wawan78
2026-03-20 21:34:48
3811文字
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人はそれを神と称す

オルーニィとED5主
過去捏造


 子供の頃から褒められることが多かった。勉強はいつもトップクラスだったし、スポーツは苦手だけど中くらいにはできたし、いたずらや悪巧みをしないから、学校の成績は当たり前のように高得点だった。
 自分は頭が良いし、優秀だし、何より誰よりも素敵な人なんだと、有名な大学を卒業して、両親とお婆ちゃんが褒め称えてくれたときには、そう信じて疑わなかった。
 いい子がやることといったらひとつしかない。悪いやつを捕まえて、やっつける仕事だ。正直で善良な人々のために働くのだ。それには、優秀で素敵な人材が不可欠だ。可愛がってくれた人たちへの恩返しだ!

 体力テストの成績はよくなかった。……それくらいはわかっていた。まわりの受験者と比べれば、オルーニィの体は細いし小さいし、力もない。現場向きではないことなんてわかっていた。でもね、まあね、一度は経験しておかないとね。代わりに筆記試験ではすんなりと合格した。面接官との話も弾んだ。担当してくれた人は力強くて、だけど知性を感じるいい人だった。上司になってくれないかな。きっとやりがいのある毎日になる。
 配属されたのは内勤の部署だった。法律条例なんやかんや、届け出と実態を照らし合わせて都合をつける、すごく難しい仕事だ。直接人の目には見えないけど、こういうことをきちんとしないと現場で働いている人たちが困る。大事な大事なポジションだ。

 大事な部署だから、厳しかった。

 新人は大変だ。何でもやらなきゃいけない。わからなくてもやらなきゃいけないし、わからないのはオルーニィのせいだった。忙しい先輩や上司に頭を下げて教えてもらって、タイミングを見誤ると怒られる。毎日毎日怒られて、失敗して、謝って、だけど可愛がってもらっていたから、飲み会ではたくさん酒を飲んだ。これくらい飲めなきゃ駄目だ、社会人なんだから。新人歓迎会のあとはどうやって寮に帰ったか覚えてない。やることがたくさんたくさんあって、自分ひとりじゃ足りないくらいだったけど、だけどそれは、できないのはオルーニィが悪いからで。

 そうやって毎日を過ごしていたら、季節も、月日も、曜日も、時間も、何を食べたとか何時間寝たとか、まるでわからなくなった。今、何をしているんだっけ。今、打ち込んでいるこの文字はなんの意味があって、なんのために、

 ある日の帰り道、ヘドロの沈む真っ黒な川にかかる橋の上で、揺れる水面を眺めた。月が揺れている。波は穏やかで、オルーニィのことなんてまったく知らんぷりしていた。
 街に、たったひとりでいる気分だった。あんなに大好きだった街は、オルーニィの味方ではなかった。できると思っていたことはできないことだった。パトカーが鳴っている。どこかで事件があったんだ。ヒーローたちが駆け付けて、みんな彼らに拍手して、あ、明日の仕事が増えるんだ。どんなに書類をやっつけたって、拍手はもらえない。赤の他人が頑張りましたという書類にサインをもらうためだけに、怒られながら建物の中を走り回るだけだ。
 夜空は街の光で明るい。遠い遠い空は真っ黒なのに、川と同じ色なのに。
 このまま真っ暗な川に飲み込まれたら、どんな気持ちだろうか。
 錆びた柵にもたれかかって、そんな考えさえ過ぎった。今日は寒いからきっと川の中も冷たい。冷たいのは嫌だな。溺れるのも嫌だ。でも、明日また仕事に行くのはもっと、嫌だ。

 そんなふうに柵にぎっちりと体重をかけて寄りかかっていたら、柵が、折れた。
 ……えっ、折れた。

 錆びた柵は予想以上に弱くなっていたらしい。体を起こす暇もなく、頭から川へ、真っ暗な川へ向かった。きっと冷たい。その前に水面は痛い。ここから水面までは何mだろうか、叩きつけられたら苦しくて、浮かび上がることなんてできずに、沈んでいくんだ。
 一瞬の出来事だった。こんなところで終わるんだとなく暇もないくらいに、けれど予想したことは一切起こらずに、ふわりと体は浮いていたのだ。何で?
 怖くてぎゅっと閉じていた瞼を開くと、目の前で川の水が走っていくのが見えた。……飛んでる。水面スレスレを。えっ、飛んでる。えっ。

「大きくなったと思ったけど、軽いねえ」

 やわらかな声がした。聞き覚えのあるような、ないような。背中から聞こえたその声は、どうやらオルーニィを飛ばしている張本人だったらしい。

「驚いた? 飛びたそうにしていたから」
「えっ、えっ?」
「もっと高くまで行こうか」
「えっえっ、うわあーっ!!」

 ぐいっと高度が上がりどんどん街が小さくなっていく。被っていた帽子がさようならする。どんなに高く登っても月は遠いままだけど、雲が近くに迫ってきて身震いした。
 街の光は消えることがない。だけど、さっきまであんなにあった孤独感はどこかへ吹っ飛んだ。

