シノハラ
2026-03-26 23:11:50
2544文字
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恋とはどんなものかしら

ンズイル ンズの正体を知って、自分の片思いに疑問を持ってしまう坊ちゃまの話

「フリンズさん! いらっしゃいますか!」
 呼び鈴を鳴らし、外から声をかけてしばらく待っても、これと言った反応がない。どうやらフリンズは不在のようなので、玄関に荷物を置いてから念のため釣り場にも足を伸ばしたがやっぱりいない。
 到着時刻を予告していたものの、彼の仕事内容を思えば空振りになる事自体は全くないわけではない。この広範囲の遊撃をひとりで担当できているのは、ひとえに彼がフェイの生まれである事も一因なのだろう。
 寒空に放り出されないために持ってきている拠点のスペアキーで室内に入り、手元のライトで地下の真っ暗な室内を照らす。彼の顔くらい見て帰りたいのもあって、居間に居座るために照明を点けようとした瞬間だった。テーブルの上に台座が置かれ、見覚えのあるランプが吊り下げられているのが目に留まる。
 ――いる。
……なんですかその居留守」
 渋面を作りながら青い炎に向かって告げると、まるで返事をするかのようにちらちらと揺れた。
 ガスを使うような特別な設備でない限りなかなか見られない色の炎は、フリンズの本性である。その炎に生身のイルーガが触れられないのを知っていて、こんな逃げ方をしているのだろう。
 荷物を置いてから照明を点けて、彼の前に戻ってみたもののフリンズが出てくる様子はない。普段とは逆転している身長差で彼を見下ろしながらねめつけても、やっぱり目立った反応はなかった。
「籠城してないで出てきてください。さては報告書を作っていませんね?」
 少し声を低くして指摘しても、炎は優美に翻るばかりである。彼が炎の姿のまま意思疎通を図れるのは承知しているので、意図的に無言を貫いているらしい。
「無駄な抵抗を……
 あからさまに溜め息を吐いて見せながら、イルーガは椅子を引いてランプの前に腰かけた。それからランプを囲うように腕をテーブルに投げ出して、自身の腕を枕にする。
 ランプの内側に留まる蒼炎は青が強いというだけで、実際は中心の温度が高いはずの部分は色が飛んで真っ白に見える。色合いからは温かみを感じ取るのは難しかったが、ここまで近づけばある種の潔癖さすら感じる炎の温度が頬に伝わった。
 炎に炙られて目が乾きすぎないようにしっかりと瞼を落とすと、網膜に焼き付いた彼の炎が暗闇に描き出される。穏やかに見えるのに、触れれば最後、神経まで焼かれるだろう青。
 多くの輝きをイルーガは見てきたつもりでいるが、彼ほど美しい炎を見たことがない。そう思うのは、イルーガがフリンズを愛しているからなのかもしれない。
 ――では、その逆は? 不意に胸中に湧き上がった問いに追い立てられるように、イルーガは瞼を持ち上げた。
 もし、彼が人間として人々に関わるのを良しとせず、この炎でイルーガの前に立ち現れていたとしたら。人としての姿を見ないまま、彼と交流を深めていたとしたら。イルーガはこのひとを愛していただろうか。
 イルーガは再び瞼を落として、あの金色の瞳を知らないままの自分を想像する。今までイルーガがフリンズそのものだと思い込んでいたものを知らずにいたとしたら。
 分からなかった。きっと好感は持ったに違いないが、その思いが恋であると気づくことはなかったのかもしれない。
 ならば、イルーガはこのひとの何を愛しているのだろう。今までイルーガの中に確かにあったはずのものが急に変質したように思えて、俄に恐ろしくなってしまう。
 心臓がひやりと冷えるのを感じながら、温もりを求めてイルーガは目を開く。そうして視線の先で灯っている炎に、イルーガは思わず手を伸ばそうとしてしまった。
 その瞬間、ぶわりとあたりの空気が騒めいたかと思うと、見覚えのある姿がたちまち立ち現れた。彼がイルーガに気づかわしげな視線を寄せてきて、眉間に力が籠もっていることに気がついた。
「坊ちゃま、どうかなさいましたか?」
 そう、優しい声で問いながら、彼はイルーガの髪に手を添えた。少し浮き上がる髪を押さえるようにして、彼の指が色の抜けた髪を撫でていく。
 その感触の心地よさにイルーガは一度目を伏せ、慈愛を感じる指先を受け入れる姿勢を示す。フリンズはイルーガの意図を察したようで、毛先が指先を離れてからもう一度つむじ辺りに手を添えた。
 とくとくと心臓が高鳴り、じわりと頬に熱が集まるのが分かる。炎の熱で火照っているだけだと彼が思い違いをしてくれていればいいのだけれど。そう願いながら彼を見上げると、いつもより殊更柔らかな眼差しが返された。
 優しいひとだと思う。窮地にある人間を助け、今はこうしてイルーガを慰めてくれている。
 そういうひとが優しさで作り上げた部分しか、イルーガは見られていないのかもしれない。その遣る瀬なさや憤りを原動力にして、イルーガはフリンズの手首をむんずと掴む。
「どうもこうも、報告書ですよ」
 もちろん、イルーガの心を騒めかせている元凶は報告書などではないのだけれど、言い訳にさせてもらうことにする。彼に無理やりにでも報告書を作らせて帰らなければならないのも確かで、あのままでは渋い顔をしなければならなかったのも間違いではないのだし。
……おや、これはしてやられましたね」
 ここまで接触してしまえば、炎になって逃げるのも難しいだろう。だって、彼はこんな事でイルーガに火傷を負わせようなんて考えるはずがないのだから。
「ちゃんと書いてくださいね。書き終わったら放しますから」
「なら、しばらく書かずにいましょうか」
「馬鹿な事言わないでください」
 まるでずっと握っていてもらいたいと言われたような心地になって、イルーガはテーブルから上半身を起こしながら指の力を強める。きっと痛くもない癖に、フリンズは力を緩めてほしいと不満を零した。彼の手首の骨の尖った部分が手のひらに当たるのを感じながら、ちょうどいい言い訳があって良かったと内心で安堵の息を吐く。
 本物ではない彼の手にはイルーガが求めた温度が宿っていた。その体温を愛おしいと思ってしまい、ちくりと心臓に痛みが走る。自身の思いが虚像の上に積み重なっていると叫ぶそれを、イルーガは気づかなかった事にはもうできない。