jerry-fish
2025-11-23 23:44:22
9192文字
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雨降って地固まる

モグ真木(にょた)
いつものシリーズとは全く関係ないお話
俺っ娘真木ちゃん
※無理矢理に見えるシーンがありますのでご注意ください。なお、何もしません。

 昼間は刺すような日光と茹だるような暑さに辟易としていたのに、夕方になった今はざあざあとバケツをひっくり返したような雨が降っている。今日のもぐら湯は、いつにも増して閑古鳥の大合唱だ。ボケっとラジオを聞いているとパシャパシャと小さく水の跳ねる音がした。それから勢い良く扉が開くと、そこにはびしょ濡れの女の子が一人。真木だ。霊体であるはずのマギーくんも、濡れたようにぺしょりと萎んでいる。
「真木!? こんな雨の日に何やってんだ! ああもう、びしょびしょじゃねぇか!」
 モグラは慌てて真木にタオルを被せるとそのまま髪を拭いてやる。腹に何かを抱えているらしく、真木はされるがままだ。
「ごめん、土間濡らした。行くにも戻るにも中途半端な位置で降ってきちゃって。あ、これ差し入れ」
 真木はそう言うとパーカー前をぺろんとめくり、そこからいつもの紙袋を取り出した。
「おわっ!? おま、女の子がそんなことしちゃいけません!!」
 きゃあと女子のような悲鳴を上げそうになったモグラは慌ててそう言った。一瞬だけ見えた薄いまっさらな腹が妙に記憶に焼き付いている。
「お前しかいないんだし、いいだろ別に」
 ちゃんと人は選んでると真木は言った。そのままモグラに差し入れを押し付けると自分で髪の毛をわしゃわしゃと乱暴に拭く。パーカーを絞ればなかなかの量の水が落ちた。
「悪いんだけど、風呂入っていい? お金払うから。あと、できれば服も貸してほしい。確か、その浴衣在庫処分でたくさん買ってあるって言ってたよな?」
「いや、あるけどよぉ。……あの、な、真木。セクハラするつもりはない、マジでないが……あー、その……
 言いよどむモグラに真木はピンときた。
「ああ、あれはリュックに入ってるんだ。だから大丈夫」
「あ、そう……。わかった、そのまま脱衣場に行ってくれ。服はそのまま籠に突っ込んでいいから。その間に浴衣取ってくる」
「悪い。ごめんな」
「いいって。そのまま風邪ひいたほうが大変だろ。タオルも浴衣と一緒に置いとくから。ほら、行った行った」
「ごめん。ありがとう」
 真木はそう言うとぱたぱたと女湯の暖簾をくぐった。それからモグラは濡れた床を拭いて浴衣と新しいタオルを取ってくる。真木が脱衣場に消えてから五分以上経ったのを確認し、脱衣場に声をかけた。返事がないのでそろそろと浴衣とタオルを持って入ると、入浴前に絞ったのだろういくらか水気の減った服が申し訳なさそうに籠に入れてあった。モグラはその隣の籠に浴衣とタオルを置いておく。
「真木ぃ! 服とタオル置いておくからな! しっかり温まってから出てこいよ!」
「わかった! ありがとう!」
 モグラが風呂場に向かって声を掛ければ、そう返ってきた。よしと一つ頷いて脱衣場を出る。番台に戻ってラジオのチャンネルを変え、天気予報を確認する。この豪雨は夜中まで降り続くと言っていた。そうなると帰すわけにはいかないが、かといって来客用の布団なんてあるはずもない。さてどうしたものかと頭を悩ませていると、ぺたぺたと軽い足音がする。一足先に出てきたマギー君は、真木が風呂に入ったからかいつものふわふわな姿に戻っている。マギー君はそのまま勝手知ったるもぐら湯の二階、ごちゃごちゃとした作業室へと向かっていった。最近あそこのどこかに寝床を作ったらしいと真木が先日謝っていたのを思い出す。
