Ca(か)
2026-03-20 22:14:17
5143文字
Public haikaveh SS
 

きみに届く挽歌・4 (一途な鳥の話・改題)

年越しの夜、「将来」について語り合うふたりの話


……へえ? それで君は、一途さなんてロマンに満ちたものを街中で議論してたわけだ」

 グラスを傾けたカーヴェは興味深そうににんまりと笑って、ワインでくちびるを潤した。
 すっかり夜も更けた二十三時。
 夕食を終え、おのおの風呂も済ませた頃、カーヴェから「今年はこれで年を越さないか」と、ワインの誘いがあった。アカツキワイナリーの十八年熟成もので、モンドで開かれた祝祭の景品として、幸運にも旅人が引き当てたものだという。
 ――おれたちにはまだワインのおいしさはわからないから、わかる人に飲んでもらおうと思って。
 そう言ってワインを差し出す旅人に、カーヴェは「洞天に置く調度品が欲しいときにはいつでも声をかけてくれ」と固く握手をしてしばらく離さないでいた。
 グラスの中で深みのある赤が揺れる。
 縁の先が照明を受けて飴色に光るのを、アルハイゼンはほろ酔いのまま見つめた。

「人とロマンを語り合えるほど君の情緒が育ってなによりだよ。今年の『良かったことリスト』にぎりぎりで滑り込んだな」
「君と語らったことがないだけで、ロマンはいくらか解していたつもりだよ。君の思うそれとは異なるかもしれないが」
「僕の思う一途さロマン……ね。聞きたいか?」
「言いたいなら」
「聞きたいって言えよ。まあ勝手に聞かせるけど」

 カーヴェはそこでグラスを深く傾けた。喉仏がゆっくりと上下する。空になったグラスにアルハイゼンが次の一杯を注いでやると、嵩を増していくワインの波をうっとりと眺めながら、カーヴェはおもむろに口を開いた。

「一途さで言うなら、そうだな……。たとえば、『恋人が死んだら自分も死ぬ』ってやつ。あれもある種ロマンチックではあるけど、僕としてはちょっと違うかな」
「愛に殉じる話は好みではないという話か?」
「好む好まないより、肌感覚でしっくりこないという感じかな。愛に殉じるストーリーに名作と呼ばれるものはたくさんあるし、その中には僕の好きな作品もある。だけど美の解釈が数多くあるように、ロマンもまたあらゆるかたちで存在するんだ」

 ひとくちサイズのプレッツェルがカーヴェの口の中に放り込まれた。アルハイゼンもふたつ摘まんでひょいと口に入れる。香ばしく焼きしめられた小麦の風味と粒の大きな塩が酒によく合った。

「だって、考えてみろよ。先に死ぬのが僕でも君でも、世界は続いていく。うつくしいものや面白いものはまだまだたくさんあるんだ。あとであの世で自慢するくらい見て回って、それからゆっくり召されるほうがいい」
「相手のいない世界に意味はない――と、物語ではよく書かれているが」
「僕はそうは思わないな。愛した人がそこにいないということはもちろん淋しい。けれど、僕も君もそれだけではないことをもう知っている」

 愛した人。
 ベッドの上ならいざ知らず、ただのしらふならめったに出てこないような直球の愛の言葉にすこし面食らった。ぱちぱちと瞬きをしてカーヴェを見れば、なにか間違ってるか? とでも言いたげに微笑んで、眉を山なりに上げた。多少の照れは見て取れたがアルコールの勢いというのもあるのだろう。頬をほんのり染めたカーヴェはまたひとくちワインを含み、感じ入るようにその余韻に浸った。

……仮に、先に死ぬのが僕だとしよう。なるべく幸せに、満たされた心地で、穏やかに眠ったとして……そのあと、君は僕のいない世界を生きる。僕と暮らした家で、僕の遺した道具や本に囲まれて過ごすなか、なにか新しいこと、あるいは懐かしいものに出会うたびにこう思うだろう――

 ――こんなとき、あいつカーヴェならなんて言うだろう?

