自分で言うのもなんだが、鉢屋三郎は忍術学園に入学したばかりの一年時から成績は優秀だった。投物でも打物でもクラスの中で敵う者はいなかったし、何より当時から得意としていた変装の術で人を欺くのも上手かった。
逆に明確な欠点はというと間違いなく向こうっ気の強さだった。当時は同級生だけでなく上級生にまで対抗心を燃やし、今となっては畏れ多いことに教えを乞う身でありながら担任の先生にまで生意気な態度をとることすらあった。毎日顔を変え、変装で周囲を揶揄っては喧嘩じみた騒動を起こすことも頻繁にあり、それを先生に叱られるたびにそっぽを向いて不満を訴えた。
そんなことをしていたせいで起こるべくして起きた事件があった。
クラスメイトの私物が失せて、その犯人が三郎だと決めつけられたのだ。後日、長屋で遊んだ際に別のクラスの同級生が誤って持ち去ったと判明したわけだが、当日学園長のおつかいで授業を抜けていた三郎が真っ先に疑われた。
やっていない、と三郎が訴える前に当時担任であった先生は人差し指を立てて、取ったものを返しなさいと言った。盗みなんて、どうしてそんなくだらないことをする必要があるのか。三郎がこれまでに変装以外でいたずらをしたことがあったか。怒りで頭が沸騰するようで、口を閉ざしたまま忍術学園を飛び出した。
子供じみた行動だった。けれどまあ、当時は一年生の忍たまだったのだからかわいいものだ。かわいいだけの子供でなかったのはその後だった。木陰の大事、――木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中。大人に見つかるまで膝を抱えて裏山にでも隠れていれば良かったものを、座学においても優秀であった三郎は先生の教えに従った。最初は近場の町に出て雑踏に紛れ、子供にもできる仕事を探して日銭を稼ぎつつひとつ所に留まらず町から町へ移動を続けた。まだ一年生の忍たまが、たかが家出で片道に数日かかる先の町まで逃げおおせていたとは先生も思わなかったのだろう。しかも三郎には変装の術があった。町で見かけた知らない子供の顔に変装していれば忍術学園の人間とすれ違っても気付かれることはなかった。
もう二度と戻ってなどやるものか。先生が三郎を探していることには気付いていたが、意地を張って逃走を続けた。しかしさすがに長丁場の旅に体力にも気力にも限界が近づいているのが分かり、知らず知らず忍術学園の近隣の町へ移動をしていたようだった。
そんなとき、町へ続く林の道で同級生の不破雷蔵がひとりで歩いているのを見かけた。休みの外出だったのだろう、手には行きつけの団子屋で買ったと思われる見慣れた包みを抱えていた。
ちょうど良い。あのお人好しから手土産を頂戴してやろう。手持ちの銭は底をつきかけていた。甘味は学園を飛び出してから一度も口にしていない。
顔を同じろ組の竹谷八左ヱ門のものに張り替えて、三郎は雷蔵に声を掛けた。
「雷蔵、いま帰りか?」
「やあ、八左ヱ門。そうだよ」
わざとらしく包みに視線をやると、予想通りに雷蔵は微笑んだ。
「この先の町で買ったのか?」
「うん、草餅なんだ。よかったらいま一緒に食べよう」
三郎が感謝を述べて頷くと、包みを開いてこちらへ差し出してくる。遠慮せずに四つ並んだうちのひとつを摘んで口元へ運んだ。一口齧るとあんが口の中で広がる。呑気に味わっていると雷蔵がきょとんとした表情でこちらを見ていることに気付いた。
「もしかして三郎?」
三郎ははっとして己の迂闊を呪った。本物の八左ヱ門ならこんな小さな草餅など、一息で口の中へ丸ごと放ってしまう。そればかりでなく、たまの一日の休日に町へ出てきたにしては今の三郎は土埃や泥で汚れ過ぎている。よくよく考えれば分かりきったことだった。
「すっかり泥だらけじゃないか。どこまで行っていたんだ?」
生真面目で優等生な彼のことだ、てっきり小言を言われると思ったが、意外にも雷蔵は呆れたように声を上げて笑った。それから肩に背負った小ぶりの籠を見せてくる。中身は二尾の鮎だった。
「今日は釣りをしてきたんだ。帰ったら塩焼きにしてあげるよ。みんなには内緒だよ」
