ポほ
2026-03-28 05:42:09
15377文字
Public 跡取り息子、やめました!?
 

男の戰い…真剣じゃないけど真剣(マジ)!

りやめ二学期編第7話。
珍しくバトル回…?

 月曜日の朝。通学路を歩く宗真の足取りは、いつもより明らかに重かった。
(学校行っても、あいつがいるんだよな
 転入の手続きがあるとかで、嵐士は今日は宗真よりも早く家を出ている。顔を合わせなくて済んだことに、少しだけ安堵する自分が悔しかった。

 昨日の夜。
 入浴時は響と静乃の二人がかりで脱衣所前を完全封鎖。嵐士は一歩も近づけなかった。
「だからもうしませんって! 破門にされたらたまったもんやないし!」
 と廊下の向こうで本気で弁解していた声を、宗真は湯船の中で聞いていた。
……信じてないわけじゃないけど)
 でも、だからといって気まずさが消えるわけでもない。
 背後から足音が近づいてきた。
「おはよ」
……おはよ」
 振り向いた宗真の顔を見て、ヨツダはすぐに眉をひそめる。
「露骨に元気ないな。例の居候のせいか?」
「うん
 短い返事。いつもなら「うっせーな」とか「別に」とか返すのに、今日はそれすらない。
「昨日はあの後大丈夫だったか? その、嫌なことされたとかは」
「ないけど」
 少しだけ視線を落とす。
「今日からは学校でも同じクラスだし。嫌だなぁ」
 “嫌だなぁ”なんて、宗真の口からめったに出ない言葉だ。ヨツダは少しだけ歩幅を緩め、宗真の横に並ぶ。
「もし嫌になったらさ、休み時間はうちの教室来いよ。
俺はともかく、海成は特に味方になってくれんだろ」
「うんありがと」
 素直な礼に、ヨツダは一瞬言葉を失う。
(だいぶきてんのかな? 妙に素直だ)
 いつもは強がって、負けず嫌いで、嫌なことがあれば怒鳴って跳ね返すやつなのに。今日は少し、小さく見える。ヨツダは無意識に、ほんの少しだけ宗真との距離を詰めた。

 校門が見えてくる。その向こうに、転入生として紹介されるであろう男がいる。
 宗真は小さく息を吸った。
(逃げない。逃げないけど……
 それでも、胸の奥がざわついているのは止められなかった。そしてその頃、すでに校内では——嵐士が、にこにこと担任と話しながら教室へ向かっていた。
(さて。宗真くん、今日はどんな顔してくれるんやろな)

 そして、一年三組。ホームルームの空気は、いつもよりわずかに浮き足立っていた。
 転入生が来る――それだけで、中学生というのは十分に盛り上がるものだ。
「今日からこのクラスの仲間になる、赤星 嵐士さんです。おうちの都合で富谷からやってきました」
 教室の後ろのドアが開き、嵐士が一歩前に出る。
(ん、富谷? 隣町じゃん。別に関西から来たわけじゃないのかいや、興味ないけど)
 宗真は頬杖をつきながら、なるべく無関心を装う。
「今は月城さんのおうちに住んでいるみたいなので、月城さんとはもう仲良しかもしれませんね。月城さんだけじゃなくて、皆さんも仲良くしてあげてくださいね。……じゃ、赤星さん、皆に挨拶してみようか。やりたい部活とか、得意なこととか、なんでもいいですよ」
 嵐士は一歩前に出て、にこやかに頭を下げた。
「赤星です。よろしくお願いします。そこにおる宗真くんとは、すっかり仲良うなりましたんで、皆さんとも仲良うしたい思てます。特技……いうほど大したことやないんですけど、剣道をずっとやってます。この学校には剣道部ないんで、部活やなくて宗真くんのお家の道場の方にお世話になるかと思いますけどね。まあ、よろしゅう」
 軽く会釈。ぱちぱちと拍手が起きる。
 女子の一角から、
「え、ちょっとカッコよくない?」
「関西弁ってなんかいいよね」
 なんて小さなざわめき。
 一方で男子のほうからは、
「月城の家に居候?」
「月城って今女だし、姉ちゃん二人いるらしいし、やばくね?」
「天国じゃん」
 ひそひそ、くすくす。
(くそ、他人事だと思って!)
 宗真のこめかみに青筋が浮かぶ。嵐士はそんな空気を全部把握しているような顔で、さりげなく視線を宗真に向けた。
 一瞬だけ、目が合う。
 にこ。わざとらしくない、自然な笑み。
(何笑ってんだよ!)
「じゃあ赤星さんは……月城さんの後ろの席が空いてるから、そこに座ってください」
 教室の空気が、ほんの少しだけざわつく。
「え、後ろ?」
「運命じゃん」
「漫画かよ」
 椅子を引く音。
「よろしゅうな、宗真くん」
 小声。耳元に落ちる低い声。
……よろしくなんてしねえ」
 前を向いたまま、小さく吐き捨てる。嵐士はくすっと笑った。
「朝よりは元気そうやん」
 宗真の肩がぴくりと揺れる。
(見られてる。ずっと、見られてる気がする)
 授業が始まっても、背中に視線を感じる。転入生というだけで目立つはずなのに、なぜか宗真のほうが落ち着かなかった。

