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ポほ
2026-03-28 05:30:37
9092文字
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跡取り息子、やめました!?
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山行くの?オレはうどん作ってるわ
りやめ二学期編第3話。
宗真の出番はかなり少ない
そして宿泊学習の当日。
「おーっ、三つ編み!?かわいい!」
「宿泊学習だから、ちょっと特別。ね?」
「ありがと静姉!楽しんでくるっ」
「はしゃいでケガとかしないようにね。気をつけて行ってらっしゃい」
「はーい!」
そうして宗真は、少しだけ気分を上げて家を出た。学校前から貸切バスに乗り込む。
車内では自然と席が決まり、ちなつとゆきは並んで座った。そして宗真の隣に腰を下ろしたのは
――
新倉つむぎだった。
四月、女子トイレに行けずに立ち尽くしていた宗真を気遣い、一緒に入ってくれた心優しい女子。六月の新月の日、宗真が男に戻っていた時に日直が一緒になり、少しだけ異性として意識してしまった相手。
もっとも、それももう三か月以上前の話だ。
今の宗真にとっては、「普通のクラスメイトの一人」という認識に、いつの間にか落ち着いていた。
「月城く
……
あ、月城さん、なんだか久しぶりだね?」
「あー
……
『くん』とか『さん』とか、めんどくさいからさ。呼び捨てでいいよ」
「じゃあ
……
月城。今日の三つ編み、可愛いね」
「え、ほんと?ありがと。姉ちゃんにやってもらったんだ」
「へえ。月城、お姉さんいるんだ」
「うん。怖い姉ちゃんと、もっと怖い姉ちゃん。で、その『もっと怖い方』がやってくれた」
「そんなに可愛くヘアアレンジしてくれる優しいお姉さんなのに、『怖い』んだ?」
「いや、オシャレ好きなのと怖い姉ちゃんなのは両立するんだって!」
「あはは。そんな感じなんだ。
……
いいなぁ、私ひとりっ子だからさ。特に上にお姉ちゃんがいるのって、ちょっと憧れる」
「いやー
……
女の子ならいいかもしれないけどさ、姉と弟の組み合わせはヤバいよ?ずーっと尻に敷かれる感じっていうか
……
」
「でも、それも含めて賑やかで楽しそうだなって思うよ」
宗真は一瞬だけ言葉に詰まった。
(
……
そういう考え方もあるのか)
新倉と話していると、自分とは違う角度から物事を見せられることが多い気がする。
(なんか、新倉さんと話してると
……
色々勉強になるな)
バスはエンジン音を響かせながら走り出す。この先に待っているヨツダと海成のハイキングのことなど、この時の宗真はまだ、あまり深く考えていなかった。
新倉との会話が途切れないまま続く中、宗真はふと考え込んだ。
(
……
そういえば)
女子のグループというものは、一度固まると、あまり外の子と話さなくなる。静姉も響姉も、前に「女子ってそういうもん」と言っていた。
(でもさ)
ちなつやゆき以外のクラスメイトと話しても、何も悪いわけじゃない。むしろ、今日みたいに普通に楽しく話せる相手だっている。
(なのに、なんでオレ
……
)
気づけば、自分からその輪の外に出ようとしたことは、ほとんどなかった。姉達の言葉を鵜呑みにし、「女子のグループはこういうものだ」とどこかで納得して、疑いもしなかった。
(オレもいつの間にか、そういう“女子文化”に取り込まれてたんかな
……
)
それが悪いわけではない。居心地もいいし、ちなつやゆきと一緒にいる時間は楽しい。
けれど
――
(だからって、世界を狭める必要はないよな)
そう思うと、胸の奥が少しだけチクッとした。宗真は、小さく息を吐いて、ほんのわずかに反省する。
(
……
こういうのは、あんまり良くないかもな)
バスは変わらず走り続け、車窓の景色がゆっくりと流れていく。
一方その頃、1組のバスでは
――
。
ヨツダは、海成の隣の席に座っていた。本当は、いつものクラスの友人と並ぶつもりだったのだが。
「若林くん!僕、吉田くんの隣に座ってもいいかな?」
「え?
