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ポほ
2026-03-28 05:34:33
10943文字
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跡取り息子、やめました!?
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宿泊学習!…の夜
りやめ二学期編第4話
夕食前の自由時間。宗真たちは部屋に戻り、すっかりくつろいだ雰囲気で過ごしていた。
そんなとき、部屋のドアがノックされる。
「おーい、月城。福田いる?」
呼ばれた福田は、部屋の奥で荷物を整理していた。
「福田さーん!呼ばれてるけど」
「ありがと。今行くねー」
そう言って福田は部屋を出ていく。
廊下の先、階段の踊り場で男子と向き合うと、二人は何やら楽しそうに話し始め、その空気はどことなく甘い。
「
……
なんだ?あいつら、そんなに仲良かったっけ?」
「宿泊学習マジック、なのかな
……
?」
「あー、ゆき。あとで福田ちゃんに話聞く気満々でしょ?」
「だって、聞くでしょ今のは
……
!」
「ほんと、お前らこの手の話好きだよな
……
」
「他人事みたいに言ってるけど、宗真だって
……
ねえ?」
「まあ
……
ねえ?」
「なんだよ、その『ねえ』って!」
「べっつに〜?」
ゆきはちらっと時計を見た。
「あ、そろそろご飯とキャンプファイヤーだね。行かないとっ」
「おい、誤魔化すなよっ!」
ゆきとちなつは笑いながら荷物をまとめ始め、
宗真は釈然としない顔のまま、それについていくのだった。
今日は課外活動終了後、早めの夕食を済ませたあと、青少年センターの広場でキャンプファイヤーが行われ、その後に入浴、就寝という流れになっていた。
夕闇の中、中央に組まれた薪に火が入ると、ぱちぱちと音を立てて炎が立ち上る。
キャンプファイヤーでは、クラスの垣根なく、誰とでも自由にレク
――
簡単なダンスに参加していいことになっていた。
宗真は、人の流れに身を任せながら周囲を見回す。
すると、先ほど部屋を訪ねてきた男子と福田が、自然に横並びになっているのが目に入った。
「あれ、福田ちゃんたち、隣同士じゃん?」
「えへへ
……
」
(展開早っ!なんだこいつら
……
)
「ち、ちなっちゃん、あのさ
……
一緒に
……
!」
「ん? いーよ!」
ちなつはふと振り返る
――
ゆきの後に一緒に踊るために声をかけようとした
――
が、宗真はその場を離れていた。
「
……
あれ? 宗真、いない」
(
……
なんかオレ、男女どっちと踊ればいいのか、わかんなくなってきた
……
)
気づけば、みんな自然にペアを作り、輪の中へ入っていく。宗真は一歩出遅れたまま、微妙にあぶれてしまっていた。
手を伸ばそうとした瞬間、宗真の手を取ったのは、ヨツダでも、海成でもなく
――
「
……
あ」
そこにいたのは、新倉つむぎだった。炎の光に照らされたその横顔がやけに近く感じられて、宗真は一瞬言葉を失う。
二人は輪の中に混じり、ぎこちなくもリズムに合わせて体を動かし続ける。
「オレたち、女同士だけど
……
いいの?」
「うん。だって櫻井さんと藤枝さんたちも一緒に踊ってるし。別に、男女で踊らなきゃいけない決まりじゃないよ」
「そ
……
そうだよな!」
ほっとしたように息を吐く宗真。炎の揺らぎに照らされながら、新倉は少しだけ視線を逸らして、続けた。
「それにね。月城が
……
あの時の顔、してたから」
「あの時?」
「ほら、四月の
……
女子トイレの時の」
入学して間もない頃。女子トイレに入る勇気が出なくて、入口の前で完全に固まっていた宗真に、新倉が声をかけて、一緒に入ってくれた
――
あの出来事。
「ああ
……
あの時の」
「うん。なんかさ、月城って放っとけないんだよね。いたずらっ子みたいな顔してるのに、困ってる時は本気でテンパってて
……
」
(ん? この流れ
……
まさか
……
)
新倉は、少し照れたように笑って、言葉を選ぶ。
「私、月城のこと
――
」
(マジか!? オレ今、女の子だけど
……
女の子に告ら
……
!?)
