じれ
2026-03-26 18:00:00
6181文字
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ぬくもりはここにありて

なめくじさんの十傑イラストからイメージしました。

ぬくもりはここにありて
 雪深い山のさらに奥の奥。普通の人間では立ち入ることはできないであろう場所にそこはある。嵐や雪、とにかく住むに当たって不都合なものが最低限防げれば構わないという主人の考えが見て取れる木や石で作られた簡素な家。ただでさえ薄暗い場所にあるため日が落ちてしまえば恐らくは人の目で見つけることは難しいほど。だけれど今は誰かを待つように、家の入口には魔法で灯された小さな灯りが点っている。
 それは果たして、オレの帰りを待っているからなのか、それともこいつの来訪を待っているからのか。
「お、おすしさん!そろそろ降ろしてッ。ていうか、そっちって先生の家の方向だよな。今日は訓練、ないし、なんで
 オレに服を咥えられ未だ小さく身じろぎながら抵抗をするヒトシの言葉を無視して、ズンズンとショータの家へ歩を進める。ヒトシの腕には黒猫の使い魔が主人と同じように不安そうな顔をしながらニャゴニャゴ言っている。やれやれ、喚ばれてそんなに間が経っていないとはいえ使い魔なら使い魔らしく毅然としていろと意味を込めてギロリと目を向ければ黒猫はヒトシの腕の中でその小さな体をさらに小さくした。
……こいつのこと、あんまり虐めないでやってよ」
 虐めではない。これは使い魔同士の問題だ。フンッと鼻を鳴らせばオレの息でヒトシのふわふわとした髪が大きく揺れる。オレの不機嫌さを察してかヒトシも黒猫と同じように体を小さくした。
 ごちゃごちゃとしたやり取りをしている間に目的の場所であるショータの家に着き、入口を開けてもらうためガリガリと爪を立てる。昔、オレが喚び出されてすぐの頃だったろうか。ショータがするように入口をこの手で思い切り押したら思いがけず力が入っていたのか吹っ飛ばしたことがあったので、それ以来こうして分かりやすい合図を送ることにしている。
 ガチャリと入口の鍵が開錠され、ギィと軋ませながらドアが開く。部屋から漏れ出る灯りと温まった空気がオレたちを出迎えた。
「ずいぶん遅かったな。もうだいぶ外が暗く…………心、操?」
「こ、こんばんは……
 オレに咥えられたまま、ヒトシは律儀に挨拶をする。ショータはヒトシとオレの状況に驚きつつもただ、ああ、と一言だけ返して視線をオレから、いや、ヒトシから逸らした。
 妙な緊張感が二人の間に生まれる。
 こいつら、本当にいい加減にしろ。
「えっ、う、わぁっ!!」
 ブンっと咥えていたヒトシをショータに向けて放り投げる。なに、驚いた声は出せどもヒトシなら受け身はとれるだろうしその前に。
「おっと」
 そら見ろ。ショータならちゃんとヒトシの体ぐらい容易く受け取れるだろうさ。
 オレに放り投げられたヒトシはショータに難なく抱き止められ、すんなりと降ろされてすぐにショータから一歩後ろに身を引いた。伸ばされたかけたショータの手は何事も無かったかのように引っ込められる。
「おい、おすし!人を放り投げるな!……すまん、心操。怪我はないか?」
「は、はい、大丈夫です!」
 ショータはやれやれとした表情でオレに家の中に入れと視線で促してくるので、ブルブルと体に付いた雪を払ってから身を屈めて家の中に入るとする。この家はオレの本来の体からするとやや手狭なのでついでに普通の猫程度に体の大きさを変えるとしよう。入口の扉は小さくなる寸前にオレの尻尾で閉めてやった。ああ、やはり暖かい場所はいいものだ。