……
あ、ああ」
あまりに勢いがあったせいか、若林は深く考える間もなく席を譲ってしまったのだった。バスが走り出してしばらくした頃。
「
……
お、おい江沼。大丈夫か?」
隣を見ると、海成の顔色が明らかに悪い。
「う
……
」
「お前、車酔いするタイプだったのか?夏休みに海に行った時は平気だったよな
……
?」
「山道が苦手で
……
!ちょっと、酔い止め飲むから」
そう言って、海成は慌ててカバンを探り、酔い止めを口に含んだ。ヨツダは少し迷った末、手を伸ばして海成の背中をさすってやる。
「ふー
……
あ、ありがとう。吉田くんが隣にいてくれたから、なんとか大丈夫だったよ」
「そ、そうか」
言われて、妙に意識してしまう。
(
……
ある意味、俺が隣で良かった、のか?)
バスはこれから本格的な山道に入っていく。気まずさと、逃げ場のない距離感を抱えたまま、二人の「ハイキング前哨戦」は、すでに始まっていた。
そしてバスを降り、一旦それぞれ宿に荷物を置くことになった。
「あ、ヨツダに海成じゃーん!」
声をかけられた瞬間、海成の顔色がぱっと明るくなる。さっきまでヨツダに肩を貸されていたはずなのに、気づけば自分から宗真の方へ駆け寄っていた。
「あ、宗真くん!今日の三つ編み、すごく可愛いね!」
「えへへ、だろー?今日は活動は違うけどさ、お互い楽しもうなっ」
「うんっ!」
「お前も、可愛い三つ編みの宗真ちゃんが見られてよかったな?」
「
……
あー、はいはい」
「まーたオレのこと、テキトーに流して!」
頬をぷっと膨らませながらも、宗真は特に気にした様子もなく、そのまま去っていった。
それぞれ荷物を部屋に置き、施設の人への挨拶
――
「二日間よろしくお願いします」という、よくある全体オリエンテーションを済ませると、いよいよ課外活動がスタートする。
染物体験へ向かうちなつとゆき。ハイキング班として集まるヨツダと海成。
そのどちらとも別れ、宗真はうどん作り体験の会場
――
家庭科室へと向かっていた。
エプロンと三角巾を抱え、足取りはやけに軽い。
(うどん食べるの、楽しみだな〜♪)
同じ宿、同じ時間。それぞれが、まったく違う期待と緊張を胸に抱えて、宿泊学習の一日目が本格的に動き出したのだった。
……
そして、ハイキングコースの入口。
そこに集まったのは、海成のようにハイキングを第一希望に出していなかった生徒たちを中心とした、ヨツダと海成を含み男女あわせて十五人ほどのグループだった。
引率の教師も、その面々を見て何かを察したのだろう。いつも以上に張り切った様子で、
「山の空気はいいぞー!」
「自然と触れ合う経験は大事だぞー!」
と熱心に語っているのだが、その必死さがかえって痛々しい。
「え、まさか
……
みんな第一希望じゃないのか?」
ヨツダが周りの生徒達に問いかけてみると、
「え?お前、第一希望に出してたの?マジで?変わってんな。俺、うどん作りがよかったんだけど
……
」
(この子がうどん作りで、宗真くんがこっちならなぁ
……
)
「あたしは七宝焼きがダメでさー。吉田くん、レアだね?」
(海に来たら泳ぐし、山に来たら山を歩く。それが普通だと思ってたけど
……
世間はそうでもないのか
……
?)
自分は大衆寄りのまっとうな感性を持っていると疑っていなかったヨツダは、この時ばかりはそれなりのショックを受けていた。
(吉田くんの、こういう天然なところが
……
宗真くんを惹きつけるのかな
……
?)
