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ugr28
2026-03-22 14:32:55
10379文字
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甲斐の黒雲
誰かが、己に向かって走ってきている──。
黒雲は耳を立てて周囲を警戒する。同時に、視界の隅で人影を確認した。己の背後からだ。姿形をはっきりと捉えることができず、誰なのか分からない。しかしこちらは死角から襲われたらひとたまりもない。ならば先手を打つしかない!
黒雲は前脚を曲げ、身体を沈める。重心はいつもより前に。つまり後蹴りの体制だ。わずかな時間ではあるが、相手が間合いに入ってくるのを静かに待った。
事の始まりは半刻前。その日はなんの予定もなく、晴信様は朝から図書室に篭っておられた。当然、黒雲も
鍵
キー
の姿で胸ポケットの中でゆっくりしていたが、運動不足が気になるため許可を得て一頭で艦内を散歩をはじめた。
すれ違う英雄達は己が一頭で歩いていても大して気に留めない。小さな子供は蹴っ飛ばしそうになるので慎重になる必要があるが、幸か不幸か鉢合わせることはなかった。ついでに放生月毛にも会わなかった。総じて穏やかな時間だった。そろそろ晴信様のところに戻ろうと思った時に──軽やかに、段々と近づいてくる足音を聞いた。
そして冒頭に戻る。追ってくる相手から逃げるなんて発想はなかった。名のある英雄だろうとも、死角から襲ってくる無礼者なら容赦はしない!
あと二歩、一歩で蹴りが届くという距離で、相手が黒雲の隠しきれない殺気に気づいた。
「うわわ!危ない!」
悲鳴を上げながら相手が急に立ち止まる。おかげで間合いには入ってこなかった。空振りに終わった悔しさを噛み締めつつも、黒雲も姿勢を戻しながら相手の顔を確認した。
柔らかくはねる炭のような黒髪と朱日の瞳。顔の中央にちょんとついた小さな鼻。石を削って作ったような装飾品を身につけ、白い衣装をまとった
……
男?女?
「あの、もしやと思ったんだが、きみは
……
!」
話しかけてきたので、黒雲もとりあえず耳を傾ける。少し不安げだった無礼者の頬が段々と薄紅となり、目を輝かせはじめた。
「きみは甲斐の黒駒ではないか?わあぁ、初めてみた!すごい!本当に大きくて筋肉隆々だ!撫でてみても良いか?そうだ、きみの主人はどこにいる?」
目に見えて喜びだし、弾んだ声色が廊下に響きわたる。しかし黒雲からすれば何を喋っているのか分からない。その発音から日本にゆかりがある者だろう、とだけ推察する。
「
……
はっ!イオリを置いてきてしまった!おーい!イオリー!」
「セイバー!急に走り出すな。廊下で大声を出すのも控えるように」
「あぁ、黒雲がいたのね。もしかしてはじめて会ったの?」
はしゃぐ無礼者の視線の先を見ると、その廊下の影から男女二人が現れた。男は腰から刀を下げた見知らぬ武士だが、女は見覚えがあった。晴信様と少し目元が似ている
……
確かその名は、卑弥呼。
「イオリ!甲斐の黒駒だぞ!主人はどこだろうか?」
「ん〜晴信さんはいないね。黒雲、一頭だけなんだ」
「その馬は珍しい馬なのか?」
ほぼ初対面の人間たちに囲まれて、黒雲は居心地が悪くなる。なにが起きているんだ。思わず耳を動かしたくそうなるが動揺を悟られたくなくて耐える。そんな様子に気づきもせず、人間たちは会話を続ける。
「イオリは甲斐の黒駒を知らぬか。甲斐国生まれの黒毛は駿馬として有名なんだ。逸話といえば
……
そうだ、『ぬば玉の 甲斐の黒駒 鞍
被
き