 次の10分休み。チャイムが鳴るやいなや、やはりというべきか――ちなつとゆきが、宗真と嵐士の机の間にするりと入り込んできた。
「ねー、また宗真のハーレム増えたんだけどー?しかも結構かっこいいし。こういうのは先に言ってよね〜?」
(ハーレムじゃねえし!てかコイツの話なんかしたくねえよ
 宗真は机に突っ伏しそうになるのをぐっと堪える。
「ん、キミらは?宗真くんの友達?」
「うん!あたしは櫻井ちなつ」
「私、藤枝ゆき。……よろしく」
「へー、ちなつちゃんにゆきちゃんかぁ〜!『ちなつちゃん』って言いづらいな?『ちなっちゃん』でええ?」
(あ、まずい)
 宗真の脳裏に、ゆきの地雷原マップが一瞬で広がる。ゆきはちなつが答える前に、間髪入れずに微笑んだ。
「駄目だよ?ねえ?」
 声は柔らかい。だが目は笑っていない。
「?? なんで?」
 嵐士は一瞬だけゆきを見て、何かを察したように肩をすくめた。
「いやー、なんかゆきちゃんが駄目みたいやからやめとくわ!あはは。」
 軽く両手を上げて降参ポーズ。場の空気が、ほんのわずかに緩む。
(察した……?)
 宗真は横目で嵐士を見る。ゆきは何事もなかったように微笑んでいる。
「そういえば赤星くんって、関西の人なの?」
「生まれは向こうやけど、こっちおる期間のほうが長いかな。せやけど、このしゃべりはなかなか抜けへんもんやね」
(まあ、嘘やけど)
 心の中でだけ、さらりと呟く。
「へー!なんか芸人さんみたい!てかさ、宗真んちに住んでるってほんと?どういうこと?」
「月城流をちょっと学ばせてもらお思てな。住み込みで修行や」
「えー、すごいね!ひとつ屋根の下か〜、なんだか楽しそう!」
「全然楽しくねえからな!ただの押しかけ居候だし!」
「ひどいなぁ。ボク、宗真くんとはもう仲良しや思てたのに」
「どこがだよ!」
 ちなつはくすくす笑い、ゆきは静かに二人のやり取りを観察している。
……この人、軽いけど『フリ』って感じ)
 ゆきの中で、嵐士はすでに“要注意人物”フォルダに分類されていた。
「赤星くんって剣道はどのくらい強いの?宗真に勝てる?」
「いやー、どうかな?宗真くんとは初日に手合わせたけど、その時は……
……オレの負けだったよ。でもオレ女だし、体格的にも差があるし……!新月の時に男に戻ったらわかんねえからな!」
「あ、そっか。新月設定あったね」
「設定とか言うな」
「いや?響姉さんにはボクも勝てんかったし、性別のせいってわけでも……
「う、うるさいなっ!響姉は色々別格なの!」
 むきになって声を荒げる。
(待てよ?)
 その瞬間、宗真の中で何かが噛み合った。
(新月の時にリベンジして勝てば、今度こそこいつを追い出せるんじゃ?)
 条件付きで勝負を申し込もうか。勝てば、嵐士は出て行く。負ければ――悔しいけど、風呂の件はチャラ。
……いや、チャラは嫌だけど。でも出てってもらえるなら)
 宗真は嵐士をまっすぐ見た。嵐士はにこりと笑う。
「なんや、また勝負しようとか考えてる顔やな?」
……別に」
 図星。嵐士は少しだけ目を細めた。
(本気で来る気やな)
 軽薄そうな笑みの奥で、ほんの少しだけ、剣士の目になる。10分休みのざわめきの中で、宗真の胸の中に、ひとつの決意が静かに芽を出していた。
 
 昼休み。
 ざわつく廊下の一角に、宗真は嵐士を呼び出した。嵐士は壁にもたれ、いかにも退屈そうにスマホをいじっている。
「なんやの、急に。告白ならもうちょい雰囲気あるとこ選びや?」
……おい。新月の時、もっかい勝負しろ」
 嵐士の指が止まる。
「んー?ええけど。ボク、別に雑魚狩りは趣味やないんやけどなぁ」
 宗真の拳が、ぎゅっと握られる。
「やってみなきゃわかんないだろ。とにかく――オレが勝ったら、出てってもらうからな」
 廊下の空気が一瞬だけ冷える。
「あー、そういうノリ?……で?ボクが勝ったら、宗真くんは何してくれんの?」
 宗真は一瞬、視線を逸らし――それでも睨み返した。
……お前が風呂覗いたことは、水に流してやる」
「なんやそれ。ボクへのリターン、少なない?まあ……負ける気せぇへんし、別にええけど」
 くす、と余裕の笑み。
「じゃあ、二週間後な!逃げんじゃねえぞ!」
……はいはい。負けて泣いても知らんで?」
 宗真は背を向け、足早にその場を離れる。その背中を、嵐士はしばらく見送っていた。
……本気やな。おもろなってきたわ)
 決闘まで、あと二週間。新月が、静かに近づいていた。