(江沼はなんか、誤解してそうな顔で見てるし
……
)
二人の本音も噛み合わないまま、微妙な空気を抱えた一行は、ゆっくりと山道へ足を踏み入れていく。
こうして、気まずさを孕んだまま
――
ハイキングが始まった。
軽く準備体操を済ませると、ヨツダは先陣を切って歩き出した。
――
正確には引率の教師が先頭なのだが。
海成も負けじと、そのすぐ後ろにぴったりとついていく。
「江沼、バス酔いはもう大丈夫か?」
「うん、僕には宗真くんがいるからさ
……
」
海成の頭の中では、先ほど見た三つ編み姿の宗真が、山ガール風のファッションでハイキングに参加していることになっていた。
しかも常に隣で、にこにこと励ましてくれている。
『海成、頂上でおにぎり食べような♡』
――
もちろん、それはあくまで海成の妄想であり、現実世界のヨツダたちに伝わるはずもない。
「
……
お前、さっき飲んだ酔い止め、変な薬じゃないだろうな?それとも変なキノコとか食ってないよな?」
「何言ってるの?大丈夫だよ、宗真くん?」
「
……
俺は吉田だけど?」
(マジで、何が見えてるんだ
……
?)
ヨツダは思わず顔を引きつらせつつ、黙って歩き続けるしかなかった。
生徒の一人が問いかけた。
「先生、熊とかは大丈夫なんですか?」
「まあ、万が一見かけたら、騒がずに後ろの人たちに知らせて、その場を離れるしかないな。一応、熊鈴はつけてるけど
……
正直、気休めみたいなもんだ。山にいる時はなるべく喋ったり歌ったりして、人間がここにいるって先に知らせておくと、熊の方も近寄ってこないらしい
……
とは聞いたことがある」
そんな説明に、生徒たちの間に微妙などよめきが走る。期待と不安が入り混じった空気の中、隊列は再び動き出した。
「はあ、はあ
……
じゃ、じゃあそれなら
……
吉田くんと、少し話しながら行こうかな
……
はあ、はあ
……
」
「お前、それどころじゃないだろ。見てて分かるけど、もう結構きてるぞ。運動部でもないし、体力に自信あるタイプでもないだろ?急な登りで無理に喋って、わざわざバテることないって」
気遣ったつもりの一言だった。だが、その言葉は海成の胸に、思わぬ形で火をつけてしまったらしい。
「だ、大丈夫だから
……
!僕は
……
吉田くんには、負けないんだ
……
!」
「『負けない』って、何の勝負だよ。ただの山歩きだぞ。トレランじゃあるまいし」
「そ、それはもちろん
……
はあ、はあ
……
ま
……
くん
……
はあはあ
……
ふさ
……
はあはあ
……
」
本当は「宗真くんにふさわしい相手としての勝負」と言いたかった。だが、荒い息に言葉は寸断され、ヨツダの耳には意味を成さない音としてしか届かなかった。
「よーし、ここ登り切ったら少し休憩しよう!」
「はいっ!」
休憩という教師の声掛けに、生徒たちは少し元気を出して登っていく。
しばらくして足を止めたヨツダは、改めて海成の方を見た。顔色は良いとは言えず、呼吸もまだ落ち着いていない。
「
……
なあ。お前さ、なんか俺と張り合おうとしてるみたいだけど
……
少なくとも山では、そういうの無しにしないか?」
「え?」
「お前のそのわけのわからん勝負のせいで無理して、もし何かあったら
……
俺、気分悪いし。朝だってバス酔いしてたし、正直、今日はそんなにコンディション良くないだろ」
「そ、そんなことないよ!自分の身体のことは、自分が一番よく
――
」
「じゃあなんで、さっきからそんな顔で、必死になってまで歩いてるんだよ」
その一言は、強い声でも責める口調でもなかった。ただ事実を並べただけの、ひどく現実的な問いだった。
「
……
」
返事がない。俯いたまま、海成は自分の足元を見つめている。
「別にさ、競うなって言ってるわけじゃない。ただ
……
ここで倒れられたら困るって話。俺も、みんなも、先生も
……
お前だって迷惑かけたって、絶対ヘコむだろ」