口元に人差し指をあててにっこりと微笑んだ。
三郎はすっかり毒気を抜かれて、気付けばこくりと頷いていた。
本人にそんなつもりはなかったのだろうが、雷蔵の楽車の術にあっさりと引っかかり、三郎は長きに及んだ逃走を終えて忍術学園へ帰還した。まるで昨日も会ったかのように普段と変わらない雷蔵との会話で、学園での生活が恋しくなったことは否定できなかった。
八左ヱ門の姿のまま長屋へ戻り風呂に入ってから庭で雷蔵と鮎を焼いた。変装を雷蔵の顔に変えて食堂で並んで食っていたところで、初めて三郎が戻ったことに気付いた大人たちが血相を変えて駆けつけてきた。
盗みを働いたと思われていたことについては三郎が家出をしていた間に誤解が解けていたらしく、担任の先生はすまなかったと真っ先に詫びた。それから涙を流して無事でよかったと優しく抱きしめられて、さすがの三郎もしでかしたことの重大さに気付き反省をした。学園の先生総出で捜索をされ、実家にまで連絡がいっていたらしく、後に各方面からしこたま叱られた。最初に失せ物を訴えた同級生には疑ってごめんと大泣きされた。その目の下にはひどい隈ができていた。
大勢の人間が三郎を心配して夜も眠れず過ごしていたなんて、当時は想像もしていなかった。三郎の向こうっ気が落ち着いたのはその事件がきっかけだった。先生もクラスメイトも上級生も、競いあう相手である以上に愛すべき仲間なのだと知ったからだ。
そしてなにより、食堂中が三郎の帰還で大騒ぎとなっている中、こちらを眺めてにこにこと嬉しそうに微笑んだまま箸を止めずに鮎を頬張っている不破雷蔵を見て、こいつは大物だと大いに認識を改めたのだった。
***
雷蔵は三郎が顔を借りても怒らない。二人でいる時はおろか雷蔵のいない間に彼の顔で過ごしていても「また勝手に人の顔を使って」と呆れたように苦笑して、それだけだ。
人を驚かせるのは好きだが小言を言われたり渋い顔をされるのは好きではない。自然と雷蔵に変装する時間は増えていった。変装で周囲をからかいすぎて誰かに嗜められた後には雷蔵の顔に戻るようになった。
まるで三郎が忍術学園での生活を心地よく過ごすために天から与えられたような存在だった。忍者にとっては欠点である悩み癖も三郎にとっては非常に都合が良かった。彼がううんと唸りながら思考に没頭している間は不躾にじっと見つめていても咎められない。眉毛の形から睫毛の一本までつぶさに好きなだけ観察をすることができる。
三郎が雷蔵の姿で過ごすことによって当の本人たちには特に変化を与えなかったが、周囲はそうではなかった。授業や実習、おつかいなどで「鉢屋と不破」は理由のない限り一緒くたで扱われるようになったのだ。これも考えてみれば自然な成り行きといえる。同じ見た目の忍たま二人、まとめておけば指示を出す方から見てどちらがどちらなのか考える手間が省ける。そのことについて三郎の方に不満はなかったし、雷蔵も気にした様子はなかった。
この時点ではまだ三郎にとって雷蔵はあくまで同級生のうちのひとりだった。この後、どうにも引き返せない坂道を転がり落ちていくことになる訳だが、おそらく最初の契機はクラス内で行った演習で、お互いの腕に巻いた手拭いを奪い合った時だろう。
裏山の決められた範囲の中、三郎は一番に高所から周囲を見回せる最も有利な場所を取った。道中油断をしていたクラスメイトから二枚の手拭いを奪っていた。あともう二、三枚、ここから索敵をしてちょうど良い相手を探して奪えばいつも通りにクラス内で一位を取れる。
さっそく麓の林の中にこちらの様子を伺いながら動く影が見えた。投石紐を持っているのか、こちらへ石が飛んでくるが投擲武器で高所にいる相手を倒すのは難しい。三郎は演習用に鏃を抜いた矢を弓につがえて素早く放つ。
移動する瞬間にちらりと葉の影から覗いた後ろ髪で相手が不破雷蔵だと分かり、知らず口角が上がった。たとえ普段から顔を借りている相手でも勝負の場では手を抜くわけにはいかない。
