ugr28
2026-03-22 14:37:07
3973文字
Public
 

ヒト型危機一髪


午睡の時間だった。
黒雲は最近、車のキーの姿だけではなく晴信様の褥にもぐれるポニーサイズの姿になることを覚えていた。素材集めに勤しみ、景虎による川中島乞いから逃げ切り、晴信様と一緒にひと休みしていた。穏やかな時間……のはずだった。
晴信様が起き上がる気配を感じて、黒雲も目を覚ました。毛布の中で四肢を放り出して伸びをする。朧げな意識の中で腹の減りを確認していると、晴信様の怒鳴り声が聞こえた。
「だっ、誰だ?!」
黒雲も思わず飛び起きる。敵襲か?!晴信様の様子を確認するが、晴信様はまっすぐにこちらを見つめていた。とりあえず首をぶんぶんと振って頭に掛かっていた毛布を落とす。
……晴信様?」
「は…………、え?お前は……?」
戸惑いながら声をかけると、晴信様は目に見えて動揺し始めた。そんな様子を見て黒雲も謎の焦りを覚える。とりあえず立ちあがろうと思い、ふと下を向くといつもより床が近いことに気づいた。いや、それだけではない。
…………………えっ」
視界に飛び込んできたのはいつもの蹄ではなく、もみじのような形。それが脚の先端に付いている。
「な、なんですか、これ…………??」
四つん這いの姿勢のまま顔を上げると再び晴信様と目があった。晴信様は目を白黒させ、口をぱくぱくと動かしたのち、堰を切ったように喋り出した。
「黒雲?!一体どうしたんだ!まるで……いや、何故、人の姿をしているのだ?!!」