少し間を置いて、海成はゆっくり息を整えた。肩が上下するたび、さっきまで張り詰めていた力が少しずつ抜けていく。
「
……
ごめん」
「え?」
「なんでもないって言おうとしたけど
……
ちょっと、無理してたかも」
その声は小さく、けれどはっきりしていた。
「山歩きくらい平気だって思われたくて。宗真くんはいないけど、せめてここでは
……
って」
「
……
」
(やっぱり、そういう話か)
ヨツダはため息をつきそうになるのを、ぐっと堪えた。
「なあ江沼。それで無理して、途中で動けなくなったらどうすんだ。宗真が知ったら、絶対喜ばねえぞ」
「
……
う」
「あいつ、多分『なんでそんなことしたんだよ!』って怒るぞ」
その光景が、ありありと浮かんだのだろう。海成は苦笑いを浮かべて、肩を落とした。
「
……
言いそう、だね」
「だろ?だから今日はさ、勝ち負けとかじゃなくてちゃんと最後まで歩いて帰る。それでいいだろ」
しばらく黙っていた海成は、やがて小さく頷いた。
「
……
うん。じゃあ、少しペース落としてもいいかな」
「最初からそう言えっての。ほら、次の休憩まで隣で歩け。目、離すと危なそうだし」
「
……
ありがとう、吉田くん」
その言葉は、さっきまでの張り合うような調子ではなかった。少しだけ、素直で。少しだけ、肩の力が抜けた声だった。
(宗真がいないのに 、ここまで必死になるのかよ
……
)
そう思いつつも、ヨツダは何も言わず、歩幅を合わせた。山道には相変わらず静かな風が吹き、二人分の足音だけが、一定のリズムで続いていった。
一番きつい急登を越えたところで、隊列が自然とほどけた。
「よし、ここで休憩にするぞー!しっかり水飲めよ。景色の写真撮ってもいいからな」
生徒たちは思い思いに立ち止まり、ザックを下ろしたり、その場にしゃがみ込んだりする。荒かった息も、時間とともに少しずつ落ち着いてきた。
「はー
……
キツいけど、来た甲斐あるな」
「ほんと。それなりに登った感あるし!この景色、あとでみんなに送ろ〜」
スマホを構える生徒たちの向こうに、山の稜線と遠くの街並みが広がっている。曇りがちだった空も、ここだけ少し明るかった。
(吉田くん
……
)
少し離れた場所で水を飲みながら、海成は横目でヨツダを見る。無愛想で、言葉も多くなくて、ぶっきらぼう。それでもさっきから、さりげなく歩調を合わせ、振り返っては様子を気にしていた。
(宗真くんに対してだけじゃない。こうして見ると
……
僕に対しても、ちゃんと優しいんだよな)
胸の奥に、うまく言葉にできない感情が静かに残る。一方でヨツダは、ペットボトルの水を一気に飲み干しながら、ちらりと海成を見た。
(
……
なんだったんだよ、さっきの張り合いは?こいつもこいつで、ほんとめんどくせえ)
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。少なくとも、無理をしている様子が落ち着いたことには、ほっとしている自分がいる。
そんな二人の距離が、ほんのわずかに変わった頃
――
一方その頃、宗真は。
ヨツダや海成の山中でのやり取りなどつゆ知らず(うどんだけに
……
というわけでもなく)、家庭科室で、うどんの生地を足で踏み、コシを出す作業に没頭していた。リズムよく踏まれる生地は、確実に強く、しなやかになっていく。
「これ、めっちゃ楽しいなー!」
そしてハイキングのメンバーは山頂に到着した。
「どうだ、いい所だろ!? ハイキングも来てよかっただろっ!」
やや前のめりなテンションの教師に、生徒たちは思わず笑ってしまう。
「先生必死すぎ〜。でも、ほんと天気いいし景色もいいですね」
「弁当も美味いし、普通に最高だな」
「うん!外で食べると不思議と美味しいよね」
爽やかな風が吹き抜け、遠くまで見渡せる景色を前に、生徒たちはそれぞれ腰を下ろして昼食を広げていた。さっきまでの疲れや微妙な空気も、食事の時間になると少しずつ和らいでいく。
……
もっとも、それは「気のせい」などではない。