 教室へ戻ろうとしたところで、後ろから声がかかった。
「宗真くん!」
 振り向くと、少し息を切らした海成が立っていた。
「昨日はごめんね。ちゃんと話、聞いてあげられなくて」
……海成か。もういいよ、気にしてないから」
 海成はほっとしたように笑う。
「居候の彼、転校してきたんだって?樹くんから聞いたよ」
……うん。でも、追い出してみせるよ」
「え?」
「あいつと決闘する」
「け、決闘!?それって……決闘罪になるんじゃ……
「ならねえよ!?殺し合うわけじゃないからな!普通に剣道だよ、剣道。今日から響姉にも稽古に付き合ってもらうつもり」
 その目は、冗談ではなく本気だった。
……すごい。宗真くん、本気なんだね。そういえば僕、宗真くんが剣道してるところ、見たことないな」
「まあ、学校じゃやってないしな」
「当日、見に行ってもいい?」
……うん、いいけど」
 海成は少しだけ視線を逸らす。
(一応、樹くんにも声かけないと……フェアじゃないよね)
「樹くんも誘っていい?きっと応援したいはずだよ」
「ああ、別にいいけど……見せもんじゃないからな!?」
「うん。わかってる。……でも、応援はさせて」
 柔らかい声だった。
「じゃあ、頑張って」
 宗真は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷く。
……おう」
 廊下の向こうから昼休み終了のチャイムが鳴る。二週間後の新月へ向けて、静かに歯車が回り始めていた。

 そして放課後。
 西日が差し込む道場には、静かな空気が流れていた。畳の匂いと木の床の軋みだけが、やけに大きく感じる。そこにいたのは、響ひとりだけだった。
「あれ……あいつ、来てないの?」
「うん。放課後はしばらく、昔使ってた道場で稽古するんだって。……あたしと稽古すんの、嫌になっちゃったのかなー?」
「そんなことないと思うけど……
(もしかして、あいつオレに気遣ってんのか?……いや、逆に卑怯な技とか修得してんのかも!)
 響は竹刀を肩に担ぎ、くすっと笑う。
「で?今日は何しに来たの」
「オレ、響姉に稽古つけてもらいたいんだけど……いい?」
「え!?いいけど……今さら何であんたが稽古なんか?体育で剣道でもやるとか?」
「違うけど……二週間かけて、ちょっと本気で強くなりたくて」
 響は一瞬だけ目を丸くし、それから面白そうに口角を上げた。
「ふーん?ま、なんでもいいけど。嵐士くんもいないし、稽古相手にはぴったりかもね」
……まあ、響姉に勝てないあいつにも、オレは負けてんだけどな」
「そういうこと言ってたら、あたしにも嵐士くんにも勝てないままだよ?気持ちで負けちゃダメ」
 宗真ははっとして、背筋を伸ばす。
「そ、そうだよな!じゃ、とりあえず準備運動から付き合ってもらっていい?」
「はいはい。怪我して泣きつくのはナシだからね」
 道場に足音が響く。竹刀が触れ合う乾いた音が、静寂を破った。
――そして。宗真の、二週間の特訓が始まった。

 夕暮れどき。
 静乃が帰宅すると、玄関には宗真と響の靴が並んでいた。けれど、居間には人の気配がない。
……?」
 首を傾げ、廊下の奥へ視線を向ける。かすかに、竹刀の打ち合う乾いた音が聞こえた。
 まさか、と思いながら道場を覗くと――そこには、真剣な表情で向かい合う宗真と響の姿があった。
……どういうこと?」
「あ、お姉お帰り!」
 響はぱっと竹刀を下ろし、宗真を手で制して稽古を中断させる。宗真は肩で息をしていた。額には汗が滲んでいる。
「あんたが真面目に稽古するなんて……何があったの?」
「ちょっと強くなりたくてさ!それに、ダイエットにもなるし!」
「あんた細いし、別に必要なくない?」
 響がくすっと笑いながら口を挟む。
「でもさ、宗真がこうやって真面目に何かに打ち込んでるの、珍しいじゃん?しかも、それがあんなに逃げてた稽古だし。あたしは応援しようかなって思ってるんだ」
 静乃はじっと二人を見比べる。
「ふーん?今、嵐士くんがいないから、代わりに稽古相手が見つかって助かってるだけかと思ったけど」
「こ、心読むのやめてってばー!」
 道場に笑いが広がる。宗真は少しだけ視線を逸らし、竹刀を握り直した。