「昔飼ってたネコに似てるなって、初めて見た時から思ってたの!」
「ずこーーーーーっ!」
その場で派手によろける宗真。
(なんだそれ!? 期待したオレがバカだったわ!!)
「ちょ、ちょっと! なんでそんなにショック受けてるの!」
「いや
……
なんでもない!!」
キャンプファイヤーの炎は、変わらず楽しげに燃え続けていた。ただ一人、変な動揺をした宗真を置き去りにして。
新倉は、他の女子に呼ばれて輪の向こうへ行ってしまった。
(はは
……
オレには宿泊学習マジックとか、関係なかったか
……
)
一人取り残されたような気分で、焚き火の炎をぼんやり眺めていた、その時。
ふいに、宗真の手を取る感触があった。振り向くと
――
そこにいたのは、海成だった。
「宗真くん、一緒に踊らない?」
「う
……
うん!」
(独り身だと、なんか落ち着かないし
……
正直ありがたいな)
二人は輪に戻り、ぎこちなくステップを踏み始める。
「なあ海成。今日はヨツダと仲良くなれて、よかったな!」
「うん
……
樹くんのこと、僕ずっと誤解してたみたい。ちゃんと話したら、優しい人なんだってわかったよ」
「あー。あいつ、素直じゃねえからなー」
少し笑いながら言うと、海成は嬉しそうに頷いた。
「それにさ。僕のことも、名前で呼んでくれたしね。嬉しかったよ」
「え
……
?」
一瞬、足の動きが止まりそうになる。
(あいつが
……
名前で呼ぶ友達って
……
)
焚き火の爆ぜる音が、妙に大きく聞こえた。
(オレだけ、だったはずじゃ
……
)
何でもないふりをして、宗真はすぐに視線を戻す。
「そ、そっか。よかったな」
「うん!」
海成は何も気づいていない様子で、楽しそうに笑っている。その横で宗真は、胸の奥に生まれた小さな違和感を、うまく言葉にできないまま抱えていた。
炎は変わらず揺れている。だが、宗真の中では、何かが少しだけ
――
静かに、ずれてしまった気がしていた。
だが、その微かな違和感や翳りを、宗真自身がうまく隠しきれているつもりでも
――
海成の目には、はっきりと映っていた。焚き火の橙色の光を受けて、宗真の横顔はどこかぼんやりとしている。
楽しげな輪の中にいながら、ほんの一瞬だけ視線を落とす、その仕草。揺れる炎に照らされて、きつく編まれた三つ編みが、肩口で小さく揺れた。
(
……
ああ)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
(やっぱり
……
可愛い)
元気で、強気で、口が悪くて。いつもは誰よりも前に出て、冗談を飛ばしているのに。こういう時だけ、ふと見せる脆さがある。
宗真は何事もなかったように笑おうとしているが、どこか無理をしているのが分かる。吉田樹に名前を呼ばれた、その話題に触れた瞬間だけ、確かに空気が変わった。
(三つ編みが、こんなに似合うなんて。その表情が、こんなにも守りたくなるなんて
……
)
海成は、自分の胸に生まれた感情から、目を逸らせなかった。
(樹くんと仲良くなれたのは、嬉しい。でも
――
)
その喜びのすぐ隣に、別の気持ちが芽生えていることを、否応なく自覚してしまう。宗真が少しだけ俯き、焚き火の炎を見る。その横顔に、海成は思わず視線を吸い寄せられる。
(宗真くんが、こんな顔をするのは、きっと
……
)
理由は考えなくても分かってしまった。
(
……
ずるいよ、二人とも)
自分でも驚くほど、胸が騒いだ。憂いを帯びたその表情と、丁寧に編まれた三つ編みが
――
どうしようもなく、愛おしく見えてしまう。
海成は、そっと宗真の手を握る力を、ほんの少しだけ強めた。その温もりが、せめて今この瞬間だけは、宗真を現実につなぎとめてくれればと願いながら。
(
……
な、なんだよ)
手を握られた、その感触がやけに強くて。さっきまでただの輪の中の一人だったはずなのに、急に世界が海成との距離だけでできているように感じられる。
(なんで、そんな顔で見るんだよ
……
)
焚き火の明かりのせいだ。そう言い聞かせても、海成の表情はやけに真剣で、優しくて、まっすぐで。
からかうでもなく、遠慮するでもなく、ただ宗真だけを見ている。
(
……
気づかれてる?)
