さゆき
2026-03-23 18:43:58
18850文字
Public 落花流砂
 

ハンドインハンド(前編)

付き合ってない🦚🌟の年末年始(年末お仕事)のお話。
2025年末は🇯🇵に停車していたので、🇯🇵の年末をイメージしています。
サイレント(ホラー)ナイトと繋がっているお話ですが、読んでいなくても特に問題はありません。

創造物と、旅先でのお仕事と、不思議な出来事と、一緒にお風呂と、列車にお泊まりの全年齢セットです。

「はーい、今度はお口を開けてね〜」
 アスターの声かけに、星の腕の中にいたゴミケーキはご機嫌で大きな口を開けた。手元のデバイスで適宜写真を撮りながら、手際良くメディカルチェックが進められていく。
「はい、終わり!もう楽にしていいわよ。問題なさそうで安心したわ」
「にゃ〜」
「うんうん、良いお返事ね。食欲はどう?ちゃんと食べてる?」
「元気すぎて困るくらいだよ。この間も私の集めたゴミ、全部食べちゃったし……
 貴重なゴミもあったのにと憤る星に、ゴミケーキは「にゃ〜」と鳴いてペロペロと毛繕いをした。
「その子はなんて?」
「『お腹空いてたんだもん、美味しかったよ』だって!もう!」
 宇宙ステーションの他の個体でゴミが好きなにゃんこケーキはいないのに、星が創り出したこのゴミケーキは本当にゴミが大好きだ。創るときにゴミを混ぜたせいなのか、皮もゴミ箱を摸したものを愛用している。そして、いつの間にかステーションを抜け出して星穹列車へ住むようになってしまった。今では毎日星とゴミの争奪戦をする仲になっている。
 アスターはそんな星とゴミケーキを見て「うんうん」と笑顔でデバイスに記録を残した。『ゴミが大好きなのは変わらず。大量摂取する傾向があるため、消化不良に注意』
「食の好みはさておき、食欲は問題なさそうね。念のため、お腹を壊さないよう注意してちょうだい」
「はーい」
 そうは言っても、ゴミケーキはゴミを見つけるとすぐに食べようとするので管理が難しい。どうしようか……と星が首を捻ったところで、ゴミケーキがぴょんと膝の上から降りた。何かに気付いたようで、そのままぴょんぴょんと扉の方へ向かっていく。
「ゴミケーキ?どうしたの?」
『騒がしいのが近付いて来てる』
「騒がしい?」
『三匹きょうだいと、人間』
「きょうだい……あ、もしかして」
 星が答えを言う前に、エリアの自動ドアが開かれる。開いた瞬間にぴょんぴょんと飛び込んできたのは、グレーの皮に包まれた三匹の黒いにゃんこケーキ達。そして、
「やぁ、今日はよろしく頼むよ」
 いつもの派手な服ではなく、落ち着いた色合いのスーツを身に纏ったアベンチュリンだった。ここまで走ってきたのか、少し息が上がっている。
 星はシッターロボに人間用の水を用意してもらうよう手配して、アベンチュリンにタオルを差し出した。
「お疲れ、アベンチュリン。ちょっと休んだら?」
「ありがとうマイフレンド……そうさせてもらおうかな」
 アベンチュリンが軽く汗を拭って、シッターロボが持ってきた水を飲み干したところでアスターが跳ね回っていた三匹を回収して戻ってくる。まだ遊び足りないのか、三匹はアスターの腕の中でもぴょんぴょんもちもちと動き回っていた。
「いらっしゃい、アベンチュリンさん。三匹ともとっても元気みたいね?」
「元気すぎてここに来るのも大変だったよ……久しぶりのお出かけだからか、みんな興奮しちゃってね」
 シャトル内ではなんとかキャリーケースに入っていたものの、宇宙ステーションは実家のようなものなので着いた瞬間から飛び出してしまったらしい。ホームからここまでほぼ追いかけっこ状態だったよ、とアベンチュリンは息をついた。
「前の健康診断の時もそんな感じだったよね。それで今日はいつもの服じゃないの?」
「こうなることが分かっていたからね……動きやすい服を着てきて助かったよ」
『星だ!星、会いたかった!』
『アベンチュリンがね、この間ね〜』
『話したいこと沢山あるから聞いて!』
「はいはい、まずはメディカルチェックからね。アスターの言うことをちゃんと聞いて、大人しくしたら後で遊んであげる」
『は〜い』
 にゃ〜と揃って返事をする三匹に、アスターは「みんな良い子ね」と笑ってデバイスの準備を始めた。
「しばらくかかると思うから、アベンチュリンさんは休んでいて大丈夫よ。みんな、まずは体力チェックからやりましょうね」
『はーい』
『アベンチュリン、星、また後でね〜』
『かけっこする?する?』
 ぴょんぴょんとアスターの後をついていくケーキ達を見送り、部屋には星とアベンチュリンの二人だけが残された。
 正確にはシッターロボやたくさんの創造物たちがいるが、今はお昼寝の時間のようで、ほとんどの子が眠ってしまっていた。賑やかな子達が去ったのもあって、部屋は穏やかで静かな空気に満ちている。
 その空気を先に破ったのは、アベンチュリンだった。
「元気だったかい、星ちゃん。久しぶりだね」