実のところ、このハイキングはあまりにも人気がなかったため、参加者にはささやかなインセンティブとして、ほかの課外活動よりも少しだけ豪華なお弁当が用意されていたのだった。知らずに得した、というやつである。
ヨツダは弁当を口に運びながら、景色を一瞥する。
(
……
まあ、悪くはないか)
一方、海成はというと。
(宗真くんがいない山頂、か
……
)
そんなことを考えつつも、弁当の味は素直に美味しく感じていた。山の上での昼休憩は、こうして思いのほか穏やかに過ぎていくのだった。
「
……
吉田くん」
「な、なんだよ」
少し間を置いて、海成は視線を弁当箱に落としたまま言った。
「僕
……
吉田くんのこと、誤解してた」
「は?」
「ぶっきらぼうだし、宗真くんのことも素直に『可愛い』って言わないし。それなのに、宗真くんには好かれてて
……
正直、ずっと気に入らなかったんだ」
「素直通り越して、だいぶ辛辣だな
……
悪口かよ」
海成は少し困ったように笑い、続ける。
「でもさ。今日一日一緒に歩いて分かったよ。吉田くんは、僕が思ってたよりずっと
……
宗真くん以外の、僕みたいな人間に対してもちゃんと優しいんだよね。
……
その点、僕は宗真くんのことしか見えてなくて、未熟だったと思う」
ヨツダは一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。
「
……
そ、そうかよ」
少し間を置いてから、ぽつりと続ける。
「でも俺もさ。江沼は江沼で
……
そういう、思ったことをちゃんと口に出せるところは、少しは見習わないとなって思うよ。宗真のやつにも、しょっちゅう『素直じゃない』とか『つまんねーヤツ』とか言われるしな」
「
……
惚気?」
「違うって!だからほんっと、めんどくせえなお前
……
あ」
思わず声を荒げてから、はっとする。
(しまった。つい本音が
……
!)
海成は一拍置いて、にやりと笑った。
「『だから』ってことはさ。普段から、そう思ってたってことだよね?」
「う
……
!」
「でもそれって、吉田くんが僕に対して、素直になってくれてるってことでもあるよね」
少し照れたように続ける。
「
……
なんか、ちょっと嬉しいかも」
ヨツダは大きくため息をついた。
「
……
どうかしてんぞ、お前」
そう言いながらも、その声には先ほどまでの棘はほとんど残っていなかった。
「
……
正直に言うね」
一度息を整えてから、海成は言った。
「吉田くんのことは、宗真くんのことで言えば
……
ライバルだと思ってる」
「
……
お前ん中での話だけどな」
少し間を置いて、ぶっきらぼうに付け足す。
「俺は別に、そういうつもりは
……
」
「うん、分かってる」
小さく頷いてから、海成は続けた。
「でもさ。それでも
……
これからはちゃんと、君とも仲良くしたいと思う」
一瞬迷ってから、意を決したように言い直す。
「吉田くん
……
いや、
樹
いつき
くん」
「
……
!!」
その呼び方に、ヨツダは思わず息を呑んだ。
――
正直、嬉しかった。
「吉田」という名字はありふれていて、昔からあまり好きじゃない。宗真が勝手につけた「ヨツダ」なんて、もっと間抜けだ。それに比べて「樹」という名前は、自分でも響きが悪くないと思っている。なのに、宗真も、他の友人たちも、誰ひとりとして呼んではくれなかった。
それを
――
目の前の男は、自然に、ためらいもなく呼んだのだ。
「
……
」
少し視線を逸らし、照れ隠しのように頭を掻く。
「じゃあ、俺も
……
これからは海成って呼ぶわ」
「
……
うん」
小さく、でもはっきりと笑って頷く。山頂の風が、ふたりの間を静かに吹き抜けた。言葉は少なくても、さっきまでとは少し違う距離感が、そこには確かに生まれていた。
課外活動が終わった生徒たちが、ぞろぞろと食堂に集められていた。
「おー、ちなゆきお疲れ〜!」
(ち、「ちな×ゆき」
…
!?)