 そして、夕飯時。玄関の戸が開く音がする。
「ただいま帰りましたー!静姉さん、ボク夕飯の支度手伝います!」
「おかえり。嵐士くんがいつも手伝ってくれて助かるわー。宗真のやつは、しょっちゅう家の手伝いサボるし」
「はは。まあ、ボクは居候の身ですから。家のことぐらい、ドーンと任せてくださいよ」
 エプロンを手に取りながら、自然な笑みを浮かべる。静乃はふと、その横顔を見つめた。
「で……どこ行ってたの?」
 一瞬だけ、嵐士の目が細くなる。
……ちょっと、昔の道場に」
 軽く答えるその声音は、いつも通りの柔らかさだったが――
どこか含みを帯びていた。

 そして翌日、一年三組。朝のざわついた教室。嵐士は自席で、さっそくクラスの男子たちに囲まれていた。
 その少し前――前の席に座る宗真の耳にも、当然ながら会話は入ってくる。
「よ、転校生。昼休みに体育館でバスケやってんだけど、お前も来ない?」
「バスケかあ〜。ボクそんなに運動得意やないけど、別に断る理由もないしな」
「剣道得意なら運動もできるだろ!それにさ、月城の家のこととか聞きたいし。あいつも可愛いけど、あいつの姉ちゃん達も美人でスタイルもいいって噂じゃん?」
 宗真の肩がぴくりと揺れる。
(聞こえてんだよ……!誰がそんな噂流してんだよ。てかキモいなコイツ!)
 嵐士は一瞬だけ視線を宗真の後頭部へ向ける。だが、すぐにいつもの軽い笑みに戻った。
「まあ、宗真くん達のことは置いといて。バスケには行くから。ほな、また後で」
 男子たちは「おー!」と盛り上がりながら散っていく。
……風呂覗いた変態のくせに、キモい話には乗らないんだな。変態の中でも色々あんのか?)
 前を向いたまま、宗真は小さく舌打ちする。背後では、嵐士が机に肘をついて、どこか楽しそうに窓の外を眺めていた。

 そして、昼休みの体育館。宗真がこの時間にここへ足を踏み入れるのは、四月以来だった。
 あのとき――女の身体になったばかりで、無謀にも男子の輪に混ざってバスケをしようとした。結果は散々で、居心地の悪さだけが残った。それ以来、近づいていなかった場所。
 だが今日は違う。嵐士や他の男子たちに見つからないよう、こっそりと。宗真は体育館二階へ上がり、暗幕の巻かれた隙間に身を滑り込ませた。
 薄暗い布の影から、コートを見下ろす。
……なんでオレ、あいつの後なんかつけてんだ……
 自分でもよくわからない。胸の奥が、妙にざわつく。
(そっか、「見張り」だ!あいつが他のやつに余計なこと吹き込んで、オレや姉ちゃんズに迷惑かけられたらたまんないから!そうだそうだ、見張りだ)
 半ば無理やり、理由をこじつける。

 やがて、バスケが始まった。ボールの弾む音。シューズが床を擦る音。男子たちの笑い声。
――けれど。
 宗真や姉たちの話題など、一切出ない。ただただ、平和な時間が過ぎていく。
……なんだよ)
 そして、注目すべきは嵐士だった。本人は「運動は得意じゃない」と言っていた。
 だが実際は違った。派手さはないが、動きは軽い。
パスの判断も速いし、シュートも安定している。決してエース級ではない。
 けれど、確実に“できる側”の人間だ。海成は置いておくとして――ヨツダよりも。そして、男だった頃の自分よりも。上かもしれない。
……こいつに、勝てるのか……?)
 暗幕の影の中で、宗真は無意識に拳を握る。 不安は、確かにそこにあった。

 やがて、男子たちが体育館を出ていく。
笑い声が遠ざかり、扉の閉まる音が響いたのを確認してから――宗真は暗幕の影からそっと抜け出した。二階から降り、静まり返ったコートへ足を踏み入れる。
……よし、誰もいないな)
 そう思った、その瞬間。
「おっと、ボール置いてくとこやったわ」
 背後から声がした。
「は、はああ!?なんで戻ってくんだよ!」
 振り向くと、ボールを拾い上げる嵐士の姿。
「戻って……?ってことは、ボクのことずっと見てたんか」
 にやり、と笑う。
「かわいいなー、宗真くんは」
「だ、誰がお前なんかっ!」
 嵐士はくるりとボールを指先で回す。
「なんや。ボクがバスケしてんの見て、惚れ直したんかと思たけど違うんか?」
……まあ、思ってたよりもずっと運動できるって思ったけど」
 言った瞬間、しまったと思う。
「そこは認めてくれるんか。嬉しーなぁ」
 目を細めて、しかし次の瞬間。
「でもま、舐めプやけどな?」
……え?」
 嵐士は軽く肩をすくめる。
「バスケ部のやつらもおったし。ボクが本気でやって、わざわざ空気悪うしたないしな」
 ボールを抱え、宗真の目をまっすぐ見る。
「こんな昼休みのバスケなんて、所詮レクやん?ボクかてそのくらい、空気は読むよ」
 そして、ほんの少しだけ声のトーンが落ちる。
……あ、宗真くんとの勝負は、ちゃんとガチでやるから、安心してほしい」
 体育館の広さが、急に静まり返る。宗真は言葉を失う。
……こいつ)
 冗談めいた顔の裏に、確かな自信。そして、余裕。その差を、宗真は改めて思い知らされていた。