「見ての通りだよ。あんたは……お疲れみたいだね。仕事、忙しいの?」
「はは、まぁね……今日もメディカルチェックが終わったら本社に直行だよ。しばらくまとまった休みなんて取れないだろうね」
「年末なのに?カンパニーってホリデー休暇はないの?」
「年末?……あぁ、開拓暦だともうすぐニューイヤーなんだね」
 携帯端末を確認したアベンチュリンは「すっかり忘れてた」とため息をついた。
「カンパニーは知っての通り、琥珀暦だから……新年は琥珀の王次第なんだ。だから、開拓暦のニューイヤーもばっちり仕事だね」
「えぇ……やっぱりカンパニーには入りたくない……私、開拓一筋だから」
「アハハ、そう言わずに戦略投資部で一緒に働こうよ!星ちゃんとなら退屈な仕事ももっと楽しめそうなんだけどな」
 アベンチュリンの言葉は冗談か本気か分からない。星が無言で首を振ると、彼は残念そうに「返事を急ぐ必要はないさ」と引き下がった。
「でも、そうか……ニューイヤーだからこのチケットをくれたのかな」
「チケット?」
「銀河の歌姫からのプレゼントだよ。この間の聖杯戦争でファミリーが迷惑をかけたから、そのお詫びにってね。彼女のサインを欲しがってた同僚に渡そうとしたんだけど……生憎、仕事で行けないみたいでね」
 アベンチュリンが見せてくれたのは、ロビンの星間コンサートツアーのチケットだった。日時は開拓暦だとちょうど大晦日の夜。新たな一年の始まりをロビンと一緒に祝えるなんて、ファンにとっては幸せなひとときとなるだろう。
「あんたは行けそうなの?」
「開催される星には行くんだけど、僕も仕事があるから難しそうでね。同伴する教授も学会があるって言ってたし、行けないだろうな」
「ふーん……
「星ちゃん、良かったら行ってきてくれないかな。ロビンも君が来てくれたら喜ぶと思うし……あぁ、でも忙しいかな?」
 アベンチュリンの言葉に、星は首を横に振った。特に年末年始は忙しくない。大掃除やパーティーはするけれど、早めに準備を済ませれば問題ないだろう。
「この星には立ち寄る予定があるし、時間も大丈夫だと思う。けど、私より……ロビンの歌を聴いてほしい人がいるの。その人にあげてもいい?」
「受け取った君がこのチケットをどうしようと、君の自由だ。僕が口を出す権利はないよ」
 星が誰のことを言っているのか、アベンチュリンはもう分かっているだろう。それでも明言しないのは、「彼」の事情を把握しているからだ。
「あぁ、でも一つだけ忠告だ。チケットはプライベートボックスシート指定になっているから、一人だと目立つ。同伴者を連れていくよう伝えてね」
「分かった、ありがと」
 このボックスシートチケットは三人まで入れる仕様になっているようだったので、姫子とヴェルトに同伴をお願いすれば問題なさそうだ。二人が一緒なら、サンデーも安心してコンサートを聴きに行けるだろう。
 星がチケットを大事に仕舞ったところで、アベンチュリンは話題を変えた。
「それより、星穹列車もこの星へ向かうんだね。燃料補給かな?」
「それもあるけど、この星は開拓暦を使ってるところだからニューイヤーが盛大なんだよね。いろんなところでお祝いしたり、ニューイヤーセールしたり。今回は慰安も兼ねて、静かな地域に行くみたいだけど」
 星の話を聞いたアベンチュリンは、ふと何かに気付いたように携帯端末のマップを広げる。その中の一つの島を指差して、話を続けた。
「もしかして……ここかい?島国の」
「あ、そうそう。あんたもここに行くんだ」
「教授もこの国で開かれる学会に招待されたって言ってたぞ……もしかしてジェイド、これを読んで仕事を入れたんじゃないだろうな……
「そういえば、カンパニーで使うための資料写真をこの星で撮ってきてほしいって、なのが依頼されてたような……
「写真?僕の仕事、まさにその写真モデルなんだけど」
 二人の脳裏に、艶やかな笑みを浮かべる貴婦人が浮かぶ。ビジネスの世界でも有名な彼女の一手は、常に遥か先を見据えた先行投資。
 莫大な利益を生み出すための小さな種は、知らぬ間に植えられている。その片鱗を味わった気がして、星は思わず身震いをした。
……行き先一緒ならケーキ達は列車で預かろうか?この国、ペット同伴は難しいでしょ?」
「良いのかい?」
「私も久しぶりにあの子達とゆっくり過ごしたいし」
 普段、出張など長期不在時は宇宙ステーションに預けていると聞いている。それも良いと思うが、せっかくのニューイヤーだから、みんなで過ごした方が楽しそうだ。
「それに、ゴミケーキもみんなと一緒の方が嬉しそうだし」
『別に嬉しいとかじゃない。あいつらうるさいし』
「そんなこと言って、この間みんな帰った後寂しそうな顔してたくせに」
……うるさいのが急に静かになったから、変だと思っただけ』
「はいはい、そういう事にしておいてあげるよ」
 素直じゃないなぁとゴミケーキを撫でる星を見て、アベンチュリンは「飼い主に似たんじゃないかな」という言葉をなんとか飲み込んだ。