「宗真もお疲れ様〜!うどん、上手くできた?」
「うん!自分で生地踏むの楽しかったし、ちゃんとコシ出て美味かった!お前らに食べさせられなくて残念なくらい」
「へぇ〜、いいな!」
「そっちは染物だっけ?」
「うん!絞り染めで手ぬぐい作ったんだ〜。これなんだけど
……
」
そう言って、ゆきは丁寧に畳んでいた手ぬぐいを広げた。白地をベースに、藍色の模様が不規則に浮かび上がっている。折り目をつけて糸で縛った部分が、花のようにも波紋のようにも見えて、同じ班でも一人ひとり少しずつ違う柄になっていた。
「え、こんなの作れるんだ
……
手ぬぐいって普通に売ってるやつしか見たことなかった」
「最初は全然思った通りに染まらなくてさ。縛り方とか、染料に浸す時間とか、結構シビアだったんだよ」
「うん。でも、開いた瞬間にちゃんと模様が出た時は嬉しかったよね!」
「あれはテンション上がった!」
(うどんも楽しかったけど、こういう「形に残るやつ」もいいな
……
)
「あと戻ってきてないのは
……
ハイキング組か」
(え、ヨツダと海成たち、大丈夫かな
……
?)
「ヨツダと海成たち、大丈夫かな〜?って顔してんね!」
「ちょ、ちなつ!オレの心読むなよ〜!」
「あはは。先生も一緒だし大丈夫でしょ」
「案外、山で二人の絆が深まってたりしてね〜」
(たまにあいつらと一緒にいると、海成がヨツダに突っかかるというか、変な空気になる時あるよな
……
。ゆきの言う通り、仲良くなってくれるとオレも気楽なんだけど)
そんな話をしていると、ちょうど食堂の入口が少しざわついた。ハイキング組が戻ってきたのだ。
「うちが最後ですか?」
「はい。お疲れ様でした!」
どこからともなく起こった、なんとなくの拍手。少し疲れた顔、でもどこか達成感の混じった表情の生徒たちが、それに照れくさそうに応えていた。
課外活動が終わり、施設の人への全体挨拶も済ませると、夕食までは各自部屋で自由時間となった。部屋へ戻る前、宗真はヨツダと海成を見つけて声をかける。
「お疲れー!」
「お疲れ様」
「おう、お疲れ。つってもお前はうどん食っただけだろ」
「失礼な!ちゃんと生地踏んだり、麺切ったり、茹でたり、色々やってたってば」
宗真はむっとして頬を膨らませる。
「樹くん、すごかったよ。ずっと同じペースで先生についていってたし」
「いや、それはお前が体力なさすぎなんだって」
ヨツダの軽口に、海成は苦笑いを浮かべる。
……
今の呼び方。
「ちょっと待てよ。樹って?」
宗真が口を挟むと、ヨツダは一瞬だけ視線を逸らした。
「
……
俺の下の名前だよ。まさか知らないとか言わないよな?」
「いや、それはさすがに知ってるけど
……
海成がヨツダのこと、そう呼んでたっけって思って」
ヨツダは肩をすくめる。
「まあ
……
色々あったんだよ。なあ?」
「うん。山も楽しかったよね。帰ったら、週末にまた行くのも楽しそうだね」
「!?」
宗真は二人の顔を交互に見比べる。
「
……
なんかお前ら、仲良くなったんだなー!」
語尾を伸ばしながらそう言う宗真に、ヨツダは何も答えず、海成は少しだけ照れたように笑った。
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