再び狙いを定めて弦を引く。雷蔵の動きを追うのに集中していたせいで、左右から近付く人影に気付くのが遅れた。最初に一人が左から飛び出してきて三郎の手拭いが巻かれた腕へ手を伸ばす。それをかわして後ろに飛び退くと、今度は背後から縄紐を足に掛けられて体勢を崩した。二人が一斉に飛びかかってきたのを見て崖下へ逃れようと身体を捻った先、見計らったように竹谷八左ヱ門が待ち構えていて胴へ強かに体当たりを食らう。
多勢に無勢であっさりと手拭いを奪われて、三郎は尻餅をついた。
「やった! 三郎の手拭いを取った!」
八左ヱ門が弾んだ声を上げて跳ね回り、三人は肩を叩き合ってお互いを労っている。三郎は大いに不満であった。
「お前たち、なんで結託してるんだっ! これは個人戦だろう」
「雷蔵に声掛けられたんだよ。自分が囮になって気を引くから、三郎の手拭いを狙ってくれって」
「なんだって?」
雷蔵に合図を送ろう、そう言って和気藹々と揃って小走りで麓の見える場所へ移動する。
「よし。手筈通り、五十数えたらお互い敵同士だからな」
崖下へ大きく手を振って、三人はすぐに別々の方向へ散っていった。文句を言う先を失った三郎は、膨れっ面のままその場にしばらく座り込んでいた。
演習場内の空き地へ向かうと、同じく手拭いを奪われて敗退した同級生たちが幾人か集まっていた。しばらくすると誰かと取っ組み合いでもしたのか普段からあまり纏まりのない髪を盛大に崩した雷蔵がやってきた。
「やあ、三郎。八左ヱ門たちがうまくやったみたいだね」
悪びれた様子もなくそう声を掛けられて、三郎は思い切り頬を膨らませる。雷蔵はちょこんと三郎の隣に腰を下ろした。
「雷蔵、きみ、いつから根回しをしていたんだ?」
「演習がはじまってからだよ。いつも三郎の一人勝ちじゃあつまらないと思って。――怒った?」
首を傾げてこちらを伺う。演習は事前に言い渡されておらず今日初めて内容を知らされた。雷蔵は開始の合図の後に八左ヱ門たちに声を掛けたのだ。
天の時よりも地の利、地の利よりも人の和。どんなに術を上手く使えてもこの人徳には敵わない。お互いに腕に手拭いを巻いた状態で三郎が話しかけたところで、一体何人の同級生が耳を傾けてくれるだろう。
「負けたのは私の鍛錬不足だ。怒ってはいないよ」
「でも拗ねてるじゃないか」
尖らせた三郎の唇を指差す。そう、拗ねてはいた。
「私だって雷蔵に声を掛けてほしかった」
「うん?」
身体ひとつぶん距離を詰めて雷蔵の顔を覗き込む。自分でも不思議だったが雷蔵に対しての怒りは少しもなかった。雷蔵の手拭いは誰かに奪われてしまったようだが、三郎の手拭いを奪ったのは雷蔵の手柄だ。彼が成果を上げるのは嬉しい。だから八左ヱ門たちが羨ましかった。
「次は私と手を組もう」
「三郎を倒すのに三郎と手を組んでどうするんだよ」
「そうじゃなくて、今度は二人で全員の手拭いを残らず奪ってやるんだ」
「ええー?」
困ったように笑って、それから悩んだ後に「クラス対抗の行事なら良いよ」と言った。忍術学園には学年対抗、クラス対抗の似たような野戦演習の機会がいくらでもある。
「分かった。約束だからな」
やや強引に小指を絡めた。満足感で溢れかえっていた。
この時点でもう少し自分の気持ちに疑問を持っていればよかったのだろうが、ずっと後になって気付いた頃には遅かった。
演習で一番を取るのはいつも気分が良いが、二人一緒だとなお嬉しかった。雷蔵と作戦を練って少し背伸びした挑戦をした後は成功しても失敗しても楽しい。稀に三郎が夢中になって飛ばしすぎた時にも、気付いて振り返ると雷蔵は振り落とされずについてきていて、その優秀さが嬉しい。三郎と違って慎重な彼に無茶をするなと叱られることもある。それすら心地が良かった。
気が付けば朝目が覚めてから夜眠りにつくまで、雷蔵と一緒にいない時間は日増しに少なくなっていった。
変装の術にも言えることだったが自分は一度執着するとひどい。いつまでも子供のままであったら微笑ましい友情で済んだのだが、成長して思春期に差し掛かったあたりで三郎の執着は一挙によくない方向へと性質を変えていった。
自覚した頃には、もうすっかり手遅れだった。
***
天から与えられたと思っていたものは、実は厄災だったのかもしれないと今になって考える。