「いい眺めでしょ、わたしはここが好きなの。みんな一生懸命に生きていてすてきだね」
「へ!? ここ!? こんな高いところに!?」
「あれ? 昔連れてきたことなかったっけ?」
「知らないけど!? ていうか誰!?」
「あっそうか、今は見えないか。うーん。そうだ」

 マスターには内緒ね、そう言うと誰かは、オルーニィの背中を撫でたらしい。服越しに伝わる温かさに一瞬じわりと溶かされて、……がくんと落ちた。えっ、落ちた。

「羽! 広げて!」
「は!?」
「羽! 羽!」
「はぁ!?」

 羽? オルーニィにそんなものは生えてない。生えて……生えてる。生えてる。えっ生えてる。羽ばたく? どうやって? 動かしたことない。背中? 手も一緒にバタバタ振った。違う。羽羽。羽を広げて、川に落ちないように、羽、羽を!

 オルーニィは飛んだ。

 冷たい空気が顔に正面から当たってくる。顔が凍る。寒い。
 けれど、自由だった。
 感じたことのないくらい体が軽い。だんだん調子に乗ってきて、上がってみたり、下がってみたり、川まで降りて水面ギリギリを攻めてみたり、やりたい放題してみた。重苦しさはもうない。僕が悪いって? 馬鹿じゃねーの。悪いのはあいつの頭だよ。あいつはこんなふうに飛べやしない。あいつらは何もできやしない!
 振り向くと、そのひとは、心底嬉しそうに、微笑んでオルーニィを見ていた。

「元気になってよかった」
「あ、あの……あなたは……?」
「あれ? あ、そうか。話したことはなかったね」
「僕を、ご存知で?」
「いつも見ていたよ。昔から」

 小さい頃は嫌いなものが多かったけど、頑張って食べられるようになったね。
 サッカーの試合、頑張っていたね。
 いい学校に入れるように、勉強を頑張っていたよね。
 バイトも頑張っていたね。
 最近は仕事を頑張りすぎていて、心配だったんだ。

「ずっとずっと、頑張っていたね」

 赤い月を背にそのひとは、大きな翅を広げている。オルーニィの背中に生えた翼とは違うが、薄いそれは月明かりと星明りを透かして、ステンドグラスのようにまばゆい。
 ああ、なんておろかだったのだろう。この世に自分がひとりでいる気分になるなんて。こんなにも美しいひとが、すべて見ていてくれていたではないか。

「あの、あなたは」
「あ、そろそろ行かなきゃ。君も、あまり遅くならないうちに帰るんだよ」
「ま、まって」

 そのひとはあっさりと飛び去ってしまう。オルーニィは手を伸ばしたが、夜の冷たい空気を掻き回したころには、はるか遠くへ見えなくなっていた。

 まって、まって、
 まだお礼も言ってない。

 * * *

 治安維持組織のパワー・ハラスメントが公表されると、各界隈はこぞって批判し、やれ警察はこれだから、権力組織など信用できない、やんややんやとあることないこと楽しそうに悪口を言い、酒のつまみにした。オルーニィといえば、録音データと勤務記録と医師の診断書を労働管理局に然るべき手順で提出し、捜査が入る頃には、制服からローブに着替えていた。
 元上司がどうなったかは知らない。公務員だ。懲戒免職くらいになっていたら楽しいと思う。先輩も同僚もそうだ。オルーニィに悪いことをした者はすべて、悪いことになっていればよい。

「本日も恵みと慈愛に感謝します。よい1日を」
「はい、よい1日を」

 教団にも馬鹿はいる。若いオルーニィよりも信仰心は勝ると豪語する者が多い。しかし、この翼を見せればみんな黙った。あとなんかどういうわけだか分身もできるようになった。きっと忙しくてひとりじゃ足りないと嘆いていたことも、見ていたのだろう。
 直接お目にかかったことのある者は上層でもごくわずかだと聞いた。なら、オルーニィにはどうあっても叶わない。空を飛び、祝福を授かったのだ。選ばれたのはオルーニィであり、からっぽな祈りを捧げるふりしかしない爺など、足元にも及ばない。
 きっと今も見ているはず。生まれ変わったこの姿を。正しく生き、正しくあれば、また現れてくれるに違いないのだ。
 そのときこそお礼を言おう。曇っていた魂を磨いてくれたあなた、翼を与え自由にしてくれたあなた、非力な体に力を与えてくれたあなたに。
 分身を伴って教会を出る。今日もこの街は騒がしく、迷える憐れな人々であふれかえっていた。



(信じればそれは祝福である)