事の始まりは、ハンドメイドイベント出店のための追い込み作業で、一週間ほど徹夜をしたことだ。その間、毎日の睡眠時間は多くて三時間程度だった。さらに、なんとか出店し銭湯に帰ってきたところでぎっくり腰になってしまった。ここ最近の無理がたたって、もう呼吸をするのも痛くてしんどいありさまだ。モグラはあまりの情けなさに涙がこぼれたりもして、諦めて灯を使った。
もう少し若けりゃなぁ。
そんなことを考えてしまったのが悪かったのだろう。体の痛みが引いて楽になったと思ったらどんどんと若返っていき、驚いている間に体が縮んでしまっていた。
「高校生探偵じゃねぇんだよっ!」
思わず叫んだモグラの声は子供特有の高さで、手だって小さくフニフニだ。服も身に合わず脱げかけている。
「灯の使い過ぎかぁ? あー、もったいねぇことした……」
言いながら、いつも通りわしわしと頭を掻く。手に当たる髪の毛もいつもより細く柔らかだ。
「どーすっかねぇ……。とりあえず、藤史郎んとこに行くか」
あそこなら梗史郎のお古の服がありそうだとモグラは当たりをつけ、ついでに飯も恵んでもらおうと算段を付ける。そこでモグラは、はたと問題に気づく。
「こんな格好で出ていったら保護待ったなしじゃねえか」
身に合わないぶかぶかのパーカー、サイズの合わない便所サンダル。おそらく小学生入学前後の年齢の子供が、こんな恰好で一人で出歩くなんて何かありましたと言っているようなものだ。モグラは頭を抱えると、大きくため息をついた。それから歩きづらい大きなサンダルをつっかけて駄菓子屋へ足を向けた。
* * *
「モグラが小さくなった。今我が家で保護している」
ゼミ室に呼ばれた真木と八重子は、そう藤史郎に言われて顔を見合わせた。
「小さくなったって、こう、なんとかくんの恋人みたいな感じですか?」
「いや、目が覚めたら体が縮んでしまっていたほうだな」
「どっちにしろ意味が解らない……」
八重子が手をわたわたと動かしながら問えば、藤史郎は淡々とそう返した。真木はそんな二人の会話に頭を抱える。
「そんなわけで、今はアイツの住処に行っても不在だ。何かあったら我が家に来なさい」
「モグラの仕事は大丈夫なんですか?」
「問題ないらしい。どのみち雇われ番頭だしな。ハンドメイドも一息ついたところだったそうだ」
藤史郎の言葉に、真木がおずおずと問えばそんな答えが返ってきた。八重子とともに真木はホッと胸を下ろす。なにせそれは、モグラの大切な収入源だ。ただでさえ困窮しているというのに、不測の事態で更に食い扶持をなくしたのではとひやひやしてしまった。
「よければ様子を見に来るか? なかなかに愉快だ」
「愉快、とは思いませんが、そうさせてもらいます」
「そうだね。教授のところなら大丈夫だとはわかってても、ちょっと心配だもんね」
真木の言葉に、八重子はそう笑って付け足した。真木もうんと頷く。
「そうか。いつでも来なさい」
そんな話の翌日、真木と八重子は菓子を持参して猫附家に訪れた。教授宅に差し入れできるような上等なものは買えないが、モグラのおやつにでもしてもらおうとスーパーでいくつか選んできた。いつ見ても圧倒されるような立派な門から中に入り、呼び鈴を押すと待ってましたと言わんばかりの杏子が出てくる。
「いらっしゃい、真木君、八重子ちゃん。さ、どうぞ上がって上がって」
真木と八重子はお邪魔しますと口をそろえて言ってから上がる。教授にもご挨拶をといえば、藤史郎と梗史郎は出かけていると杏子が教えてくれた。案内された表座敷にひょこりと顔をのぞかせれば、そこにはパーカーに半ズボンの子供がいた。凛々しい釣り眉に、愛嬌のある垂れた眦。いつもよりも大きな鈍色の目にまろい頬。どう見てもモグラだ。
「うわ、本当に子供になってる」
「見た目は子供、頭脳は大人を現実で見ることになるとは思わなかったね」
ひそひそと言いあえば、二人に気付いたモグラはぱっと表情を明るくした。いつもよりも大きな目を、いつもよりキラキラさせている。
「真木! 八重ちゃん! 来てくれたのか!」
素早く立ち上がると真木にギュッと抱き着いてきた。
「うん。思ったより元気そうで何よりだよ」
「モグラさんって子供の頃こんな感じだったんですね」
