あの日、懐かしい世界に落ちた雷が俺の人生の何もかもを変えてから、“源頼朝”としての宿願を果たすため、ただがむしゃらに生きてきた。
真の名前を奪われたせいだろうか、あるいはほんの少しでも気を抜いたら死が待ち受けているような環境に身を置いていた影響だろうか。
温かくて大切だったはずの思い出たちは、鱗が剥がれ落ちるようにひとつ、またひとつと俺の記憶から抜け落ちていって、今でははっきりと覚えていることのほうが少なくなった。
元の世界では毎年祝っていた本当の誕生日すら、忘れてしまった。――だのに。
(……灯と心が通じてから、一か月が経ったのだな)
貝文箱の画面に表示された日付を認め、柄にもなく心が浮き立つ。
桜霞の世界では当然そういった風習はないが、灯と青木悠真が暮らしていた世界では様々な記念日があった。
例えば、“恋人になってからの月日”というものも、記念日になり得るものであり。先日灯と誕生日の話をした後に、
『誕生日だけではなく、頼朝さんともっと沢山の記念日を一緒にお祝いしたいです』
と彼女が言ってくれたので、まずは今日、恋人になって一か月の記念日を共に祝うことになったのだ。
とはいえ、灯も俺も龍宮での勤めがあるため、それが終わった後に茶寮で食事をしようと約束している。
努めて表情や態度に出さないようにしているものの、内心は楽しみな思いでいっぱいである。
傍から見れば大げさに映るかもしれないが、また誰かと――しかも愛する人と共に記念日を迎えることができるなんて、夢にも思わなかったのだ。嬉しくないはずがない。
(以前の俺ならば、素直に喜ぶことはできなかっただろう。やはり――灯のおかげで、俺は変わった)
桜霞の世界で不意の出会いを果たし、苦境を共に乗り越える中でそのひととなりを知り、真っ直ぐで清らかな心根に触れ――恋をした。
最初は想いを返してもらえるだけで充分だと、心から思っていた。だのに、愛しい相手への恋情は日毎膨らみ続け、胸のうちの大部分を占めるほどになっている。
勿論、使命やこの先のことが頭から抜け落ちてしまったわけではない。だが、灯の前だと、これまでずっと封じ込めてきたことが嘘のように、感情が溢れてしまう。
つまらない――ぬいぐるみ相手にまで抱くとは想像だにしなかった――妬心や、子供じみたわがまま。
俺自身でも持て余してしまう思いでさえ、灯は大らかに受け止め、優しく包み込む。――俺の本心に触れることを望んでくれているような、慈愛に満ちた微笑みを湛えて。
陽だまりのごとき愛情を注ぐ女神のような振る舞いをするかと思えば、時にこちらの忍耐を試すような大胆な発言をしたり、庇護欲をそそるような愛らしさを見せたりする。
様々な灯の一面を知る度に、心が揺れ動き、想いが込み上げる。以前のように常に己を律することは難しくなったものの――この変化は、決して悪いものではないと思うのだ。
「――っ」
彼女と過ごした日々を思い返し、思わず緩みそうになる頬を引き締めたその時、貝文箱から通知音が鳴った。
画面にまず表示されたのは、挨拶代わりのスタンプ。間を置かず届いたメッセージに目を通し、俺は咄嗟に口元を手で覆う。
【今日のデート、楽しみですね】
絵文字と共に綴られた、短いながらも可愛さに溢れた一言。はにかむように微笑む灯の姿までもが脳裏に浮かんでしまい、たまらない気持ちになる。今の俺はきっと、しまりのない表情を浮かべているに違いない。
【俺も、楽しみにしている。早くお前に会いたい】
愛する人と同じ気持ちを分かち合えることの、なんと幸せなことか。言葉では言い尽くせないほどの喜びに満たされ、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
どこかふわふわとした心地を覚えながら、俺は思いの丈を乗せたメッセージをしたためたのだった。
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