 放課後。今日も宗真は、道場で響と向き合っていた。
竹刀のぶつかる音が、夕暮れの空気を震わせる。足さばきはまだ荒い。だが、昨日よりも踏み込みは深い。
 そこへ、引き戸の開く音がした。
――響から聞いてたが、本当に真面目に稽古するとはなぁ」
 珍しく仕事を早く上がれたらしい宗二が、腕を組んで立っている。
「もう少し早くやる気になってくれてたら、こんなことにはなってないだろうにな」
「お父さん、それ言っちゃう?そしたら私、次期当主になれてないと思うんだけど」
 宗二は「それもそうか」と苦笑する。
「てかさ!口挟むくらいだったら、父ちゃんもオレの相手してよ!」
「構わないが……
 宗真をじっと見る。
「あれだけ逃げ回ってたお前から、稽古に付き合えと言われるとはな。正直、変な感じだ」
 宗真は一瞬だけ視線を逸らすが、すぐに竹刀を握り直す。
「まあまあ。動機はわからないけど、やる気になること自体は悪くないじゃん」
 宗二はゆっくりと道場へ足を踏み入れ、竹刀を手に取る。
 空気が、変わる。響とは違う。もっと重く、静かで、隙のない圧。
「怪我しても知らんぞ」
……望むところだ」
 面をつける。深く息を吸い、構える。
 父と息子――見た目は娘。奇妙で、けれど確かな対峙。
 そして。父と宗真の稽古が、始まった。

 やがて夕飯時になり、嵐士もどこかから帰宅したことで、稽古はひとまず中断となった。面を外し、汗を拭いながら宗真はその場に座り込む。
「どうだ、宗真。久々の父さんとの稽古は?」
……なんでオレが逃げ回ってたのか思い出したよ」
 肩で息をしながら、苦笑する。宗二は低く笑った。
「でも今日は、お父さんに鍛えられてだいぶレベル上がったと思うよ。最後にあたしと試合したとき、こっちがちょっとヒヤッとする場面あったもん」
「マジで?」
「マジマジ」
 宗真は少しだけ嬉しそうに顔を上げるが、すぐに表情を引き締める。
「でも結局、響姉にも勝ててないしなー。まだまだ強くならなきゃ!」
 そして、ふと思いついたように首を傾げる。
……ところでさ。響姉と父ちゃんって、本気でやったらどっちが強いんだ?」
 一瞬の沈黙。
「そりゃ、あたしでしょ」「父さんだろ」
 ぴたりと同時に答える。道場の空気が、じわりと変わった。
……今から本気で『やる』?」
「手は抜かないからな?」
 二人の目が、本気の色を帯びる。
「いやいやいや!言い出しっぺでなんだけどさ、夕飯だから今はやめとこうぜ……?」
 すでに竹刀を握り直しかけている二人を見て、宗真は冷や汗をかく。
(ほんと戦闘民族だよな、うちの家族……
 そこへ、夕飯の支度が終わったらしい静乃の声が飛んできた。
「いつまでやってんの。ごはん冷めるわよー」
 ぴたり、と二人の動きが止まる。
……続きは今度ね」
「ああ」
 何事もなかったかのように、竹刀を戻す。宗真は深く息を吐いた。

 食卓には湯気の立つ料理が並び、いつものように賑やかな空気が流れていた。宗真は箸を動かしながら、ちらりと嵐士を見る。
……お前、最近放課後どこ行ってんだよ?」
「あー?ま、ボクなりに色々あるちゅーか」
 にやりと笑う。
「あ、宗真くん。もしかしてボクのこと心配してくれてるん?」
「ち、ちげーよ!勘違いすんな!」
「はは、古典的な『ツンデレ』言うやつか〜!今どき逆に斬新かもなあ!」
「うるせ」
 そのやり取りをよそに、宗二が箸を止めた。
「にしても、このぶり大根うまいな。静乃が作ったのか?」
「ううん。嵐士くんがレンジでサッと作ってくれたの」
「へー!レンジでこんなに染み染みになるなんて、嵐士くんすごいねー」
「やー、ボクは大したことありませんって。すごいとしたらボクやなくて、このレシピ考えた川本さゆり先生です」
https://ameblo.jp/syunkon/entry-12702255347.html
(参考)
「嵐士くんは謙虚だなぁ!宗真も見習わないとな!」
「う、うるさいな……!」
 笑い声が広がる。宗真は箸でぶり大根をつつき、一口食べる。
……でも、悔しいけど……ほんとに美味い)
 ほろりと崩れる身。しっかり染みた味。
(運動もできて、料理もできて、コミュ力も高くて……
こいつ、弱点あるのか?)
 向かいでは、嵐士が何事もない顔で味噌汁をすする。差は、まだ埋まらない。

