よるうみはる。
2026-03-25 23:13:51
6008文字
Public 原作軸
 

次はベッドの上で愛を説こうか。

DCLで自己愛を説いてくれた叶は、どれだけ己が敬一くんを愛しているかも説いてくれるとおもうんですよね。
スケベシーンそのうち書くかも。


 叶黎明は悩んでいた。
 悩む、ということ自体、正直なところあり得ないと思っているが、こと獅子神敬一という恋人に対しては、いくらだって心を砕いても良いと思っている。だってこれは、叶にとって【愛する者】であり【害ある者】の両方が備わっているからだ。
 エナジードリンクの缶をべこべこと凹ませながら、青白い目の前のモニター光を浴びる。角膜を焼くだとか、睡眠障害を引き起こすと呼ばれているそれは、叶にとってすでに慣れ親しんだものだ。有名な検索画面の一覧には、本来の彼であれば一笑に付して切り捨てるはずの、ひどく扇情的で信憑性に欠ける単語がずらりと並んでいた。

・自白剤
・催淫剤
・媚薬
・精力剤

 叶は、それらを死んだような目で見つめる。いやでもなあ、と煮え切らないのは、こんなものを使いたくないからだ。そもそも信用性の欠片もない薬を頼って、獅子神の健康に異常をきたすのは得策ではないし、何より友人のひとりである医者が、使用した暁には目くじらを立てて怒鳴り込んでくるのは火を見るよりも明らかだった。
 とはいえ、叶がこうなってしまうのも仕方がない。でもなあ、でもなあ、と頭を抱えてしまうのだって、その理由を正しく分解して提示すれば、誰もが納得してくれるだろうという自負はある。しかしながら、最終的に叶は検索ブラウザを閉じ、冷え切ったテーブルに頭を抱えながら突っ伏した。
 ――やっぱり正直に聞こう。
 それが一番良いとはじめから分かっていたが、万が一にでも、そう、獅子神に「気持ち悪い」などと言われたら、流石の叶黎明も再起不能なほどに立ち直れそうにはない。そもそも彼がこれほどまでに懊悩している元凶は、極めて個人的で、かつ切実なセックスの問題に集約されていた。
 思い返せばひと月前、叶は獅子神敬一と晴れて恋人同士という枠組みに収まった。どちらかと言えば獅子神からの告白でそうなったという方が正しい。叶自身はバイセクシャルであり、過去の交際相手は男も女も、その瞬間に気に入ればどちらでも良かったし、離れる者を追うほど執着したこともなかった。
 しかし、獅子神敬一という存在だけは、例外中の例外だった。
 ハーフライフという死線の淵で、狂気と隣り合わせに生きるその魂を間近で見てきたからこそ、彼が自分に向けた「告白」という名の無防備な投降が、どれほど重く、どれほど脆いものであるかを叶は痛感していた。だからこそ大切にしたい。その一心で臨んだはずの「その先」が、まさかこれほどまでに困難な迷宮になるとは予想だにしていなかったのだ。
 二人の夜は、常に甘やかで、それでいて致命的なほどに中途半端だった。
 獅子神は、叶の愛撫に蕩けたような声を上げ、その瑠璃色の瞳を潤ませて叶を求める。だが、いざ最後の一線を越えようとすると、彼はまるで電気ショックを受けたかのように強張り、あるいは冗談めかした口調で、あるいは必死の形相で、叶の手を止めてしまう。
 拒まれているのではない。そこにあるのは、もっと根深い、何か得体の知れない「恐怖」だ。叶は、獅子神がかつて過ごしたという、暴力と無関心が支配するような過去を、その震える指先から感じ取っていた。