***

……ねえ、なの」
「言いたいことは分かるけど、ダメだよ星」
「いやでも、絶対売れるって。このオフショット」
「ダメダメ!折り紙大学のフォトコンテストの件でレイシオ教授が推薦してくれたから、ウチにカメラマンとしての依頼が来たんだよ!それを私的に使うのは絶対ダメ!」
 カンパニーに違約金取られちゃう!と本気で震えるなのかを見て、星は「冗談だって」と笑った。
「星、本気にしか見えなかったんだけど」
「だって、絵になるからね。異国の伝統衣装なのに、みんなよく着こなしてるし……さっきから降ってきた雪も綺麗だし」
 そう言って星となのかが視線を動かした先には、この国の伝統的な装束……着物を纏った三人がいた。きっちりと一ミリの隙もない出立ちのサンデー、内側に他国のインナーを合わせてややカジュアル寄りに仕上げたレイシオ、そして、
「星ちゃん、そろそろ出番だよ」
 カンカン帽子に着崩した羽織、胸元の空いたインナーというアレンジ着物姿のアベンチュリンが、星の方へ歩いてくる。もうそんな時間かと星が休憩スペースから足を踏み出した瞬間、いつもと違う裾に足を取られた。
「わ、っ……
「星、危ない!」
 ミニスカートと違って、この着物という衣装は裾がとても長く、草履というサンダルのような靴も相まって歩幅が取れないのをすっかり失念していた。いつもの調子で歩こうとしてバランスを崩した星になのかが手を伸ばすが、ギリギリ間に合わない。
(これは衣装代、弁償かも……
 受け身だけは取ろうと目を瞑った星だったが、地面に倒れ込むことはなかった。背中に回された腕に支えられ、ゆっくりと体勢を戻していく。抱きかかえられているとわかったのは、恐る恐る目を開けてからだった。
 はぁ、と大きな安堵のため息が耳元で聞こえる。同時に感じたのは、嗅ぎ慣れた香水の香り。
「良かった、間に合った……
 衣装が大きく乱れているのも気にせず、アベンチュリンは星の肩に降りかかる雪を払った。カンパニーのスタイリストがすぐに二人の衣装や帯を手直しする。
……ありがと」
「どういたしまして。雪で足元も悪いから、気をつけてね」
 ヘアメイクが星のメイクを手直しし終えて下がったタイミングで、アベンチュリンは手を差し出した。
「良かったらお手をどうぞ。君が転ばないようサポートするよ」
……じゃあ、エスコートしてもらおうかな。この服、歩きづらいし」
「仰せのままに」
 そのまま手を引いて撮影スポットへ歩いていく二人を見たサンデーとレイシオは、揃って顔を見合わせる。
「ペアの撮影はお二人にお任せしましょうか」
「そうだな。僕達は一度下がらせてもらうとしよう……彼女の相手役は、僕達に回って来ないだろうからな」
「そうでしょうね」
 最初からその座を渡すつもりもなかったのでしょうし、と苦笑するサンデーにレイシオは「そういえば」と声をかけた。
「君の存在を誰もが見過ごしているのは、『調和』の力か?ファミリーから指名手配されている人物へモデルを依頼するなど、カンパニーは酔狂にも程があると思ったのだが」
「ええ、『調律』を少々。スタッフの皆さんの視界と三月さんの撮影用カメラには、私は何の変哲もない人間のモデルにしか映らないようになっています。……もっとも、それもレディ・ヒスイの手助けあってのことですが」
 集まったスタッフは全員、『調律』にかかりやすい人物。精神的な抵抗力の低い者だけが選ばれているらしい。
「元々、この地の人々は『調律』のような力を信じやすいようです。どんなものにも神が宿り、常に見守られていると信じられているとか。この世とあの世の境目も、色々なところにあるそうですよ」
「八百万の神、という神話形態か。その逸話自体には惹かれるものもあるが……
 レイシオは本についた雪を払うと、東屋で雪を眺めながらシャッターを切られている星とアベンチュリンの方を薄く見た。
 様々な星神の一瞥を受けると同時に神すら滅ぼす力を埋められた少女と、何かから力を得ているかのように好機を手繰り寄せる男。この国で言う『神に近しいもの』と因縁のある者達が、ありとあらゆる場所に神がいると信じられている国にいる。これは偶然なのだろうかとレイシオは眉を顰めた。
「神と関わるなど碌なことにならない。人は己自身で思考するべきだ」
……そうですね、痛み入ります」
……すまない、君に対して言ったわけではない」

 雪が強まってきたことで一旦撮影は中断となった。撮影スタッフが宿泊している宿屋の一階ロビーに退避し、天候を見て再開と告げられる。
 なのかが片隅で機材のメンテナンスをしている姿をストーブに当たりながら眺めていた星に、温かい飲み物が手渡された。
「少しでも良いから飲んで。温まるよ」
「ありがとう」
 口をつけると、仄かにとろみのついた甘さが広がった。生姜の香りや刺激も少し感じる。
「あったかーい……美味しいね、何これ」
「生姜を入れた葛湯だって。この地域では冬によく飲むそうだよ」
 アベンチュリンの言葉に「ふーん」と相槌を打って葛湯に集中していると、受付から高齢の女将がやってきた。
「寒い中お疲れ様。良かったらお菓子もどうぞ」
「え、いいの?」
「どうぞどうぞ。この辺はあまり若い方が来ないから、洒落たものがなくてごめんなさいね」
 お盆には薄紙と、小さな花型のお菓子。一緒に置いてある細長い竹のようなものはなんだろうと星が首を捻ると、アベンチュリンが「これでお菓子を切るんだよ」と教えてくれた。
 言われた通りに菓子を切り、口に運ぶ。甘い餡がすっと口の中で溶けていった。外見は桃色の花だったが、中身と味から察するに、全て餡子で出来ているようだ。
「美味しい」
「そうかい、それは良かった」
「女将さん、気遣いをありがとう。今日は随分大雪だけど……この辺りは良く雪が降るのかい?」
「そうだね、この辺の神社では天気の神様を祀っているんだけど……今日は特に、よく降るねえ」
 どうしたのかねえ、と呟いた女将は、二人をじっと見てこう告げた。
「お嬢さんとお兄さんは神様から好かれそうだから、気をつけた方がいいよ。神様は気まぐれで、気に入った人を連れていってしまうことがあるからね」
「え、なにそれ怖い……
「好かれそうって、何か僕達に特徴でもあるのかい?」
 アベンチュリンがそう問うと、女将はあっはっはと明るく笑いながらこう返した。
「そりゃあ、二人とも別嬪だからだよ!昔から神様ってのはお酒と、若くて綺麗な人が大好きだって相場が決まってるんだから」
「それじゃ気に入られても仕方ないね、私美少女だから」
「星ちゃんは美味しいものとかですぐついて行っちゃいそうだから心配だよ……
「む、失礼な。アベンチュリンこそ、神様に餌付けされないようにね」
「アハハ、それは大丈夫かな。神様から与えてほしいものなんて、僕にはないから」