 翌朝。まだ空気の冷たい早朝、宗真はひと汗かいてから家を出た。今朝も響に付き合ってもらい、基礎の打ち込みと足さばきを叩き込まれた後だ。竹刀の感触が、まだ手に残っている。
 登校途中、背後から声がかかった。
「おはよ」
「あー、ヨツダか。おはよ」
 ちなみに嵐士は日直のため、すでに先に登校している。ヨツダは歩調を合わせながら、ちらりと宗真を見る。
「海成から聞いたけどさ。お前、次の新月のときにあの居候と決闘すんだって?だから最近、稽古頑張ってるとか」
「まあな」
 短く答える。
「海成のやつ、俺にも見に来いって言ってたけど……お前的には、俺も行った方がいいのか?」
 宗真は少し考え、それから肩をすくめた。
「まあ、どっちでもいいよ。正直言って、自信ないし」
「は?」
「付け焼き刃で勝てる相手とも思ってないし。オレが負けるとこをお前らに見せて、どうすんだって気もするし」
ヨツダは眉をひそめる。
「なんだ。努力してる割には、随分弱気だな?その決闘だって、お前から申し込んだんだろ?」
「そうだけどさ……
 一瞬、言葉を探す。
「あいつ……悔しいけど、意外と非の打ち所がないっていうか。剣道も強いし、運動もできるっぽいし、料理も上手くて……
 歩きながら、ぽつぽつと続ける。
「オレ、なんなら勝てるんだろって。あいつ、オレの上位互換っていうかさ……
 ヨツダはしばらく黙って聞いていたが、やがてぽつりと言った。
……途中から、剣道の話じゃなくなってないか?」
……え」
「お前、勝ち負け以前に、あいつのこと気にしすぎだろ」
 宗真は言い返せず、視線を逸らす。朝の光が、二人の影を長く伸ばしていた。

「俺……未だに部員足りなくて、サッカー部でも試合出たことないし。勝負事のことも分からないけどさ」
……
……やっぱり、自分から挑戦してるんだから、ぶつかってくしかないと思う」
「そ、そうだよな。そういえば響姉にも“気持ちで負けるな”って言われてたし……!」
 気づけば、いつの間にか校門まで来ていた。そこへ、しれっと海成が話に加わる。
「それに、新月で宗真くんが男に戻るなら、多少はリーチも伸びたり、力も出せるんじゃないかな?」
「う……うん!」
(こいつ、いつの間に?)
「しかも、まだ相手は“男の宗真くん”とは試合してない。データもないはずだし。そう考えたら、ある意味宗真くんの方が有利って言えるかも」
「そっか……! よし! オレ、もっと頑張ってみる! じゃあなっ」
 そう言うと、宗真は一人で昇降口へ駆けていった。
「樹くん、結構精神論でごり押すタイプなんだね?」
「な、なんだよ……悪いかよ」
「ううん。そうじゃなかったら、逆に僕が宗真くんのメンタルケアを担当してたかなって。こういうのは分担した方が響くよね?」
……知らねーよ。俺、もう行っていいか?」

 そして、新月の日。宗真は、この日の放課後に試合を控えていた。朝、目を覚ますと――もちろん体は男に戻っている。制服の学ランに袖を通しながら、胸の奥がわずかに高鳴るのを感じていた。
「あれ、あんた……ちょっと背伸びた?」
「え、マジ?」
「ほんとほんと。ちょっと柱の方来て」
 言われるがまま柱の前に立つと、静乃が手際よく身長を測る。
……150.2cmだって」
「いつの間に150cm台に!?」
(でも、今日のこと考えたら……身長が伸びてるのは正直うれしいけど)
「男の時はちゃんと背伸びてんのねー。変なの。女の子の時はあんまり変わってない気がするのに」
「静姉……どっちかというと、こっちが“ほんとのオレ”なこと、忘れてない?」

 その日は、体育の授業があった。これまで新月と重なることはなかったが、宗真は“男に戻った日”は男子側で授業に参加することになっている。
 今の単元は――器械体操。
(よし、跳び箱なら楽勝だな)
 内心で小さく拳を握る。
「じゃあ、まずは8段を跳ぶ手本を――
「はーい! 赤星がいいと思います!」
「赤星、昨日バスケもすごい上手かったしな!」
 周りの男子が嵐士を持ち上げる。
「えー? みんな褒めすぎやろ」
「本当か? じゃあ、転校生の赤星にやってもらうか」
「もう、しゃーないなあ……
 そう言いながらも、嵐士は軽く助走をつけ――踏み切り、空中で体をしなやかに伸ばし、いとも簡単に8段を跳び越えてみせた。着地まで、完璧。
(こいつ……!オレだって、そのくらいできるし!)
 宗真の胸の奥で、ふつふつと熱が湧き上がる。