◆◇◆

霊基異常いつものやつだね!」
霊基異常いつものやつ?!」
場所は変わってここは医務室。晴信様に担ぎ込まれてあれよこれよと検査を受けて、その結果を言い渡されたところだった。
「原因はよく分からないけれど霊基グラフに問題はないし、時間が解決してくれるんじゃないかな。長尾景虎はともかく、ライダーである武田晴信も単騎で戦える実力はあるし
とりあえず現状維持でいいんじゃないかな、と技術顧問という肩書きを持つ少女は片目を瞑りながらペロリと舌を出していた。
「しかし……まぁこれでも構わないが、原因が分からないというのは……
晴信様は困惑の表情を浮かべていた。その横で己はとりあえず手鏡を覗き込み(手に5本の指があって、物が掴めるのだ!)、顔をまじまじと眺めてみた。
褐色の肌に少し濁った金色の瞳。目元は切れ長の一重。豊かな黒髪の毛先は青色へと移ろいでいて夜空のような色合いだ。子供ではないが、ヤマトタケルのような幼さが少し残る顔付きである。頭頂部から馴染みのある長い耳が伸びていて少しだけ安堵する。
「わぁい!うれしい!うれしい!かげとらさま!」
顔を上げると己と同じように人の形を得た放生月毛が、飛び跳ねながら長尾景虎の胸に飛び込んだ。
「うふふ、かげとらさまとほうよう、できるなんて!ゆめみたい!」
「ええ、本当に!あなたは人の形になってもともて可愛らしいですね、放生月毛」
主人に頭を撫でられて放生月毛は幸せそうに頬を染めていた。似たような背格好に腰まで伸びた長髪を持つ2人は一見すると姉妹のようであるが、よく見ると放生月毛の見た目は主人とはどこか対照的だった。動くたびにふわふわと宙を漂う癖のついた髪に、とろけそうな垂れ目。凛とした雰囲気の主人と比べて愛らしいという単語が似合う容姿である。
……どうしてこうなった。
黒雲の疑問は尽きないが、職員達はこういう異常もあるよね、と当たり前のように受け入れている。
しばらくこの形で過ごすことになるのであれば、ある問題があった。黒雲は手鏡を横に置き、意を決して椅子から立ちあがる。
……ぐ、うっ、うおっ」
無意識に重心が前の方になり、そのままつんのめって倒れそうになる。そんな己の様子に気付き、晴信様がさっと抱き止めてくださった。
「っ、晴信様。お手を煩わせて……
「黒雲、無理をするな」
晴信様に支えていただいてなんとか立てているが、膝は震え、両手はどこか掴めるものがないかと空を掻いた。そんな己を見て放生月毛が不安そうな表情を浮かべた。
「くろくもくん、だいじょうぶ?」
……う、」
五月蝿い。と言いかけてなんとか口をつぐむ。一気に不機嫌になった黒雲をよそに、技術顧問をはじめ女性陣が次々と口を開いた。
「大丈夫?いきなり二本足で歩くことになったんだから慣れないよね」
「はて。なぜ放生月毛はこんなにも二足歩行が上手なのでしょう?」
「それはたぶん、ばいくのすがたで、なれていたからだとおもいます」
放生月毛がなんの悪びれもなく答えを導き出す。まさか二輪車の経験があるか否かでこのような差が出るとは思わなかった。発語は自分の方が上手いようであるが、自力で歩行できないというのは耐え難い屈辱だ。思わずギリギリと歯を鳴らす。
「黒雲、そう焦るな。明日には元に戻っているかもしれないし……
……だとしても、晴信様のご迷惑になるのでは困ります」
己の様子を見かねた晴信様が宥めてくださるが、それに甘える訳にはいかない。近くの壁に寄りかかるようにしてなんとか一人で立ってみる。
……少し、練習させてください。近く鍛練場がありますよね?」
「待って、黒雲。鍛練場トレーニングルームよりリハビリルームの方がいいかも。案内するよ」
「いいえ結構です。リハビリ室、お借りします」
そのまま片方の肩を壁に押し付けつつ、よたよたと出口に向かって歩き出す。
「くろくもくん、おてつだいしますよ」
「いらない」
駆けつけた放生月毛を睨みつけると、放生月毛は驚いた表情になり、そのままぺたりと耳を下げてしまった。
「こら!黒雲──ッ」
後ろから景虎の怒号が聞こえたが、無視して出来うる限り早足で部屋の外へ向かう。八つ当たりした己に非があると分かっているが、いつまでもこの醜態を晒していることの方が耐え難かった。
なんとか廊下に出て、しゃがみ込んで息を整える。足は震え、頭がぐらぐらと揺れる。いつのまにか玉のような汗もかいていた。心境を察してくれたのか、晴信様も無理に追って来なかった。その優しさが有難い一方、不甲斐なく寂しい気持ちに襲われる。悔しさで涙も滲んできた。
でも悲観するのはまだ早いはずだ。放生月毛が自由に歩けるのであれば、自分だって出来るはずだ。そう己を鼓舞し、もう一度立ちあがろうと試みた矢先、
……あ?!あっぶねーな!なんでこんなところでしゃがみ込んでるんだよ」
上から声が降ってきた。黒雲ははっと顔をあげるが正面には誰もいない。そのままゆっくりと後ろを振り向くと、健康そうな褐色の肌に白い鎧(にしては面積が少ない)を纏った女性が自分を見下ろしていた。
……誰だ?
黒雲は思考を巡らす。己と同じとがった耳が頭から生えているあたり、今回の霊基異常に巻き込まれた仲間と推察する。褐色の肌は鹿毛を連想させたが、頭髪は黒ではなく灰に近い白色だ。ならば芦毛か?芦毛の奴といえば……
二人(二頭?)の間で沈黙が続く。上から下までじろじろと眺めてしまったせいで、女は目に見えてイラつきだした。
「んで、てめえはそこでなにやってんだよ?……というか、見ない顔だな?誰だ?」
答える間もなく、女は黒雲の顔面付近の壁を蹴った。ドンッと鈍い音が廊下に響き渡り、黒雲は思わず肩を振るわせた。明らかに敵と認識されている。
「お、おのれは……
弁明しようとするが女の気迫に圧倒されてしまい、言葉が続かない。いつも人を見下ろす背丈の自分が誰かに見下されて、ましてや女に怯むなんて!やってはいけないと分かっているはずなのに思わず俯いてしまった。
その瞬間、女の手が素早く伸びて黒雲の顎を掴み、無理矢理顔を上げされられた。女の顔が目の前にある。とても近い。空色の瞳がギラギラと燃えている。
………あ、」
もはや掠れた声しか出なかった。情けない。だがどうにかしてこの状況を変えなければ、と考えたその直後。
「きゃーーーーーーッ!」
「?!」
廊下に女の悲鳴が響き渡り、乱暴女もそちらに顔を向ける。
「くろくもくんをーーーいじめるなーーーーーッ!!」
黒馬の頭部に痛みが走る。事態を把握する間もなく視界がぐらりと揺れ、頭の奥で火花が弾ける。
放生月毛が女に体当たりをした、らしい。女が吹き飛ぶのと同時に、黒雲も巻き添えを喰らい後頭部を壁に打ち付けたようだ。
あぁ、晴信様が己の名を叫んでいる。応えなくては……
黒雲は必死に意識にしがみつくがその努力も虚しく、目の前が真っ暗になった。



……ろく、も、…………黒雲!黒雲!」

主人の呼び声で黒雲は目覚めた。何故か分からないが走った後のように心臓が早鐘を打っている。首を動かすと晴信様が自分を見下ろしていることに気づいた。
「黒雲、大丈夫か?ひどくうなされていたようだが……
晴信様がゆっくりと首を撫でてくださり、黒雲はだんだんと落ち着きを取り戻した。あれ?
頭を持ち上げて晴信様の姿を見据える。寝巻きの姿で、髪も結えていない。一方で己は、マスターから寝床草代わりに準備してもらった硬い毛布に横たわっていた。
「お前、夢を見ていたのか?……戦の夢か?」
………………………!』
黒雲は飛び起きて己の身体を確認する。人の形ではない。脚先には見慣れた蹄がある。ポニーなどという小者ではなく、あのいつもの大きな身体だ。安心するのと同時にドッと汗が流れた。
「落ち着け黒雲。大丈夫だぞ」
挙動がおかしい己を晴信様が心配そうに撫でてくださる。その優しい手つきに落ち着きを取り戻しつつ、何度もまばたきをした。
………夢、だったのか!!


後日、カイニスと鉢合わせした黒雲がヒンッと情けない声を上げて主人の後ろに隠れる姿が目撃されたのだとか。