桐子
2026-03-23 00:33:12
4531文字
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ルミナス⑨


「好き、って」

水木は呆然と呟いた。
「冗談だろ」
「冗談でこんなことは言わん」
ゲゲ郎はきっぱりと言い切った。その目は真剣な光を帯びていて、確かに嘘や冗談とは思えない。
「おぬしは、演じることに真摯に向き合い、努力を欠かさん。それに、わしの夢を馬鹿にせず話を聞いてくれた。それが嬉しかった。おぬしのことを俳優として尊敬しておったが、人間としても好ましいと思えるようになった」
ゲゲ郎は水木の手を取ったまま、少し身を乗り出した。
「そのうちに、他の者と楽しげに話をしているのを見ておると苦しくなった。水木はわしだけのものじゃと叫びたくなった。どうして友人相手にこんな気持ちになるのか不思議じゃったが、息子に相談したら『それは恋だ』と言われてな」
「なんてこと息子に相談してんだ」
思わず突っ込むと、ゲゲ郎は気を取り直すように咳払いした。
「わしはおぬしを愛しておる。妻のことを忘れることはできんが、わしにとって何より大切で、特別だと思うておる。おぬしがわしのことを何とも思っておらんことは知っておるが、わしは水木のことが好きじゃ」
熱を帯びた瞳で見つめられ、居心地が悪い。
――――こいつが、俺のことを?
青天の霹靂だった。まさか年上で子持ちで奥さんを愛していると言っていた男が、自分を好きになるだなんて、夢にも思わなかったのだ。驚いて言葉を失っている水木を見て、ゲゲ郎は苦い笑みを浮かべた。
「いいんじゃ。水木がわしのことを好きになることはないと分かっとる。これはわしからの一方的な告白じゃ。返事もいらんし、今まで通り友人として付き合ってくれたら嬉しい。……では、わしは失礼するよ」
そう言って立ち上がりかけたゲゲ郎の手首を、水木は咄嗟に掴んでいた。驚いた顔で見返してくる彼に、水木は言った。
「待て」
「な、なんじゃ」
表情がこわばっているのは、水木に何を言われるのか身構えているからだろう。今から自分が何を言うのか。実のところ、水木自身にも分かっていなかった。気持ち悪いと罵ってやることも、友人として付き合うことなどできないと突き放すこともできた。
だが、さっき言われた言葉が水木の中で反響している。

愛している。大切で、特別で、好きなのだと言われたのだ。あのゲゲ郎に――――演技では決して敵わない相手に。

水木の口元に笑みが浮かんだ。
「ありがとう。びっくりしたけど、嬉しいよ」
掛け値なしの本音だった。だからゲゲ郎は気が付かなかったのだろう。水木が喜んだのは、愛されていたからではない。才能ではかなわない相手に「お前は特別だ」と言われたからだ。それに、これほど熱烈に自分を愛しているという男を間近で観察すれば、愛する演技に深みが増すかもしれない。相手より優位に立てるという優越感と、演技の勉強になるから。それだけの理由で、水木はゲゲ郎の手を取った。
「でも、俺はお前のことをそういう目で見たことなかったから、すぐに答えは出せない。少し時間をくれないか」
「よいのか!」
ゲゲ郎はぱっと顔を輝かせた。
「もちろんじゃ。水木がわしのことを好きになってくれるまで、いくらでも待てる」
「ありがとう。なるべく早く、答えを出すから」
そう言うと、ゲゲ郎は満面の笑みを浮かべた。水木から拒絶されなかったことが心底嬉しいようだ。ふと思いついて、水木は少し高い所にあるゲゲ郎の顔を見上げた。彼の肩に手を置いて、そのまま顔を近付ける。
「ッ!」
一瞬触れた唇は、少しかさついていた。ゲゲ郎は呆然とした表情で水木を見つめているが、しばらくしてからみるみる真っ赤になってしまった。
「お、おぬっ、水木!」
「はは、ごめんな。なんかお前が可愛く見えて」
キスシーンなんて、数えきれないほど演じてきた。唇を合わせるだけの、子供だましのようなキス。だが、ゲゲ郎にとっては違うのだ。
「友達と恋人の違いって、こういうことだろ?」
少し首を傾げて微笑んで見せる。ちょっと触れ合うだけで、微笑んでみせるだけで、どうしてもかなわなかった男が動揺している。それがたまらなく愉快だった。