「先生。……僕も跳んでみていいですか?」
「おお、月城もやる気だな。じゃあ、手本を頼む」
(宗真くん、なんや?意地張って)
 ざわめきの中、宗真は助走をつける。踏み切り、空中で体をまとめ――きれいに跳び越え、そのまま乱れのない着地。
「赤星も月城もすげーな!」
「もっと高いのいけんじゃねえのか!?」
(ふん。オレだって……
 胸の奥で、さっきの悔しさがじわりと形を変える。やがて「各自、好きな段数に挑戦していい」という流れになり――
「よし、9段!」
「んだと!? じゃあオレ10段!」
「じゃあボクは11段の閉脚跳び!」
「じゃあオレは12段の台上前転!」
「ほな、13段いったろか!」
「上等だ!」
 段数はみるみる積み上がり、技もどんどんエスカレートしていく。
……小学生か、こいつら」
「体育でマウント合戦すな」
 周囲の視線は、次第に呆れへと変わっていった。それでも――二人だけは、止まらない。

 やがてチャイムが鳴り、授業は終了。跳び箱の前で、二人は肩で息をしていた。
「なんや、ボクらアホみたいやな。試合は放課後やのに、こんな授業に必死こいて……
…………
 笑い混じりの声とは裏腹に、互いの呼吸はまだ荒い。
……やっぱ、男の時のほうが疲れにくいし、できることも多いな)
 胸の奥に浮かぶ、確かな実感。それは優越感というより――どこか、複雑な安心だった。

 そして放課後。宗真と嵐士は、向かい合うように道場に立っていた。もちろん、海成とヨツダも応援に来ている。いつもなら、何かしら軽口を叩きに宗真のほうから近づいてくるはずだった。
 だが今日は――それすらない。ただ静かに、視線を落とし、呼吸を整えている。
「宗真くん、いつもとちょっと違うね」
「ああ……
 張りつめた空気は、嵐士のほうも同じだった。普段なら愛想よく絡んでくるはずなのに、今日は海成たちに目もくれない。
……赤星くんも」
…………
……男の勝負って、こんな感じなのか?昨日まで“女だった”あいつがやってるってのも、なんか変な感じだけど……
 ざわめきも消え、道場はしんと静まり返る。
 やがて――審判として響が中央に立った。
……始め!」
 その一声で、試合の幕が上がった。

 開始と同時に、宗真は鋭く踏み込んだ。竹刀の切っ先をわずかに揺らし、相手の中心を攻める。
……ほんとだ。海成の言う通りだ。男の時のほうが、リーチもある。打ちも、強く押し込める!)
 一歩、二歩。間合いを詰め、思い切りよく面へ打ち込む。鋭い踏み込みとともに、床を打つ音が道場に響いた。
……結構、強くなったやんか)
 受け流しながら、嵐士はわずかに目を細める。
(腐っても元次期当主、か)
 宗真は攻めの手を緩めない。連続で小手を狙い、すぐさま胴へとつなぐ。
(いける――!)
 しかし。
……甘い)
 嵐士の足が、すっと半歩だけ引く。ほんの数センチの差。男の身体に戻り、今日は確かに身体能力は上がっている。
 だが、この二週間――宗真が稽古を重ねていたのは、小柄な女の身体だった。そのときに身体に染み込ませた“間合い”。それが、今の身体とわずかに噛み合わない。
 踏み込みが、ほんの少しだけ深い。打突の間が、ほんの一瞬だけ早い。
 その“微妙なズレ”が――決定的な隙になる。宗真の面打ちが空を切った、その瞬間。嵐士の竹刀が、一直線に伸びた。
 鋭い踏み込み。迷いのない一撃。
――面。
 乾いた音が、道場に響き渡った。

 宗真はいとも簡単に一本を奪われた。
……勝負あり!」
 道場に、乾いた宣告が落ちる。
……負け、た……?)
 一瞬、頭が真っ白になる。
「あー、残念やなぁ? ま、宗真くんもなかなかよう頑張ったっていうか?」
 軽い口調。だが、その余裕が余計に胸を刺す。
……誰が、一回勝負だって言った?」
「は?」
「まだまだ!」
 竹刀を握り直す。
「お、おい……往生際が――
……やらせてあげようよ。次は勝てるかもしれないし」
「うーん……
 再び、構え。だが――面。小手。胴。
 何度打ち込んでも、ことごとく返される。何度踏み込んでも、その先を読まれる。気づけば、宗真の息は荒く、足取りも重い。
――それでも。何度倒されても、竹刀を拾い、立ち上がる。
「宗真くん、もうやめようよ! 僕……見ていられない!」
 先ほどまで“往生際が悪い”と言っていたヨツダは、別のことを考えていた。
(こいつ……ルールも無視して、ただあの野郎に一矢報いたいってだけで、何度も立ち上がって……
 この間にも、また一本。宗真はよろめきながらも、構え直す。
(正直……かっこいい、かもしれない)
 胸の奥から、思わず声が飛び出す。
「宗真っ!! 勝つんだろ!」
……ヨツ、ダ……?)
 荒い呼吸の中で、その声だけがはっきりと届いた。宗真の目に、もう一度だけ火が灯る。