自分が一瞬だけ落ち込んだことも。ヨツダと海成が仲良くなったのを、嬉しいと思ったはずなのに、胸の奥でちょっとだけ、ちくっとしたことも。
(三つ編み、ほどけてないよな
……
?)
無意識に肩をすくめると、海成が少しだけ手に力を込めた。逃がさないとでも言いたげなその仕草に、心臓が一段跳ねる。
(な、なんだよそれ
……
反則だろ)
海成は何も言わない。なのに、言葉よりも伝わってくるものがあった。
――
大丈夫だよ
――
宗真くんのこと、ちゃんと見えてる
そんな声が、触れていないはずなのに、胸の内側に直接響いてくる、ような。
(
……
やめろって)
顔が熱い。焚き火のせいにするには、さすがに無理がある。宗真は視線を逸らしながら、照れ隠しのように口を開いた。
「
……
なあ、海成」
「なに?」
「つ
……
疲れてないか?ハイキングの奴ら、戻ってくるの最後だったしさ」
海成は一瞬きょとんとしてから、ふっと笑った。
「うん。今は平気。宗真くんと一緒だからかな。今日で一番元気出たっていうか」
(
……
っ!!)
胸の奥が、ぎゅっと掴まれたみたいになる。
(なんなんだよ、ほんと
……
)
宿泊学習マジックなどという言葉で片付けていい気がしない。このドキドキは、もっと
――
名前をつけるのが怖い類のものだ。
焚き火の音、音楽、周りの笑い声。全部が少し遠くなって。
宗真は、握られた手を振りほどくこともできず、ただそのまま、海成と同じリズムで踊り続けていた。
(
……
心臓、うるさすぎだろ。オレ)
でも、その視界の端に
――
見たくなかったものが、ふいに入ってきた。
(
……
あ)
ヨツダが、クラスの女子と踊っている。ぎこちないけど、ちゃんと相手の動きに合わせて、照れもせずに輪の中に溶け込んでいて。
「吉田くんってさ、結構かっこよくない?」
「わかる。最近背伸びたよね」
(
……
は?)
胸の奥が、すっと冷える。
(なんだよ、それ)
別に、ヨツダが褒められるのは初めてじゃない。むしろ、今までが目立たなすぎたくらいだ。そう頭では分かっているのに、視線が離れなかった。
(
……
あ)
その瞬間、ふと思い出す。
――
「いっちゃんはね、急にモテだすよ」
夏の終わり。都会から遊びに来たヨツダのいとこの杏奈が、何でもないことみたいに言っていた言葉。
(あの時、笑って流したけど
……
本当に、そうなのかよ)
ヨツダが、誰かと笑っている。自分の知らないところで、評価されて、見つけられていく。胸の奥で、さっきまでとは違う種類のドキドキが、じわじわと広がっていく。
(なんだよ、この気持ち
……
)
嫉妬?焦り?それとも
――
考えがまとまる前に、ふっと音楽が途切れた。
「はい、ここまでー!次は少し休憩な!」
一斉に歓声と拍手が上がる。輪がほどけ、人の流れが動き出す。
宗真は、まだ少しだけ硬くなった指先を見下ろして、自分でも気づかないうちに、ぎゅっと拳を握りしめていた。
その後、海成と並んで、ぱちぱちと音を立てる炎を眺めて。部屋に戻って、入浴時間までのんびり過ごしていた
――
はずだった。
気づけば、記憶がところどころ飛んでいる。会話の内容も、誰とどんな顔で笑ったかも、輪郭が曖昧で、頭の中だけがやけにざわついていた。
今日。バスの中でも、キャンプファイヤーでも。新倉と話して、自分の世界が少し広がった気がした。
ちなつやゆきと一緒にいるのが嫌なわけじゃない。むしろ大好きだ。安心する。でも、「いつものグループ」から一歩外に出て、誰かと自然に言葉を交わすこと。
それは、思っていたよりずっと
――
悪くなかった。
(でも
……
ヨツダや海成も、同じなんだよな)
今までとは違う相手と話して、知らなかった一面を知って、距離が変わって。頭では、ちゃんと分かっているはずなのに。