 ネグレクトが起因で、もしやセックスが恐いものであると思っているのか――? もしもそうであるならば、叶は無理強いをすることはない。確かに、獅子神という美しい男を隅々まで暴き、その内側に自身の存在を刻み込む悦びは、想像するだけで叶の理性を狂わせるほどに魅力的ではある。何も挿入だけが性行為ではない。愛撫でどろどろにして、性器を擦り合うだけだって立派な性行為にほかならない。
 少なくとも獅子神は、叶に触れられることを決して嫌がってはいない。むしろ、叶の手が肌を滑るたびに、彼は全身で「嬉しい」という感情を表現し、その不器用な情欲の視線で叶を繋ぎ止める。自身を観測して欲しい、その一点において異常な執着を持つ叶にとって、獅子神の向ける逃げ場のない視線は、たまらなく甘美な刺激としてその神経を逆なでしていた。
 ――けれど、だからこそ、叶は袋小路に迷い込む。
 嫌がっていないのなら、何故。恐怖があるのなら、どうしてこれほどまでに熱を孕んだ目でオレを見るのか。叶は、モニターの無機質な光に照らされた自分の指先を、まるで見知らぬ器官であるかのようにじっと見つめた。
(もしかして、オレ、触り方下手だったりすんのかなあ……?)
 そんな、およそ叶黎明という自信家の辞書には存在し得ないはずの卑屈な疑念が、脳裏を掠めては消えていく。過去の幾多の交際相手から、性行為の拙さを否定されたことなど一度としてないし、むしろ心酔と陶酔を買い占めてきた自負すらある。だが、こと獅子神敬一という規格外の存在に関しては、これまでの統計も経験則も、まるで使い物にならないガラクタ同然に成り下がってしまうのだ。
 いやしかし、それだと獅子神が、叶に触れられるたびにあの瞳を熱く潤ませ、喉の奥から切なげな鳴き声を漏らしている理由が立たなくなる。
 先ほど、生い立ちゆえの恐怖が原因ではないかと推測したが、それもまた矛盾を孕んでいた。獅子神には相応の女性経験があると以前に耳にしたことがあるし、彼がその身を置くのは死と隣り合わせの荒事の世界だ。今更「性行為そのものが恐い」などという、初心な感傷に囚われているとは考えにくい。嫌がっているわけではなく、むしろ快楽の濁流に身を任せているように見える。
 それなのに、決定的な瞬間にだけ、彼はまるで見えない壁に衝突したかのように、その肢体を強張らせて叶の手を止めてしまう。
 完璧な論理を組み立て、常に相手の先手を打つことを生業としてきた叶にとって、この「正解の出ない問い」は、毒のようにじわじわと精神を蝕んでいく。
 もしも、自分が彼を満足させられていないのだとしたら。あるいは、彼が自分の内側にだけは、決して踏み込ませたくない「領域」を死守しようとしているのだとしたら。
 叶は、べこべこに凹んだエナジードリンクの缶をテーブルの端に追いやり、再び深く椅子に身を沈めた。
 悩むなどという贅沢な時間は、自分には似合わないと思っていた。だが、獅子神敬一という男は、叶がこれまで築き上げてきた鉄壁の理性を、たった一筋の視線で容易く崩壊させてしまう。
……直接、聞くしかないんだろうなあ、やっぱり」
 独り言が、冷えた空気の中に溶けていく。
 万が一にも、軽蔑されたり、あるいはその問い自体が彼を傷つけてしまったりすることへの恐怖。それは、なんだかハーフライフの戦場で味わう死の恐怖よりも、ずっと重く、叶の心臓を締め付けていた。それでも、この中途半端なままでは、いつか自分たちが熱を失い、澱んだ空気の中に沈んでしまうことを、叶の鋭敏な直感は告げていた。
 ――決着をつけなければならない。
 叶は、もう一度だけ、閉じられた検索ブラウザのアイコンを見つめ、それから迷いを断ち切るようにモニターの電源を落とした。暗転した画面に映る自分の顔は、かつてないほどに、一人の男としての焦燥に満ちていた。