「君がそう思ったとき、僕の目や感性は間違いなく君の中に宿っている。君はもう僕がどんなふうにものを見て、なにを思うかを全く知らないわけじゃないからな」
「それは、都合のいい妄想とどう区別する?」
「妄想はありもしないもののことだ。もうちょっと若い頃だったら、勝手に僕の考えを捏造するな――なんて言っただろうけどね」

 カーヴェが苦笑する。

「でもこれだけ一緒にいて、同じものを見てああだこうだ言いあって、いくつもの選択肢を見て……僕の考えから遠のくほうが難しい」

 意匠の好み。味の良し悪し。ペンの書き味。インクの発色。
 他愛のないやりとりのなかで積み重ねてきた、他愛のないものごと。覚えようと思って覚えたものも、覚えるつもりはなかったのにいつの間にか覚えていたこともたくさんある。きっと好きだろうと思ったまま、まだ答え合わせの機会がないだけのことも。

「花を見ればうつくしいと言い、どんな鉢に映えるか、どんな石壁に這わせたいかを考える。過去に話したかもしれないし、一度も言ってないかもしれないそれらは僕の声で君の頭によぎる。そのときの君はけしてひとりじゃない。間違いなく、僕と一緒にいるんだ」
「わからないこともあるだろう」
「なら僕に聞けばいい。にね」

 カーヴェは皿に並べられたチーズのかけらを摘まみ上げ、口に含むと「んん」と満足げに唸った。熟成ワインには熟成チーズだと言って、カーヴェがランバドから買ったものだ。ざらりとした粒の目立つ舌触りは旨味のあらわれであるらしい。チーズを砕く際に味見をして、なかなか美味かったのでもうひとくち――と手を伸ばしてカーヴェにはたかれたのはつい先ほどのことだ。いまなら食べ放題だ、とアルハイゼンは大きめのかけらを小皿に取り分けた。

「では反対に、先に逝くのが俺だったらどうする?」
「そうだな……。うん、君の好きそうな本を買って本棚に入れるってのはどうかな。一週間もすれば君は読んでしまうだろうから、その頃になったら僕も読む。君ならここをなぞるだろうというところを指で辿って、頭に浮かぶ君の声に心の中で相槌を打つ。そうしてまた新しい本を迎えて、同じように本棚に入れる……どうだ、面白そうだろ」

 ふむ――と、アルハイゼンは想像してみる。
 死後、幽霊になった自分がくらげのようにふわふわと家の中をたゆたいながら、本棚に新しく本が入れられているのに気づいて読む。幽霊が本に触れられるかどうかはわからないが、まあやりようはいくらでもあるだろう。睡眠にも食事にもとらわれなくなった体で日がな一日本を読み、それからカーヴェが同じ本を読むのを待つ。リビングのカウチにカーヴェが腰掛ければ横に座り、その目が辿る文字列を一緒になぞる。やがてページに書き込まれはじめる文字を特等席で追いかけながら、すこしずつくたびれていく本を見守る。
 そう考えてみると、なかなか理想的な死後の暮らしだ。あとあとカーヴェが天に昇ってきたときに語れることも大いにあるだろう。

「悪くないな」
「だろ? ちゃんと読み終わったら知恵の殿堂に持っていくよ。僕良し、君良し、大衆良しで三方良しだ」

 カーヴェがグラスを掲げ、笑みを深めた。それからひとくちぶんだけグラスを傾けたかと思うと、すこしだけ視線を落として「それでも――」と、呟いた。

……それでも淋しくなったら、祈るよ」
「朝と夕に?」
「ううん、それ以外にも。たとえば……

 馴染みの屋台に、誰かさん好みの甘辛ダレの肉串が並んでいたとき。
 ささやかな祝いの日に開けたのと同じ酒を、酒屋で偶然見かけたとき。
 あるいは、柄にもないことをわかっているのに、誕生日に贈ってくれたのと同じ花を花屋で見つけたとき。

「ああ、いまここに君がいればいいのに――そう思ったとき、静かに小さく、祈るだろうね」

 そばにいない誰かを思うとき、心に兆すのは淋しさだ。
 もう聞こえないはずの声が耳の奥によみがえったり、そこにないはずの気配を肌で感じ取ったり――この世にふたつとないぬくもりをまだ覚えていることに安堵しながら、その記憶の砂粒のような儚さに、遣るかたない思いが募る。
 なにかとびきりの奇跡が起きて、いまだけでもいいから、半透明の姿が見えたり変わらないあの声で笑ってくれたらいいのに――
 それが叶わないことを知っているから、人はただ手を合わせて、その人のいまの幸せをじっと祈る。

