シノハラ
2026-03-23 23:09:31
5458文字
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詠唱時間10年の魔法

ンズイル♀ 達成条件不明の…境に入ったら10年後のイがやってきて振り回されたりするンズの話

 一人で秘境なんぞに入るものではない。達成条件が分からないならなおさらである。
 達成条件の開示がされないのはどういう了見なのだ。入り口の壁にでも風化しないように深々と掘っておいてもらわなければ、フリンズのような挑戦者が困ってしまうではないか。
 もちろん、フリンズは完全に孤立しているわけではない。外には旅人とパイモンが控えており、一定時間フリンズが出てこなければ秘境を破壊して引き摺り出してくれる手筈になっている。故にフリンズに危険はないが、挑戦条件さえ分からない状態で人を閉じ込めてくるのは設計ミスの誹りを逃れられない。
 せめてヒントの一つ見つかればとふらふらと歩いていると、秘境の入り口が反応した気配があった。旅人が誰かを呼び寄せて人員を追加投入したのだろうかと思いながら視線を投げたものの、そこにいた予想外の姿にフリンズは目を丸めてしまう。
「イルーガ?」
 記憶の中で一番適切な名を呼んではみたものの、それが正解とはフリンズも思ってはいない。だってフリンズのよく知るイルーガは、部下から尊敬されると同時に子供扱いも受ける可愛らしい少女なのだから。
「どうして君がここに? 僕をここに入れたのは君じゃないですか」
 よもや妖魔の類ではあるまいかと思ったらしく、イルーガは携帯している槍に意識を寄せる。それでもあからさまな警戒を見せないのは、彼女が判断に迷っているからだろう。
「お嬢様、不躾な質問をお許しください。あなたは今、お幾つでしょうか」
「本当に君らしからぬ問いかけですね……
 不快というより不可解だと言いたげに眉を顰めてから、彼女自身が自認している数字を教えてくれた。なるほど、今の彼女の見目を思うと納得できる年齢である。
「あなたは僕がよく知るお嬢様より十ほど年上です」
……ひょっとして、この秘境は時空が歪んでいるんですか?」
「仕組みはさっぱりですが、そう考えるしかなさそうです」
「信じないわけではないですが……
 十年。そう唱えながら、イルーガはまじまじとフリンズを見つめる。頭のてっぺんからつま先までなので、ねめつけると表現した方がいいかもしれない。
「とはいえ、キリルは見た目が変わらないから実感がないな……
 キリル。そう、悩まし気でありながらあっさりとぼやかれた瞬間、言葉の意味を理解しきる前にフリンズの毛先が溶け出して炎に変わる。遅れて思考を引っ掻き回す衝撃が襲ってきて、まともに作っていない体の内側が爆ぜて形を失ってしまいそうになった。
「キリル?」
 また呼ばれた! 何とか押さえつけられそうだったのに、彼女の声にまだ制御できない部分が歓喜の声を上げて、フリンズの髪が再び燃え盛る。
 もうフリンズの正体を知っているらしいイルーガは困惑こそしないものの、きょとんとした目でフリンズを見ている。それから少しもしないうちに、ああ、と合点がいった声を上げた。
「十年前の僕はフリンズさんって呼んでいましたっけ。実感が湧いてきました」
 人の中に嵐を巻き起こしておきながら、イルーガは懐かしそうにしみじみとしている。不意打ちは勘弁してほしい。
 細められた目が元に戻る直前、秘境の中に細い金属を撫でるような音が響き渡る。その音に引っ張られるようにぱちりと瞼が持ち上げられて、イルーガが不思議そうに小首を傾げた。
「あれ、もしかして今達成しましたか? ここの挑戦内容ってなんだったんでしょう?」
「それがまだ分かっておらず……それにまだ道半ばのようです」
 出口と思しき場所に視線をやると、イルーガが遅れてフリンズの視線を追いかける。そこに続く階段にはまだ侵入者を拒むためのベールがかかったままだった。
「うーん、ひょっとして挑戦者を驚かせるとか? ふうん、なるほど」
 声帯が崩れていないかを確認してから説明すると、なんだか勝手に納得したらしくイルーガがふんふんと頷く。フリンズからのろくに役に立たない情報提供と比べるとちょっと多すぎるそれが止まってから、イルーガはようやく落ち着いたフリンズに視線を合わせた。
「僕、君に面白い秘境だからって押し込まれたんですよ」
「十年後はともかく、今の僕は面白くないですが……
