遊音。(ゆね)
2026-03-19 23:59:07
6729文字
Public 約束シリーズ。
 

やくそく。

tgkbでリハビリ中の話。少しシリアスです。

トガシの本格的なリハビリが始まって暫く経った。昨年の日本陸上後に手術してから徐々に回復させていったが、ここからが本番である。コーチ業を担いながらのリハビリだったが、逆に無理しすぎなくていいかも、とトガシは笑っていた。だが、気づくとトガシは黙っていることが増えた。カバキと一緒にいても、どこか虚空を見つめてぼーっとしていることも多い。カバキはそういう時、何も言わなかった。さらに言えばそういうタイミングがカバキは好きだった。いくら見つめていても何も言われないので、ずっと側で見つめていられるからだ。一重だけど意外と目が大きんだよな、とか。こんなところにホクロがあるんだな、とか。たまに意識が戻ってきたかと思うと「ごめん、ぼーっとしてた」としか言わないので、カバキも「別に、謝らなくていいですよ」とだけいって少し微笑んだ。
本格的なジョギングや筋力トレーニングができるようになったし、徐々に筋肉の左右差も回復しつつあるようである。だが去年の最盛期にまで戻すのは大変だろう。トガシはカバキに相談などはもとめてこない。それがわかるのでカバキも何もいわなかった。医者にも定期的に通っているし、クサシノ専任のトレーナーがついてリハビリ指導をしている。自分が何か言うような場面ではなく、トガシが自分で向き合わないといけない時であるとわかっている。
だから、あえてカバキは気にしないようにしていた。まもなくシーズンが始まる。自分の調整も必要なのでそちらに意識がいっていたということもあったかもしれない。だから、気づくのが遅くなった。
「えっ……契約更新してない?」
「そうなんですよぉ」
カバキは人事の担当者との雑談の中で「そういえばトガシさんは契約保留なんですよね」と言われて初めて、トガシが契約更新してないことを知った。
「コーチ業務の方はかなり高評価でして、こちらとしては怪我が心配であればコーチ業務での契約継続を、というのも提案したんですけど、まずは自分が選手として再開できるか知りたいということで。コーチ業務の方は契約終了。選手契約の方も、こちらからは提案したんですよ。何しろ去年の日陸上位者ですからね。でも日陸参加の権利ができるまで待ってほしい、ということで」
人事担当者は黒ぶち眼鏡をいじりながら、ストイックですよねぇ、と笑う。適当な返事をしながら人事と別れたカバキは、小さくため息をついた。別に相談して欲しかったわけではない。そういうことをしないのもトガシだな、とカバキは納得する。だとしても――
「報告くらいしてもいいやろ……
トガシの決定に何か言うつもりは毛頭ない。だが、同じ企業に所属している恋人に、一言くらいあっても良かったのでは、と思ってしまう。
――それも、欲張りなんかな……
トガシがどういう人間か知って付き合っているつもりだが、もっと近い場所にいると思っていたのは自分だけなのだろうか。もう半年ほど付き合っているが、トガシにとって自分がどんな存在なのかいまいち見えない。カバキは小さくため息をついて、練習へと向かった。見かけたら直接聞けばいい。だが、練習場にトガシは現れなかった。