 数日後、その夜もまた叶は風呂上がりの獅子神をスプリングのよく効いたベッドの上に組み敷いていた。くちびるをこすり合わせ、ちゅ、ちゅと何度もキスを繰り返し、いつものように行為を開始していく。この時もまた獅子神は、叶の腕の中でゆるゆると理性を溶かしているように見えた。くちびるの隙間から舌を差し込んでも嫌がられることはなく、合間に吐息のような嬌声をこぼしていく。
……ん、ふぅ、っ」
 シーツに縫い付けた掌を、絡めとり握る。右の人差し指をわざと浮かせ、爪の先で彼のひとさしゆびをかり、とこする。肌が跳ね、唇の合間に「かのう」と囁く声がした。こんなにも、彼は叶自身に身体を明け渡しているというのに、なぜか挿入に関しては嫌がられるのが腑に落ちない。
 ここでふと、叶は自分が挿入する側であると思っていたし、獅子神の態度からもそうであると信じていたが、もしや、ボトムをやるのが嫌なのではということに脳が急に辿り着く。叶はばっ、と獅子神から顔を離すと、乱れた呼吸を整える間もなく、不思議そうに、けれどどこか捨てられた仔犬のような不安をその瞳に滲ませて叶を見つめていた。
……叶? どうかしたか?」
「敬一くん、ちょっとどうしても話しておきたいことがあるんだけど」
 すっとベッドの上に居住まいを正し、正座すると、獅子神もまたいそいそと同じような恰好で叶を伺い見た。先ほどまでの熱に浮かされた空気は消え去り、妙齢のガタイが良い男二人が膝を突き合わせて真剣な顔をしていた。
 なんと切り出せばいいのか悩む。そういえば、トップとボトムについての役割を話す間もなく、勝手に叶は、自分が獅子神を抱く側だと思い込んでいた。これについては反省でしかない。とはいえ、話し合ったところで叶は正直トップを譲る気は余りないのだが、どうしてもということであれば、そこはこう根気よく獅子神を説き伏せるしかないと思っている。
 とはいえ、叶が観る限りでは獅子神は叶に抱かれても良いという雰囲気があるのだ。だからここは正直に問いかけるほかなかった。
「敬一くん、もしかして……挿入されるのはいや?」
 直球すぎる問いかけに、獅子神の肩がびくりと跳ねた。
 叶は、彼の表情の些細な変化さえも逃さぬよう、その顔をじっと観測し続ける。
「いや、正直オレは敬一くんを抱きたいと思ってるから、挿れる気満々だったんだけど、よく考えたらその辺ちゃんと話してなかったなって。もし敬一くんが抱かれるの嫌だったとか、オレに挿入したいとか考えたんなら、今まで拒んできたのも分かるかなって、思ったんだけど……――なんかその表情を見るに違うみたいだね」
 獅子神は、大きく見開いた瞳を泳がせ、耳の淵まで朱に染めて絶句する。
 沈黙が長く、重く、二人の間に横たわった。
 スプリングの軋む音さえも聞こえないほどの静寂の中、叶は獅子神がどんな答えを差し出してくるのかを、期待と、そして微かな恐怖と共に待ち構えていた。
 もし、この推測が正解であれ不正解であれ、今夜こそはこの中途半端な行為の先に行きたいと思っている。剥き出しの真実で互いを塗りつぶさなければならないと、叶は自らに言い聞かせていたのだ。やがて、獅子神は視線を伏せ、膝の上で握りしめた拳を震わせながら、蚊の鳴くような、けれど精一杯の拒絶を含んだ声を絞り出した。
……ちが、う。……そんなんじゃねえ、叶。別に抱かれるのはオレでいいんだ、けど、……その……
 膝の上で白くなるほど握り締められた拳が、その心の内にある嵐を雄弁に物語っており、叶は、はやる鼓動を宥めるように一つ深く息を吐き、静かに彼の次なる言葉を待った。観測者としての冷徹な好奇心はもはや影を潜め、今はただ、目の前の男が吐き出そうとしている泥のような本音を、一滴も零さず受け止めたいという一途な、そして暴力的なまでの渇望だけがそこにはあった。
 獅子神は、顔を上げられないまま、今にも泣き出しそうな声で、言葉を絞り出した。
……最後まで、しちまったら」
 その声は、羽虫の羽撃きよりもなお微かで、けれど静まり返った室内においては、鼓膜を直接震わせるほどの重苦しい質量を伴って響いた。
 獅子神は、ようやく顔を上げた。
 その碧の瞳には、薄膜のような涙が浮かび、自虐的な、けれど縋るような光が宿っている。