せば 命死なまし 甲斐の黒駒』」
「う〜ん。あたしたちならともかく若い子たちはそれ分からないんじゃないかな〜?そうだ、伊織くんでも聖徳太子なら知ってるんじゃない?聖徳太子の愛馬は甲斐の黒駒だったんだよ」
「聖徳太子なら知っている。その馬と同じ出自なのか」
「うむ。聖徳太子の愛馬はあの富士山をひとっ飛びしたと言われているぞ!」
「そのようなことを成し遂げるのは翼の生えた天馬だけでは
……
」
「確かにそうだよね。黒雲ほどの立派な黒駒なら雨乞いの贄とした方が
……
いや、私は雨が苦手だから雨乞いの必要なんてないんだけど」
「こ、この馬を贄に!?なんてもったいない!」
無礼者が己と卑弥呼の間に割って入り、ぶんぶんと首を降る。己を守っているつもりなのだろうか。なんにせよ人間達は己の話題で盛り上がっているらしい。それらに気を取られていて、背後から近づいてくる奴に気づくのが遅れてしまった。
『黒雲く〜ん!こんにちは!今日はみんなと一緒なの?』
『げっ放生月毛
……
』
「あら放生月毛じゃない!こんにちは」
『わぁ〜い!卑弥呼さまだ!』
卑弥呼に首を撫でてもらった放生月毛はうっとりと目を細める。阿呆な面だ。普段は関わりたくないが、今回ばかりは幸いだった。
『それで黒雲くん、今日はどうしたの?晴信さまと一緒じゃないの?』
『今はひとりだった。お前、この人間たちを知っているか?』
『知ってるよ。かわいい女の人が卑弥呼さま、刀を差しているのは宮本伊織さま。黒雲くんのことをきらきらの目で見ているのがヤマトタケルさま、だよ』
ヤマトタケル。無礼者の名を知ることができて少しだけ安堵する。どんな英雄なのか──あとで晴信様から教えてもらわねば。
『ね、ヤマトタケルさまがすごく黒雲くんのこと気に入っているみたいじゃない?なにかあったの?』
『身に覚えがない。なにを喋っているかもよく分からないし、立ち去っていいだろうか』
『ダメだよぉ。きっとヤマトタケルさまが悲しんじゃうよ』
『この場はお前に任す』
引き止めようとする声が聞こえたが、黒雲はそれを無視してその場から離れる。人間達の興味が愛想のいい放生月毛に向くだろうと踏んでの行動だった。しかしあのヤマトタケルだけはずっと己を見つめている。そのことに気づいていながらも黒雲は足早に図書室へ戻った。
◆◇◆
あれから数日後──。
「黒雲!出番だぞ!」
晴信様の号令に従い黒雲は姿を現した。心地の良い少し冷たい風。沸き立つような土と青葉のにおい。あの艦の中ではなくどうやらここは外のようだ。久しぶりの戦に心を踊らせながら瞳を開けると。
「黒雲!また会えて嬉しいぞ!」
黒雲は吃驚して鼻から大きな息をついた。眼前にはあの時の無礼者、ヤマトタケルが立っていた。
「今日は一緒に任務だ!そなたの活躍、楽しみにしているぞ!」
「ワハハ!いつのまに熱烈な支持者を作ったんだ?黒雲!」
晴信様の横で皺を作って笑う老武者は永倉新八だ。あたりを見回すとマスターに斎藤一、そしてあの伊織という武士もいた。
「セイバーが騒がしくてすまない。なにやらこの馬に対して興味が尽きないようで
……
」
「うむ。甲斐の黒駒の活躍が間近で見られるなんてまたとない機会だ。そして信濃守晴信は強い騎馬隊を率いたとも聞いている。とっても楽しみだぞ!」
「こちらこそ、ご同伴に預かれて光栄だ。よろしく頼む」
晴信様が他人に頭を垂れるなんて珍しい光景だ。しかし晴信様曰く、ヤマトタケルは神剣を扱う古代日本の大英雄なのだという。晴信様が敬うのも当然なのかもしれない。
管制室との打ち合わせが終わったマスターが手を叩いて音頭を取った。