映画が公開されると、映画の評判は口コミで徐々に広がり、次第に大きな評判をよんでいった。
「とにかくリピーターが多いんですって」
「へえ、そうなのか」
何度も劇場へ足を運び、SNSで熱心に感想を発信する人々がいるようだ。総じて脚本のすばらしさやゲゲ郎の演技力を褒めているが、水木のことも話題に上っていた。野心家ではあるが復員兵としての心の傷をもった男、という複雑な役を完璧に演じているという称賛だった。
「監督の見る目は確かだったのかもな」
「水木さん、そろそろ雑誌の撮影の時間よ。移動しましょ」
「今日はそれで終わりなんですよね」
昨日も帰りが深夜になったのだ。仕事が増えたのはいいが、あまり睡眠時間が削られては、パフォーマンスに影響が出る。
「そうね。明日からはドラマの撮影だし、スケジュールを調整するわ」
「よろしくお願いします。それと、週末のオフはちゃんともらえますよね」
「もちろんよ。しっかり休んでちょうだい。でも、記者には気を付けてね」
音子はそう言うと、水木とともにタクシーへ乗り込んだ。オフに女と会うなら気を付けろと言いたいのだろう。半分は正解だ。週末には水木以上に忙しいゲゲ郎がようやく休みをもぎ取り、二人で会うことになっているのだ。
ゲゲ郎の人気は、もはや社会現象と言えるレベルだった。映画が公開されると、彼はあらゆるメディアにひっぱりだこになった。雑誌のインタビューやテレビ出演など、水木の想像をはるかに超える忙しさだった。映画やドラマの依頼は激増し、その全てを断ることなく受けてしまうので、文字通り殺人的なスケジュールになっている。テレビや雑誌で彼の顔を見ない日はないと言えるほど、どこに行ってもゲゲ郎の話題で持ち切りだった。




