ゑ/圓堂
2026-03-28 22:00:00
2924文字
Public 管理NO3250本丸
 

【刀剣乱舞】三十六度五分の意味【創作男審神者×一文字則宗】

1/19にTwitterに投稿した則宗実装五周年記念小話。
なんでもない冬の朝の、なんでもないさにごぜのワンシーンです。五周年という節目だからこそ、ありきたりな日々のふたりを慈しんで書きました。
刀剣男士が人の身を得て生きているということを、これからもずっと考えながら創作していきたいです。

朝食を済ませた主が一服点けようと庭に下り立つと、ゴム製のサンダルの下で霜が軋む音がした。
年が明けてから雪こそ降らぬものの、それでもしっかりと冷え込む日々が続いている。
ざく、ざく、と踏みしめて敷地内を進む。耳に心地好い音だ——皮膚を刺すような冷気の中、主の心持は存外に晴れやかである。

ほんの数年前まで、主は冬が嫌いな質であった。かといって、夏が好きだということもない。
過度な体温調節を必要とする季節は、どちらも好かぬ。我儘だという自覚はある。
しかし、己が本丸で体感する四季の模様は、年々好ましい記憶として主の脳裏に刻まれつつあった。

近年の灼熱の猛暑にも、大量に氷を買い付けて店が開けるほどのかき氷を作り、部下である刀剣男士らと座卓を囲んでかき込んだ思い出が先に立つ。
武家屋敷のような造りと設備の本丸で過ごす冬は毎年厳しくはあるが、だからこそほんの些細な温もりさえも印象深く感じられる。
特に冬の本丸は、日常の何気ない一場面が美しい——朝陽を受けてきらめく霜に覆われた地面や、硬度の高い空気中に滲む白い息、雪の日にも負けじと紅色を覗かせる山茶花など、これまでの主の人生で気にも留めなかったものが彼の心を惹くことが増えた。風雅に造詣の深い刀剣男士らの影響かも知れぬ。

ふう、と主が安堵の溜息に乗せて中空に紫煙を吹きかける。
白く霞む視界の中、己が呼気に含まれた水蒸気が陽光を反射し、眩しさに自然と目が瞬く。
そのまま曇り硝子越しのような空をぼんやり見上げ、長閑のどか——と主は小さく呟いた。

こうして平穏な時間を過ごしている間にも、この世界が培ってきた膨大な歴史は敵対勢力の脅威に晒されており、それを守るために刀剣男士らは命を懸けた戦いに身を投じているのだという事実を、勿論決して片時も主は忘れたことなど無い。寧ろいまこのひと時こそが、彼にとっての束の間の休息である。

主には主の戦いがある。
今日も今日とて、前線で戦うものらの為に最大限に出来ることを、ひたむきにやり続けるのみだ。



胸中密かに誓いを立てる主の背後で、ざくざくと遠慮のない足音が近付いてきた。続いて、大きなくしゃみが一つ。
おお寒い寒い、という文句の声を聞かずとも、振り向く前から主には何者か見当がついている。

「お前さん、こうも寒いというのに相も変わらず熱心なことだなぁ。吸わねば死ぬ病にでも罹っているのかい」
「そういうあんたこそ、わざわざこんな所まで足繁く追いかけてくるんだからおあいこだろうよ」

もうすっかり馴染みきった皮肉の応酬である。
振り向いた主の視界の中に、うはは——と癖のある軽妙な笑い声ののち、更にもう一度辺りを憚らぬくしゃみを見舞った一文字則宗がいた。
内番服の上に現世で手に入れたダウンジャケットを着込み、毛糸のマフラーに頭部を埋もれさせている。

「刀剣男士も風邪とか引くもんなのか」
「さてねぇ。——いや、僕のは違うぞ」

ず、とわざとらしく鼻を啜りながら、しかし一文字則宗は主の推測を即座に否定した。
風邪自体、どんなものか真に理解していない癖によく言う——という台詞を、喉奥の辺りで主は押し留める。そしてぴったりと隣に歩み寄ってきた一文字則宗の半身に少しばかり体重をかけた。半分を切った煙草に再び口を付ける。