「よし!じゃあ、さっそく移動して素材集めを始めよう。送られてきたデータによると、この丘の下にスケルトンたちが
……
」
マスターが指差す方向に標的が群れをなして移動している。幸い、敵方はまだこちらには気付いていないようだ。
「俺が先鋒を務めよう。頼むぞ、黒雲!」
晴信様が己に飛び乗り、軍配を掲げる。刻まれた七曜星から光の粒がこぼれ落ち、これを仰ぐと赤き焔となって黒雲を包み込んだ。
四肢の隅々まで魔力の上昇を感じ、黒雲は丘を駆け下り始めた。呼吸を整え、頭を上げて前方を注視し──同時に晴信様が雄叫びを上げる。
「やると言ったら必ずやる。それが俺の流儀だ!」
刹那、太陽に似た白金の光がこの地を照らす。敵はこちらの襲撃に気付くが、同時に目が潰れたはずだ。再び彼らの目が見えるようになるのは、武田の騎馬隊が突撃を終えた後だ。
「掲げろ、旗を!武田の旗を!風林火山!!」
同じ炎の馬具をまとった仲間達と共に地鳴りを起こしながら突撃する。敵を蹴飛ばし、踏み潰し、大地を蹂躙する。空からは大玉の火山岩が容赦無く降り注ぎ、敵は恐怖の悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「
…………
すごい」
「遅れをとるな!セイバー!続くぞ!」
目を見張るヤマトタケルを叱責し、伊織は大地を蹴って走り出す。無論、これに新八と斎藤も続き、蜘蛛の子のように散った敵を追撃する。
先頭を走り抜いた黒雲はやや速度を落とし、晴信様の様子を確認する。主人は肩で息をしながらも口の端を上げて笑っていた。
「果敢だな、黒雲。良くやった」
『
……
初手から宝具を展開するとは思いませんでした』
「でも、理にかなっているだろう?ここぞという時に使うのもいいが、今日は特別だ」
首を撫でられて思わず黒雲も顔がゆるむ。しかし即座に反転し、残党を屠りにまた走り出した。
「マスターちゃんおつかれ〜。とりあえず戦利品は保管ボックスに入れちゃうね」
「いやぁ、大将のおかげで楽勝だったぜ!」
戦を終えた男達が笑いながらマスターの元に集まる。みな大きな怪我もないようで、黒雲も安堵する。晴信様が己の背から降りて馬具の点検をしようとすると、またあのヤマトタケルが満面の笑みで走ってこちらにやって来た。
「すごい!すごいすごいすごーい!黒雲!カッコよかったぞ!怪我はないか?先頭を走るのは怖くないか?」
黒雲は耳を後ろに倒す。小僧は興奮のためか顔は真っ赤、身振り手振りを交えながらころころと表情を変えてずっと喋り、どさくさに紛れて首も撫でてきた(手を伸ばしてきた時、咄嗟に噛み付きたくなったがなんとか耐えた)。
『この小僧、いつも何を言っているのだ?』
相手に伝わらないことは承知で呟く。するとこれを聞き止めたのか、晴信様が苦笑して口を開いた。
「
……
黒雲のことをそこまで褒めていただけると、俺が嫉妬してしまいそうだ。ご期待に添えられましたか?」
ヤマトタケルが晴信様の方へ振り向き、何かを話す。晴信様のお言葉を聞いて、黒雲の予想は確信へと変わった。このヤマトタケルという者はずっと己を褒めていたのか。しかし、己からすれば──。
「あの、信濃守晴信
……
」
「二人とも!ちょっといいか?」
ヤマトタケルが何か言いかけた時、新八が割って入った。
「マスターが次の獲物を見つけたってよ。この勢いのまま進んじまおうと思うんだが、どうだ?」
「俺は構わん。黒雲も問題ないだろう」
「
……
あぁ、大事ない。参ろう!」
いい返事だ!と新八が豪快に笑う。そして次の戦場へ向かった。
次は廃墟の街だった。若草が生えているので一見すると小綺麗に見えるが、建物は崩れ、瓦礫が散乱していたりとその荒廃ぶりが伺えた。偵察に行った宮本伊織が街の様子と敵影について報告する。