「ほ、ほんものの水木じゃ~!」
マンションへ来るなり、ゲゲ郎は水木に抱き着いた。背の高い男に抱き着かれ、後ろによろめきかけたがなんとか踏みとどまる。
「おお、お疲れさん」
「あっ、いや、そんなつもりは」
ぽんぽんと背中を叩くと、ゲゲ郎は慌てて離れていった。自分で抱き着いてきたくせに、顔が真っ赤になっている。
「おぬしと会えると思うと、つい嬉しくて」
水木はおもむろに手を伸ばし、ゲゲ郎の頭を引き寄せた。わしゃわしゃと髪をかき混ぜてやる。ふわふわとした猫っ毛がくしゃくしゃになる。
「おわっ! み、水木!」
「ははは、変な頭」
手ぐしで整えてやりながら笑うと、ゲゲ郎も照れたように微笑んだ。その笑顔があまりにも甘くて優しいものだったので、水木はどきりとした。
「明日はオフなんだろ」
「そうなんじゃ。どうしてもおぬしと一緒にいたくてな」
水木のオフの予定を音子に聞いて、死ぬ気で雑誌の撮影を巻いたらしい。スタッフたちも鬼気迫る勢いに気圧され、撮影の予定はずいぶんと早まったそうだ。水木に会いたいがために仕事をさっさと切り上げたと聞いて、悪い気はしない。
「それなら飲みにでも行くか? 個室のいい店がある」
ゲゲ郎は首を横に振った。
「せっかくじゃが、やめておこう。今日はおぬしとゆっくり過ごしたい」
「分かったよ。じゃあ先に風呂入ってこい」
「ふ、風呂?」
少し高い声が、さらに裏返った。ゲゲ郎は水木は笑いながら言った。
「なんだ、一緒に入りたかったのか」
「い、いや! そんなつもりは!」
ぶんぶんと首を振りながら後ずさっていくので、思わず噴き出してしまった。水木の言動にいちいち動揺する様子が面白くて、無防備なふりをしてついからかってしまう。
「冗談だよ」
「おぬしにはいつもからかわれ通しじゃな……
ゲゲ郎は恨みがましい目で水木を見た。だが、その頬は赤いままだ。水木は笑いながらバスルームの扉を開く。
「風呂、入ってこいよ。俺も後で入るからさ」
「分かった」
ゲゲ郎は素直に頷くと、風呂場へ向かった。
妻がいたというわりに、彼は純な男だった。少しすり寄ったり、身体をくっつけたりするだけで赤くなる。この間なんて、寒くなってきたから同じベッドで雑魚寝しようと誘ったら、一晩中寝れなかったらしい。そのせいで、雑誌のインタビューでは寝不足でおかしなことばかり口走り、音子に叱られたそうだ。あとから聞いた時は腹を抱えて笑ったものだ。
簡単なつまみと酒を用意していると、ゲゲ郎が上がってきた。交代で水木もシャワーを浴びる。映画の撮影以来、浴衣を気に入って着るようになったゲゲ郎に合わせ、水木も家で過ごすときは浴衣で過ごすようにしていた。はだけて目のやり場に困っているゲゲ郎を見るのがおもしろくて仕方ないからだ。
髪を拭きながらリビングへ戻ると、ゲゲ郎が自分のバッグをごそごそとあさっていた。
「何をしてるんだ?」
「ひっ」
後ろから声をかけると、ゲゲ郎がバッグを取り落とした。ゴンっと重い音を立ててバッグの中身が床に散らばる。飲み物でも入っているのかと視線を落とした水木は、変わった形状の入れ物に首を傾げた。
「なんだこれ、ドレッシングか?」
「違うんじゃ、これは」
ゲゲ郎が隠そうとしたが、その前にパッケージにでかでかと『ローション』と書いてあるのが目に入った。おまけにバッグの口からコンドームの箱がのぞいている。泊まりにこないかと言われて、そういうことを期待して来たのだろう。水木も同じ男なので、その気持ちはよくわかる。
だが、水木は内心でほくそえみながら、冷ややかな視線を向けた。
「最低だなお前。やることしか考えてないのかよ」
「ち、ちがうんじゃ!ただ、もしそういう流れになったらと思って」
「お前とは付き合ってるわけじゃないだろ。それとも無理やり襲うつもりだったのか」
「そんなわけない!」
信じてくれとしどろもどろに弁解するゲゲ郎を見て、水木は内心大笑いしていた。あまりにも必死な姿がこっけいだった。
「帰ってくれ」
……うう、わかった」
ゲゲ郎はしょんぼりと肩を落とし、元の服に着替えてとぼとぼと帰っていった。せっかくもぎとったオフなのに、明日は一日しょんぼりして過ごすのだろう。余計なことをしたと自分を責めながら。
「ぷっ」
もう耐えきれなかった。水木は笑いながら、ビールを空けた。喉を爽快に流れていく炭酸の感触が心地よい。
「あいつ、本当に馬鹿だな」
勝手に期待しては落ち込んで、それでもなお水木を好きだと言ってくる。こちらは、以前と変わらず友人として付き合っているだけなのに。落ち込んではめげずにアタックしてくるゲゲ郎に、気まぐれにキスしてやればそれだけで舞い上がる。その単純さが、水木には面白くてたまらなかった。
明日一日たっぷり落ち込ませて、夜になったら電話してやろう。「お前のこと信じてるから」と涙声で言えば、あの単純な男はころっと機嫌を直してまた好きだ好きだと言ってくるに違いない。
金もかからない、俳優としてのキャリアに傷がつくこともない新しい娯楽は、水木をまだまだ楽しませてくれそうだった。