宗真は鞄から生徒手帳を取り出し、後ろのページに小さく書き込んだメモを確認する。新月の日。そして、前回来た生理の日。
新月はもちろん被っていない。けれど
――
。
(
……
あ)
今日の日付は次の予定日のちょうど一週間前だった。
(そっか。
……
生理前、か)
胸の奥のざわざわも、理由の分からないイライラも、全部「気のせい」じゃなかったんだと、少しだけ腑に落ちる。
(だから余計なこと考えて、勝手に落ち着かなくなる
……
んだよな。静姉、そんなこと言ってたっけ)
そのタイミングで、部屋の向こうから声が飛んできた。
「宗真ー!そろそろ三組のお風呂だから、準備しといた方がいいよっ」
「あ、ああ!」
返事をしながら、慌てて立ち上がる。
(
……
ちなつ達が先で、そのあとにサッと入るんだよな)
男の輪にも女の輪にも入ることのない一人の時間が寂しくなかったわけではないものの、今となっては少しありがたくもあって。
(今はちょっと
……
一人になりたいかも)
胸の奥に残った、名前のつかないもやもやを抱えたまま、宗真は入浴の準備を始めた。
宗真は、呼びに来たゆきと一緒に大浴場の前まで来た。女湯の入口には、すでにちなつが腕を組んで立っている。
「もう誰もいないから、入ってきな!」
「おう、ありがとな」
二人と別れ、脱衣所に入る。一人になると、さっき無理やり止めたはずの思考が、また静かに戻ってきてしまった。
(
……
オレが男だったら)
ドキドキする相手は、新倉に対してだけだった
――
はずだ。それなのに今は、視線一つ、名前一つで、心が無駄に揺れる。
(女だから、余計にドキドキしたり、モヤモヤしたりすんのかな)
生理前だから情緒が不安定、なんて。頭では理解できるけれど、納得できるかと言われると、正直微妙だった。
(そもそもさ
……
)
生理前になるとメンタルが変になる、っていう仕組み自体が、なんだかズルいというか、不公平というか。自分の感情なのに、自分でコントロールできない。それを「そういう時期だから」で片付けなきゃいけない感じが、どうにも引っかかる。
ガラリ、と引き戸を開け、洗い場へ入る。湯気がふわりと立ちこめ、床はしっとりと濡れている。いつもなら「広っ!」とか「気持ちよさそう!」とか、能天気な感想が先に出るのに、今日は違った。
(
……
あーあ)
心の奥で、つい、余計な本音が漏れる。
(跡継ぎはやめたけどさ。女も、やめらんねえかな
……
なんて)
自分でも呆れるくらい、逃げ腰な考えだ。そんなことできるわけがないと、分かっているのに。ふと、洗い場の鏡に視線が向く。湯気越しに映る、自分の顔。
「
……
え?」
思わず、声が漏れた。
その時、鏡に映っていた顔は
――
男の時のものだった。いや、「男の時」というよりも、本来の自分、そのものだった。一瞬、思考が止まる。
慌てて、念のために下半身へと視線を落とす。
……
確かな重みが、戻っていた。
血の気が一気に引いていく。
「ええええええええ!?な、なんでっ!?よりによって今!?」
思わず張り上げた声が、脱衣所の外まで届いたらしい。
「宗真、大丈夫!?なんか手伝おっか?」
「お、お気になさらず
……
!?」
完全に気が動転していて、言葉遣いもおかしくなっている。けれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「い、今じゃない今じゃない今じゃない!!」
半ばやけくそ気味に身体を洗い、勢いのまま湯船に飛び込む。肩まで沈み込み、深呼吸しながら、壁の時計を何度も確認した。
(持ち時間、短いんだ
……
浸かりすぎるな、浸かりすぎるな
……
ていうか戻れ、オレの身体
……
!)