「お風呂ありがとうな。これ代金」
 風呂上がりで上気した頬の真木が番台に向かって来た。ぱちんと音を立てて番台に500円玉が置かれる。その姿に、モグラは頭が真っ白になった。
 血色の良くなった白い肌、帯で締められた腰はその細さを強調している。腰から形の良い尻に向かうラインがひどく艶かしい。何より、胸元だ。目を丸くしてはくはくと声が出ないモグラに、真木は羞恥からほんのりと頬を染めた。意識しているのかしていないのかはわからないが、そっと腕で胸元を隠す。
「上は、なくて……。だから、あんまり見ないでほしい……。いや、まぁ、そんなに大きく無いから目立ちはしないんだけど……
 ノーブラ。一目見た時にもしやとは思ったが、本人から言われてしまってはもうどうしようもない。モグラは大きく息を吐いて下を向く。
……俺のシャツでいいか?」
「は?」
「せめてそれの下に何か着てくれ……。乳と尻に惑わされる十代男子ではねぇが、おっさんはまだ枯れてないんだ……
 うめくようなモグラの声に「なんか、ごめんな」と申し訳なさそうに真木が言った。
「男の人も大変だな……。こんなのにすら惑わされそうになるなんて……。あの、悪いんだけど洗濯機借りていい? 脱水だけでもすれば違うだろうし。その内雨もやむだろうから」
「こんなのとか言うもんじゃない。自分を大切にしろ。あと洗濯機を使うのも構わねえよ。それと雨なんだが、夜中まで続くそうだ。天気予報で言ってた」
「マジか……。ごめん、すぐ止むと思ってた。とりあえず、脱水だけしてくる。そうしたら着替えて帰るよ」
「は!? こんな雨の中冷たい服着てか!?」
 もごもごとうめくように言っていたモグラががばりと顔を上げた。丸く見開かれた目に、何かおかしなことを言っただろうかと真木は考える。けれど、特段変なことを言ったつもりはない。
「え、だって雨止まないんだろ? なら諦めて帰るしかないかなって。せっかくあったまったのにとは思うけど、それはもうしょうがない。幸い夏だし、どうにでもなるんじゃないかな?」
 真木の言葉に、モグラは「あー」と小さくうめいて片手で顔を覆う。なにがしかの苦悩が感じ取れるが、真木はそんなに悩むことでもないような気がしている。選択肢は他にない。ただモグラは優しいので、仕方がないとはいえこの雨の中で返すのは可哀そうという葛藤があるのだろうなとは思う。
「モグラ?」
……わかった」
「な、何が?」
「真木、今日泊ってけ。俺ので悪いが布団は貸してやる。俺は、まあ、どうにでもするから心配すんな」
「どうしてそうなった? そりゃ泊まらせてもらえるのはありがたいけど、それなら座布団だけ貸してもらえれば十分だ。場所もどこでもいいよ」
 モグラの何か覚悟を決めたような固い声に、真木はそんなに大したことじゃなくて良かったと胸をなでおろした。
「だめだ。若い女の子が体を冷やしちゃいかん」
「たった一晩だろ。大したことじゃない。それよりも、モグラはちゃんと布団で寝ろよ。腰痛悪化したらどうするんだ。湿布って意外と高いんだぞ」
「俺ぁいざとなったら灯がある!」
「こんなことで大事な灯を使おうとすんな! 俺はバスタオルと座布団で十分! モグラは布団でちゃんと寝ろ!」
 徐々にヒートアップしてきた話し合いに、二人は落ち着きを取り戻そうと深呼吸する。
「よし、この話し合いはとりあえず後に回そう。もしかしたら天気予報も外れるかもしれないしな」
「そうだな。このままだと平行線だから一回落ち着きたい。あとマジで洗濯機貸してくれ。 脱水さえできれば早く乾きそうな気もする。そうしたら傘借りれば帰れるし」
