プールから1週間ほど経った夏休みのある日。宗真、ちなつ、ゆきの三人はそれぞれ自宅にいながら、またも通話アプリで話していた。
「ちなっちゃん、宗真
……海行こ!」
今度はゆきが声をかけた。
「いいねー!もうアレも終わったし、いつでも行けるよ!」
「おお、楽しみだな!」
「でもさ、今回は男子か保護者も呼ばない?女子だけだと、親が心配しそうだし
……」
ゆきは、前回のプールでの出来事を気にしていた。
「うちの父ちゃん、たぶん暇してるから来てくれると思うぞ」
――その頃。宗真の父・宗二は会社のデスクで書類をめくっていたが、突然くしゃみをひとつ。
「へくしっ!」
「月城。お前の代わりなんざ、いくらでもいるんだからな」
「ひ、ひいい
……!」
――そして、再び三人の通話に戻る。
「でもさ、うちら仲いい男子ってそんないないし
……あ!宗真ならいるじゃん!吉田くんと江沼くんとかどう?」
「いいねー!」
「え、オレが男子枠じゃないの!?
……って、新月にはまだ早かったか」
新月の日は宗真が男の身体に戻る日だが、最後の新月はプールに行った日の数日前
……つまりまだ10日ほどしか経っていなかった。
「なに言ってんの。吉田くんとか江沼くんに、かわいい水着姿見せたいんじゃないの〜?」
ゆきがからかうように言う。
「わかる。江沼くんとか、絶対ものすごい赤くなりそうだよね!」
「な、何勝手なこと言ってんだよ
……!」
(でも、こないだちょっと怖い目に遭ったのは事実だし
……ヨツダたちや父ちゃんが一緒なら、安心か)
「
……わかったよ。二人にはオレから声かけとく」
「じゃ、決まりだね〜」
「やった! めっちゃ楽しみ!じゃね!」
通話が切れる。
「ふー
……まずはヨツダに連絡、だな」
そして海。
女子更衣室から、日焼け止めも塗らずに真っ先に飛び出してきたのは宗真だった。

「じゃーーーん! 見ろヨツダ、宗真ちゃんの眩しい水着姿をっ!」
「アホか。だから俺にはお前が悪ガキにしか
――」
……そうは見えなかった。
一瞬、本気で「可愛い」と思ってしまったからだ。
(こいつは男、こいつは男、こいつは男
……!)
ヨツダは必死に煩悩を振り払う。
「んだよ、相変わらずつまんねーヤツだな!」
(心臓に悪い
……)
「な、
海成。オレの水着姿、どお?」
「
……!!」
(宗真くん
……僕には刺激が強い
……!)
耳まで真っ赤になる海成。
「お、可愛すぎて言葉も出ねえか? そっかそっか!」
宗真はケラケラと笑いながら、自分の水着の肩紐を引っ張り、もう片方の手で少し胸を寄せる。
「最近ちょっとサイズ合わなくなってきた気がするんだよなー。成長期ってやつ?」
――次の瞬間。ぱしんっ、と乾いた音。
「でーーーっ!?」
ちなつのチョップが、容赦なく落ちていた。
「
……あんた、調子乗りすぎ。そういうの、相手が困るからやめなさい」
「えー、冗談じゃん
……」
「冗談っていうのはみんなで愉快に笑えることを言うの!」
海成はまだ顔を赤くしたまま、小さくうなずいていた。
「ちょっと、宗真はともかく、ちなっちゃん。まだ日焼け止め塗れてな
――」
そこに現れたのは、水着姿のゆきだった。相変わらず目を引くスタイルで、場の空気が一瞬だけ止まる。思わず視線を逸らすヨツダと海成。
しかし、どこか気まずそうにしながらも、ちゃんと口を開いた。
「
……櫻井も、藤枝も。水着姿、似合ってるよな。な?」
「う、うん
……!」
ヨツダと海成は顔を見合せた。
「そ、そう?」
「
……ありがと」
(こいつら、ちなつやゆきのムネを見ないなんて、男のくせにオレと違って結構紳士だな
……)
そんなことを考えていると、先にパラソルの設営をしていた宗二が、ようやく水着姿で戻ってきた。
「やあ、みんなお待たせ。じゃあおじさんは、あっちでのんびりしてるよ」
その瞬間だった。剣術の当主という肩書きに違わぬ、鍛え抜かれた体。ヨツダや海成はもちろん、ちなつまで思わず目を奪われる。
「うわ
……すごい筋肉ですね
……!サッカー部でも、こんな人見たことないです!」
(
……僕、運動不足かな
……)
「
……すご。特にあの外腹斜筋
……!」
(えっ
……ちなっちゃん、こういうの好きなの
……!?)