必要最低限で湯から上がり、恐る恐る脱衣所へ戻る。
(もし戻ってなかったら、押し入れで寝させてもらお
……
そしたらもう完全にドラえもんだけど)
そう思いながら鏡で確認した自分の身体は
――
どういうわけか、すっかり元に戻っていた。
「
……
よ、よかったーーー!でも
……
なんだったんだ、今の」
胸を撫で下ろしつつも、心の奥に小さな棘が残る。
(気のせい、じゃないよな?新月でもないのに
……
なんでだ
……
?)
答えのない疑問だけが、静かに胸の中で渦を巻いていた。
なんとか髪を乾かし終え、宗真は部屋へ戻った。
「福田ちゃん? さっきの子と、何かあったんだよね?」
言うまでもなく、少し前に部屋まで呼びに来て、踊り場で何か話していた
――
そしてキャンプファイヤーでは福田と一緒に踊っていた、あの男子のことだ。
「ゆ
……
ゆきちゃん
……
?」
「ごめんねー福田ちゃん。ゆきがこうなったら、あたしでも止めらんないんだ」
「ひ、ひいっ
……
!」
そう言いながらも、福田の表情はどこか嬉しそうで、そのまま自然とガールズトークが始まった。宗真は部屋の隅の布団にごろりと転がる。
(恋バナか〜。オレには関係
……
)
――
ない、はずだった。
さっきの新倉と踊ったこと。 海成と踊ったこと。 そして、自分以外の女子と楽しそうに踊るヨツダの姿。それらが、やけに鮮明にフラッシュバックする。
(いやいや、あいつらに恋とか!? 当てはまんの、新倉さんだけだろ!
……
でも、新倉さんはオレのこと「昔飼ってたネコ」って
……
脈ナシ、だよな)
頭の中だけが、妙に騒がしい。
結局、福田が語ったのはこうだった。 先ほどの男子とは同じ部活(テニス部)を通して仲良くなり
――
そして、さっき晴れて付き合うことになったらしい。
その事実を引き出すまでに、いちいち歓声やら茶々やらが入り、軽く三十分はかかっていた。
「でもさ、なんか
……
ちなつも、ゆきちゃんも、好きな人いそうだよね?」
「えっ!?なんでわかっ
……
あれ?ゆき、こないだ失恋したって言ってたよね?」
「う、うん
……
やだなぁ、福田ちゃ
……
」
福田は、そっと身を乗り出して、ゆきの耳元に口を寄せた。
『あのね、ゆきちゃんが好きな人って
……
ちなつ、だよね?』
『なんでわかったの!? ぜ、絶対、誰にも言わないでね!』
『うん!』
福田は、にこりと微笑む。
「えー? 何、今の〜」
「内緒!」
「彼氏持ちってすごいなーって話してただけだよ」
「あたしまで蚊帳の外〜?ねー宗真ー、かまってよ〜」
そう言って、寝転がっていた宗真の背中に、ぴとっと抱きついてくる。
「ち、近えよっ!」
「そんな照れること?なんか久々の男子リアクションだね?」
「し、しょうがねえだろ
……
女子歴、まだ半年ちょいなんだし!」
(ていうか、さっき急に男に戻ったんだって
……
!なんて言えるわけねーけど)
「それって結構長くない?赤ちゃんなら、寝返りとか、ずり這いしてる頃だよ?」
福田が口を挟む。
「赤ちゃん換算されても分かんねーよっ!ていうか詳しいな?」
「うち、十個違いの弟いるからね〜」
宗真は、ため息まじりに天井を見上げた。
(
……
なんでオレ、こんなとこで、女子に囲まれて、恋バナ聞いてんだろ)
心臓の奥が、じわじわとうるさいままだった。
(
……
ていうか、このまま部屋にいたら、完全に恋バナに巻き込まれる流れじゃね?)