 嬉しくはあるものの、変化を保てないくらいに動揺してしまった。人間的な言い回しをするなら心臓に悪いというやつだ。こんな姿をイルーガに見せてしまうなんて、一生の不覚である。
……たしかに面白いかもしれません。だって、キリルはこれから僕が決心するまでいつ呼び方が変わるんだろうってずっとどきどきするんでしょう?」
 少し意地わるそうな響きを帯びた指摘を受けながら、フリンズは愕然としてしまう。なんということだ。ひょっとして、たった十年ぽっちで僕の可愛い子はこんないけない遊びを覚えてしまうのか。
「そうかもしれませんね」
 面白い返事もできないフリンズに小さく笑いながら、イルーガはじいっとフリンズを見つめる。それから何か知りたいことはないかとフリンズに尋ねてきた。その表情がどこか蠱惑的に写るのは、フリンズの欲のせいなのだろうか。
「一つだけですよ? たとえば、僕らがいつ清い仲でなくなるのかとか、それが君の描いたシナリオ通りだったのかとか。そうですね、破局の危機があったのかとか、一番つまらない喧嘩は何? とかでもいいかもしれません」
……では、破局の危機で」
 たっぷり時間をかけて考えて、やはりそれしかないとフリンズは覚悟を決めた。自分達の性的接触の経緯や喧嘩など、それと比べればすべて些細な問題である。
 葉として落ちるのであれば、共に落ちたいと願うのはフリンズの紛れもない本心なのだ。そんな事を願う男が別れを切り出すはずがなく、あるとするならイルーガ側の不満がきっかけだろう。十年後も共にいるのでそんな危機が起きても無事乗り越えられたのだろうが、できることならそもそも発生させたくない。
 そんな本音が滲んだのか、普段よりもやや低くなってしまった声を気にした様子もなく、イルーガはどこから話したものかと困ったように声を上げた。それから緩く握った拳を顎に当て、思案するポーズを作る。
「そうですね……いや、やっぱり秘密にしておきましょう」
……僕をからかいたいからって、些か度が過ぎませんか?」
 一瞬沈み込んだイルーガの声がぱっと明るくなって、確かに生じていた緊張が断ち切られる。不誠実にも思えるイルーガの反応になるべく抑えたつもりではあるが、不快感が滲んでしまったのは否めない。その声から正確にフリンズの不満を察したらしいイルーガは少々慌てたようだった。
「そういうわけではなくて……あまり不用意に教えてしまったら、変な影響が出るんじゃないかって心配になってしまって」
 おずおずと告げられたイルーガの指摘に、フリンズはうまい反論が見つからなかった。離縁の危機があるのであれば、フリンズは絶対にその芽を摘もうとする。けれど、それが自分と彼女の関係を根底から崩す結果にならないと保証してくれる人は誰もいない。
――分かりました。文句は十年後に取っておきましょう」
「はい、お手柔らかにお願いします……
 調子に乗った藪蛇だったと反省したらしく、イルーガは小さく息を吐く。
「しかし、こんな目に遭うと分かっていてどうしてキリルは僕をここに入れたんでしょう? それも、ヒントの一つもくれなかったし……
 彼女は下手に話題を続けると良くないと判断したのか、急に建設的な疑問を投げかけてくる。そんなことは未来の自分に問い質すのが一番ではあるまいかと思うのだけれど、自分のペースを取り戻すためにも思考実験に付き合うことにする。
「誰かが入って来ないと、この秘境は外から破壊するしかありません。とはいえ、壊れたとしても惜しくないような内容にも思えます。むしろ、壊してしまった方が都合がいいくらいでしょう」
 人から秘密を聞き出す秘境など、いくらでも悪用できそうな悪趣味な代物だ。歴史的かつ技術面でも価値があるとはいえ、管理するのも大変だろう。
 フリンズが唱える内容に、イルーガは一つ一つ相槌を打ってくれる。特に異論もないらしい。
「ここに来る前、君は僕と二人きりでしたか?」
「ええ、正確にはアドンもいましたけど。今もいますよ」
 丁寧にメンテナンスをしてまだ使えているらしいライトで落ち着いているアドンが、主人に呼ばれて小さく声を上げる。機嫌の良さそうな鳴き声は未来でも変わらないらしい。
「挑戦内容を思えば僕が入るのは無駄でしょうが、わざわざお嬢様を放り込む必要がないのも確かです。タイムパラドックスを気にした可能性はありますが、秘密を交わす相手が多少変わったところで、大きく何かが変わるとも思えない……