……それは、ゆきも知らなかったちなつの一面だった。
一方で。
(おいおい
……男連中への“宗真ちゃんの可愛い水着姿”お披露目イベントが、完全に前座扱いじゃねえか
……!しかもちなつやゆきじゃなくて、よりによって父ちゃんに全部持ってかれるとか
……!)
宗真は、別の意味で大きなショックを受けていた。
海成とヨツダが浮き輪を取りに行き、浜辺には宗真、ちなつ、ゆきの三人だけが残っていた。
そこへ
――。
「ねえねえ、君たちだけ?一緒に泳がない?」
「水着かわいいじゃん。スタイルいいね〜、触ってみ
――」
「ちょっと、やめてください」
「
……離れてください!」
明らかに距離が近い。言葉も、視線も、気持ち悪い。
「いいじゃん減るもんじゃないしさ〜」
「そんな怖い顔しなくても
――」
次の瞬間。
――バシッ!
乾いた音が浜に響いた。
「
……それ以上近づくな」
宗真が手にしていたのは、スイカ割りに使おうと用意していた棒。構えは、見覚えのあるものだった。
「は、はぁ?なんだよガキ
――」
宗真は的確に腕、肩、砂を叩き、逃げ道を塞ぐ。
「ふ、峰打ちじゃ
……!」
「い、いてぇ!?な、なんだこいつ
……!」
「お、覚えてろよ
……!」
二人は捨て台詞を吐いて逃げ出そうとする
――が。
ガシッ。
「
……どこへ行くんだぁ?」
低い声と同時に、宗二がナンパ男の腕を掴んでいた。
「ひっ
……!?」
「女の子に随分と無礼な真似をしたようだな」
そのまま、あっさり確保。警備員に取り押さえられていった。
――しばらくして。
「ありがと、宗真!ほんと助かった」
「
……すごく、かっこよかったよ」
「へへ
……腐っても元当主だからな」
「元・次期当主、だけどな」
「うっ
……!」
三人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
何も知らないヨツダと海成が、浮き輪を抱えて浜辺に戻ってきた。
「おいお前ら、遅ぇよ!こっちはな、まあまあ怖い目に遭ってたんだぞ!?」
「は?何の話だよ
……」
事の顛末を話した。
「
……宗真くんに手を出すなんて、許せないね」
「いや、オレじゃなくてちなつとゆきの方な。オレは撃退した側だから」
そう言って、スイカ割り用に持っていた棒を掲げてみせる。少し得意げだ。
「にしてもさ。お前、まともに稽古受けてる描写ない割に、結構強かったんだな」
「まあな。オレも全然稽古した記憶ないけど」
(
……なんかメタい会話だな)
「てかさっきのナンパ野郎、マジで最低なヤツらでさ。なんつーか、セーヨク全開って感じ?これだから男は
……」
その瞬間。ヨツダと海成が、わずかに気まずそうな表情を浮かべる。
「
……あ」
間。
「ご、ごめん。主語がデカかったな」
「
……いや、お前がそう思いたくなる気持ちはわかるよ」
「うん。ああいう人がいるのも事実だし」
宗真は少しだけ、照れたように頭をかいた。
「ま、とにかく
……無事でよかったってことで!」
浜辺には、再び穏やかな空気が戻っていた。
男子組(宗真も含む)が泳ぎに出てしまったため、ちなつとゆきはビーチでかき氷を食べながら休んでいた。少し離れたパラソルの下では宗二が目を光らせており、その存在もあって二人は安心していられた。
「
……さっきさ、宗真が助けてくれた時、ちょっとカッコよくなかった?」
「
……うん。新月じゃないのにさ。やっぱり宗真って、男の子なんだなって思わされた」
「もし今日の宗真が男の子だったら、ちょっと本気で好きになってたかもなー。危なかった!」
「え〜?ちなっちゃんが宗真を?」
ゆきは冗談めかして笑ってみせた。けれど、その胸の内は穏やかではなかった。
(宗真
……このまま、ずっと女の子でいてくれないかな?)