ぐりぐりと真木の腹に頭をこすりつけるその姿は本当に子供のようで、真木は思わずその頭をそうっと撫でた。八重子もにこにこしながらそんな二人を見守っている。
「んー、神としては子供のころなんてほぼなかったからなぁ。子供の姿になってんのなんて、今が初めてかもしれん」
口調も言葉遣いもモグラのままなのに、声だけは子供らしい高さをしていて、そのちぐはぐさが大人ぶる子供のように見えて妙に愛らしい。
「じゃあ今のうちに子供時代を満喫しないとですね!」
「でもあんまり教授とご家族に迷惑になるようなことはするなよ?」
楽しそうに言う八重子としっかりと釘をさす真木に、親がいたらこんな感じなのだろうかとモグラは思ってしまった。嬉しいような恥ずかしいような気持で、モグラは口をもにょりと歪ませる。
「そういやそれ治るのか? それともここから普通に成長していく感じ?」
「おう、治る治る。一か月から二か月くらいでじわじわと成長するはずだ」
「それはじわじわとは言わなくね? どういう仕組み?」
「実は灯を使ったタイミングでもっと若けりゃなぁって思っちまって……。そのせいでこうなったけど、最適とは言えないだろ? だから、この歳から俺の思う最適な年齢に合わせにいくって感じだな」
真木の疑問にモグラが答える。指で空に階段のようなものを書きながらの説明に、真木は興味と安堵を示した。
「へぇ、そうなのか。治るなら良かったけど、なんか成長痛とか酷そうだな」
「その感想が出てくるとは思ってなかったわ。でもそうか、確かに成長痛は怖いな。あれ痛いんだろ?」
「……知らねぇ」
モグラが聞けば、真木はわずかに表情を歪めて視線をそらした。
「成長痛少ないタイプの人もいるよね。私もそうだったよ、真木くん」
八重子のフォローに、真木は「そっか。一緒だね」と眉を下げて笑った。ふんわりとした二人の雰囲気は、普段であればにやにやと笑いながら眺めて「いいなぁ。青春だねぇ、お二人さん」なんて揶揄ったりするのに、今日はそれが気になって仕方がない。モグラは真木に抱き着いた姿勢のまま、普段見ることのない角度でじっと真木を見つめる。
「モグラ?」
視線に気づいた真木がモグラに顔を向けた。それに気をよくして、モグラはニコーっと笑みを浮かべる。
「いや。何でもねぇよ。それよりその袋なんだ? 差し入れか?」
「あ、そうだ。忘れてた。まあ、いつものじゃないけど差し入れには違いないかな? モグラ用にって八重ちゃんとお菓子買ってきたんだ」
でも食べ過ぎるなよ、特に食事前と言って注意してくる真木は、本当に親のようで少しこそばゆい。
「じゃあ今ならいいよな! せっかく買ってきてもらったし!」
にこにこするモグラに「杏子さんに許可もらってからな」と真木が言えば、モグラはぱっと身を離して「聞いてくる!」といつもよりも軽い足音で駆けていった。
「なんか、本当に子供みたいだね、モグラさん」
「だね。ちょっとかわいいって思っちゃった」
「真木君もいいパパみたいだったよ」
「えぇ、揶揄わないでよ」
顔を見合わせて二人でそうやってくすくすと笑っていると、再び足音が聞こえてきた。
「真木! 杏子ちゃん食べていいって! お茶も持ってきてくれるってよ!」
「そっか、よかったな」
「いろいろ買ってきましたよ! モグラさん気になるのあります?」
モグラに袋を渡せば、いつものようにがさがさと漁りだす。
「お、きのこたけのこじゃねぇか。ちなみに、二人はどっち派? おっさんは食えれば何でもいい派だ」
「気軽に派閥争いを起こそうとすんじゃねぇよ。俺は弟が食べなかったほうを食ってたからどっちでもいい派」
「私も。弟と妹がたけのこだったから、私は余ったきのこを食べることが多かったかな」
どっちもおいしいよねと笑う八重子に、だよねと真木も返す。その間もモグラはガサゴソと袋を漁っている。
「おぉ! ねるねるするやつじゃねぇか! これちょっと気になってたんだよな。おっさんが買うにはちょっと気が引けて試したことなかったんだよ。これにしよう!」
目をキラキラさせるモグラに、本当に子供みたいだと真木は静かに笑った。
「じゃぁお水もらってこないとですね」
そう言って八重子が立ち上がると、モグラは意気揚々と袋に手をかける。
「あれ? 開かない?」
普段だったから簡単に開くそれが開かずに、モグラは首を傾げた。そんな姿が面白くて、真木はくすくすと笑いながらモグラに手を差し出した。
