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桐子
2026-03-22 01:13:59
3793文字
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ルミナス⑧
「ゲゲ郎さん、クランクアップです。おめでとうございます!」
今日は映画のクライマックスである。ゲゲ郎が狂骨の憑代となり苦しみながらも、すべてを引き受けて妻や水木、生まれてくる息子を守るシーンだ。苦しみながら崩れ落ちる姿はとても演技とは思えず、水木は花束を持つ手に力を込めてしまい、持ち手が少しくしゃくしゃになってしまった。
スタッフたちはゲゲ郎を取り囲み「お疲れ様でした」と拍手をしている。彼は照れくさそうに微笑みながら、「皆さんのおかげじゃ」と頭を下げていた。本来ならば自分があの場にいたはずなのに。だが、もし水木がゲゲ郎の役を演じていたとしても、彼ほどに素晴らしい演技はできなかっただろう。
「お疲れ、ゲゲ郎」
一足先にクランクアップを迎えていた水木は、相棒へ花束を手渡した。ゲゲ郎は「ありがとう」と微笑むと、受け取った花束に顔をうずめるようにして匂いを嗅いだ。
「いい匂いじゃ」
「お前、花なんか好きだったのか」
「水木がくれたものだと思うと嬉しいんじゃ」
ゲゲ郎はとろけるような笑みを浮かべてそう言った。その顔を見て、近くの女性スタッフたちが頬を赤らめている。顔のいい男を見慣れているはずなのに、最近のゲゲ郎はなぜか男の色気のようなものをまとうようになっていた。
「近々、都合をつけてくれんか。話したい事があるんじゃ」
「ああ、そうだな。しばらくは番宣やらなにやらで忙しいから、時間ができたらまた連絡する」
どこか思いつめたような顔のゲゲ郎をいぶかしく思いながら、水木は頷いた。
映画は無事にオールアップした。しばらくの間はゲゲ郎と二人で、バラエティや朝のニュースに出演することになった。毎日家に帰って短い睡眠をとっては、また朝が着て出かけていく。そんな生活を送っていたものだから、ゲゲ郎との約束もすっかり後回しになっていた。
今日は関係者だけを招いた試写会だ。作品として仕上がったものを見るのは水木も初めてで、どんな出来になっているのか気になっていた。
「本日はありがとうございます。主演の二人のおかげで、この映画は僕の代表作の一つになりました」
監督がそう挨拶すると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。ゲゲ郎は水木の隣に座り、惜しみなく盛大な拍手を送っている。
「では、さっそく映画をご覧いただきましょう」
スクリーンが暗転し、映像が流れ始めた。
映画の時間は104分と、邦画にしては随分短い。予算の問題だとか、埋れ木監督のこだわりだとか、いろいろあるらしい。だが、それで十分だった。画面の中で、ゲゲ郎も水木も沙代も、確かに生きていた。彼らは彼らのしがらみの中でもがき、苦しみ、何もかもを失った。それでも最後には、いくつもの犠牲と愛の中、たった一つの希望が残される。
「
――――
すごい」
演じたのは自分であるにも関わらず、水木はその映像に見入っていた。緑の田んぼ、湖と空の青、夜の濃紺、桜のおぞましくも妖しい緋色。美しい色彩の中で、ゲゲ郎も水木も、本当に生きているように見えた。ちらと隣のゲゲ郎を見ると、彼は声もなく泣いていた。はらはらと頬を流れる涙をぬぐうことなく、スクリーンを見つめている。水木はそっと、自分のハンカチをゲゲ郎に差し出した。
「ほら」
「すまん」
彼は素直にハンカチを受け取ったが、涙をぬぐうこともなく、スクリーンにくぎ付けになったままだった。
「この映画、W主演って聞いてたけど、どう見てもゲゲ郎が主演だよな」
「水木もまあ頑張ってるけど、話題性もないしね」
後ろから聞こえてきた声に、水木は凍り付いた。前の座席に自分がいると知らないのだろう。だが、彼らの話したことは今まさに水木が思っていたことだった。客観的に見ればそうなのだろう。水木だって、この映画に自分が出ていなければ、ゲゲ郎のことばかり見ていたはずだ。
そのくらい、彼は輝いていた。
映画が終わり、周りがスタンディングオベーションをして万雷の拍手を送っている中、水木は呆然と席に着いていた。
「水木くん、元気がないようだけど、どうかしたのかい?」
試写会の後の立食パーティーで、埋れ木監督に声をかけられた。ゲゲ郎はスタッフやスポンサーに囲まれ、しどろもどろになりながら受け答えをしているところだ。水木の所には、何人かが声をかけにきてくれたがそれだけだった。彼らは水木ではなくゲゲ郎の方に興味をもち、商品価値を見出している。
「いいえ。俺なんかに気を遣わずに、監督もゲゲ郎の方に行ってくればいいでしょう」