***

「ただいま〜」
『おかえり、星!』
『アベンチュリンは元気だった〜?』
『僕達がいなくて寂しくて泣いちゃってなかった?』
『そんなに一気に話されても星が困るでしょ、落ち着きなよ……まずはゴミでも食べて』
『いらない〜……
 ゴミケーキの言葉に揃って皮をふるふると震わせた灰色のケーキ達を見て、星はカバンから特製ぴょんぴょんお菓子を取り出した。アベンチュリンが三匹のために取り寄せてくれた、お気に入りのおやつだ。
「はい、アベンチュリンからの差し入れ。もう少ししたら仕事も終わるから、新年の列車パーティには来られそうだって言ってたよ。それまでみんな良い子にしててね、だって」
『わぁい!』
『良い子にする〜』
『もう良い子なのに、もっと良い子になっちゃう』
『あ、コレ結構いける。ゴミ程じゃないけど』
「こら、ゴミケーキはさっきおやつ食べたでしょ!」
 おやつを頬張る三匹に混ざってちゃっかり食べているゴミケーキを持ち上げる。アスターから食べ過ぎ注意と言われているのに、この子の食欲は止まるところを知らない。
『ちぇー……ん?』
「どうかした?」
『星、あの派手な人間、ここに来てた?』
「アベンチュリンのこと?ここには来てないよ、来てたら絶対三匹の顔を見に来るだろうし」
 ゴミケーキはふんふんと鼻をひくつかせて、何かを探している。
『あの人間の匂いがするよ。近くはなさそうだけど……
「え、でももう夜になるよ?今日分の撮影は終わったから、早めに宿に戻って休むって言ってたはずなのに……
 外は夕陽が沈みかけている。列車が停泊している場所は海が近く、夜になると真っ暗で陸と海の境目が分からなくなるから外には出ないよう注意されていた。
 列車の他のメンバーはまだ戻ってきていない。なのかは撮影の片付け、サンデーと丹恒は地元のアーカイブ資料探し、姫子とヴェルトは会合へ出席している。
……日が沈む前なら、ギリギリ大丈夫かな」
 様子を見に行くだけならそれほど時間はかからないだろう。すぐに戻ればきっと大丈夫。そう判断して、星はソファから立ち上がった。
「あ、そうだ他のケーキ達……は、寝てるか。おやつ美味しかったんだね」
 お留守番しててね、と言おうとした三匹はおやつに満足してすぅすぅと寝息を立てていた。全員連れて行くわけには行かないので、むしろ良かったのかもしれない。
『おやつ、まあまあイケる味だったってあの人間に伝えておいて』
「それ伝えたら私の部屋があんたのおやつまみれになりそうだからイヤ」
『じゃあゴミ食べるからいいや』
「あんた……いつか本当にお腹壊すよ」
 まったく、と呟きながら星はゴミケーキを抱えて部屋を出た。

「さむーい!」
 ベロブルグの猛吹雪ほどではないが、真冬の海辺は潮風が冷たい。少し出るだけ、といつもの格好で出てきてしまった星だったが、防寒着を足した方が良かったかもしれないと後悔し始めた。
「ゴミケーキのやつ、寒いからって一瞬で車両に戻っちゃうし……
 アベンチュリンの匂いを感じたのはゴミケーキなのに、一緒に外へ出た瞬間ぴゃっと身をすくめて『残念だけど、ここから先は一緒に行けない。あっちから匂いがしてたよ』と言い残して部屋へ戻っていってしまった。
「これでいなかったらどうしてくれようか……いや、いるはずないとは思うんだけど」
 外は寒く、寄せては返す波の音しか聞こえない。夕陽に照らされる海岸線は綺麗だけれど、夜の薄暗さも迫っていてどこか怖さを感じる美しさだった。
 砂浜を歩く人影も、星以外にはない。やはりゴミケーキの勘違いじゃないかと辺りを見渡して……
……え?」
 夕陽の色に染まった海。地平線へ沈みゆく太陽に向かって、ゆっくりと海の中を歩く人影があった。迷いなく歩を進めるその人は、金色の髪をしている。虚ろな目をした横顔が夕陽に照らされて、どこか危うげな空気を放っていた。
 いつもと雰囲気がまるで違うが、姿形は間違いなくアベンチュリンだ。そう確信した星は声を張り上げる。
「アベンチュリン!ねえ、どうしたの!」
 星の声が届かない距離ではないだろうに、アベンチュリンは返事もなくひたすら前へ歩いて行く。真冬の海に入って行くだけでも正気と思えないのに、まるで何かに呼ばれているかのように前へ、前へ。
 太腿あたりまで海に浸かっていた身体が、腰まで浸かっていくのを見て星は思わず駆け出した。
 このままでは、いずれ沈んでしまう。
「待って!」
 半分泳ぐようにして、必死でアベンチュリンの後を追いかける。水中を歩いている彼の動きはゆっくりだったけれど、迷いなく進んでいってしまうのが怖かった。返事もなく、振り向きもせずにただ先へ行ってしまう。
「ねぇ、待って……!アベンチュリンってば!」
 寒さで、伸ばす指先が震える。寄せては返す波に足を取られそうになってよろけても、前を行くアベンチュリンは星の方へ振り向かない。
 必死に彼の背中を追いかけて、気付けば星も胸元まで海水に浸かってしまっていた。そう身長の変わらないアベンチュリンも同じ。
 それでも前へと進もうとするアベンチュリンを引き留めたくて、星は残った力で彼へ手を伸ばした。
「お願いだから、行かないで……!」
 伸ばした両手で、彼を抱きしめる。進ませまいと必死に力を込めた手に、一回り大きな手が重ねられた。
……せい、ちゃん?どうして、『後ろにも』いるの?」
 振り返ったアベンチュリンは驚きこそしていたけれど、海の中を歩いていた時の虚ろな空気は消えていた。そのことに星はホッとして、大きくくしゃみをする。長い間、冷たい海水に浸かりすぎて足元はすでに感覚がない。
 星のくしゃみでアベンチュリンはようやく正気に戻ったようだった。
「星ちゃん、顔が真っ青だよ!早く温まらないと……!」
「あんたが海に入ってっちゃうからこんなことになったんでしょ……!止めたのに振り返りもしないし!くしゅん!」
「話は後で聞くから、早く海から上がろう!」
「なんか怖かったし、海冷たいし、訳わかんない……くしゅん!」
「あぁ、泣かないで星ちゃん……
「泣いてない!」