「
……
先程と同様に敵はスケルトンばかり徘徊している。見張りには弓矢を持った者がいる。ある程度の秩序と役割分担があり、守りを固めているとみた」
「伊織さんありがとう。今日はあくまで素材集めだから、みんな無理しないでね。いざとなったら撤退して構わないから」
「マスターちゃんは優しいねぇ。爺八(じじぱち)、連戦で大丈夫?ついて来れそう?」
「あ?斎藤のくせに舐めんなよ。俺はまだ耄碌してねぇ!」
「どうだか。足だけは引っ張らないでね。一ちゃんってば無敵だから
……
さァ!」
斎藤一が身を翻し、物陰に隠れていた敵を斬り倒していく。こちらが打ち合わせをしている間にかなり近くまで寄ってきていたようだ。
「マスター!俺の後ろへ」
「疾く片付ける!」
伊織がマスターを庇い、ヤマトタケルも駆け出す。
そこからしばらく廃墟のあちらこちらで乱戦が続いた。新選組の二人はどちらが多く敵を倒すか競っているようで、敵を追い詰めに西へ東へと走り回る。伊織とヤマトタケルも息を合わせた連携技が美しい。見ていて飽きない戦い振りであった。
晴信は黒雲に乗り大通りを駆け抜けつつ敵に斬りふせていたが、ふと、視界の端に負傷したスケルトンが走り去るのが見えた。咄嗟に黒雲の首を向けたが疑問が浮かんで思い止まる。一体どこに逃げるのか?
「黒雲、悪いが一度下がってくれ」
『
……
仰せのままに』
思うところはあったが主人に逆らう理由はない。黒雲が姿を消すと、晴信は徒歩でスケルトンを追った。
数刻後、マスター達は物陰から街の一角の様子を伺っていた。最後に合流した一が肩で息をしながら呟く。
「あんなところに地下階段
……
。瓦礫で入り口が巧妙に隠してたんだねぇ」
「
……
怪我した奴がここに逃げ込んでいった。奴らの根城なのだろう」
「せっかく見つけたんだ。乗り込んで、本気の切り合いを拝ませてやろうじゃねぇか!」
マスターとサーヴァント達は顔を見合わせて頷くと地下階段に近づいた。
まずは新八が中を覗く。階段は狭くて急であるが奥の方で篝火のちらつきが見える。火が燃えているということは酸素もあるということだ。
「マスターも入れそうだが
……
気ぃつけろよ」
「うん。新八さんも気をつけて」
「あぁ、任せろ!」
永倉新八を先頭に、宮本伊織、ヤマトタケル、武田晴信、マスターと斎藤一の順で階段を降りる。その先の地上からは見えない位置に鉄の扉がたたずんでいた。
先頭の男達は目配せをしあい、伊織が静かに前に出て扉に手をかけた。もう片方の手を胸の前に掲げ、指を三本立ててから一本ずつ指を折る。二、一。
勢いよく扉を開けて伊織と新八が部屋の中に滑り込む。篝火で照らされた地下室は地上とは違い整頓されていた。中央には大きな卓が置かれ、手に槍を持ったスケルトンたちが囲っている。その壁際にいくつもの茣蓙が敷かれて負傷者が寝かされていた。その横にはスケルトンよりひとまわり大きく、花飾りの付いたヴェールを被ったゴーストが揺れていた。手には桶と包帯のようなボロ切れが握られている。
「看護室
……
?」
「奥を見ろ!スケルトンの親玉だ!」
ヤマトタケルが警告するのと同時に、半壊した玉座に座っていたゴーストがマントを翻しながら一直線にこちらに飛び込んできた。その手に握られた大剣を振り落ろす。
「うおお!負けねぇ!」
新八が刀を抜き、その切っ先をいなすように受け止める。刃がぶつかり合い悲鳴のような音を立てると、親玉の危機を察した部下達も突撃してきた。
「あのランサーは私が引き受ける!イオリも来い!」
「二天一流、宮本伊織!参る!」