 そうだなそうだったとモグラは番台から立ち上がり洗濯機まで案内して使い方の説明もした。ボイラー室で干せばあっという間に乾くだろう。脱水が終わるのを待つ間、モグラは中にこれを着ておけと半袖シャツを取ってきて真木に渡した。申し訳ないと思いつつ、現在の自分の格好が男性にとってはよろしくないものだということも理解していたため、真木はおとなしく脱衣所でそれを着た。
「ごめんな、借りて。あとで洗って返すよ」
「こっちこそ悪いな、手間かけさせて。だが、うん。真木ちゃんは本当に自分を大切にしてくれ。俺の理性が鋼じゃなければペロッと頂かれてもおかしくないからな?」
「言っただろ、相手は選んでるって。モグラはそういう、俺が嫌がることをできる質じゃないだろ」
 無垢な信頼が辛いと聞こえたが、それはもう仕方がないので黙殺する。
 脱水をかけた洋服を、移動式の物干しを使ってボイラー室に干す。さすがに下着を見せるわけにはいかないので、モグラはボイラー室の外で待機だ。
「ボイラー室あっつ!! ヤバイなあそこ。服なんか一時間もあればからっからに乾くんじゃないか?」
「マジで夏場のボイラー室はヤバイ。俺でも逝けそうな気がする」
「ほんと水分しっかりとれよ!? こんなくだらないことで灯使わないようにな!」
 モグラの言葉に真木はそう言って、胸元をパタパタと動かし服の中に風を入れる。それに気づいたモグラは目を丸くして慌てて両手で顔を覆った。
「っいけません!!」
「は?」
「それ! パタパタすんのやめろ!! おっさんの純情を弄ぶな!!」
「え、あ、ごめん! つい癖で」
「癖!? そんなエロいこと外でもしてんのか!? やめなさい!! どこに理性ぶっ壊れたバカがいるかわかんねぇんだぞ!!」
「ご、ごめんなさい」
 モグラの勢いに真木の口から謝罪が飛び出した。反面、こんなダサい芋女に誰が目をつけるというのだろうと思わずにはいられない。
「ちょっと待ってくれ、おっさん落ち着くから……いち、に、さん、し、ご、ろく……よし」
「それはクールダウンじゃなくてアンガーマネジメントじゃ……?」
「今ある感情をどうにかするってのは一緒だから、できないことはないはずだ」
 突然数え始めたモグラに真木が困惑気味に突っ込めば、モグラはそう言った。そんなものだろうかと考えながらモグラに促されて居住スペースに移動する。
「晩飯どうする?」
「あ、今日の差し入れにレトルトの親子丼入ってるぞ。廃棄品で悪いけど」
 味はそんなに悪くなかったよと真木が言えば、モグラはマジかと喜色を浮かべる。
「じゃあ今夜はそれだな!」
「ごめんな、お前のための差し入れなのに俺まで食わせてもらって」
「気にするなって! そもそもお前が持ってきてくれてるもんだしな」
 片手鍋で湯を沸かし、レトルトの親子丼を二つ突っ込む。もう一つのコンロでやかんを火にかける。みそ汁もインスタントだ。たまにはいいよななんて笑うモグラに、俺も結構使うよなんて真木が返す。
 食事が終わるころ、外ではざあざあどころかドドドなんて音のしそうな雨が降っている。服が乾いたとしても、傘でこの中を歩くのは不可能だろう。いい加減、現実逃避気味にうやむやにしていた寝床の話を決めなければと真木は頭の片隅で思う。隣にいるモグラも同じことを考えていたのかちらりと目が合った。
「さーて、どうすっかなぁ」
「さすがにこの雨だと傘なんてあってないようなもんだよな」
「俺もそう思うぜ。ってわけだから泊りは確定なんだが……
「モグラが布団を使うべきっていうのを、俺は譲らないからな」
……頑固だよなぁ、真木ちゃんは」
 呆れ交じりにモグラが言えば、真木は真剣な目でモグラを見た。
「折れるべきところは折れてるよ。ただ、これはそうじゃない。モグラの健康に、ひいては目標である灯に関することだ。だから、譲れない」
