……後ろ髪がない。
(ちょっと待て!?)
養護教諭は職員室にでも呼ばれたのか不在。保健室で休んでいる生徒もおらず、今は保健室にひとりだった。宗真はそっとベッドを降り、保健室の鏡の前に立ち、そして確信した。
月城宗真は、本来の姿
――男に戻っていた。

(な、なんで今!? 今セーラー服だぞ、オレ
……タイツ伸びちまう!)
以前にも似たようなことがあった。宿泊学習のとき、女湯で
――新月でもないのになぜか男に戻ってしまったことがある。
あのときは「今じゃない!」と必死に念じることで、なんとか戻ったのだった。
(今じゃない今じゃない!!!戻れ戻れ戻れ!!!)
必死に念じる。
……だが、無情にも変化は起こらない。
(なんでだよ! ついに呪い解けた!? ある意味めでたいかもしんないけど、なんで今なんだ! どんな顔して教室帰ったら
……?)
宗真は、どうにか稽古をサボっていた頃の感覚を思い出し、頭脳をフル回転させた。
(そうだ、もういっそ体調が悪いことにして早退しよう。さっさとコート着てフード被って帰れば多分バレないし、戻んなかったとしても明日は学ラン着てけばいいし
……)
ちょうどそのとき、養護教諭が保健室に戻ってきた。宗真はベッドに戻りわざとらしく咳き込み、あらかじめストーブで温めておいた体温計を見せつける。
こうして宗真は、見事に早退する権利を勝ち取ったのだった。
宗真は三組の教室に戻ると、真っ先にロッカーからコートを取り出して羽織った。フードを目深にかぶり、自席で帰り支度を始める。
「宗真くん、大丈夫か?宗真くんでも風邪ひくことあるんやねえ」
後ろの席の嵐士が軽口を叩く。宗真は適当に返事をした。
「あれ、宗真くん
……ほんとに喉の調子悪いんか。いつもより声低いな?」
(うっ
……)
「せ、先生
……体調悪いので早退します」
「おう、お大事にな。みんなも風邪には気をつけろよ」
「「「はーい!」」」
宗真はそのまま教室を出る。何事もなく、うまくいった
――かに思えた。
だが。
(まさか
……な?)
嵐士だけは、どこか不審そうな顔をしていた。
昼休み。
ヨツダは、宗真が新倉を誘ったのか確認しようと三組の教室まで来ていた。だが
――
「あれ、宗真は?」
ちなつとゆきに声をかけてみる。
「体調悪くなって、午前中に早退しちゃったよ」
「まだ風邪流行ってるもんねー」
「そっか、ありがと
……」
(あいつが学校来たら聞けばいいか)
ヨツダはそう思い、三組を後にした。
一方、嵐士は席に座ったまま、一人で考え込んでいた。
(さっきの宗真くん、様子おかしかったな
……?)
風邪で声が低くなることはある。だが
――フードを目深に被り、顔を隠すような帰り方。顔を見られたくないようにしか思えない。
……どうにも引っかかる。
(帰りにお見舞いも兼ねて寄ってみるか)
そして、月城家。平日のお昼前の為、当然ながら家族はまだ誰も帰ってきていない。
宗真は男の身体のままラフな部屋着に着替え、一人でカップ焼きそば「バゴォーン」を啜っていた。
(男の服ってほんと地味でつまんねえな
……)
まだ湯気の立つ容器を前にしながら、宗真はぼんやりと考える。
……それにしても、これからどうするべきか。
呪いが解けたあとのことなど、これまで一度も考えたことがなかった。
跡継ぎが響であることは変わりない。だから剣術の稽古も、もう自分には関係ない。しかも男の身体なら
――新倉にも、堂々とアプローチできる。
だが。先ほど見た光景が、鮮明に脳裏によみがえる。
ヨツダと新倉。なにやら真剣な顔で話すヨツダと、それを笑顔で受け止める新倉。
(あいつ
……ずっとオレのこと騙してたのか?)