忍者の三禁、酒、欲、――そして色。一人前の忍者なら情をかけて判断を誤ることなく、任務のために時には友達ですら切り捨てなくてはならない。もしこの先で雷蔵と使命とを秤にかけなければならない場面が訪れたとき、冷静な判断を下せる自信がなかった。おそらく雷蔵と出会わなかったほうが三郎は優秀な忍者になれたのだろう。
そうは思うが出会ってしまったものはもう仕方がない。三郎を堕落させた張本人は、今は同じ長屋の自室で苦笑を浮かべてこちらを見下ろしている。
「そろそろ機嫌をなおして自分の布団に戻っておくれよ。仕方ないじゃないか、お前は委員会の仕事があったんだから」
そう言われて、就寝のために敷かれた雷蔵の布団に寝転がったままそっぽを向く。三郎を置いて竹谷八左ヱ門と久々知兵助と三人で町へ出掛けて遊んできたなどと言うから、全力で不服を訴えている最中だった。
そろそろ床につきたい雷蔵が駄々をこねる三郎をなんとか宥めすかして自分の布団へ戻らせようと優しい声で語りかける。一年生の頃の自分がこの場にいたら失望のあまり涙を流しただろう。
「八左ヱ門と兵助と団子を食べに行っただけだぞ。次の休みにだって遊べるじゃないか」
「そういうことじゃない。自慢じゃないが私は一年生が相手だって嫉妬するんだ。これを機によく心得ておくんだな」
「本当に自慢にならないよ。そこは流石に大人になって欲しいよ」
半分は本気だったが、もう半分は昼間に一緒にいられなかった分、雷蔵に構って欲しくて拗ねたふりをしているだけだった。雷蔵もそれをよく分かっているから、眉を下げながら可笑しそうに笑っている。雷蔵の肩が揺れるたび、同じ水面に揺られるようにこちらまで幸福な気持ちになる。
ひとしきり笑った後、微笑んで言い聞かせるように雷蔵がゆっくりと語り始めた。普段と違う、囁くような口調に改まった話なのだと察する。
「三郎がそうやって特別扱いしてくれるのは嬉しいけど、ぼくは例えば、この大福のうちのひとつみたいなものなんだよ。三郎が欲しいと手を挙げたら誰だって譲ってくれるから、そんなにむきになったりしなくてもいいんだ」
土産にと雷蔵が買ってきてくれた大福が二つ、机の上に置かれている。美味いが白く丸く取り立てた特徴もない菓子だった。
「もし自分が凡百な人間だと言いたいならそれは間違いだよ。君はこの世にたったひとつしかない特別な大福だ」
「うーん……、伝え方が悪かったよ。ぼくが言いたかったのはそうじゃなくて」
言葉を探して少しの間首を傾げる。それから大福を指差して優しく微笑んだ。
「この大福はとっくに三郎のものだから、そんなに大袈裟に抱え込まなくても大丈夫ってことだよ」
一瞬で全身を巡る血流が沸騰したようにかっと熱くなり、それからすぐに冷静になって目の前が昏くなる。嬉しい言葉をくれるのは雷蔵が三郎のことを信用しているからだ。
「雷蔵は、おれの薄汚い望みを知らないから……」
だから無防備にそんなことが言えるんだ。例えばその露わになっている手首を掴んで、今ここで同じ褥に引き摺り込んで、目の前の暖かい体温に耽溺したい。寝巻きの合わせ目に手を差し込んで、あらぬところまで触れるのを許されたい。こんなのは友達に抱く感情じゃない。
――そろそろ雷蔵を寝かせてやらないと。半身を起こして立ちあがろうと膝を立てると、雷蔵がすぐ側まで寄って三郎の手に手を重ねた。驚いて顔を上げる。
「ぼくはお前の望みを知っていると思うよ」
間近に迫った丸い瞳が真っ直ぐに三郎を射抜く。どこか緊張したように、目尻が薄らと赤く色付いている。薄く開かれた唇を差し出すように顔を上向けて、それから呼吸すら届く距離で雷蔵は目蓋を伏せた。
何を与えられているのかを悟って、まるで雷に打たれたように頭の中が真っ白になった。
心臓が暴れ狂う。呼吸すらままならなくなって、後先など少しも考えられずに誘われるまま顔を傾けて唇を寄せた。
天から与えられた僥倖が、直上で閃っている。
全身が焼け焦げて骨まで塵になっても構わなかった。
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