夏休み。静乃から貰った無料券のおかげで、宗真、ちなつ、ゆきの三人は隣県のプール施設に行く約束をしていた。流れるプールに温泉、スライダーもあり、フラガールショーが目玉にもなっている南国風のスパリゾートらしい。
ところが――約束の日の前日。宗真は自宅でちなつ、ゆきと通話していたのだが……
「ごめん……明日なんだけどさ」
ちなつが口火を切った。
「ん?」
「大丈夫だと思ってたんだけど、生理来ちゃって……」
一瞬の沈黙。
「あ……そっか。セーリだと、プールにも入れないんだな。……全く女って、つくづく損だな」
ぽろっと零れた言葉だった。
「まあね。でもさ、無料券は今月まででしょ?ゆきと宗真の二人で行ってきてよ」
「え……でも、ちなっちゃんが来ないと……」
(三人で行くはずだったのに。でも、券をくれたのは宗真だし……ここで全部お流れにするのも、なんか違うよね)
ゆきは少し迷ってから、顔を上げた。
「……じゃあ、そうしよっか」
「……いいのか?」
「うん。……その代わりさ、ちなっちゃん。今度、海とか行こう?」
ちなつは一瞬驚いた顔をしてから、ふっと笑った。
「うん。約束ね」
宗真は二人を見比べて、何も言わずに頷いた。三人で行くはずだった予定は、形を変えた。それでも、約束はちゃんと残っていた。
翌日、プールサイドにて。ゆきは両手を上げて、勢いよく宣言した。
「ちなっちゃんの分も、楽しむぞー!」
「おー!」
二人は水に入る。はしゃぐゆきを横目に、宗真はふと立ち止まった。
(こうして見ると……やっぱり、オレとは違うな)
無意識のうちに、ゆきと自分の胸元を見比べてしまう。
(……いや、待て待て。静姉を見てみろ!オレだって高校生になる頃には、あのくらいのスタイルに……!)
……もう完全に女の子として成長する気でいる。その瞬間、ばしゃっと水がかかった。
「……宗真、見すぎだから」
「な、なんのことっ!?」
ゆきはじっとこちらを見る。
「さっきからたまに見てたの、バレてるよ?友達のよしみで今のはチャラにするけど、次からは許さないから」
「オ、オレは……!」
「ていうかね、そういう視線って……女の子の方は結構わかるからね?まあ、見られてる側の気分はよくないよね」
(しまった……!)
「ご、ごめん……!悪かった」
思わず目を伏せる。
(オレ、女の身体だから許されると思って調子乗ってたかも……友達に対して最低だ)
水音と歓声の中で、宗真は一人、胸の奥がひやっとするのを感じていた。
宗真は、ゆきと並んでウォータースライダーの列に立ちながら、ぼんやりと考えごとをしていた。
(そういえば静姉って……あんなにスタイルいいのに、身体のラインが出る服、あんまり着ないよな)
以前は、単純に「もったいない」と思っていた。だが、さっきの出来事を思い出して、胸の奥に引っかかるものが生まれる。
(……もしかして。そういう服着てて、誰かにジロジロ見られたり、嫌な思いしたことがある、とか?)
そこまで考えて、ひとつの答えに辿り着いた。
(静姉みたいな体型、正直ちょっと羨ましかったけど……それはそれで、大変なこともあるんだよな、きっと)
列が進み、ふと気づくと、横にいたゆきが一歩前に出て、立ち位置を入れ替えていた。まるで、背後からの何かを遮るように。
「……どした?場所変わったりして」
「んー……こっちの方が、眺めいいかなって」
「ふーん?」
特に深く考えず、宗真は前を向く。その背後で、誰かが小さく舌打ちした音がした。だがその音は、宗真の耳には届かなかった。
ウォータースライダーを降りてきた二人は、そのままプールサイドへ戻ってきた。
「いやー、楽しかったなー!」
「ちょっと怖かったけどね〜」
宗真は落ち着きなく、きょろきょろと周囲を見回している。
「……宗真、どうしたの?」
「……ゆきをジロジロ見てる不届き者がいないか、監視してる!」
思わず、ゆきは吹き出した。
「あはは。それは頼もしいね」
「なんだよぉ!今日はちなつの代わりに、オレがお前を守ってやるって言ってんのに!」
ゆきは宗真の顔をまじまじと見つめる。
「いや、そんな可愛い顔で言われても……ねぇ?」
(……あれ?でもこのシチュエーション、宗真がもし“男の子”の時だったら……)
──妄想開始。
ちょっと背が高くなっていて、全体的に美化された、やたらと低くていい声の宗真♂がゆきを抱き寄せる。
「今日は、オレがお前を守ってやる」
──妄想終了。
(なにこれ……少女漫画?それとも乙女ゲー!?)