二人は新八の横をすり抜けて槍兵達の行く手を阻む。晴信は親玉の脇腹に蹴りを入れて突き飛ばした。
「ふーっ、大将、助かったぜ!」
「構わん。やるぞ!」
遅れてやってきた近衛兵たちが親玉の前に立ちはだかる。他のスケルトンより頑丈な装備を身につけた彼らは布陣を作って新八、晴信、斎藤と相対した。
宮本伊織とヤマトタケルは襲ってくる槍兵たちの相手をしていた。敵は慎重に間合いを取ろうとするが、フェイントを入れながらヤマトタケルがその懐に飛び込んで斬りつけていく。
戦闘が激しくなると、横たわっていた兵士たちも戦おうと武器を手に取りはじめた。伊織はその動きに気づき、素早くこれを討った。負傷者に追い打ちをかけるようで少し心が痛むが、情けをかけてこちらが滅びたら意味がない。なるべく一斬りで勝負を決めていく。
「
…………
!」
ふと、視界の隅に女型のゴーストの姿が映った。戦闘に怯え切っているのか、部屋の隅でガタガタと震えている。敵であることに変わりはないが、敵意が感じられない。
伊織は視線を槍兵たちに戻す。武器を持って戦う意志のある者を斬るのが先だ。冷たい石畳を蹴って敵に斬り込んでいった。
カルデア
こちら
に優勢な戦いであった。時が流れるにつれて敵の屍が増えていく。
その中で親玉と一体の近衛兵だけがしぶとく剣を振るっていた。魔術の心得があるのか、強化された一撃が重い。手下を鼓舞し、死の淵から這い上がらせてくる。
「雑魚とはいえ蘇ってくると腹が立つな」
新八が肩で息をしながら呻く。敵は新八だけでも道連れにようとしているのか。執拗に狙われているせいで、体力の消耗が激しかった。
「新八、俺の後ろに
……
!」
「危ねぇ!」
心配した晴信が声をかけた瞬間、新八と親玉が勢いよく吹き飛んだ。彼らに体当たりしたのは──斎藤一。その腹に短剣が突き立てられる。
「ガッ
………
」
斎藤は口から血を吐いて身体を折り曲げる。短剣を握りしめているのは花飾りのヴェールを被ったゴーストだ。恐怖のためか小刻みに身体を震えさせている。
「おまっ
……
斎藤
……
!」
床に転がっていた新八が顔を上げる。ヴェールのゴーストは迷った素振りを見せてから短刀を引き抜こうとした。拙い。それをされたら致命傷となってしまう。晴信は太刀を抜いて間合いへと踏み込んだ。
絹を裂くような悲鳴が響く。その一瞬だけ晴信は罪悪感を覚えた。
「撤退だ!マスター!殿は私が務める!」
ヤマトタケルが声を張り上げる。伊織がいち早くマスターの元に駆けつけて先導する。意識が朦朧としている斎藤を、新八と晴信で横から支えて階段を駆け上がる。
遠ざかる足音を聞きながらヤマトタケルは部屋の中を見渡した。今なお武器を握りしめているのは親玉と数人の兵士だけだ。
「ここはお前たちの故郷なのか?死してもなお、この地に留まって暮らしていたのか?」
もちろん、まともな返事は返ってこない。ヤマトタケルはゆっくりと眼を瞑り、息を整える。
「私は、そなたたちの選択を否定しない。しかし肯定もしない。ただ、今はもう──私の手により、安らかに眠れ」
剣に嵌め込まれた黒曜石から水が滲み、刃が潤いはじめた。同時に足元に魔法陣を展開。呼び起こすのは、大切な
人
つま
が眠る憎くも愛おしい大海原。
明けの明星ように輝きはじめた剣を頭上に振り上げて、敵を見据える。
「刮目せよ!其は命。其は開闢の雫にして、星を成すもの!『絶技・八岐怒濤』!」
足元の水が渦を巻いて八体の大蛇の姿になり、振り下ろしたヤマトタケルの剣と共に敵に衝突する。
轟音が響き渡り、地下室はさながら洪水に襲われたように水で満たされる。ゴーストの親玉も床に転がる瀕死の者たちも一度に黄泉の国へ送ることができるという算段だったが。