「そばにいてもいなくても、生活の中に相手を見出す……たぶん、それが”死ぬまでずっと愛してる”ってことなんだよ」
「死ぬまで」アルハイゼンは繰り返した。
「死んでからは?」
「それは……うん、来世に期待だな。今度は君が僕を見つけてくれ」
 
 図書館で、果物屋で、本屋で、あるいは――懐かしさを覚えるような、緑色の屋根を持つ家の前で。
 言葉ではちっともうまく説明できないのに、ただひたすら、抗えない衝動に突き動かされながら互いを探すだろう――と、アルハイゼンはまだ見ぬ遠い未来に思いを馳せた。
 もしかしたら姿はまるきり変わっているかもしれない。次に生まれたときには自分は金髪で、カーヴェは銀髪で……いや、そもそもヒトではないかもしれない。猫だったり、鳥だったり、キノコンのような元素生物かもしれない。
 それでもきっと探すだろう。探さずにはいられない。
 だって君と生きることはこんなにも面白くて、楽しくて、いとおしくて仕方がない。

「広い世界で探し当てるのは骨が折れるよ。来世ではわかりやすいように光っておいてくれ」
「はは! 無茶言うな、ばか。それなら君のほうこそ「俺はここだ、ダーリン」って首から提げといてくれよ」

 くつくつと笑いをかみ殺すカーヴェの後ろで、窓の外がふいにピカッ、とまばゆく光った。
 おや、とそちらに目を向けると、一拍遅れてパーン、パーンと花火の弾ける音がして、それを追いかけるように色とりどりの光が次々と瞬いた。
 年始の花火だ。
 屋外でカウントダウンをしていたらしい人々のわあっ、という歓声が遠くに聞こえてくる。毎年広場で開催されているカウントダウンは、今年もおおいに盛り上がったようだった。

「おっ、明けたか」
「そうみたいだな」
「なあ、アルハイゼン」
「うん?」
「明けましておめでとう」

 カーヴェがグラスを掲げた。深いルビー色が揺れる。

「おめでとう」

 アルハイゼンもグラスを持ち上げた。同じ色のワインが揺れて小さな波が生まれる。
 かちん、と小気味よい音で乾杯してから、十八年の月日が育んだ深い味わいにそっと酔いしれた。
 
 ほろ酔い気分の夜更けのリビング。
 あるかどうかもわからない命の終わりのその先を、こんこんと語り合うただそれだけの夜から、新しい年がひっそりと生まれくる。
 あと何度の年越しを共にするだろう。少なく見積もっても三十回、平均的だと五十回、表彰されるくらいに長く生きればもっと多くの年越しを、きっと自分たちは共にする。学生時代のような賑やかなカウントダウンはもうないだろうし、ベッドで眠って新年を迎えるシンプルな年越しも増えるだろう。そんな変化を積み重ねながら、自分たちはこれからも隣り合って生きていくのだ。
 
 向かい合って食事をすること。
 他愛のない会話をして笑いあうこと。
 おはようとおやすみを繰り返しながら、賑やかで忙しない日々を過ごすこと。
 そうしていつかやってくる命の終わりの瞬間には、互いに、淋しさだけではないものが胸に残る。
 
 ――それが、死ぬまでずっと愛してるってことなんだよ。
 カーヴェの言葉に、そうだといい、と心底思った。
 愛している。
 静謐とは縁遠いいまの生活も、すっかり当たり前になったふたりぶんの買い物も。
 知らぬ間に被ってしまったテイクアウトのおかずや、冷蔵庫の中身をさらうようにして作られるやっつけ料理も。
 答えを見つけたい問いも、ひとつじゃなくてもいい答えも。
 そして心の真ん中に二十年近く居座っている――いままさに目の前で美酒を手にはにかむ、心に決めた唯一も。

 「今年もいい年になるといいな」

 半ば独り言のようなカーヴェの言葉に、アルハイゼンは瞬きで返した。
 今年も、来年も、命を超えたその先も。
 その時、その時の自分たちにちょうどいいように自由にかたちを変えながら、このいとおしい生活は続いていく。
 そうしていつか思い出す今日がなるべく鮮やかであるようにと、アルハイゼンはカーヴェの緩んだ顔を目に焼き付けるべく、じっと見つめた。これもまた祈りなのかもしれない。そう思いながら指を組んで、長く長く続いていく人生のその先を思う。

 そこにはいつでもカーヴェがいる。
 それだけで、充分だった。