ゆきは顔を赤くしながら、そっと視線を逸らした。
フードコートで、二人は並んで焼きそばを食べていた。
「こういうとこで食べる焼きそばって、なんか美味えよなー。高いけど……」
「いっぱい泳いだ後だから、塩分がありがたいのかな?」
(宗真と二人でプールなんて、正直どうなるかと思ってたけど……結構、楽しい。ちなっちゃんには悪いけど……来てよかったな)
「ごめん、私ちょっとそこのトイレ行ってくるね。気にしないで食べてて?」
「うん、気をつけてなー」
ゆきが席を立つのを見送り、宗真は箸を進めようとした、その時だった。
「あー、こんな所にいたのか。探したよ」
「え……係員さん?オレのこと?」
声をかけてきたのは、スタッフらしき男性だった。
「そうそう、キミ。落とし物したでしょ?」
「んー……してないと思うけど……そうなんですか?」
(でも、気づかないうちに落としてるってこともあるか)
宗真は深く考えず、そのまま立ち上がる。
「どこにあります?」
「こっち。ちょっと来て」
疑うこともなく、宗真はその係員の後について歩き出してしまった。
――そのことを、ゆきはまだ知らない。
係員?に連れられ、宗真は人通りの少ない通路へと案内されていた。
(……あれ?落とし物って言ってた割に、インフォメーションよりも奥に行くんだな……?もっと奥の倉庫にしまってあるとか?)
歩きながら、宗真はちらりと相手の背中を見る。名札は付いているが、どこか雑で、制服も微妙にサイズが合っていない。
(……これ、怪しくね?オレ、男だったら強引に抵抗して逃げられるかもだけど……今は女だしな)
宗真は、わざと足をもつれさせた。
「わっ……!」
「おい、気をつけ――」
その瞬間、宗真は大きな声を上げた。
「すみませーん!!あのっ、この人に連れていかれてるんですけどー!!落とし物って言われたんですけど、心当たりなくてー!!」
通路に、響くほどの声。
「ち、ちょっと……!」
宗真は涙目になり、今にも泣き出しそうな表情を作る。
「こわいです……っ、私、友達ともはぐれちゃってぇ……!」
(……こういう時は、遠慮したら負けだ)
人目を引くには十分だった。近くにいた客が足を止め、警備員がこちらに気づく。
「どうしました?」
「ち、違うんです!誤解で――」
「この人、係員さんだって言ってましたけど……本当ですか?」
警備員が男を鋭く見た瞬間、相手は観念したように顔を歪めた。ほどなくして、その男は警備員に取り押さえられていった。
しばらくして。宗真がフードコートに戻ると、青ざめた顔のゆきが立ち上がった。
「……宗真!!どこ行ってたの!?急にいなくなるから……!」
「あー……ちょっとな。係員のフリした変なのに絡まれてさ。もう捕まったから大丈夫」
ゆきは宗真をじっと見つめる。
「……無事でよかった。本当に、よかった……」
そして、少し間を置いて。
「正直……見直した。ちゃんと考えて、助け呼んで……すごいと思う」
「へへ、だろ?悪ガキ舐めんなっての」
だが、次の瞬間、ゆきの表情がきゅっと引き締まった。
「でも……無茶しないで。今日みたいなの、ほんとに怖いから」
「……あ」
「宗真が男とか女とか、そういうの関係なくて。大事な友達が、危ない目に遭うのは嫌なの」
宗真は、少しだけ視線を逸らした。
「……悪かった。次からは、もっとちゃんと周り見て動くよ」
ゆきは小さく息をついて、少しだけ笑った。
「約束だよ。ちなっちゃんにも、怒られちゃうからね」
「うげ……それは勘弁してくれ……」
二人は並んで、冷めかけた焼きそばを食べ始めた。
(女の身体だからこそ、できたこともあるんだな。でも結構危なかったかも……ゆきの言う通りだ、気をつけよ)
そんなことを、宗真は初めて実感していた。
その少し前。ちなつは少しだるそうに、自宅のベッドに横になっていた。
(ゆき、今ごろは宗真とプールか……あたしがいなくても、ちゃんと楽しんでるといいな)
天井を見つめながら、ぼんやり考える。
(宗真、危なっかしいけど……いいヤツだし。あいつになら、ゆきを任せても……)
一瞬、間が空く。
(……いや、逆か?)
思わず、くすっと笑ってしまった。
夕方、ちなつの家のインターホンが鳴る。
「はーい……」
玄関を開けると、そこには宗真とゆきが立っていた。
「ちなつー!プールのお土産、買ってきたぞっ!」
手渡されたのは、プールのマスコットキャラクターのイルカが描かれたアクリルキーホルダーだった。
「お、ありがと!大事にするね!で、どうだった?二人とも、楽しかった?」
「……うん!ちなっちゃんの分も、ちゃんと楽しんできたよ。ね?」
「ああ!スライダーとかすげー楽しかったよな!てかさ、聞いてくれよ。ゆきって、意外とかっこいいとこあんだぜ?」
宗真が先ほどの出来事を話そうとして――
「ちょっ、別に大したことじゃないから……!」
「えー?そこまで言っといて、肝心なとこカットするの〜?」
「あはは、まあまあ。今度な!」
三人で、短く笑う。
……二人が帰ったあと。ちなつは、玄関でしばらく立ち尽くしていた。
(ゆきのことも、宗真のことも、ちゃんと友達として好きなのに……)
胸の奥が、少しだけ、ちくりとする。
(……なんだろ。なんか、寂しいな)
その感情に名前をつけることはできないまま、ちなつはそっと扉を閉めた。
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