既読無視が増えてきた。
LINEを送っても無視されることが増えた。たまに、思い出したように返事をくれることもある。電話は出てくれない。デートもほとんどしなくなった。以前なら練習場などで会えるので気にしなかったが、契約更新していないトガシの姿は当たり前にない。
今までは気になったり、もやもやしたことがあれば直接聞くことができた。自宅までの帰り道、カバキは温くなった夜風を頬に感じながら歩いている。考えるのはトガシのことばかり。自宅近くの児童公園に差し掛かったところで立ち止まった。この公園で告白させられたのがだいぶ遠い日のように感じる。『会いたい』と言われたあの日、いまのように付き合うことになるとは微塵も思っていなかった。なんとはなしに、カバキは公園に向かって歩き出す。あの時と同じく夜の公園には人影がない。入口から暫く歩いたところで、驚いて再び立ち止まることになった。ブランコに座って膝の上で手を組み、地面を見つめているのは間違いなくずっと頭の中を占めている人だった。カバキはゆっくりと近づく。
……なにしてるんですか、トガシさん」
トガシが、ブランコに座ったままゆっくりと顔を持ち上げて、カバキを見て微笑んだ。少し顔に陰りが見えるのは夜のせいか、それとも何かあったのか。
「すごいや……カバキくんに会えたらいいなぁって思ってたんだ」
……いつからここにいたんですか?」
……4時くらい、かなぁ」
公園の時計を見上げてトガシが言う。3時間ほどたっている。Tシャツにチノパンというリラックスした雰囲気だ。鞄も持っていない。
「連絡してくれたらいいのに」
「うん……でも、思ってただけでカバキくんきてくれたし」
さすが、と笑うトガシに、カバキはツキンと胸が痛む。最近は連絡が取れなくて会えていなかった。もしかして、今日以外にも居たことがあるのだろうか。
……いま、どこで練習してるんですか?」
「んー色々。今日ね、やっとこの数か月の中で最高記録でたんだけどさ……何秒だと思う?」
苦笑しながら伝えてくれた結果にカバキは思わず目を瞠る。トガシの中学時代の成績にも及ばない。
「いやー、まずいよね……もうすぐシーズン始まるのにね……
なんでもないことのように笑っているが、焦っているようでもない。かといって諦めているようでもない。以前のように右肩下がりでへらついていたトガシとも違う。だがガンギマリしていた吹っ切れさとも違う。
「現実を知らないと現実から逃げられない。とはいえ、毎日突き付けられる現実はなかなかきついよね」
ははっと笑ってトガシはブランコから立ち上がる。ブランコのチェーンがきしむ音を立てる。
「ねぇ、トガシさん」
「なに?」
「こんなところで待ち続けるくらい、俺に会いたかったんですか?」
……そう、かな」
「それなのに連絡できなかったんですか?」
苦笑したトガシが視線を逸らす。いつもまっすぐな言葉しか出さない人だから、ごまかすのが下手だ。
「ね、トガシさん」
呼びかけると視線を戻してくれる。いつもの真っすぐさのない瞳がカバキをぼんやりと映す。
「セックスしましょ」
カバキがそう言うと、トガシは僅かに唇を開いて目を瞠る。
「俺と、ガチで。セックスしましょう」
暫く面食らっていたトガシは、少し声を上げて笑うと、左手で後ろ首を撫でた。
「ほんと、カバキくんにはかなわないなぁ……ガチで、か」
「はい、ガチで」
カバキがそう言って微笑むと、歩み寄ってきたトガシに抱きしめられる。カバキの肩にトガシが顔をうずめて来たかと思うと、背中にまわったトガシの腕に痛いほど強く抱きしめられる。
「ねぇ、カバキく……
「トガシさん」
カバキはトガシの言葉を遮ってその右耳に「こっち見て」と囁く。トガシは顔を僅かに持ち上げる。視線が合うとトガシの目が潤んでいた。
「好きですよ」
カバキはトガシの頬を両手で包んで、鼻が触れ合うほどの至近距離で目をあわせる。
「ずっと好きですよ、トガシさん」
唇を重ねると、待ちきれなかった子供のようにトガシに貪られた。


こんなに求められていたのかと、カバキは嬉しくなった。今までにないくらい、激しく求められた。
何度も何度も名前を呼ばれた。
それはカバキが望んでいたことで、たまらなく嬉しかった。でも、同時に怖くなった。
――この人は……
無意識に考えないようにしていた事に気づいて、カバキは覚悟を決めた。