「ほんと、惚れ惚れするくらいかっこいいよ、お前は」
 ため息交じりにモグラはわしわしと頭を掻く。あーとかうーとか唸りながら、忙しなく視線を動かす。
「これは……お互いに折れることができない俺らの最終手段なんだが……一緒に寝るか? 同じ布団で」
 おずおずと言われた言葉に、真木は目を丸くした。
「いや、ダメだよな! うん、ダメだな! 変なこと言って悪かった!」
 そんな真木の表情を拒否だと思ったのか、モグラは早々にその案を否定した。ぶんぶんと手を振ったり謝るように手を合わせたりしている。
「え、別にいいけど。モグラが嫌がるかと思って言わなかっただけで、それは考えてたし」
 その言葉にモグラはピタリと動くのをやめた。
……危機感どこおいてきた?」
「お前相手に危機感がいるか?」
 モグラの問いに、真木は不思議そうに答えた。
「俺相手って思うな。男相手だと思え」
「って言われてもなぁ」
 真木は眉を寄せて困ったように首をかしげる。産まれてこの方、そのような色を含む目で見られたことがないので、真木にとってはもはや対岸の火事にも近い。むろん、女性に無体を働く男が存在することは知っているし絶対に許せない。八重子や詩魚が被害にあったとあらば、身を挺して助けに入るつもりだ。そんな話をしたら、モグラからすんと表情が消えた。
「はぁ、わかった。真木、今からお前に男の恐ろしさを教えてやる」
「へ? な、何言って」
 急に立ちあがったモグラはそう言うと有無を言わさず真木の手を引いて寝室へと引っ張った。
「も、モグラ? 急にどうおわぁ!」
 混乱する真木を、モグラは布団に押し倒す。細い両手首をモグラの大きな手がひとまとめにして布団に縫い付けた。
「待て待て待て! 冗談じゃすまないだろこれ! モグラ!」
 真木はじたばたと藻掻くがびくともしない。いつもの多弁が嘘のように静かで、その目も表情も男を感じさせるには十分だった。そのまま馬乗りになっているモグラの手がゆっくりと伸びてきて、するりと浴衣の袷を開く。体を覆う布が、薄いシャツ一枚になった。下着をつけていない胸がシャツ越しにモグラに晒されている。そのことに真木の顔はカッと赤くなった。
「待て! 悪かったから! 謝るから! なあ、モグラぁ!!」
 モグラは何も言わない。ひどく静かな目の奥が、ひどく暗くて危なげだ。

 だめだ。これはまずいやつだ。止めなくちゃ。止めてやらなくちゃ。

 真木はどうやればモグラは正気に戻るのかと混乱する頭を必死に動かす。その間にも、モグラの手が殊更ゆっくりとシャツの裾に伸びて、そして。
「いい加減にしろ!! この、馬鹿モグラ!!」
 火事場の馬鹿力。真木渾身の頭突きが炸裂した。
「ってぇ~~!! いいもん持ってんなぁ真木ちゃん……っ!」
「このっ馬鹿野郎!! もっと大事にしろ!! 教えるにしたってもっとやり方があるだろバカ! この、もう!! ほんとバカ!!」
 頭突きのせいで痛む額とチカチカする視界にモグラはいつもの様子に戻った。真木も頭は痛むが、混乱と怒りが先に来ている。モグラはくらくらする頭を片手で押さえながら真木の上から退くと、真木の手を引いて座らせた。
「バカ!! ほんとに馬鹿!! ふざけんなよお前!!」
「怖がらせて悪かった、いや本当に。語彙力消えるくらい怖かったよな。でも男ってのは危ないもんだってわかってほしくて」
「違う!! こわ、怖かったのはそうだけど!! お前が、モグラがそうやって自分を犠牲にしようとしたのが!! 俺は!! 一番嫌で怖かった!!」
……は?」
 顔を真っ赤にしてボロボロと泣きながら怒る真木に、モグラは目が点になった。怖い、気持ち悪い、最低と罵られる可能性は考えていたが、思いもよらぬ方向で怒っている真木に思考が追い付かない。