 ***

……落ち着いた?」
……うん」
「良かった、涙も止まったね」
「だから、泣いてないってば」
 強がってそっぽを向いた星の頭を撫でて、アベンチュリンはそれきり黙ってしまった。その場にはパチパチと火が爆ぜる音だけが響いている。
 ずぶ濡れになってしまった二人は水で重たくなってしまった身体をなんとか引きずり、列車へ辿り着いた。パムからは大目玉を喰らってしまったが、「身体を温める方が先じゃ!」とバスタオルを渡され、星の自室にストーブを持ち込んで身体を温めている。
……ねえ、なんで海に入っちゃったの」
 ぼんやりとストーブの火を見つめながら、星は呟いた。
「あのままだとあんた、死んじゃいそうで怖かった」
 バスタオルに包まったまま、膝に顔を埋める。あの時のアベンチュリンの様子は普通ではなかった。ゴミケーキが気付かなかったら、星が様子を見に行かなかったら、きっとあのまま彼は海に沈んでしまっていただろう。
 顔を上げない星の髪を優しく撫でながら、アベンチュリンは「不思議な話なんだけど」と口を開く。
「僕は、君を追いかけて海に入ったんだ」
……え?」
「仕事が終わって、宿に帰ろうとして……時間があるから、一度ケーキ達の様子を見に行こうとしたんだ。だから列車の近くに来て……そうしたら、君が海の中へ入って行くのが見えた」
 アベンチュリンが見たのは、星が見た光景と全く同じ状況だったという。夕陽に向かってまっすぐ海の中へ入っていく星を追いかけて、連れ戻そうと海へ入った。けれど、アベンチュリンが見た星は本物ではなかった。背後から抱きしめられたことで、目の前に見えていた幻は消えたのだと言う。
「思えば、いくら君が好奇心旺盛だったとしても生身で孤島へ向かおうとするわけがないのにね。僕も疲れていたのかな……
「孤島……?そんなもの、あったっけ?」
「昼間に女将さんから天気の神様の話を聞いたの、覚えてるかい?その神様が祀られている小さな島が、あの先にあるんだよ。行ける時間が限られているそうなんだけど、徒歩でも行けるらしい。あの辺りは浅瀬だから、子どもたちもよく遊んでるんだって」
 星が海に入った時は周りの様子を気にしている余裕なんてなかったが、あの辺りの水深は深いところに入っても星の胸あたりまで浸かる程度らしい。それを聞いて星はどっと疲れたように肩を落とす。
「じゃあ、無理に連れ戻さなくても無事だったってこと……?」
「それはどうかなぁ。人間は顔が浸かる程度の水場でも溺れるらしいからね……君が気付いてくれて、僕は幸運だったよ」
「ゴミケーキにお礼言って。あんたが近くに来てるって気付いたのはあの子だったから」
 星の部屋にいたケーキ達は、今はパーティ車両に避難している。お菓子でできたケーキ達は水気に弱いため、ずぶ濡れの二人に抱きつかないようシャラップが気を引いてくれていた。
「それでも、助けに来てくれたのは君だろう?ありがとう」
……もう、あんなの嫌だからね」
「善処するよ」
 アベンチュリンがそう答えたところで、風呂の給湯システムが準備完了のメロディを鳴らした。
 海水でベタベタになってしまった身体や髪を洗い流さなければ、と星は立ち上がる。
「アベンチュリン、お風呂沸いたよ。入ろ」
「お先にどうぞ。僕はもう少しここで温まるよ」
「何言ってんの、あんたのほうが長く海に浸かってたんだから早く入らないとでしょ」
「いや、でも女の子が身体を冷やす方が良くないよ。ここは君の部屋だし、君が先に入るべきじゃないかい?」
 アベンチュリンの言葉に、星は埒があかないとばかりに彼を引っ張った。
「一緒に入ればいいでしょ。大丈夫、私のお風呂広いから二人なんて余裕だよ」
……は?」
「ほら、早く。レイシオからもらった入浴剤入れたから良い匂いだよ。あ、シャンプー私のしかないけど、この際いいよね」
「いや、星ちゃん、その、問題はそこじゃないと思うんだけど」
「アベンチュリンってお風呂入る時アイス食べる?食べるなら用意するよ」
「え、中で食べるのかい?」
「やったことないの?美味しいよ」
 パムにバレたら怒られるけど、と笑いながら冷凍庫へ向かう星をぼんやりと眺めていたアベンチュリンの方へ、バニラとチョコレートのアイスが投げ渡される。
 身体を温めるんじゃなかったっけと首を傾げるアベンチュリンを、星がバスルームの中から手招きしていた。
「ほら、早く早く」
「あぁ、うん……?って、いやいや、星ちゃんそれはマズいって……
「大丈夫、そのアイスはすごくかたいアイス?とかいうカチカチのやつだから。溶ける前に入ろ」
「君は誰とでもお風呂に入るのかい?列車の皆さんとも入ってるのかな?」
「アベンチュリン、ごちゃごちゃうるさい」
 むっとした表情の星が、アベンチュリンが包まっていたバスタオルをむんずと掴む。え、とアベンチュリンが目を見開いた瞬間、それはするりとバスルームの中へ吸い込まれていった。
「ちょっ……星ちゃん!!」
 慌ててバスルームの扉を開ける。湯気でくもる室内にはL字型の広い浴槽が置いてあり、誰かを連想させるラバーダックがいくつか並んでいた。
 星はアベンチュリンから奪ったバスタオルをバステーブルの近くにかけると、シャワーの温度を確かめて頷く。
「これでよし。さっさと髪とか身体洗ってあったまろうよ。アイスも食べたいし……
 そこでアベンチュリンの方を振り返った星は、ぱちぱちと目を瞬かせた後に大きく顔を逸らした。
……何かな?」
……い、意外と鍛えてるなって……
「まあ、トレーニングはしてるからね」
 この様子だと、星はどうやら異性の身体を見慣れているわけではないらしい。思ったよりも初心な反応に安心すべきか危惧すべきか頭を悩ませながら、アベンチュリンはアイスをバステーブルの上に置いてシャワーブースへ歩いて行く。
「男と一緒にお風呂に入るのがどうしてマズいのか、分かったのかな?」
……分かんない」
「おや、そうかい?目も合わせられないのに?」
「ちょっと、アベンチュリン……このままだと二人とも風邪引いてニューイヤーだよ。そうならないようにしたいだけ」
 星はツンと顔を逸らしたまま、程よい温度にしたシャワーをアベンチュリンに浴びせた。
「ぶっ……君ねえ、いきなり顔にシャワーを当てるのはやめてくれないかい」
「あんたが色々うるさいからでしょ。いいから早く洗って。メイク落としと洗顔と……
「僕がこの間贈ったフェイススクラブは?」
「あるよ」
 ちょっと待ってて、と取りに行った星を見送って、アベンチュリンは少し温度を下げたシャワーを勢いよく頭からかけた。彼女が戻ってくる前に、少し頭を冷やさなければ。
……はぁ……これが幸運だ、なんて言えるほど僕は人間が出来てないんだけどな」
 バスタオル越しの身体のラインが脳裏に焼き付かないよう、仕事のことで思考を埋める。スクラブを持って星が戻ってきた頃には、いつもの余裕を出せるようになっていた。
「お待たせ、これで良かったよね」
「ああ、ありがとう……結構減ってるね、今度また贈るよ。使ってくれてるのは嬉しいな」
「コレ、なのが気に入ってる。一緒に使ってるから減りが早いのかも」
 そう言いながら星はスクラブの瓶を棚に置き、身体に巻き付けているバスタオルへ手をかけた。躊躇いなく取ろうとするその手を慌てて止める。
「星ちゃん」
「何」
「僕が見える範囲内では、バスタオルはちゃんと巻いてくれ」
「裸じゃダメなの?」
 星は怪訝そうに眉を顰めたが、アベンチュリンは手に少し力を込めて低くこう告げた。
「そんな簡単に男へ肌を見せるものじゃない。良い子だから言うことを聞いて、ね?」