「カバキくんってさ、俺の中学無敗時代にあこがれてたんでしょ?」
トガシの左腕を枕にしているカバキの頬を、空いた右手で撫でなれる。まだお互いに汗ばんでいる。頬を撫でていたトガシの右手が耳の上の髪を撫ぜたので一瞬涼しさを感じた。
カバキの家のベッドで二人寝そべると、狭いシングルベッド、ほとんど抱き合うような状態だった。
「最初はそうですね。全中、実際に見に行ったこともありますよ。親にせがんで。名古屋まで連れてってもらいました」
「ほんとに?そっかー、名古屋のときにきてたのか」
会いたかったなぁ、と笑うトガシに、カバキは小さく苦笑する。
「声かけられそうな雰囲気じゃなかったですけど?」
「そうかな?まぁ、確かにあまりいいメンタルじゃなかったしね」
トガシはカバキの少し濡れた髪を梳くように撫で続ける。カバキが手を置いているトガシの腰もまだ少し汗ばんでいる。
「そのあとも憧れてくれたの?高校はひどかったよ」
「ひどいって、毎年優勝争いじゃないですか。憧れてましたよ」
……なんで?」
信じてない、と言外に含めた声を出す。この人は本当に周りが見えてない人だな、とカバキは思う。トガシの足のすき間に自分の足を絡めた。
「走り続けてたから。1位じゃなくなっても。あの頃のトガシさん、辛そうでしたけど、でも楽しそうでした」
「そうだね、高校はそれなりに楽しくもあったかな……普通になっちゃったな、って思ったよ」
「インハイ常連のどこが普通なんですか」
小さく声をあげてトガシは笑うと「学生時代無敗のカバキくんにはわかりませんよ」と少し茶化すように言われる。
「俺のこと、いつから好きだったの?」
髪をなでるのをやめたトガシの手がすっと降りてきて首筋を撫でられる。優しくて心地よいトガシの手がカバキは好きだ。
「覚えてないですね。気づいたら」
「クサシノ入ってから?」
「たぶん?でももっと前から好きだったのかもしれません」
何かきっかけがあったかというとそういうわけではない。気づいたら好きだった。今でもまだ、この関係が信じられない時があるくらいには、トガシは自分の中で大きな存在だった。素肌で触れ合う距離にいることが夢なんじゃないかと時折思う。
「カバキくんってさ、おれが心ここにあらずになっても気にしないでくれるよね。なんで?」
自覚はあったらしい。カバキは苦笑しながら本心を伝える。
「なんでってあぁトガシさんぽいなぁと思うだけですけど。自分の世界に入ってんだなって」
「気にならない?」
「なんか言われてたんですか?話聞いてんの?とか?」
少し冗談めかして言うと、トガシが頷く。
「まぁ、そんな感じ。わたしのことみてないでしょ、みたいな」
「はは、言われてそう」
こんなに陸上一筋の人を好きになった過去の女性たちを少し憐れむ。そして同時に確信する。この人に見合うのは自分くらいだな、と自惚れてもいいだろうとカバキは思う。
「俺、筋金いりなんで。トガシさんの。俺をみてないトガシさんも好きです」
「どういうこと?」
「気づいてませんでした?ずっと顔見つめたり、ホクロみつけたりしてました」
「え、なにそれ怖い……
カバキの首を撫でていたトガシの手が止まるので、その手をつかむ。
「だから言ってるでしょ。甘く見ないでください、俺のトガシさんへの想い」
カバキは掴んだトガシの手の平にキスをする。トガシの顔が少し紅潮した。
「それって……すごいな。俺、結構情けないところも見せてない?」
「知ってます、それも好きです。会社の人にヘラへらしてるところも好きですよ」
「なんで?」
「可愛いから」
トガシの手を離して、カバキはトガシの顎の輪郭をそっと撫でた。
「どんな俺でもすきなの?」
目を僅かに細めてトガシが聞く。言葉と違って静かな響きがこもる。
「好きですよ」
何度言っても届いていない気がする。カバキはそれでもトガシを見つめながら伝える。伝わらないなら、伝わるまで言えばいい。
「一番好きな俺は?」
「走ってるトガシさんですね、断然」
その言葉に、トガシの顔が少し曇る。
「ねぇ、トガシさん」
カバキは上体を起こすと、トガシに覆いかぶさるようにして、見下ろした。
「俺が支えます、とか。きっと大丈夫です、とか。走ってても走ってなくてもいい、とか恋人なら言うんでしょうけど――これほどトガシさんのこと好きな、俺だから言います」
トガシの視線をしっかり受け止めながらカバキは伝える。
「トガシさんから、陸上とったら何ものこらないでしょ」
トガシの目が僅かに見開かれた。
「俺も、残らないでしょ」
カバキはトガシの左頬を右手で撫でる。
「だから、あえていいます――走ってください」
トガシは黙ってカバキの言葉に耳を傾けてくれている。
「死ぬ気で練習して、戻ってきてください。俺はずっとあなたのこと好きです。走り続けても、走れなくなっても好きですよ。でも、それじゃアンタだめでしょ」
カバキは薄く笑う。
「今のトガシさんは、まだ何も納得してないでしょ。まだ、本気出してないでしょ。俺より陸上が大事でしょ。このまま諦めたら、陸上だけじゃなくて俺との繋がりもなくなっちゃうでしょ」
トガシは陸上を通して世界と繋がる人だから。トガシが納得する形で陸上から離れるならいいが、今はそうではない。そしてカバキは、トガシを助けるのは自分ではないと痛いほど分かってしまった。トガシを復活させるのは、トガシだけなのだ。
「まだ、勝ちたいでしょ、トガシさん」
その言葉にトガシは一瞬強く目を閉じて開いた。先ほどまでなかった力強さを感じる。
「ねぇ、カバキくん」
頬を撫でていたカバキの手を、トガシが握る。
「約束して、絶対好きでいるって」
「何度も約束してますよ」
カバキが微笑むと、トガシも安心したように微笑む。
「俺のために死ねる?」
「それは無理ですね」
きっぱり断ると、トガシは声をあげて笑った。
「それはだめなんだ。じゃあ、一位は譲ってくれる?」
「絶対だめですね」
やっぱりだめかぁ、とトガシはわざとらしく目元を手で覆った。
「でも好きですよ。約束します、ずっと好きです」
一度も返ってきたことがない言葉を、カバキはずっとトガシに伝える。
「トガシさんが嫌がっても、ずっと好きです」
「カバキくんは、つよいね」
手を外してまっすぐ見上げてくるトガシは、どこか吹っ切れたようにさっぱりした顔をしていた。
「かっこよくて、まっすぐで、最高だよ。ほんと、ダメだよ、俺なんか好きになっちゃってかわいそう……
「そうです、俺は一途でカッコいいんですよ。覚悟してください。責任取りますから」
「約束だよ、カバキくん」
「大丈夫ですよ。ずっとずっと、好きです、トガシさん」
引き寄せられると、カバキは黙ってトガシに抱き着いた。