水木はシャンパンを飲み干すと、空になったグラスにまた中身を注いだ。悪酔いしている自覚はあった。だが、飲んで気を紛らわせることしかできなかったのだ。
「さっきの映画
……
俺よりも、ゲゲ郎が主演だと思いました」
「そんなことはない。僕は君とゲゲ郎くんの二人を主演だと思って撮ったんだ」
埋れ木監督は静かにかぶりを振った。だが、それでは納得できない。後ろの席から聞こえるひそひそ声がまだ耳の奥でこだましている。
「それなら、どうして俺がゲゲ郎の役を演じられないと言ったんですか」
ずっと呪いのようにこびりついている疑問を吐き出すと、監督は少し驚いたような顔をした。そして、水木が思いつめた表情をしているのを見てか、少し考え込んでから口を開いた。
「それはね、君が愛を知らないからだよ」
「愛
……
」
呆然と繰り返した。愛というのは、この映画の中に何回か出てきたフレーズだ。
「何もかも振り捨てて誰かを求めたり、命より大事だと思えるひとに出会ったり
――――
そういう愛が、君の中にはないように見えた」
「それは
……
」
確かにそうだ。幼い頃から仕事ばかりしていた水木は、恋愛にうつつをぬかしたことだって一度もない。監督に言い当てられたことは図星で、水木は口をつぐんだ。自分の内面の薄っぺらさを指摘されたようで、心底恥ずかしかった。
「だからこそ、水木という男のことを誰よりも分かってくれると思ったんだ。愛することを知らない男が愛を知る。僕にとって、この映画の本質は愛なんだ」
誰も愛したことのない男が愛を語ったところで、薄っぺらなものにしかならない。だから、水木を主演に据えても駄目だと見切られた。役者の演技は実体験の再現だ。たとえ砂漠に行ったことがなくても、喉が渇いて倒れそうになったときの飢え、渇きを思い出して再現することで、よりリアルな演技をすることができる。
「監督」
いつの間にか、水木のすぐ後ろにゲゲ郎が立っていた。
「水木に何を言ったんじゃ」
「僕はなにも」
「それなら、なんで水木が泣きそうな顔をしておるんじゃ!」
ゲゲ郎は怒ったようにそう言うと、水木の手を取った。
「水木は少し具合が悪いようじゃ。わしが連れて帰るぞ」
「あ、ああ
……
」
監督は呆気にとられたように頷いた。
引きずられるようにして会場を出たところで、水木はやっとゲゲ郎の手から逃れた。
「離せよ」
「嫌じゃ」
「俺は一人で帰れる」
「わしは、おぬしが心配なんじゃ」
ゲゲ郎は食い下がった。
「水木、映画を見てからずっと暗い顔をしておる。何か言われたのか?」
「
……
それは」
水木は口ごもった。どう見てもゲゲ郎が主演だと囁かれていたこと。監督に「愛を知らない」と言われ、自分の薄っぺらさを指摘されたこと。それらすべてが悔しかったのだ。だが、それをゲゲ郎に言えば、お前の才能に嫉妬しているのだと告白することになってしまう。
「もう帰る」
「送る」
「いいよ、タクシーで帰るから」
「話したいことがある。わしの家に寄ってくれんか」
ゲゲ郎はまた水木の手首を掴んできた。頷くまで離すつもりはなさそうだ。
「
……
ここからなら、俺の家の方が近い」
もうこれで、二人きりで会うのは最後にしよう。そう決めて、水木は小さく頷いた。
水木のマンションへ足を踏み入れたゲゲ郎は、どことなく緊張した面持ちでソファに座っている。水木は冷蔵庫から水を取り出し、ゲゲ郎にも同じものを渡した。
「それで、話って」
一息に半分ほど水を飲んでから、そう促した。ゲゲ郎はペットボトルを手に持ったままうつむいていたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「わしは、妻を亡くして、心にぽっかり穴が開いたようじゃったよ。悲しくて寂しくて、
……
でも、最近は、その寂しさもまた妻への愛だと思えるようになった。岩子に出会わなければ、わしはこの寂しさも喜びも何も知らず生きておったじゃろう。この痛みも愛なのじゃと思えば、愛おしいものじゃ」
その言葉に、胸が痛んだ。ゲゲ郎は愛することを知っている。喪失も。だからこそ埋れ木監督は彼を抜擢したのだ。
「それを気付かせてくれたのは、おぬしじゃ」
「俺が?」
「わしを演技の世界へ導いて励ましてくれた。優しくしてくれた。わしはおぬしを尊敬しておるし、出会えたことに感謝しておる。じゃから、おぬしがつらそうな顔をしておるのが耐えられん」
ゲゲ郎はそこまで言うと、少し躊躇いがちに水木の手を握った。
「水木がわしを応援してくれたように、わしも水木の役に立ちたいんじゃ。わしはおぬしのことが
……
」
そこでゲゲ郎は言葉を切った。そして、意を決したように水木を見つめると、口を開いた。
「好きじゃから」
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