「モグラがっ、俺のこと考えてくれたのは、わかる! けど、何もこんな、お、押し倒さなくたっていいだろうが!! それでお前が! あとから、後悔、して、俺のこと、傷つけたって、傷つく方が、ずっとずっと、嫌だっ」
 威勢の良かった声はだんだんと嗚咽交じりになって、とうとう声を出さずに泣き始めた。ひっひっとしゃくりあげながら、浴衣の袖でごしごしと涙をぬぐう真木に、モグラは声も出ない。こんな時でも相手のことを考えるなんて、善人を通り越しているようで恐ろしい。これがもし自分以外にと思えば、恐ろしいどころの話ではない。カッとなったモグラは思わず声を荒げた。
「おっまえなぁ! なんでそうなるんだよ! 怒れよ! 怖かっただろうがよ! 押さえつけられて痛かったはずだろ!? 無体働かれそうになってたんだぞ!! 俺に! なのに、なんで……そんな俺のこと思って泣いてんだよ……
 モグラの怒りの勢いもなくなっていく。ぐずぐずと鼻をすすりごしごしと目元をぬぐっている真木の手をとらえて、代わりに優しく涙をぬぐう。真木の目の前に座り、涙の幕が張られたその宵闇の瞳を覗き込む。
「なあ、なんでだ。なんでお前はそんなに俺に優しい? 哀れに見えるか、俺が」
「んなわけあるか馬鹿!! お前が大事だからに決まってんだろ! 大事なもんは何より大切に優しく扱いたいんだよ俺は! なのに大事にしたいお前が、お前のことないがしろにするから! 俺が大事にしてんだよ!!」
 モグラの言葉が、再び真木の怒りに火をつけた。
「悪いか! 俺がお前を大事に思っちゃ! 好きになったら悪いのかよ! 悪いよな、それはごめん! 本当にごめん!! 隠し通すつもりだった!! 伝えるつもりもなかった!! 俺はただ、お前の近くにいたかったんだよ! ちょっとでもお前の幸せの足しになればいいなって思っちゃったんだよ!! お前を大事にしたい俺の気持ちだけは否定すんな!!」
 真木はそこまで叫ぶとはあはあと肩で息をした。モグラは唖然として真木を見た。ヒトよりも鋭いつもりだった。永くヒトを見てきたから、相手が自分にどんな気持ちを持っているか、探るのも当てるのも得意だった。それがどうだ。真木の叫びを聞くまで、彼女の気持ちには全く気が付かなかった。モグラに向けられる恋情はいつだって、湿度と殺意が高めだった。こんなに純粋で、透明で、優しくあたたかな情など向けられたことはなかった。だから、気づかなかった。
「す、き……? 真木が……? 俺のことを……?」
 呆然と繰り返すモグラに、真木は鼻をすすりながら悪かったよと呟いた。
「ごめん。本当に言うつもりはなかったんだ。友達だと思ってたやつにこんな気持ち向けられて、気持ち悪いし嫌だよな。ごめん、本当に。でも、できればお前の目標には付き合いたいと思ってるし、何もしないからここに来ることも許してほしい」
 視線をそらしながら真木は静かにそう言った。
「なあ、それは……告白だと、思っていいのか?」
「そうだよ。わざわざ言うなよ。とっとと振ってくれ。来るなって言うなら来ないし、帰れって言うなら今すぐ帰るよ」
 モグラの震える声に、真木は少しすねたような声で返す。
「こんな……こんなことあるか? こんなに、俺に都合のいいことが……? はは、ははは、ははははははは! マジか、真木! いいんだな? 今更やっぱやめるって言ったって聞かねえぞ?」
 突然笑い出したモグラに、真木はびくりと肩を震わせた。モグラにとっては棚から牡丹餅、瓢箪から駒、鴨が葱どころか鍋までもって飛び込んできたような状態だ。そんなモグラに真木は困惑して眉尻を下げている。
「も、モグラ? どうした?」