「相変わらず、おすしさんはすごいですね。さすが先生の使い魔です」
 ヒトシは身を屈めながら腕に抱いていた黒猫を床にそうっと降ろした。黒猫は普通の猫の大きさになったオレよりも一回りほど小さくまだまだ力の弱い存在。先ほどオレに叱られて多少気落ちしているようなのでオレから近づいてペロリと毛繕いをしてやれば簡単に機嫌を良くするのだから単純だ。
「力も強いしこうして姿も変えられる。使い魔って主人の力で振るえる力も変わるんでしょう?……先生は、本当に凄い」
「お前はまだ自分の力を自覚したばかりだろう。いずれはお前もその使い魔も力を得ていくさ」
……そう、なんですかね」
 そうだといいな、と溢しながら身を屈め黒猫を撫でるヒトシの背中をショータは眉根を寄せながら見つめている。
 オレはどうにもこの空気が嫌いだ。お互いに言いたいことがあるくせに。息が詰まる。お前もそう思わないか、と黒猫を見やれば困ったようにミャウと髭と耳をショゲさせる。
……おすしさん、俺の使い魔のこと気に入らないのかな」
「そんなことはないと思うがな。単純に鍛えてやりたいとか、そういうことじゃないか?」
「はは。猫同士の特訓かぁ。それはちょっと可愛いですね」
 違う、そうじゃない、っと言ってやりたいところだが生憎オレはヒトの言葉は分かるが話すことは出来ない。なので抗議のために尻尾を振ればショータは「腹でも減ったのか」と見当違いなことを言ってくる始末。お前本当にオレの主人か?
「それで、どうしてお前はおすしに連れてこられたんだ?」
「え、ああ。今日は天気も良かったから少し先の森で一人で訓練をしていたんです。そしたらその、気付いたら」
「迷ったのか」
「不甲斐無いです。先生にはあれほど気をつけろと言われていたのに迷いの森に誘い込まれていたようでした。おすしさんが寸での所で引っ張り出してくれて助かりました」
「なるほどな。こいつの散歩にしては随分と時間がかかっているとは思っていたが。恐らく散歩の途中でその黒猫から危機を知らされたんだろう。一度縁ができた使い魔同士は簡単な思念なら送り合えるそうだ」
「ああ、なるほど。だから。お前もありがとう」
 ヒトシが納得したように頷き黒猫に礼を述べれば、やつは褒められた嬉しさからか尻尾を高く上げてヒトシの足元に擦り寄る。
「それでお前はされるがままここに連れてこられたと」
「はい。森の出口まで案内してくれればってお願いしたんですが、どうしても聞いてもらえなくて。……その、連絡も無しに来てしまって申し訳ありませんでした」
「連絡も何も、そういう状況じゃあ仕方ないだろう。俺は別に、」
「長居するのはご迷惑でしょうし俺はそろそろ帰ります」
 ショータの言葉を遮ってヒトシは床で寛いでいた黒猫を抱えて外へ出ようとする。おいこら待て、せっかく連れてきてやったってのに!俺は思わず立ち上がって扉の前に立ちはだかる。
「おすしさん。俺はもう帰るからそこを
「この間の、」
 俺に足止めされてたじろぐヒトシにショータは顔を伏せたまま声を掛ける。ヒトシはびくりとあからさまに反応したくせに何も言わない。オレから見えるその顔は泣きそうな、苦しそうな顔だ。
「この間の、お前と番になりたいって話は、忘れてくれていい。お前をこんなふうに苦しませるつもりはなかった。もし今の師弟関係も解消したいならそれでも構わない。その時は信頼できるやつを紹介ぐらいは……させてもらいたいが」
……、っ……
 ショータの言葉にヒトシの目に涙が溢れていき、それはあっという間に今にもこぼれ落ちてしまいそうになるほどだった。見ているだけで苦しい。そして、ショータの強い感情も使い魔であるオレにも流れ込んでくる。主人のあまりにも強い感情は時として伝わることがある。
 