「──!?」
親玉はヤマトタケルに背を向けて玉座の方向へ逃げて行った。この部屋は地下室なだけあって決して広くはない。奥は行き止まりではないのか。
「
……
まさか」
だが追う手段がない。ヤマトタケルは踵を返し急いで階段を駆け上った。
先に地上に出た男たちは斎藤の手当てをしていた。先程まで呼吸が荒かったが、マスターの手当てによって少しだけ落ち着いてきた。
伊織が申し訳なさそうに申告する。
「すまなかった。部屋の隅で震えていて、敵意がないと後回しにしていたんだ
……
」
「お前だけのせいではない。同じように俺も相手にしていなかったのだから」
晴信も反省の弁を述べる。しかし新八だけは何も言わず項垂れていた。束の間の静寂が流れたその時。
ポンッ
栓が弾け飛ぶような奇怪な音が聞こえ、全員が顔を見合わせる。
「おい、あそこ!」
新八が指差す方向、マスター達から離れた場所で水柱が上がっていた。その横にずぶ濡れたゴーストの親玉らしき姿が転がっている。
「あれは
……
?」
「すまない!親玉を、逃したかも知れぬ!」
ヤマトタケルが叫びながら地上に向かってくる。同時に、親玉が立ち上がり全速力で逃げ出した。
勝負はもうついている。無理に追い、とどめを刺す必要はない。──しかし。
「
……
黒雲!」
走り出した主人の影から黒雲が姿を現す。そのまま鞍に主人を乗せて、敵影を追う。相手は地に足がついておらず、とんでもない速さで逃げていく。だが、己にとっては何の意味もない!
黒雲は一歩を踏み締める度に加速する。他の馬では嫌がるだろうが、この巨体にとって足元の瓦礫など些末なものだ。
路
みち
を選ばず、敵に向かって一直線に。風を切ってどんどんと距離を縮めていく。
「
……
散れい!」
晴信様が一喝し、太刀を振るう。勝負は一瞬だった。背中から切り付けられた敵はか細い悲鳴を上げながら霧となって消えた。肩で息をしながら晴信様が笑う。
「よくぞ来てくれた」
『当然のことでございます』
晴信様に首を叩かれ、黒雲はくるりと耳を動かした。控えている間はお役に立てずもどかしかったが、こうして呼んでもらえてとても嬉しい。襲歩から徐々に速度を落とし、軽い足取りでマスターの元へ戻った。
「晴信さん!お疲れさま」
「信濃守晴信!黒雲!すまなかった!礼を言うぞ!」
マスターが安堵の表情を浮かべ、ヤマトタケルが申し訳なさそうに両手を合わせる。丁度その時、眠っていた斎藤も目を覚ました。
「あッ!おい、斎藤!」
「うわっ
……
うるさ
………
。ここ、は、地上?」
「まだ起き上がらないでくれ、一殿。マスター、早急に帰還手続きを」
伊織がマスターに進言すると、ヤマトタケルがあっと小さく声を上げた。いち早く反応した伊織が視線だけでヤマトタケルを咎めるのを見て、マスターが首を傾げて尋ねる。
「どうかしたの?ヤマトタケルさん」
「い、いや、なんでもない」
首を振って笑顔で答える。しかし、すぐに残念そうな表情になったのを黒雲は見逃さなかった。
『
…………
?』
「帰還準備できたよ!みんな集まって!」
マスターの元にサーヴァント達が集まると、上空で待機していた艦がこちらに近づいてきた。
◆◇◆
こうして今回の任務は終了した。充分に素材を集めることができたらしく、拍手で迎えられつつも負傷した斎藤一は真っ直ぐに医務室に連れて行かれた。永倉新八も口を尖らせながらこれに付き添った。
解散を言い渡されて晴信様と共に部屋に戻る途中、案の定あの小僧がこちらに走ってきた。
「信濃守晴信!黒雲!今日はご苦労だったな!」
「ヤマトタケル殿」