溶けかけのかき氷を口に運びながら、ゆきは視線を海の方へ向けた。浜辺に駆けていく宗真の姿を、少しだけ複雑な気持ちで見つめながら。
そして宗真は準備運動もせず、勢いよく海に飛び込んだ。
「ふー!海最高っ!おいヨツダも海成も、早く来いよっ!」
「お前、準備運動くらいしろよ!足つって溺れたらどうすんだ」
「えー?平気だろっ!」
「よ、吉田くんの言う通りだよ!僕たちは君のことが心配で
……!」
「海成まで?さっきちなつ達助けたこのオレだぜ?そんなことあるわけないじゃーん」
……完全に調子に乗っていた。その瞬間、不意に宗真の足が強く引きつる。
「っ
……!?」
足が言うことをきかない。 浅瀬から少し離れていたこともあり、身体がぐっと沈んだ。
(やっ
……!足、動かねぇ
……!)
ばしゃ、と水を飲む。
「おい、宗真!?」
真っ先に異変に気づいたのはヨツダだった。 浮き輪を持ち、躊躇なく海へ飛び込む。
「待ってろ、今行く!」
必死に泳ぎ、宗真へ手を伸ばす。
(ヨツダ
……!?)
だが、海では泳ぎ慣れていないヨツダは波に煽られ、思うように進めない。
「くそ
……!」
一方その頃。
「
……!」
状況を見た海成は、即座に踵を返した。
「すみません!あっちで人が溺れてます!」
「了解!」
迷いのない判断だった。
――再び視点は海へ。
(やば
……息
……)
視界が白く滲みかけた、その時。誰かの腕が、背中を強く掴んだ。
「っ
……!」
ヨツダだった。 必死に宗真を抱え、浮き輪へ掴まらせる。
「ばっ
……離すな
……!」
「
……っ、ヨツダ
……!」
そこへ、監視員が到着する。
「大丈夫ですか!?」
浜辺には、息を切らした海成の姿もあった。
「宗真くん
……!」
――数分後、砂浜。
宗真はタオルを肩にかけられ、砂の上に座り込んでいた。
「死ぬかと思った
……」
「ほんとシャレになんねーからな!準備運動もせずに泳ぎ回るから
……!」
「はは
……面目ねー
……」
「
……無事でよかった。本当に
……」
安堵したように胸に手を当てる海成。 宗真は、二人を見上げた。
「
……ありがとな」
ヨツダも、海成も少し照れくさそうに視線を逸らす。
「でもさ、さっきヨツダが飛び込んできたの見えた時
……正直、めちゃくちゃ心強かった」
「
……っ」
「海成も。ああいう時に冷静に人呼べるの、すげーよ」
「
……いや、当たり前のことをしただけだから!」
(あれ
……なんか、こいつら
……こんなにカッコよかったっけ
……)
助かったはずなのに、宗真の胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。波の音だけが、穏やかにこの場を満たしていた。
昼になり、海の家でみんな揃って焼きそばやラーメンを食べていた。宗真はアメリカンドッグを手に、ふとケチャップを取ろうとして
―― 同時に、ヨツダの手に触れた。
「わ、わりぃ!先使っていいから!」
「いいのか?じゃ、お先に」
(よ、ヨツダの手
……結構でかいんだな
……?あ、そっか。今のオレ、女の手だから
……男の時より小さくて
……いや、なんで今そんなこと気にしてんだよ!)