 紆余曲折を経てなんとか湯船にたどり着いた頃には、カチカチだったアイスが程よい柔らかさまで溶けていた。
「はぁ……あったかい……アイス美味しい……
「この価格帯なら充分すぎる味だね。この星を出る前にアポイント取っておこうかな……
「こんな時まで仕事のこと考えてる。あんたって意外と真面目だね。あ、そっちのバニラも一口ちょうだい」
「こんな時だからこそ、だろう?はいどうぞ」
 差し出したスプーンを躊躇いなく口にする星はまるで雛鳥のようだ。
 普段は割と警戒されているのに、こうして不意に無防備な姿を見せられると困るな、とアベンチュリンは苦笑した。
「美味しい?」
「おいしい〜……
 温かい湯船に溶けてしまいそうな声を出す星にもう一口バニラアイスを食べさせて、アベンチュリンも星のチョコレートアイスを掬う。
「あ、美味しい。いいね、悪いことをしている味は格別だ」
「お風呂でアイスは悪いことじゃないでしょ」
「それ、レイシオ教授の前でも言えるかい?」
「絶対言わないで」
 ぷかぷかと浮かんでいるラバーダックを捕まえて「マイナスだ!って怒られそう……」と渋い顔をした星の手からアヒルを取り上げる。二人からそっぽを向くようにアヒルの向きを変えたアベンチュリンは、空になったアイスカップをその横に置いた。
「お風呂でアイスはさておき……付き合ってもいない男とこうしてお風呂に入るのは、結構悪いことだからね?星ちゃん」
「はいはい、もう耳にタコが出来そう。次からはびしょ濡れのあんたを放ってお風呂に入るよ」
「是非そうしてくれ」
 やれやれ、と言わんばかりに浴槽へ深く浸かり直したアベンチュリンを見て、星は不満そうに口を尖らせた。
……こうして一緒にお風呂に入ると親睦が深まるって、言ってたんだけどな」
「誰だい、そんなことを君に言ったのは……
「昼間の女将さん。ハダカの付き合い?ってやつだって」
「それ、同性の場合に限るんじゃないかな?」
「そうなの?女将さん、混浴OKの貸切風呂もあるから良かったらどうぞって言ってたんだけど」
 人の良さそうな女将の顔が脳裏に浮かぶ。恐らく自分たちの関係を誤解しているんだろうなぁと思いつつ、アベンチュリンは角が立たない言葉を探した。
「それは……家族風呂ってやつじゃないかな。家族なら混浴しても問題ないし」
「そっか。まあ、一緒に入れたからいいや」
 ふふ、と笑いながら湯船に浮かんだアヒルをつついた星は、窓の外を見てざばっと勢いよく立ち上がった。
「アベンチュリン、雪!また雪降ってきた!」
「ちょっ、星ちゃん……!」
「?なんでそっぽ向いてるの、窓の外見てよ」
「君がバスタオルも巻かずに立ち上がったからだよ!」
「あ、そうだった。入浴剤がにごり湯だったから
外してたんだっけ」
 アベンチュリンが渋りつつも同じ風呂に入っていたのは、湯が不透明で互いに身体が見えないからだ。出入りの時は見ないようにすれば問題ない、と思っていたのだが……星相手に見通しが甘かったと歯噛みする。
「だいぶあったまったし、そろそろ上がろうかな。あんたはどうする?」
「もう少し入りたいかな……
「のぼせないようにね。あ、アイスのカップ片付けるからこっちにちょうだい」
 バスタオルも巻かないまま無防備に近付いてくる星に、アベンチュリンはストップをかけた。
「僕が、片付けるから。星ちゃんは先に上がって、着替えてきて」
「そんな気を遣わなくていいのに」
 じゃあお願いねと手を振って、星は浴槽から出るとバスタオルを巻き直して脱衣スペースへ消えて行った。ドアが閉まる音の後しばらくして、ハァ……と深いため息が浴室に響く。
 窓の外でちらつく雪を見ても、身体の熱はちっとも下がりそうになかった。
……これで『友達』なんだから、本当に参るよなぁ……

