ねぶくろ
2026-03-20 21:46:19
3453文字
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自業自得

殺される夢を見る林道鈴昭のSSです
※人間が死傷する描写を含みます

 俺は度々、殺される夢を見る。
 死因は様々だ。絞殺、溺死、撲殺、刺殺、銃殺に感電死なんてのもあった。
 夢の中で手を変え、品を変えて俺を殺すのは、同じ組織に属する男だ。
 毒を盛られ、のたうち回って苦しむ俺を。首を絞められ、酸素を求めてもがき苦しむ俺を。殴られ、蹴られて這いずりながら逃れようとする俺を。男はいつも、無感動に見下ろしていた。そして、最後には一言、同じ言葉を呟くのだ。
 ――その言葉が、一体なんであるのか、聞こえないまま俺は絶命する。
 そうして今日も目を覚ました。寝起きの気分は最悪だ。動悸がする、冷や汗が肌を伝い、休眠後とは思えない疲労感にため息をつく。時計を見れば、時刻は午前四時。うっすら明るいカーテンへと視線を向け、それからのっそりと重い動きでベッドを降りる。
 洗面所で顔を洗って、気分を改めても、顔色は悪いままだった。今日の死因は焼死だ。未だに、肉の焼ける悪臭が漂っているようで気分が悪い。男はいつも、俺を最大限苦しめてから殺す。それが一種の美学であるのか、男が俺を一思いに殺したことなど一度もない。
 永遠にも等しい、間延びした苦痛の中で俺はいつも後悔する。
 悔やんで、恐れて、言葉を紡ぐ。己を見下ろす、透明な眼差しを受けて俺はいつも同じことを口走るのだ。けれど、その言葉を受けた男の反応はいつも目に入らない。その前に、俺は死ぬ。

 俺は、男を恐れている。それは、夢の中で幾度となく殺されてきたから、だけではない。男は、必要だと感じた時に過たずに俺を殺すだろう。無感動に、作業的に。その確信が、俺にとってその男を脅威たらしめる。
 他方、俺は男を慕っている。それは、男が恐ろしく強いから追従しよう、という下心ではない。俺は、男のことをよくは知らない。男が何を好み、何を嫌うのか、どのような人生を歩んできたのか、何を考えているのか。それらの一切を知らずに、けれど俺は男の心根の優しさ――あるいは弱さとでも呼ぶべきだろうか――そうしたものを、信じている。
 男は、決して私情で俺を害さない。男は、確かに残虐な方法で俺を殺すだろう。しかし、それ自体を愉しむような快楽殺人者ではない。男にとって暴力とは手段であり、それ自体が目的となることはない。
 俺は、そこに男の優しさ――気立ての良さとでも言おうか――を認めている。
 夢の中で男と相対する。その無表情を認めて、俺は殺されるだろうと理解する。分かっていてなお、俺はいつものように男に笑いかけて、歩み寄る。好きにしろとばかりに無防備に、――どうせ本気で殺しには来ないのだろう、と楽観的に――俺は男との距離を縮める。
 男は、ほとんど表情を変えないまま、ため息をついた。軽い、寝起きに雨が降っているのを知った日のような落胆。男は、そのまま作業に取り掛かる。不意を衝かれた俺は、いとも簡単に倒れ、あるいは負傷し、あるいは毒を盛られ、あるいは、あるいは。
 多種多様、千差万別。いかなる道筋をたどっても、行く先は凄惨な末路だ。男は決して俺を許さない。男は確実に俺を追い詰め、苦しめ、殺害する。無感動に、無表情で。だから俺はいつも、同じ後悔を抱える羽目になる。