「子供になって力が弱くなってんだろうな。貸して、開けるから」
「マジかよ。子供ってこの程度も開かないのか」
「あとはこういうの気になる年代って勝手に開けちゃったりするから、開けにくくなってんのかも」
愕然とするモグラに、真木は笑いながら袋を開けてやる。
「真木が大人に見える」
「とっくに成人してるっての」
「だって俺から見たら子供だったのに! 真木が大人になっちまった!」
「だから俺は変わってないって。変わったのはお前だろ」
頭を抱えるモグラに、真木はそう言いながらトレイと粉の入った袋を取り出して順番に並べた。
「お水もらってきたよー」
ちょうどそこに八重子が帰ってきて、モグラの知育菓子体験が始まった。
* * *
「味に関してはまあいいとしよう。でもこのねるのって結構楽しいな。こりゃ子供はハマるわけだ」
完成したお菓子をつまみながらモグラが言った。腹にはたまらんなと続けたモグラにそれはそうだろうと真木と八重子は苦笑する。
「最近だとオブラート替わりに使うものもあるみたいですよ」
「は? これに薬包んで飲むのか?」
「あ、俺も見たかも。薬局に売ってた」
「マジかよ。ゼリータイプのオブラートの時も思ったけど、医学の進歩ってのはすげぇな。これなら子供大喜びで薬飲めるんじゃねぇか?」
「薬飲ませるたびにこれ作ってたらいくら飛んでくかわかったもんじゃねぇよ……」
「あはは、だよねぇ」
モグラがもそもそと知育菓子を口に運びながら言えば、真木と八重子はそう笑った。
「あらあら、真木君と八重子ちゃん、なんだかモグラちゃんのお父さんお母さんみたいね」
お茶をどうぞと言いながら現れた杏子がそう言ってくすくすと上品に笑った。真木と八重子は目を丸くしてお互いを見合わせて、二人同時にほわりと頬を染めた。
「もー、杏子さん揶揄わないでくださいよー!」
八重子は恥ずかしそうに笑いながらそう言って、真木は何を言っていいのかわからないのだろう、視線を俯かせてもじもじと口を閉ざした。普段のモグラだったらそこに乗っかるはずだ。「お似合いじゃねえか」って言えるはずだった。なのに今、その言葉を出そうとしても喉に引っかかって出てこない。
嫌だと思ってしまった。諦めたはずだったのに。真木には八重ちゃんのような可愛くて優しい子がふさわしいと思っていたのに。モグラの大人としての理性に、子供としての我慢の利かなさが僅かばかり勝ってしまった。しょんぼりとした様子のモグラに、真木が気付いた。
「モグラ? どうした?」
キャラキャラと楽しそうにやり取りをしていた杏子と八重子も、真木の言葉でモグラの様子が違うことに気付いた。
「子供って、ヤだな」
「なんだよ突然」
「なんか、今までだったら我慢したり、こう、理性で押させつけてたことの箍が外れそうになる」
「体に精神が引っ張られてるってことか?」
「うん……」
真木の問いに、モグラはそう頷くと俯いて肩を落とした。
「あら、ごめんなさいねモグラちゃん。そんなつもりなかったのよ」
杏子が申し訳なさそうに言えば「杏子ちゃんのせいじゃねえよ」と小さく返した。
「モグラさん大丈夫だよ、とらないよ」
八重子が言えば「任せるなら八重ちゃんだと思ってるんだよ、ちゃんと」とこれまた小さく返した。そんな三人の様子に首をかしげた真木は、ようやくそれが何の話かを察して目を丸くした。
「え、待って。これもしかして、俺抜きで俺の話進んでない? ねえ」
「あはは……。言うつもりなさそうだったけど……ごめんね、モグラさん。真木くん以外みんな気づいてるよ」
困惑する真木に八重子は困ったように眉を下げて笑うと、モグラに向き直ってそう言った。
「なんでぇ……?」
「モグラちゃんが自分じゃダメだろうって思ってることはちゃんとわかってるのよ? 伝わってるの。でもね、それと同じくらい手を出すなとか引き離さないでとかも伝わってきて……」
「わかります。こう、牽制じゃないけど……『俺が認めたやつじゃなきゃコイツは譲れない』って思ってるのが丸わかりで……」
「モグラ……?」
盛り上がる女性陣をよそにモグラは頭を抱えて、真木は困惑と戸惑いを全面に出してモグラに視線を向ける。