稽古から逃げ続けてきただけあって、こういう“嫌な予感”だけは妙に鋭い。ちょうど喉も渇いていた。 宗真は小銭入れを掴み、自販機でジュースでも買って、どこかで時間を潰すことにした。
(よし。あいつらが寝た頃に、何食わぬ顔で戻ろ)
幸い、点呼はすでに終わっている。
「オレ、ちょっとトイレ
……
」
宿泊所の部屋にはトイレがなく、用を足すには廊下のトイレを使うことになっていたので部屋を出る口実にはぴったりだった。そのまま廊下の突き当たりにある自販機へ向かう。周囲に誰もいないのを確認してから、硬貨を入れた。がこん、と缶が落ちる音。
(よし、バレてないな
……
)
「お前、何してんだ?」
「ひッ!?す、すみません、誤解で
……
!」
「
……
なんの誤解だよ」
……
ヨツダだった。
「お、お前かよ! もう、驚かせやがっ
――
」
文句を言いかけた瞬間、ヨツダが宗真の口元を押さえた。
「
……
静かにしろ」
その視線の先
――
廊下の曲がり角から、教師の足音と懐中電灯の光が近づいてくる。反射的に、ヨツダは宗真の腕を引いた。
二人が滑り込んだのは、廊下脇に積まれていた清掃用具入れの横、カーテンで仕切られた簡易物置だった。モップとバケツの陰、ぎりぎり二人が立てる程度の隙間。
光が廊下を横切る。
「
……
異常なし、か」
足音が遠ざかるまで、二人は息を殺したまま動けなかった。至近距離。 ヨツダの手はまだ宗真の口に触れていて、吐息が頬にかかる。
(ち、近
……
!)
心臓が、さっきからずっと落ち着かない。ヨツダがそっと手を離す。
「
……
もう行った」
「
……
っ、はぁ
……
お前、脅かすなよ
……
心臓止まるかと思った。てか近ぇし」
「それはこっちのセリフだ。お前こそ、こんな時間に一人で何してんだよ」
「ちょっと
……
逃げてただけだよ」
「は?」
「女子の恋バナ。部屋にいたら、確実に捕まる流れだったから」
ヨツダは一瞬きょとんとしてから、ふっと小さく笑った。
「
……
お前らしいな」
その笑い声が、妙に胸に引っかかる。
(なんでだよ
……
さっきから、ドキドキしすぎだろ)
ジュースの冷たさが、手のひらからじわじわ伝わってくる。 それでも心臓だけは、全然冷えてくれなかった。
二人は廊下を抜け、人目につきにくい場所へと移動した。
宿泊所の裏手、非常階段を少し上った先にある小さな踊り場。屋根はあるが壁はなく、手すり越しに夜空がそのまま見える。山の空気はひんやりとして、焚き火の匂いがまだ微かに残っていた。
「
……
ここまで来れば、さすがに見つかんないかな」
「なんで俺まで巻き込まれてんだか
……
」
「声かけてきたのお前だろ!ていうか、なんであそこにいたんだ?」
「トイレから戻る時に廊下でお前が走ってくのがちょっと見えて、寝ぼけてんのかと思って。一応、追いかけてみただけだよ」
「ふーん
……
」
ジュースのプルタブを開けながら、宗真はわざと軽い調子で言う。
「あ、やっぱオレのことが気になっちゃう系?」
冗談のつもりだった。いつものやり取りなら、ここで「は?自意識過剰」とか返ってくるはずだった。
でも。
「
……
まあ、結果的にはそうかもな」
(のってこない
……
?)
思わず言葉に詰まる。ヨツダは昼の件もあり、海成を見習って今日は少しだけ素直になってみようと思っていたのだが、宗真はその理由を知らなかった。
宗真は手すりに肘をつき、夜空から視線を逸らした。
「
……
やっぱさ。女の子と楽しく踊れるだけあって、余裕ってことかよ」
自分でも、ちょっと刺々しい言い方だとは思った。でも止められなかった。
「は?