***

 アベンチュリンが浴室から出ると、待ってましたとばかりに三匹のケーキ達が飛びついてきた。
『アベンチュリン!』
『お仕事終わった〜?』
『今日は星とおんなじ匂いする!』
「わっ……まだ髪を乾かしてないから、濡れちゃうよ。遊ぶのはもう少し待って」
『は〜い』
 ぴょんぴょんとアベンチュリンの体から降りた三匹は、おとなしくソファの上で三段タワーになった。良い子にして待っている時はいつもこの姿勢で待っている。
 ドライヤーはどこだろうと部屋を見回すと、星がドライヤーとタオルを持って手招きしていた。
「アベンチュリン、座って。乾かしてあげる」
「え、いや、大丈夫だよ。自分でできるから……
「あんた、鏡見た?メイクしてた時は分からなかったけど、目の下すっごい隈出来てるよ」
……本当かい?」
 星は「本当」とアベンチュリンをやや強引に椅子へ座らせると、スタンド鏡を前に置いた。そこに映っているのは……
「あはは……思ったより酷いね」
「言ったでしょ?ただでさえお疲れなのに、海に浸かって長湯までして……今日はもうホテルに帰るの禁止ね。パムに晩ご飯作ってもらってるから、食べたら寝ること」
「え、列車に泊まっていけってことかい?他の人の許可は……
「パムと姫子が許可したから、みんな問題ないって。雪もひどいし……ジェイドにもさっき連絡したよ」
 星の言葉を聞いて、机の上に置いてあったスマートフォンを手に取る。長時間海水に浸かってしまったが、完全防水仕様だったのが幸いしたのか中身は無事だった。大量の通知欄を無視して、ジェイドとのチャットページを開く。
 入浴中に降り出した雪は吹雪に変わったらしく、外へ出かけていた列車のメンバーは全員身動きが取れなくなってしまったらしい。姫子、ヴェルトはカンパニー幹部も宿泊しているホテルへ。若者3名は昼間の宿屋へ避難しているとのことだった。
『天候が回復するまで撮影は中断。それまでゆっくり過ごしなさい。くれぐれも、粗相のないようにね』
……なんだか、デジャヴだな……
「何が?」
「君が僕の家に遊びに来て、帰れなくなった日のことを思い出したんだよ」
「あったね、そんなこと」
 あれはピノコニーの聖杯戦争が終わった後くらいのこと。その時はまだケーキ達も家におらず、二人きりで一夜を過ごした。
 今日はアベンチュリンが星の部屋に来て、帰れなくなっている。ちらりと窓の外を見ても、窓の外側に積もる雪が見えるだけだ。
「ほら、乾かすから前向いて。タオルドライした?……一応軽く水気取るよ」
 ぽんぽんと優しくタオルが当てられる。耳元や襟足へ触れる生地がくすぐったくて身を捩ると、「動かないで」と軽く怒られた。
「ヘアオイル、私のしかないけどいい?あんたからもらったやつ」
「大丈夫だよ」
 毛先に馴染ませるように、オイルを付けた両手で緩やかに揉み込まれる。普段アベンチュリンが使っているものより、少し甘めの香り。自分が使っているものをベースに、星に似合うよう調合してもらった特製の香りだ。
「うん、こんなもんかな。髪が短いから、あんまり付けすぎないようにしないとね」
 新しいタオルを取り出してアベンチュリンの肩にかけ直した星は、ドライヤーの温度と風量を確認して「じゃあ、乾かすよ」と声をかける。
 やや遠慮気味に髪に触れた手が、根本から温めるように髪を梳きながらドライヤーの熱を当てていく。
「あんたの髪、サラサラだね。ヘアセット大変なんじゃない?」
「本当はストレートだからね。毎朝苦労してるよ」
「たまには新しい髪型で出社してみたら?」
「あはは、考えておくよ」
 その後しばらく、無言でドライヤーの音だけが部屋に響いた。
 湿ったところがないか丁寧に確認した後、星はドライヤーの温度を下げて仕上げにかかる。
……上手だね。どこかでヘアドライの仕事でもしたのかい?」
「仕事はないけど、なのや姫子がよくやってくれたから、それの真似かな。お風呂の後面倒でそのままでいたら、『ちゃんと乾かさないとダメ』ってよく怒られた」
 その光景が目に浮かぶようで、アベンチュリンは思わず笑みを溢す。列車のメンバーは出身が違えど、家族のような関係だなと思いながら。
「はい、出来たよ。ふわふわのセットの仕方は分かんないから、ストレートだけど……ちゃんと乾いたと思う」
「ありがとう、星ちゃん」
 鏡の中のアベンチュリンは、目元のクマは残っているものの少し元気そうに見えた。
 ドライヤーの音が止まったのを確認したのか、部屋の外からノック音が聞こえてくる。
「多分パムだ。ご飯出来たのかも」
「じゃあ、冷めないうちにいただかないとね」
『ごはん!?』
『今日はみんなで食べられる〜?』
『早く早く!行こう!』
『ゴミじゃなくても食べられるものはある』
 ご飯という言葉を聞いて、ケーキ達とゴミケーキがぴょんと反応した。この子達もちょうどご飯の時間だ。
「今日は鍋焼きうどんだって。この地域で冬によく食べるらしいよ」
「へえ、それはいいね。楽しみだ」
『なべ?鍋食べるの?』
『人間ってなんでも食べるね〜』
……うーん、まあ、確かになんでも食べるか……