晴信様が頭を下げるとヤマトタケルも深々と頭を下げた。顔を上げたその顔が、相変わらず笑みを湛えているなと思ったがすぐに少し困った顔をした。
「
……
これを、もし良かったら受け取ってくれないだろうか」
ヤマトタケルが後ろ手に隠していた風呂敷を晴信様に向かって差し出す。晴信様はこれを受け取りつつ不思議そうに尋ねる。
「これは?」
「おむすびだ。今日の任務先は穏やかな気候の場所だと聞いていたから、皆でぴくにっくができるのではないかと準備していたのだ」
そしてヤマトタケルは恥ずかしそうに笑う。
「イオリには浮かれすぎだと注意されたが。実際、そのような時間は取れずに帰還することになったし
……
。口に合うか分からないが、せっかくなので食べていただけないかなと。
黒雲の分もあるぞ!馬はよく汗をかくと聞いたから、塩を多めにかけておいた。笹の葉で包んであるから、香りもいいと思う」
「御手づから準備したとは
……
かたじけない。有り難く頂戴しよう」
「そう畏まらないでくれ。また一緒に任務に行こう」
ヤマトタケルはこちらへ振り返り、己の名を呼んだ。黒雲は首を傾けてみたが、小僧は言葉を探すように目を泳がせて沈黙してしまった。
「──やっぱり、なんでもない!またな!」
捻り出した言葉はその一つだけだった。ヤマトタケルは笑顔で手を振って立ち去ってしまった。終始、変な奴だ。
黒雲が白けた顔でヤマトタケルの背中を見守るのを、晴信もまた静かに見守っていた。
「おお!美味そうではないか。卵焼きもついている。
……
この赤いのはなんだ?ん!?この形、クラーケンに似ているな」
自室に戻った晴信様は早速風呂敷を解き、中身を確認しはじめた。どうやら竹細工の箱に陣中食が詰められていたようだ。黒雲も中身をのぞき込むと握り飯が差し出された。
「お前の分だ」
鼻先で米の甘い香りと笹の葉の爽やかな香りが漂う。一口かじると、びっくりするくらい塩辛かった。しかし癖になる加減だ。黒雲はそのままばくばくと口にする。
そんな己を晴信様が目を細めて眺めていたかと思えば、ふと口を開いた。
「黒雲、もしヤマトタケル殿がお前の背に乗りたいと言ったらどうする?」
『は
……
あの小僧、そのようなことを申していたのですか?』
「いやいや。口にはしてないが、そう言いたげだったのはお前も感じていただろう?」
晴信様がこちらを見上げて問いかける。黒雲は少し考えてから静かに口を開いた。
『
……
あの小僧は「甲斐の黒駒」に興味があるだけで、「私」に関心を寄せているとは思いません』
「そんなことないだろう」
晴信様が大袈裟に驚く。そんな晴信様から視線を逸らしつつ、問いに答える。
『
……
私が、あの小僧を背に乗せることはないかと』
「
…………
そうか」
晴信様はそれ以上何も言わずに、握り飯にかぶりついた。いつかあの小僧が己の背に乗りたいと言い出しても、晴信様が断ってくれるだろう。
部屋に咀嚼音が響く。それを聞きながら黒雲は目を伏せた。
己という馬は、何もないのだ。放生月毛や赤兎馬のような生前の逸話なんてものはない。持っているのは、甲斐の黒駒という生まれた時に手に入れた
銘柄
ブランド
だけだ。特別と呼べるものなんて何一つ持っていない。それなのに。そうだからこそ。
塩辛い握り飯をまたひと口頬張りながら、ヤマトタケルの視線を思い出す。眩しくて、優しくて──
己なんかには勿体無い
・・・・・・・・・・
。
そう思った途端、口の中に苦味が広がる。あぁ、あの小僧は苦手だ。黒雲は心の中で呟いた。
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