昼食を片付けたあと、宗真は手持ち無沙汰になった。
もう自分には関係がないはずなのに、なぜか気づけば、一人で道場に立っていた。宗真は木刀を握り、黙々と稽古を始める。とにかく身体を動かして、先の件を頭から追い出したかった。
だが
――それも一時間ほどで飽きてしまった。
結局、居間でだらだらとテレビを垂れ流しながら、スマホでポケポケのパック開封に興じる。
(なんで同じ色違いはやたらとダブんのにイマーシブは来ねえんだよ。カヌチャン何枚目だよ)※カヌチャンファンの方、すみません
そうしているうちに、夕方のローカル番組が始まる時間になった。
そのとき
――インターホンが鳴った。
「はい、月城ですけど
……」
(
……ヨツダだったら出てやんねえぞ)
「宗真くん、元気?」
「
……お前かよ」
モニター越しに映ったのは嵐士だった。普段なら居留守を使ったかもしれない。だが今の宗真にとっては、嵐士のような
――自分の中で雑に扱ってもいいポジションの人間のほうが、むしろ気楽に話せる相手でもあった。
「
……外寒いし、上がれよ」
「お邪魔します」
玄関に現れた嵐士は、宗真の姿を見るなり
――やはり、という顔をした。
「
……宗真くん、やっぱり男に戻ったんやな?」
「お前にはバレてたか
……。セーラー服着て帰んの、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだぞ!? コートは着てたけどさ
……」
「今日って、新月やったっけ?」
「
……違う。もしかして、呪い解けちゃったのかな
……」
(呪いが解けた? それはマズい)
「そ、そんなこともあるんやね?」
「そうなんだよ。宿泊学習の時も一瞬こうなったけど、すぐ戻ったのに
……。って、その時はまだお前いない頃か」
「そん時はどうして戻ったん?」
「女湯に入ってる時でさ。『今じゃない、社会的に死ぬーーー!』って思ったら戻った」
「ああ、質問が悪かったか。ボクが聞きたいのはその前。『どうして男に戻ったか』や」
「え
……?」
なぜ男に戻ったのか。確かあの時は
――どうだっただろう。思い出そうとすると、胸の奥がざわつく。
あの頃は、気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。
海成が、ヨツダのことを名前で呼ぶようになっていた。ヨツダはヨツダで、キャンプファイヤーで知らない女子
――今思えば、あれは岩切だった気がする
――と踊っていた。
今のままではみんなに置いていかれるような
……そんな気持ち。
「ふーん。で、今回は?」
「ヨツダが女の子と二人きりで話してたの、見ちゃって」
「別にそんなんええやんか。宗真くん、吉田くんの彼女気取りなんか?」
「な、何言ってんだよ!そうじゃなくて、相手の子が
……その、オレが好きな子なんだよ」
「待て待て。宗真くん、好きな子おったんか? しかも女の子て!」
嵐士は思わず身を乗り出した。
(う
……怒りのあまり、ついこいつなんかにバラしてしまった)
しまった、と思った時にはもう遅い。人は、「今は愚痴を聞いてもらえるターンだ」と確信してしまうと、一度入ったスイッチがなかなか止まらなくなる生き物である。
「ま、誰かについてはおいおい聞くとして。吉田くんがその子と話して何が問題なん?」
「だって、オレがその子が好きって、あいつにだけ教えたのに
……」
「
……なるほどね」
「それなのに、真剣な感じでその子のこと呼び出しててさ。それ見たらなんかものすごい嫌な気持ちになって
……で、こうなってた」
宗真は視線を落とした。
(宗真くんの気持ちで身体が変わるんか?