***

「アベンチュリン、寝てる?」
「寝てるかも」
「寝てないじゃん」
 ふふ、と笑って目を開けたアベンチュリンは、「なぁに、星ちゃん」と楽しそうに笑った。
 二人がいるのは、星のベッドの中。手を伸ばせば届くくらいの距離で、横になっている。
「私がアベンチュリンの家に行った時はあんなに一緒に寝るの渋ったくせに、今日は随分素直だったね」
「これから車掌さんの就寝チェックがあるんだ。手を煩わせないように同じ場所にいた方が良いだろう?それに、今日は君だけでなくこの子達も一緒だし」
 そう言うアベンチュリンの枕元や布団の上には、ケーキ達がみんな集まっている。ゴミケーキは『一人で寝るのが好き』とバスルームの扉横で寝ているが、他の三匹は皆ベッドの上だった。
「この子達、いつも一緒に寝てるの?」
「最初は別々だったんだけどね。いつの間にか、皆ベッドに乗ってくるようになったというか……
 そう言ってケーキ達を撫でるアベンチュリンの手は優しい。ケーキ達も一緒に過ごせて、随分はしゃいでいたなと星は振り返る。
「あんた、もうすっかりこの子達の良いパパだね。安心した」
「それは……なんだか、慣れないなぁ。でも、そう見えているなら良かった」
 寝返りを打ったケーキの一匹が、アベンチュリンと星の間に転がる。伸ばされた小さな手が二人のパジャマを捕まえていて、その微笑ましさに思わず笑みが溢れた。
「そうだ、星ちゃん。明日、撮影が再開出来なかったら見に行きたいところがあるんだけど……君にも来てもらっていいかい?」
「良いけど、どこに行くの?」
「神様の島」
「それって……
 星が口を開いた時、部屋のドアを静かにノックする音が聞こえた。次いでドアが開き、ちょこちょこと歩く音……パムの足音が聞こえてくる。
「二人とも、ちゃんと寝ておるか?」
「寝てるよ、車掌さん」
「ぐっすりだよ、パム」
「起きとるじゃないか!!ちゃんと寝るんじゃぞ!!おやすみ!」
「はーい。おやすみなさい、車掌さん」
「おやすみ、パム。また明日ね」
 ちょこちょこと足音が遠ざかり、ドアが閉まる。その音を確認して、星はアベンチュリンの方を向いた。
……あの、海の向こうの島に行くの?大丈夫そう?」
「最初から君が一緒なら、大丈夫じゃないかな。偽物がまた現れても、本物が隣にいるんだから間違えようがない」
「間違えたら野球ワンゲームね。アベンチュリンがホームラン打つまでやるから」
「あはは、それはちょっと……手加減してほしいな。僕は野球初心者だからさ」
 無事に年越し出来ないかもと苦笑したアベンチュリンに、星は「不正解」と頬を膨らませた。
「そこは『絶対間違えない』って言うところでしょ。また海に入ってくあんたなんて、見たくないからね」
……行くなとは、言わないんだね」
「気になってるのは、私も一緒だから」
 そうはっきりと告げて、布団の中でアベンチュリンの手を探す。温められた手と手が重なって、しっかりと繋がれた。
「こうしていれば、何かが出てきても私が本物だってわかるでしょ」
……そうだね」
 あたたかい、と囁くような声が届く。照明を落とした室内ではもう彼の顔をはっきり見ることは出来なかったけれど、星はその声だけでなんとなく表情が分かる気がした。
(きっと、誰かが見ているところでは見せない顔をしてる)
 肩の力を抜いて、いつもの作り笑顔を捨てて。あのお泊まりの夜、初めて見た寝顔のように穏やかな顔をしているんだろう。
 その表情をしっかり見られないのが何だか悔しくて、星は繋いだアベンチュリンの手へにぎにぎと力を込める。明るいところでもそういう顔を見せてくれたらいいのに、と思いながら。
「星ちゃん、手、くすぐったい……どうしたの?」
「夜目が利いたら良いのになって。猫みたいに」
「暗いところでも見えたら便利だろうね」
「カンパニーって、そういう研究とかしてないの?」
「どうかな……
 二人で手を繋ぎながら他愛ない話を続けているうちに、少しずつ睡魔が近づいて来た。ふわ、と欠伸をした星に釣られて、アベンチュリンが欠伸をする。
……そろそろ、寝ようか」
「うん……ねえ、もう少し近付いてもいい?今日、ちょっと寒いから」
「いいけど……ケーキ達が起きちゃうから、そっとね」
「ん」
 二人の間で眠っているケーキを起こさないよう、星はそっと身体をスライドさせる。真っ暗な中で香りを頼りに近付いていくと、とんと温かい体にぶつかった。空いていた手でパジャマの生地を引き寄せるように握って、胸元辺りに身を寄せる。
 二人が寄ったことで狭さを感じたのか、間にいたケーキはにゅっと体を伸ばして布団の上へ移動してしまった。別のケーキが一匹、また一匹とその反動で布団からずり落ちたが、むにゃむにゃと寝言を言ってまた夢の中へ旅立っていく。
 かくして、二人の間には何もなくなってしまった。ゼロ距離で触れる相手の温かさだけが伝わってくる。
……星ちゃん、あの」
「あったかい。おやすみ、アベンチュリン」
「え、あ、うん……おやすみ……
 しばらくして、星からすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきてもアベンチュリンの目は冴えていた。自分の鼓動で星を起こしてしまうんじゃないかと危ぶむ程、心臓は煩いまま。
 身体は疲れているのに、脳がフル回転していて休めそうにない。はあ、と息をつくと腕の中の星がもぞもぞと動いてポジションを変えた。
 深い眠りに落ちているようなのに、手は握られたままだ。向きを微調整しただけで、距離はほとんど変わっていない。
……こんなことしてると、いつか本当に食べられちゃうよ」
 繋いでいる手を握り直して、空いている手を星の背中に回す。あやすように背中をぽんぽんと叩くと、ふふふ、と嬉しそうな声が聞こえてきた。
 彼女はどんな夢を見てるんだろう、と苦笑してアベンチュリンは目を閉じる。眠れずとも、少しだけでも休まなくては。
 明日もまだ、やる事は多い。
「良い夢を。また明日ね」
 一人と四匹が静かな寝息を立てているのが聞こえる。その声を静かに聞いていたアベンチュリンも、しばらくして同じように夢の中へ落ちていった。