 何度目かの立ち合い。宗真は、ついに――鋭く踏み込み、嵐士の隙をかすめ取るように打ち込んだ。
 乾いた音。一本、とまではいかない。だが確かに、“一矢報いた”手応えはあった。
 それでも。次の瞬間には、倍以上の速さで返される。
 視界が揺れ、足がもつれ――宗真はそのまま、畳に崩れ落ちた。
……試合終了。
 
「はー……ええ勝負やったわ。宗真くん、ほんま頑張ってたで」
 その声に、さっきまでの軽さはない。からかいではなく、彼なりの本心だった。
「宗真くんっ! ……大丈夫かい?」
「うん……。ごめんな、勝つとこ見せられなくて……
「そんなことはいいんだよ。宗真くんが無事ならさ。ねえ?」
「あ、ああ……
 荒い息を整えながら、宗真は二人を見る。
「二人とも、応援してくれてありがとな。ヨツダなんか最後、あんなデカい声出しちゃってさ」
 そこでようやく――いつもの軽口と、いたずらっぽい笑みが戻る。
(やばい。今はこいつ、男なのに。俺って、結構本気で――
 胸の奥が、ざわつく。
……ごめん、ちょっと用事思い出した。先帰るわ。お疲れ」
 それだけ言って、そそくさと道場を出ていく。今は、そうするしかなかった。
「お、おい!? どうしたんだよ!」
「い、樹くん?」
 取り残された二人の間に、まだ熱の残る道場の空気が、静かに揺れていた。

 静まり返った道場に、不意に電子音が響いた。嵐士のスマートフォンだ。
……はい、嵐士です。今ですか? まあ、ちょっと宗真くんと軽く“運動”してたとこですけど?」
 一瞬、いつもの調子で笑う。
……嘘だって? いやいや、そんなわけ――はあ!? じゃあボク、クビですか?」
……クビ?)
 宗真の胸が、ざわりと揺れる。
「勝手なことをしたのは謝りますけど、ボクが一番適任やと思いますけど? 年も近いですし、今さらそんな……!」
 電話口からは怒声こそ聞こえないものの、ただならぬ叱責であることは、この場にいる三人――宗真、海成、響にも伝わった。
 やがて、嵐士はゆっくりと通話を切る。ほんの数秒、沈黙。
……おめでとう、宗真くん。キミは試合には負けたけど、勝負には勝ったみたいや」
……は?」
「ボク、この家を出てくことになった」
「え、なんでいきなり……?」
「お、宗真くん。ボクのこと引き止めてくれんの? 口では色々言っといて、結局ツンデレやったんやね」
「ち、違ぇよ! 急すぎるから理由聞いてるだけだ!」
……まさか)
 海成は、宗真の横顔をそっと見る。
(宗真くん、嵐士くんのこと……本当に認めてた?)
「なんか、“クビ”とか聞こえたけど……?」
 響が問う。
「ま、そこは何とか免れました。ただ――宗真くんに試合とはいえまた剣道やらせたんと、宗真くんをボコボコにしたんが、ようなかったみたいや。向こうさん、もうカンカンやな。帰ったらとことん絞られるやろなぁ」
 それまでの宗真なら、「ざまあみろ。どこにでも行っちまえ」と吐き捨てていたはずだ。
だが、この二週間と今日の戦いが――知らぬ間に、心のどこかを書き換えていた。
……なんだよ、それ。お前、風呂覗いた以外はそんな悪い奴じゃないって思ってたのに……
「またそれかいな」
 苦笑する。
「まあ、どうせ向こうでのボクの株も下がりに下がって、もう底やろ。この際やし、宗真くんには教えとこか」
「何をだよ?」
「ボクが宗真くんの風呂覗いた理由」
……お前が変態だからじゃねえの?」
「まあ、ボクも正直したくはなかったけどな。……と言っても、宗真くんには言い訳にしか聞こえへんやろうけど。でもな――呪いが解けてないかを、どうしても確認せなあかんかった人がおってな」
……それって、誰のことだよ?」
「いや、大体想像つくやろ? 宗真くんのことを大事に思ってる人や」
「変態のお前を飼ってる、オレを付け狙うド変態……ってことかよ」
「ボクが変態呼ばわりされるのは置いとくとしてやな。その人のことを、そういう言い方するのはやめた方がええかもな」
「なんでだよ……?」
「おっと、喋りすぎたかな。また“かあさん”にどやされたらたまらんわ。……っと、それこそ喋りすぎか」
……かあさん?)
 宗真の胸が、またひとつ波立つ。嵐士は竹刀袋を肩にかけ、くるりと背を向けた。
「ま、とりあえず今日は楽しかったで、宗真くん。――また会うことがあるかは知らんけど。ほなな」
 軽い口調のまま、しかし振り返らずに歩き出す。道場の外へ消えていくその背中を、宗真はただ、黙って見つめていた。
 胸の奥に残るのは――悔しさか。寂しさか。それとも、まだ名前のつかない感情か。
 誰も、まだ分からなかった。