 調子が戻ってきてぺらぺらと喋ってはいるものの、フリンズの中では全てが茶番と化してしまっている。十年後だろうが、百年後だろうが、フリンズにこの機会があるのであればそうしていただろう。
「きっと僕はこの瞬間を失いたくなかったのでしょう」
「僕にあんなにからかわれたのに?」
「ええ。あんなにからかわれた上に、不安の種まで植えられてしまったのに」
 きっとこれから十年経った頃のフリンズも、彼女をこの秘境に入れたフリンズと同じ行動を取るに違いない。人間の生涯は取捨選択ができないほどに短い。そんな彼女との交流を自分の快不快を理由にして、なかったことにできるはずがないのだ。だとしたら、先ほどの破局の危機とやらも起きてしまうこと自体を忌避するべきではないのかもしれない。
「自分の感情を二の次にしても、愛おしいと人から何一つ取り零したくない。きっと、十年間幸福な日々を送った僕はそう願っているのでしょう」
 そうイルーガに告げてやると、彼女はぱっと視線をフリンズから反らした。間違いなく十年間愛情を注いでいたはずなのに、恥ずかしがる仕草は今も昔も変わらないらしい。
……君は今幸せですか?」
「ええ、もちろん」
「そっか。僕もキリルといられて、凄く幸せです」
 同じ気持ちでいられて嬉しい。そうぽつりとイルーガが零した瞬間、先ほど響いた音が再び鳴り響いて二人で目を丸くする。階段に続く通路を遮っていたベールがさらさらと崩れるのを見ながら、フリンズは更に驚愕に近い思いを抱いた。
 信じられない。そんな簡単な事を自分は十年かけても伝えられずにいるのか。
「お嬢様、そんなに僕が信用なりませんか?」
「え?」
「互いに知らないことを教え合う。どうやら、それが条件だったらしい」
 フリンズの言葉を吟味するためか床に視線を転がしてから、イルーガが少しばかり抜けた声を上げた。それから遅れて、自分の反応のまずさに気がついたらしい。
「もうお分かりですね」
「いや、これは頭で分かっているのと実感は違うというか、君の幸せの在り方をより深く理解できたというか……? とにかく、君がずっと僕を愛してくれているのは分かってますから!」
 そこに疑いなど微塵もないと慌てた様子で否定してきて、ダメ押しのリップサービスまで与えてくれた。今は一応それだけで満足してやることにするが、十年以上時間をかけている方の自分は黙っていないだろう。幸いとっかかりを今見つけたようなので、これを機にしっかりと教え込んでもらうと良い。
 というより、これこそが目的なのかもしれない。そうちらりと核心に触れかかったが、回答を出すのは十年後でも構わないだろう。
「戻ったら僕に改めて伝えてやってください。きっと楽しみに待っているはずですから」
 長く居座っていると外の旅人達がここを壊す準備を始めるかもしれないので、名残惜しいがそろそろ外に出た方がよさそうだ。イルーガに手を差し出すと十年かけて躾けられたのか、ほとんど条件反射と言ったふうに彼女が手を取ってくれる。
 外に出るように告げると、彼女は少しだけ寂しそうな顔をしてこくりと頷いた。自分達は互いに同じ人の下に帰るだけなのに、どうしても目の前の人を失い難く感じてしまう。
「僕、十年間ずっと楽しかったんです。だから、フリンズさんも何があっても楽しんでくださいね」
「もちろん」
 イルーガからの明確な過去のフリンズへのメッセージを受け入れると、彼女は一番の笑顔を見せてくれた。きらきらとしたそれがふにゃりと溶けて、その柔らかさがフリンズを包む。
「最期までよろしくお願いします」
 ほとんどプロポーズのような殺し文句に、フリンズは自身の虹彩の輪郭を保てているか少し不安になった。絶対ですよ、と念を押されて思わず抱き締めると、浮気になってしまうかも、なんて言いながら背伸びをした彼女がフリンズの口角にそっと口づけてくれる。同じように彼女の口角に口づけを返すと、キリルに叱ってもらわなきゃとイルーガがくすくすと笑った。
 さて、たくさん素敵な言葉をくれた代わりにそれなりにおいたもしていった彼女に、未来の自分はどんな報復をするのだろう。幸い考える時間は十年あるのだから、しっかりと検討するべきだろう。
 どうやら、フリンズは十年先を心待ちにする魔法にかけられてしまったらしい。これからの十年にあるかもしれないちょっとした危機とそれらを上回る幸福を思いながら、フリンズは未来に進むために秘境の外に続く階段へ足を向けた。