主は今日が特別な日であることを——初めて一文字則宗と邂逅した日であることを、識っている。忘れたことなど一度もない。
だからといって、毎年何か特別なことをするわけでもない。
ただ少し往日に思いを馳せ、一文字則宗との出会いから今この瞬間に至るまでの時間を、普段よりも丁寧に過ごす——ただそれだけである。
記念日にかこつけて何かと誘いをかけてくる質である一文字則宗も、この日に限っては特に何も求めてはこない。
案外、その辺りは主と同じ想いでいるのかも知れぬ。勝手にそう結論付けた主は、銜え煙草の口元を僅かに綻ばせた。



寒い、早く吸ってしまわんか——と急かす一文字則宗の、毛糸の塊から覗く口元が白く煙る。
乳白色の光の粒子が、一文字則宗の西洋人形ビスクドールじみた相貌かおを彩る。綺麗だ——と思うより先に、主の中に得も言われぬ感情が湧いた。

——どうして刀剣男士にも体温があるんだろうな」
「は?」
「体温があって、血が流れてて、様々な感覚や感情があって——そこまでそっくり人間と同じにする必要があったのかって」

主の不意の問いかけに、一文字則宗は暫し黙り込んだ。その眼差しは何処かを見ているようでもあり、また何も映していないようにも見えた。
主が、すっかり短くなって指の皮膚を焼こうとすらしていた煙草を慌てて携帯灰皿に潰し入れてからも、その沈黙は続いた。



紫煙の残り香に包まれながら身を寄せ合い、ふたりして黙りこくる。
まるで、どちらもその答えに辿り着きたくないとでもいうように。

それでも、先に口火を切ったのは一文字則宗の方であった。



「さて、な。……しかし、僕はそれで良かったと思っているよ」

戦道具が、たとえどのような痛みを知ることになろうとも——そう言って主を仰ぎ見た一文字則宗の瞳の中には、歓びとも哀しみともつかぬ感情が透けて見えた。
その感情の根源には辿り着けずとも、主は一文字則宗の言わんとしていることの輪郭が、やっと僅かにはっきりと捉えられたような気がした。
胸の内側から熱い何かがこみ上げ、主を揺さぶる。

衝動のままに一文字則宗を両の腕で掻き抱こうとした——が、それよりも先に一文字則宗の行動の方が早かった。
大柄ではないものの強靭な肉体の一文字則宗が、強く主の痩躯からだを抱き締める。
主の剥き出しの首筋に、冷えた一文字則宗の表皮と、それとは裏腹に熱い吐息が触れる。

「人と同じでなければ、こんな風にお前さんを愛し、腕に抱くことも出来なかったからな」

一文字則宗の言葉はくぐもっていたが、しんと静謐せいひつな空気に包まれた冬の朝の中ではしかと耳に届く。
低いトーンに抑えられた声音が、主の鼓膜を心地好く震わせた。



一文字則宗の身体を抱え込むように包みながら、主はほんの少しばかり、このまま彼と共に世界から切り離されてしまえたら——そんな胡乱な願望に支配される。
しかしすぐに振り切った。主はやや身を引くと、つられるように己を見上げた一文字則宗の顔を両手で捕らえた。
すっかり冷え切った素手で触れた一文字則宗の肌の下は、火傷しそうなほどに熱く、生き物の手触りをしていた。

「うおっ、冷、ったいぞ!こら、やめんか!」
「さっきあんたの冷え切った顔が首に当たって冷たかったからな、お返しだ」

先程とは打って変わって、ぎゃあぎゃあと騒がしく反論し始めた一文字則宗の姿に、主は訳もなく強烈な安心感を覚える。
そうだ——今は、まだこれでいい。

「さ、世にも珍しい刀剣男士の風邪の症例を作っちまう前に部屋に戻ろうぜ」

長々と続きそうな一文字則宗の小言を、それさえも愛おしいと感じながらやんわりと受け流し、主は彼の背を軽く押して母屋の方へと歩き始めた。