「どうしたも何も、真木! お前は本当に俺に初めてのことをくれるのがうまいな! こんなに嬉しいことは早々ねえぞ! 今まで生きてきた中で三本の指に入るくらいには嬉しい! ああ、愛し子を手に入れる幸せってやつはこんな気持ちなんだな!」
「は? は? え、何? え?」
 混乱する真木をモグラは思いきり抱き締めた。慌てる真木の声が聞こえるが、そんなのはお構いなしだ。抱きしめた勢いのまま布団に戻ってしまう。
「も、モグラ? え、マジでどうした? 嫌じゃないのか?」
「嫌なもんか! 諦めてた、諦めようともがいてたもんが突然手の中に転がり込んできたんだ! 嬉しいに決まってる!」
「それもしかして俺か? 俺のこと言ってんの? ホントに?」
 モグラにぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、ようやく事態を理解し始めた真木が戸惑いながら言えば、当然だろと弾んだ声が返ってきた。
「唯一だ。俺が自分から欲しいと望んだ唯一! 手に入れるわけにゃいかねぇと諦めようとした妹背! そいつを独占する、愛する許可を手に入れた! これが嬉しくないわけがねぇ!」
 かわいい、好き、大好き、愛してる、もう放さない。突然浴びせられた好意的な言葉の数々に真木は目を白黒させる。諦めていたのは真木の方だ。なのになんで。自分なんかを欲しがるなんて、どうして。
 疑問がぐるぐると頭の中をかき回す。それでも幸せそうに、楽しそうに、はしゃぐように好きだ、可愛い、嬉しいと言うモグラの声に絆されてしまう。そもそも、惚れたほうが負けとはよく言ったものだ。
 真木がおずおずとモグラの背中に手を回せば、それに応えるようにぎゅっと抱きしめてくる。
 痛いよといえば、悪いと少し抱擁が弱くなる。それでも決して離そうとはしない。それがなんだか凄く幸せだ。
「な、真木」
「なんだよ、モグラ」
 モグラは少しだけ身を離し、至近距離で真木の顔を見つめてくる。
「さっきの続き、するか?」
「しねぇよバカ! 告白された当日にそこまで進めようとすんな!」
 にたりと笑うモグラに、真木は顔を真っ赤にして怒る。
「冗談だよ。でも、今日はこうやって抱きしめて寝てもいいか? 誓って手は出さねぇから」
……なら、いいよ。もともと、そのつもりではあったし」
 視線をそらしながらもしょもしょと真木が言えば、やったぜとはしゃぐ声が降ってくる。
「あ、のさ、モグラ」
「ん? なんだ?」
 真木は視線をうろつかせて、覚悟を決める。それでもまだ恥ずかしさとか不安とかで視線が落ちかけ、上目遣いのような状態で小さく、けれどはっきりと言った。
「好き、です。俺と、付き合ってください」
 さっきは勢いで言ったから、ちゃんと言っておきたくてと真木が続けた。
「俺の真木がこんなに可愛い……! 俺も好きだ、結婚を前提に末永くよろしくな!」
「うん。ありがとう。こっちこそ、よろしく」
 真木はふわりと微笑んだ。これまで見たことのないあどけないのにどこか色香のある笑みに、モグラはぐっと奥歯を噛む。
「あんまり煽るなよ。約束守れなくなったらどうすんだ」
 真木はキョトンとしてから、クスクスと楽しそうに笑った。
「気をつける。けど、モグラは俺の嫌がることはできないって知ってるから、つい気が緩むんだ」
「お前なぁ……。いつかホントに貰うからな、覚悟しとけ」
「そ、の時は、その……御手柔らかに」
 真木は赤く染まった頬を隠したいのか顔を逸らす。モグラはその柔らかな赤い頬に唇を落とした。目を丸くする真木に、これくらいなら許してくれるよなとモグラは目を細めた。真木はふはっと笑うと、仕方ないなと目を閉じた。触れるだけの幼いキスにリップ音。それが聞こえるくらい、雨音はだいぶ小さくなっていた。