……そんな単純な仕組みなようにも見えんけど。そしたらもっとしょっちゅう変わってそうやし。それこそボクの時とかな)
嵐士が月城家に強引に居候を始めた際、追い出そうとした宗真は剣道で挑んだものの瞬殺。そこで次の新月を待って短期間ながら稽古に励み、男に戻った上でリベンジを果たそうとしていた。
……結局、嵐士には勝てなかったのだが。
(その頃の宗真くんなら、すぐにでも男に戻ってボクのこと叩き斬りたかったろうに、そうはならんかったし)
と嵐士が分析していると、宗真は急に何かを閃いたようで。
「あ!」
「どうした、宗真くん?」
「ヨツダが浮気すると、オレが男に戻っちゃう
……とか!?ありうる!」
「うーん
……どうやろなぁ?」
(ボクは呪いについてはノータッチやから、なんとも言えんけど
……まあ「かあさん」の考えることやからな。
……ていうか、「浮気」て)
「そうだったとしても、や。なんで前の時はすぐ女の子に戻って、今は戻らんのやろな?」
「それなんだよなぁ
……。早く戻らねえかなー」
「おいおい宗真くん。その言い方、まるで女の子でいた方が安心するみたいやないか?」
「
……だって、このままだと色々めんどくせえし」
「何が?」
「学校とか! 新月なら終わったら戻るってハッキリしてるけどさ、今はいつ戻るかわかんないとか怖すぎんだろ。トイレの時とか着替えの時とかだったらどうすんだよ。常に爆弾抱えてるようなもんだぞ?」
少し間を置いて。
「本当にそれだけなんかな?
……にしても、宗真くんってどっちに嫉妬してるんやろうね?」
「はあ?」
「“その女の子を吉田くん『に』取られた”と
……100%思ってる?」
「そ、そりゃそうだろ
……?」
「いやいや、案外
……吉田くん『を』その子に取られたと思ってたりしてな?」
「え
……?」
思ってもみなかった。
「はは
……何言ってんだよ。なんでオレがあの子に
……?」
宗真はよろよろと立ち上がった。
「あーあ、お前が変なこと言うから、なんかトイレ行きたくなったわ」
そう言って、そのまま席を立つ。
(いや、オレは新倉さんのことが好きなはずで
……ヨツダはそれ知った上で新倉さんに声かけた最低野郎で
……)
宗真は、狭い個室の中でそんな考えをぐるぐると巡らせていた。自分の中に浮かびかけた別の可能性を、必死に否定するように。
そして用を済ませ、居間に戻ると
――嵐士が、珍しく目を見開いていた。
「そ、宗真くん
……」
「なんだよ? オレの顔になんかついて
……って、ええっ!?」
声が高い。それに
――視界が、さっきより低い。
宗真は思わず自分の口元に手を当てた。今の声は、どう考えても
――
「
……あれ?」
視線を落とす。見慣れたはずの、少し小さな手。袖の余り方。胸元の膨らみ。
「
……は?」
一拍置いて、理解が追いつく。
「戻ってるじゃねーか!!」
嵐士はソファの上で肩を震わせていた。笑いをこらえている。
「
……いや、さすがにタイミング良すぎやろ」
「お、お前が変なこと言うからだろ!!」
宗真は慌ててソファの背にかけてあった上着を引っつかむ。さっきまで男の身体で着ていたせいか、ぶかぶかだ。
「くっそ
……なんだよこれ
……」
「『吉田くんが浮気すると男に戻る』か〜、確かに当たってるな?」
「当たってねえ!」
宗真は即座に否定したが、声は少しだけ弱かった。
「トイレ行く前、何考えてたん?」
「はあ?」
「吉田くんのことやろ?」
「違っ
……!」
言い返そうとして、止まる。嵐士はニヤニヤしながら宗真を見ていた。
「図星やん」
「うるせえ!」
宗真はクッションを投げつけた。嵐士の顔面に当たる。
「痛っ」
「そもそもな!オレは別にヨツダのことなんか
――」
そこまで言って、言葉が止まる。さっき、トイレの中で考えていたことが、頭の奥に残っていた。
(
……ヨツダを新倉さんに取られたと思ったら、女に戻った?)