気づけば、少し顔が熱くなっていた。
「宗真くん?顔赤いけど、熱中症とか大丈夫?午後は少し休んだ方がいいんじゃない?」
横に座る海成が、心配そうに覗き込んでくる。
……なのに、宗真は不思議と目を合わせられなかった。
「か、海成は優しいな
……!でも大丈夫だから!」
(あれ?海成と話す時って、こんな感じだったか?いつももっと余裕あった気がするのに
……)
そこへ、ちなつが身を乗り出す。
「宗真、さっき溺れてたんだって?大丈夫だった?」
「吉田くんと江沼くんが一緒で、ほんとよかったね」
ゲホゲホッ!宗真は盛大にむせた。
「えー!?宗真、大丈夫!?」
「なんか
……今日の宗真、ちょっと心配だよ」
(どうしちゃったんだ、オレ
……?)
昼下がりの海のざわめきの中で、宗真だけが取り残されたように、胸の奥の違和感を噛みしめていた。
午後。体調を心配された宗真は、宗二のいるパラソルの下で休んでいた。
「どうした?」
宗二が声をかける。
「みんなと遊ばないのか」
「なんかさ、体調が心配だから休んどけって、みんなに言われて
……」
宗真は砂に視線を落としながら肩をすくめた。
「オレは元気なんだけど、そう言われたらそんな気もしてきて。なんとなく休んでんだ」
「そうか
……」
宗二は海を眺めながら、ぽつりと言う。
「しかし、まさかお前やその友達と海に来る日が来るとはな。稽古漬けだった頃は、想像もしなかった」
「
……稽古から解放されたのは、だいたい呪いのおかげだけどな」
「『せい』じゃなくて『おかげ』か
……」
「まあ、元が赤星流の呪いってのはシャクだけどさ」
宗真は苦笑して続ける。
「こうやって女の友達ができて、男の友達も中学で新しくできて、ヨツダとも変わらず仲良くできて。次期当主やめたら、世界が一気に広がったっていうか
……今、すげー楽しいんだ。まあ
……不便なこともあるけどな」
しばらく沈黙が落ちたあと、宗二が静かに言った。
「
……これまで、すまなかった」
「え!?」
宗真が勢いよく顔を上げる。
「父ちゃんが頭下げてる
……!」
「お前にとっては新鮮かもな」
宗二は少し照れくさそうに咳払いをする。
「父ちゃんも仕事では頭を下げてばかりだぞ。
……まあ、それはさておき」
宗二は言葉を選ぶように、一拍置いて続けた。
「こうして友達と楽しそうにしているお前を見てな
……跡継ぎのために、こういう時間を奪い続けてきたことに、今さら気づかされた。今謝ったところで、その時間が戻るわけでもないし、許してもらえるとも思っていないが
……すまなかった」
「え、いいよいいよ!」
宗真は慌てて手を振る。
「今が楽しいんだから、もうそれでいいじゃんか」
「宗真
……大人になったな」
「いや、そんなことないよ」
宗真は慌てて首を振る。
「さっきも調子に乗って、溺れかけたし」
「まあ、そういうこともあるかもしれないがな」
宗二は小さく笑う。
「それでも、前よりずっと視野が広くなったように、父ちゃんは思う」
「そ、そうかな
……」
宗真は少し照れたように視線を泳がせてから、はっと顔を上げた。
「あ、視野といえばさ。さっき溺れた時に、ヨツダと海成が助けてくれたんだけど
……それから、あいつらのことをまともに見られないっていうか
……」
言いながら、宗真は自分でも言葉にしづらそうに眉をひそめる。
「それも、視野が広がったせいなのかな?」
「まあ
……広い意味では、そうかもしれないな」
宗二はどこか含みのある調子で答えた。
「お前も、大人の階段をのぼってるってことだ」
「そ、そうか
……!」
宗真の顔がぱっと明るくなる。
「ありがと、父ちゃん!なんかスッキリした!」
宗真は、仲間たちの輪に戻っていく。
……形を変えた関係は簡単には戻らないとも知らずに。
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