 カーテンを開いて、ゆるやかに白んでいく空を眺める。微睡みの中にある街を眺め、それから、スマートフォンを手に取った。呼び出した画面、一つの連絡先を眺めて、指先が止まる。この時間に彼が活動しているとは思えない。よしんば起きていたとして、自分は一体何を話す気だ。彼に対する喫緊の用事はない。
 短い逡巡ののち、スマートフォンを握った手を下ろす。こんな話はしても仕方がない。いつも、俺を殺すときに何を言っているのか、なんて。そんなことを、現実の彼が知っているはずはないのだから。
 群青を染め直す陽光に目を眇め、踵を返してPCの前に座る。朝食を摂るほどの空腹は感じていなかったし、眠りなおすには目が冴えている。仕事用のファイルを呼び出し、ただ無心になってキーボードを叩いた。
 組織に属して、何年が経っただろうか。何年経っても、俺には一向に『自覚』というものが芽生えなかった。自分が非合法なことをしているという自覚。そうすることで誰かの恨みを買うかもしれないという自覚。些細なミスで組織全体を危険にさらすという自覚。
 俺には、まさしく危機感がない。だから幾度殺されようとも男を慕い、そして今回も殺された。
 俺には、正しく危機感がない。これまでの人生において身を亡ぼすほどの危険に瀕したことがないのだろうか。これまでの時間の中で、取り返しのつかない失敗をしたことがないのだろうか。答えは否だ。それでもなお、俺は危機感というものをおよそ身に着けることが出来なかった。組織が滅びるときが来るとしたら、それは有能な外敵によってではなく、無能な俺による破滅だろう。
 俺は、無能だ。ことさら、犯罪者組織において、俺は歯車である以上のことを望んではいけない人種だった。俺は、自分で考えるという技術が著しく欠如している。俺には、リスクを勘案して裁定を下すという能力が備わっていない。
 俺は指示通りに動く駒でなくてはならない。俺は従順な兵卒である必要がある。
 組織のためを思うのであれば、俺に自我を認めてはならない。俺は、他の誰を信用しても、ただ一人、俺自身のことを信用してはいけない。俺の判断、俺のロジック、俺の思想。そのすべてが、組織を危険にさらす可能性がある。俺は、どうしようもなく無能なのだ。
 俺に出来ることは、ただその『自覚』を、己に刻み込むことだけである。

     *      *     *

 カツン、と硬質な音が響いた。呼び出されたのは、港湾部に連なる倉庫だ。刑事ドラマなんかでよく見る、なじみの薄い景色の中に見慣れたスーツ姿が現れた。彼は無感動な眼差しをこちらへと向ける。その表情には既視感があり、けれど俺はその先の顛末を知っていながら口角を持ち上げる。
 名前を呼んで傍によれば、彼は訝しむようにこちらを見返して、懐に手を突っ込んだ。ぶっきらぼうに、止まれと命じる言葉に従って足を止めた。こちらを向いた銃口を前に、体が竦む。幾度となく向けられたその凶器を前に、俺はそれでも笑みを消すことが出来なかった。
 だって、まさか、そんなこと。
……俺、なんかしたっけ」
 呑気に、無防備に、危機感のない問いかけを発する。答えたのは銃声で、膝を折ってその場に蹲った俺は、手についた赤の濃さに思わず笑ってしまう。冗談のようにどくどくと流れる命の証に、自分の肉体が未だ人間のようなふりをして生命活動を維持していることに、笑いがこみ上げてくる。
 一度死んだ分際で。震える手は、未だに生命を維持しようと――死を恐れていた。
「待って、」
 制止に応じるのは二発目の弾丸。肩が振れる、と同時に劈くような痛みが走る。もはや立ち上がることも逃げることも諦めて、ただ彼を見上げる。そこにあるのは静かな夕焼けの色だった。同じ赤でも、俺のそれとは大違いの、澄んだ双眸が無感動に俺を見下ろす。
 話し合いを求める段階はとうに過ぎていた。俺が悪いのだ。彼が制裁を下さねば止まらない事態を引き起こしたのは俺だった。そして俺は愚かにも、怒られるのが怖くて今日まで、彼が制裁を下すまで、自らその清算を先延ばしにした。だからこれは、当然の報いだ。
 ――けれど、それは俺にとっての物語である。
 意識が飛ばないギリギリの激痛の中で、俺は歯を食いしばって顔をあげた。なかなか死ねない苦痛の中で、それでも俺はその男を恨んではいなかった。あるのは恐怖と後悔、そして。

 いつも、死に際に思い出す。
 裏切られて、悲しい思いをするのなら。制裁を下すことにだって、何らかの苦痛はあるのだろうと。俺の物語が『自業自得』の名を冠するのならば、彼の物語には一体何と名がつくのだろう。他人の『自業自得』のための血を被る、その業を一人で背負うことを、彼の愛情深さだと感じるのは身勝手かもしれないが、それでも、最後にたった一つだけ。

      *     *      *

 掠れた声で押し出した謝辞を、男がどのような顔で聞いていたのか、あるいは聞こえていないのか、わからないまま意識が遠のいた。
 目を覚ます。今回は失血死か、と林道りんどう鈴昭すずあきは身を起こす。時計は、午前四時を指していた。