 そばにいてほしい。
 行かないでほしい。
 寂しい。
 悲しい。
 愛おしい。
 本当は手離したくなんてない。

 心操が、欲しい。
 
 ショータはヒトシを愛している。
 だけど少し前に、一度、ショータがその想いを伝えた時にヒトシは拒絶した。
 理由はオレもわからない。
 そもそも、拒絶した理由がわからない。
 オレからして見ればお前たちは番になるべきだと思っていたから。それぐらい強い絆と魂の繋がりを感じていたから。
 ショータからの番の話をきっかけにヒトシは明らかにショータから距離を取るようになった。訓練には来ている。だけど、前のように他愛無い会話をしなくなった。笑顔が少なくなった。
 ショータも二度と番の話をしなかった。
 あの日以来、二人の間には重苦しい空気がずっとずっとあって、オレは早く元の二人に戻って欲しかった。

……お前にはまだまだ伸び代がある。俺という存在に縛り付けるべきじゃない。すまなかった。……今後の訓練や指導者については今度改めて使いを出して知らせるよ」
 嘘つきめ。言葉だけは立派なくせして、お前の心はオレの毛を逆立たせるくらいにぐちゃぐちゃで荒々しいじゃないか。
 ヒトシはずっと唇を噛み締めて何も言わない。……いや、何かを言いたいけれど堪えている、そんな気がした。

『ヒトシ、センセーノコト、スキ』

 その場にいた全員、初めて聴く声にギョッとする。キョロキョロと視線を動かしているとまた
「ヒトシ、ホントハ、センセート、イッショ、イイ」
 そんな声が聞こえる。どうやらまるで幼い子供のような辿々しい声はヒトシの腕の中から発せられたようだ。ヒトシは慌てて原因であろう黒猫の口を手で押さえようとするが黒猫はするりと腕の中から逃げ出してショータの前へと進む。
……お前、ヒトの言葉が話せるのか」
 ショータが目を丸くして驚くのも無理はない。オレのように言葉は理解してもこうして直接話せる使い魔は稀なのだ。
「センセ、ヒトシ、ズット、ウソ、ツイテル」
「や、やめろ!」
 ヒトシは慌てたように駆け寄り、ショータの足元にいた黒猫をかき抱いてそのまま体を丸くし黒猫ごと隠そうとする。それでも黒猫は話すことをやめない。
「ヒトシ、ヒトシ……ナカナイデ、ヒトシ、ゴメンネ。オハナシ、シテ、ゴメンネ。デモ、ヒトシ、カナシイノ、ダメ。サミシイノ、ダメ」
「黙れ、頼むからっ、お願いだからっ」
 ぎゅうと身を縮め、黒猫を掻き抱き震えている。オレから顔は見えないけれど恐らく泣いているのだろう。
……心操」
 自分の足元で縮こまるヒトシをショータは自分の身を屈ませてその背中をゆっくり、優しい手つきで撫でた。そうされる度にヒトシの嗚咽は大きくなる。ずっとずっと我慢していたものが決壊して抑えきれなくなったようだった。ボタボタとヒトシの涙が床を濡らす。
 ショータは何も言わず、ヒトシの身体を抱き寄せてその背中を撫でていた。

 
 