そんなわけ、ないはずなのに。宗真は顔をしかめ、無理やり話題を変えるように言った。
「
……つーか、もう帰れよお前」
「ひど」
「もう遅いし、そろそろ姉ちゃん達も帰ってくるし。特に響姉はお前のこと気に入ってそうでなんか嫌だし」
嵐士はスマホをちらりと見て、立ち上がった。
「
……相変わらず正直やな。じゃ、今日は帰るわ」
玄関に向かう嵐士の背中を、宗真は腕を組んで見送った。嵐士は靴を履きながら、ふと振り返る。
「宗真くん」
「なんだよ」
「ちゃんと聞いてみればええやんか。吉田くんに」
「
……」
「誤解かもしれんし。それに
――」
嵐士は少しだけ笑った。
「自分が何に嫉妬してるのかも、わかるかもしれんで?」
「
……うるせえ」
嵐士は「はいはい」と軽く手を振り、外へ出た。玄関のドアが閉まる音。家の中は急に静かになった。
宗真はその場でしばらく立ったまま、ため息をつく。
「
……バカじゃねーの」
誰に向けた言葉か、自分でもよくわからなかった。ただ
――胸の奥は、さっきより少しだけ騒がしかった。
住宅街を抜けてマンションへ向かう帰り道の途中で、嵐士のスマートフォンが震えた。画面に表示された名前を見て、嵐士は小さく顔をしかめる。
表示名は
――「
赤星 真冬」。
(『かあさん』から直電って
……あの人、普段ボクに電話はかけん言うてんのに。絶対ろくな用やない)
嵐士は一瞬だけ迷ったあと、通話ボタンを押した。
「
……はい、嵐士ですけど」
「宗真の所にはちゃんと行ったのよね?」
(ま、「かあさん」の命令で行ったとはいえ
……位置情報も切れんもんかねえ)
どうやら嵐士は、この真冬という女性に常に現在地を把握されているらしい。
「はい、今出たとこです。で
……無事に、女の子に戻りましたよ」
「そう。宗真は今
……女の子なのね。良かった
……あーあ。あの時余計なことしたかしら。そしたらずっと女の子だったのに
……」
(「あの時」?)
嵐士は歩く足を少しだけ緩めた。
「『かあさん』。なんで宗真くんが新月以外にも戻ったりするんですか?」
「まあ
……母の愛みたいなものかしらね?」
電話口の向こうで、くすりと笑う声。
(だから、あんたのそれは歪んでるって
……)
嵐士は無言のまま前を歩き続けた。
「でも良かったわ〜。あんまり長く男の子でいられると、ほんとに戻らなくなるみたいだし。そこはあなたに感謝ね」
「
……じゃあもし、さっき宗真くんをほっといてたら
……呪いって解けてたんですか?」
ほんの軽い調子で言ったつもりだった。しかし、次に返ってきた声はわずかに温度が低かった。
「嵐士。それを今あなたが知る必要、ある?」
呪いに関しては、嵐士には触れてほしくないらしい。
――余計なことは考えず監視に集中しろ。
暗にそんな意図がにじむ、冷たい声色だった。
「
……別にないですけど」
「じゃあ、これからも宗真を
……私のかわいい『娘』のこと、私の代わりに守ってあげてね?」
「はい
……」
それだけ言うと、電話は一方的に切れた。耳に残る、通話終了の電子音。嵐士はスマートフォンをポケットにしまい、夜の街を歩きながら小さく息を吐いた。
(まあ宗真くんが吉田くんとケンカしようが仲直りしようが、その辺はええとしても
……)
頭の中に浮かぶのは、さっきまでの宗真の顔。
(ずっとあの人の思う通りのまま、事が進んでええんかな?)
嵐士は住宅街の中、ゆっくりと歩みを進めた。