「最後まで、しちまったら。お前は、満足して、オレに飽きるだろ」

 叶は心臓を冷たい指先で直接掴まれたような、奇妙な戦慄を覚えた。
 彼がこれまで一人で抱え込んできた、あまりに不器用で、あまりに身勝手な絶望の深さを物語っている。獅子神の一度決壊した言葉は、溢れ出す濁流のように止まることを知らない。
「お前が眩しすぎるから。オレのことなんか、いつだって捨てられる。……全部暴かれちまったら、ああ、こんなもんかって。そうなったら、オレはもう、どうしていいか分かんねえんだよ。だから……
 だから、最後の一線だけは、彼にとっての「保険」だったのだ。
 手に入りきらないからこそ、叶の関心を惹きつけ続けられる。全てを差し出せば、その瞬間に魔法が解けて、叶は自分という存在に飽き、無関心という名の独房へと自分を突き戻すのではないか。そんな悲しいまでの不器用な計算を、この男は独りきりで積み上げていた。
 叶は、思考が一時的に停止するのを感じた。
 ネグレクトゆえの性への恐怖でも、自身の技術不足でも、あるいは役割の不一致でもなかった。獅子神敬一という男は、叶黎明という存在が眩しすぎるがゆえに、自分という底が見えてしまうことを、死ぬことよりも恐れていた。
…………なんて)
「バカだな、敬一くん」
 呆れを通り越し、胸の奥からせり上がってきたのは、喉を焼くような愛おしさと、それを遥かに凌駕するほどの、どす黒い独占欲だった。
 自分がどれほど執着心の強い生き物であるかを、この男は全く理解していない。一度懐に入れたものを、飽きたという理由で手放すような、そんな薄っぺらな情熱で動いていないことを。むしろ、不完全な魂こそが叶にとっては何物にも代えがたい至高の宝石であることを、今ここで骨の髄まで分からせてやりたかった。
「敬一くん、本気で、そんなこと思ってたの?」
 分かっていないのだ。この男は。叶が、誰にも触れられない場所へ閉じ込めてしまいたいという、狂気にも似た欲求を持っていることも。そんな欲求に理性を焼き切らせていることも。
 叶は正座を崩して獅子神ににじり寄り、その震える肩をもう一度ベッドの上へと押し倒した。じわりと滲んだ碧く潤んだ目は海の色をして叶を恐々とみている。至近距離で交わる視線。叶の瞳には、獅子神がかつて見たこともないような、逃げ場を塞ぐほどの情熱と、支配的なまでの色気が渦巻いている。
「満足なんて、させてあげない。飽きる暇なんて、一秒も与えないよ。敬一くんが、二度とそんな不安を抱けないくらい、お前の奥深くまでオレの存在で塗り潰すから」
 ひと月。叶黎明を待たせるには余りにも長すぎる時間だ。獅子神は白い喉を鳴らして、目の前の猟奇的な男の視線を俄然として受け止める。
「飽きないなら……
 獅子神は、ゆっくりとまばたきをして、そろりと叶の首に腕を回す。
「いいぜ、最後まで。――叶が、満足してくれる、まで」
 叶はもう一度、心の裡で馬鹿だなあと呟いた。一度の夜で満足できるほど、叶の愛情は浅くはないのだと、しっかりと教え込むため、獅子神のくちびるを今度は貪欲に塞いで見せたのだった。