「こいつがヒトの言葉を話せるって知ったのは本当に最近です。最初は俺の名前とか先生やおすしさんの名前呼ぶくらいで。だけどこいつと俺の感情とか思考が繋がっている感覚って言うんでしょうか、それが分かったんです。俺の本心はこいつに筒抜けなんですよ。俺が特に強い感情を抱くと詳細に分かっちゃうみたいですね。だからあんまり話させたくなかったし恥ずかしいから出来れば秘密にしておこうと思って俺の前以外では喋るなって教えてました」
……ヒトシ、ゴメンネ。ヤクソク、ゴメンネ……
「もういいよ。俺も黙れなんて言ってごめんな。俺がちゃんと俺自身を律していればいいだけの話だったんだから」
 散々泣いたからか次第に落ち着きを取り戻したヒトシはショータに促されるまま暖炉前に置かれた椅子に座って膝の上の黒猫を優しく撫でながらポツポツと語る。
「こいつの言う通り、俺は先生が好きです。師匠としても……一人のヒトとしても。あなたから番になろうって言ってもらえて本当に嬉しかったです。本当に……心の底から嬉しかった。きっと、その時にこいつが話す力を得ていたら言っちゃってたでしょうね」
 眉を下げて笑うヒトシはどこか吹っ切れてはいたが何かを諦めた様子でもあった。
「なら、どうして」
「俺と先生とじゃ、見合いませんよ全然。自分の力も使い魔のこいつも未熟で、そんな存在があなたの隣に立つなんて烏滸がましいにも程があります。俺はどう言われてもいい。言われて当然です。だけど先生が俺のせいで何か言われるのはとてもじゃないけど耐えられません」
 ショータの当たり前の問いに、ヒトシはさらりと返答する。それはあまりにも自分を卑下した言い方だ。
「番の話は嬉しかったけど俺には勿体無いです。先生、伝えてくださってありがとうございます。でも、どうか俺を選ばないで」
 話は終わりだとばかりにヒトシはそのまま口を笑みの形に無理やり固定したまま俯いた。黒猫はまだ何かを言いたそうにしていたが、主人との約束を反故にした罪悪感もあってかこちらも口を閉ざすことにしたらしい。難儀な奴らだ。
 ショータはヒトシの話をただずっと、黙って聞いていた。遮ることも肯定することもなくずっと静かに。
 暫くの間、パチパチと暖炉から爆ぜる音だけがする。
「お騒がせしてすみませんでした。もう、変な態度取ったりしません。図々しいかもしれませんが師弟関係は出来れば続けて欲しいです。先生からしか学べないこと、まだたくさんあると思うし俺は先生から学びたいので。もし先生のほうがやっぱりやり難いとか、そういうのがあったら遠慮無く言ってください。その時は俺も先生の指示に従います」
 そう言ったヒトシは椅子から立ち上がり、黒猫を抱いたままショータへぺこりとひとつお辞儀をした。
 まさかこのまま帰るつもりなのだろうか。外はもう獣たちすら寝入っている頃だ。ましてや雪だって変わらず降っているだろうに。

 ましてや、こんな言い逃げのような状態、許してやるものか。

 ショータはヒトシの腕を引き、身体を反転させて無防備だったその口を容易く奪った。その拍子にヒトシの腕から抜け出した黒猫は床に音もなく着地し、その長く黒い尾をピンと高く上げる。ふん、黒猫のほうがよっぽど素直じゃないか。
「ーーっ、ん、ぅっ、な、ん」
 ショータはヒトシの首と腰に手を回し離してなるものかと強く抱き寄せる。ヒトシは一応の抵抗をしているのかショータの胸を手で何度も押してはいるがビクともしない様子で焦っているようだ。
「は、ぁ、っ」
 肩を息をするヒトシの頬を撫でながらショータはまるで言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「何がどう烏滸がましいって?そんなもん知るかよ。誰に何を言われようとな、そんなもん俺たちに関係無いだろう。言わせておけ」
「っ、でもっ!」
「俺はお前がいい。お前が隣にいることが俺の喜びなんだ」
…………、」
「俺の一方的な想いじゃなく、お前も俺のことを想ってくれているなら、好き合っている者同士なら、俺は、やっぱりお前と番いたいよ」
 声を震わせ、涙するショータをオレは初めて見た。
……、せ、んせぇ……っ」
 ヒトシは今度は自らショータの胸に縋りついた。その胸の中で何か言葉を呟いていたようだが生憎、オレの耳にまでは届かない。
 だけれど、涙を流しながら嬉しそうに頷くショータの様子。
 そしてオレの横にいる黒猫の声でわかってしまった。
 まぁ、聞かなかったことにしてやろうか。ヒトにとっては大事な言葉だろうし。いや、そもそもこんな現場を見させられてる時点でなぁと今更思うわけだが、お前らが幸せならいいよ。

 『センセ、アイシテマス』