……
キャンプファイヤーのことか?」
「他に何があんだよ」
「あんなんさ、頼まれたら踊るだろ。めちゃくちゃ嫌とかじゃない限りはさ。みんなでやってるんだし、断る方が変じゃね?」
ヨツダは本気でそう言っていた。海に行けば泳ぐし、山に行けば登る。キャンプファイヤーでみんなが踊っているなら、それに加わる。
ただそれだけのことだ。
「
……
そ、そうだけど
……
」
頭では分かっている。理屈は、全部合っている。それでも。
(じゃあなんで、こんなにモヤモヤすんだよ
……
)
手に持ったジュースはもう半分も減っていないのに、炭酸だけがやけに喉に残って、うまく飲み込めなかった。
「ていうかさ。それ言ったら、お前だって海成と踊ってただろ。誘われたら踊るって意味じゃあ、自分だって同じようなもんじゃねえか」
(
……
「海成」)
胸の奥が、ちくりとする。
ほんの些細なことのはずなのに。
(ほんとにこいつ、オレ以外のこと名前で呼んでる
……
)
返事をする気になれず、宗真は視線を逸らしたまま、代わりに別の話題を切り出した。
「
……
あのさ。実は
……
さっき風呂入ってる時にさ。なんか知らねえけど、男に戻ったんだ」
「は?マジかよ
……
でも今はもう女じゃん」
「それがさ、ほんとに一瞬だけだったんだよ」
「
……
で?なんでまた女に戻ってんだ?」
「だって風呂の時だぞ?男のまま出たら社会的に死ぬ気がしてさ。『今じゃねえだろ!!』ってめちゃくちゃ慌ててたら
……
なんか、戻ってた」
「そんなに慌てるってことは
……
新月でもないのに、って話だよな」
宗真は、はっとして空を見上げた。踊り場の向こうの夜空には、頼りない光を放ちながら、欠けた月が浮かんでいる。
「
……
俺たちさ。もしかしたら、思い込んでただけなのかもな。呪いは新月に『しか』解けないって」
「
……
は?」
「新月に呪いが解けるってのは、たぶん
……
間違ってないんだと思う。でもさ」
ヨツダは少し言葉を探すように、間を置いてから続けた。
「新月以外の時でも何かきっかけがあれば
……
条件とか、一時的かどうかとかは知らないけど、呪いが解けることもあるのかもなって」
「
……
そ、そんなん完全に後付けだろ!なんだよそれ!」
声は強がっていたけれど、胸の奥では、別の感情がざわついていた。
(
……
でも)
さっき鏡に映った「本来の自分」の顔。あれが、ただの気のせいだったとは思えない。
夜風が、二人の間をすり抜けていった。
「
……
なあ。お前にとってオレって、友達
……
だよな?」
言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。答えはわかりきっているはずなのに、聞かずにはいられなかった。
ヨツダはすぐには返さなかった。空を見上げたまま、少しだけ眉をひそめる。
「
……
今さら何言ってんだよ。当たり前だろ」
「
……
ほんとかよ」
「ほんとだって。じゃなきゃ、こんな時間に一緒に先生から逃げ回ったりしねえだろ」
「
……
そりゃ、そうだけどさ」
(でも
……
)
友達。その一言で片付けていいのか、わからなくなっていた。男だった時も。女になってからも。
ヨツダの前に立つと、どこか足場が不安定になる。
「
……
オレさ、最近、よくわかんなくなるんだよ。誰かと一緒にいる時に、どんな顔してればいいのか、とか」
「
……
」
「前
……
男だった時は、何も考えずにいられたのに」
夜の空気に、言葉が滲んでいく。
「今は
……
友達って言葉でいいのかも、それ以外の呼び方があるのかも
……
俺だってよくわかんねえよ」
ヨツダは、今度は宗真の方を見た。その目は、いつもよりも少しだけ真剣だった。
「お前が男だった時と、女になってからで、同じようにいられてるかって言われたら
……
正直、俺も自信ない」
「
……
っ」
「でもさ。だから今はやっぱり『友達』でいいんじゃねえの。少なくとも、嘘じゃないんだし」
その言葉は、妙に優しく胸に落ちた。
(
……
友達、か)
安心と、少しの物足りなさ。両方が混ざったまま、宗真は小さく息を吐いた。
「
……
そっか。じゃあ、とりあえずはそれでいーや」
「とりあえず、な」
二人の間に、気まずさと静けさが同時に流れる。欠けた月が、さっきより少しだけ明るく見えた。
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