「だってぇ、ほんとは俺、真木が欲しいんだもん。今時いねえよここまで綺麗な魂してる子。そりゃ八重ちゃんも綺麗だよ? でもさぁ、八重ちゃんはきっちり線引いてお互い踏み込まないってのが暗黙の了解であるじゃん? あ、言っとくけどめちゃくちゃいいことだからな。立派だ。真木はちょっと見習った方がいい。まあ、それができてなかったからこんな厄介な奴に惚れられちまったわけだけど」
「え、ちょ、は? 俺、今さらっと告白された?」
「した。だってほしいんだもん。これだけ献身的に尽くしてくれて、たくさん話聞いてくれて、会いに来てくれて、俺のこと知って正しく畏れてるのに離れていかないんだぞ? おまけに態度も変わらない。いねぇよこんな子。そりゃもうほしくなるじゃん。ずっとそばにいてほしいってなるだろ。真木が神好みすぎるんだ。俺のせいじゃねぇよぉ」
モグラは小さな両手で顔を覆うと俯きながら一気にそうまくし立てた。
「待って。待ってくれ。理解が追い付かないまま話がどんどん進んでいく。え、何これ? どっきり?」
驚き混乱する真木が助けを求めるように八重子や杏子に視線をやっても、あらあらと言わんばかりの困り顔を向けられるだけだ。
「どっきりなわけあるかよ。そんなこと言うな。俺がいつもの姿だったらこのままわからせてるレベルだわ」
「何を? 何をどうわからせるつもりだったんだお前は」
「おっさんアウトー」
「モグラちゃん、さすがにそれはダメよ。ちゃんと段階を踏まないとこじれるわよ」
「八重ちゃんと杏子さんには通じてるの? なんで? なんで当事者の俺がわかってないことがわかるの?」
両手で大きくバツマークを作る女性陣に、モグラは「わかってるし、今はできねぇよぉ、なんもぉ」と情けない声を上げた。真木だけが一人置いてけぼりで混乱して冷や汗まで出てきた。
「モグラ、あの、いったん整理していいか?」
真木が小さく手を上げてそう言った。
「うん」
モグラは顔を覆っていた両手を下ろして、真木を伺うように少しだけ顔を上げると小さく頷いた。そんなモグラに真木はやや躊躇いながらも口を開く。
「俺のこと、好きなの?」
「大好き」
「マジか。即答かよ」
怪訝な顔の真木がそう言った。モグラは俯きがちなまま肯定する。
「大マジ。ホントは逃がしてやろうと思ってたんだけど、この体我慢が利かねぇんだよぉ」
「えぇ……」
「引くなよぉ。俺だって予想外だったんだ……」
「引いちゃいないけど……。重めの友愛とかじゃなく?」
真木は戸惑いを全面に出しながらそう確認する。そう言われたほうがまだ驚きは少ないと顔に書いてある。モグラはふるふると首を横に振った。
「違う。性欲込みの愛です」
「その体で性欲とか言うなよ……。ん? は? 性欲? え、もしかしてお前、俺と……その、いろいろしたいってこと?」
「したい。ハグもキスもその先も。そりゃもう隅から隅まで可愛がりたい」
「発言が怖ぇよ。お前なら選びたい放題だろうに、何が悲しくてこんな陰キャ大学生を選ぶんだよ……」
「だってぇ、真木が可愛いんだもん……。知れば知るほど俺の好みドストライクなんだもん……」
「お前……相当変わってんな……」
「これをその一言でまとめるところも好きぃ」
「どうなってんだお前……」
どうしようコイツというのを隠そうともしない真木に「捨てないでくれ真木ィ」と目を潤ませて上目遣いでモグラが言った。
「いや捨てるもなにも、付き合ってすらいないだろ俺ら」
「それはそうだけど……。離れていかないでくれ……」
「そりゃ離れることはしないけど。約束したし」
涙目のモグラが言えば、真木は困惑を残しながらもきっぱりとそう言い切った。その瞬間、スンとモグラが涙をひっこめる。
「あとバレちまったからにはこれからガンガン行くから」
「怖い怖い怖い! 何だ突然! 頼むからゆっくりで! いやこの言い方も変だけど! 理解はしたけど受容はできてねぇから!」
「……ゆっくりなら良いのか? マジでじわじわ行くぞ。俺ぁいくら時間かけてでもお前を落とすからな」
「宣言の仕方が怖ぇよ……」
眉を下げながらも拒絶はしない真木に、そういうところだよ真木くんと八重子と杏子は思ったが口に出すことはしなかった。そのかわり二人で顔を見合わせて「仕方ない二人だ」と言わんばかりに笑った。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.