目が覚めると、トガシはもういなかった。一人で起きたベッドはやけに冷たかった。
カバキはベッドから出ると、机に紙切れが残してあることに気づく。
「走るよ」
カバキははっとしてベッド脇においておいたスマホを取ると、トガシとのLINEや通話の履歴を探す。
「はっ、徹底的やん……
ブロックされたアカウントを見て、ついで電話番号も着信拒否されていることを確認する。
おそらく自宅に行ったところで無駄だろう。
これは別れではない。トガシはカバキをふったわけでもない。
それでも、トガシは一人で行ってしまった。共感も憐憫も保護も不要だ。陸上は自分との闘いである。現実と向き合って達成を掴むのはトガシ自身だ。そこには自分など不要。そんなことは分かっている。そしてそれを後押ししたのは自分なのだ。
カバキはテーブルの上の紙切れを持って見下ろす。予想外にキレイな字が急に少し滲んだ。右目から落ちた一滴の涙だと気づいたのはしばらく見つめてから。
「トガシさん、俺はアンタのことが好きで、ずっと好きでいるって約束しましたけど――傷つかない、とは言ってないんですよ……
好きだという言葉が呪いのように澱をつくって固まっていく。
「俺もたいがいやで……
トガシがいま自分を必用としていないという事実をわかっていてなお、せめて見える範囲にくらい居てほしかった。手が届く範囲に居てほしかった。トガシがこれほど徹底的に離れるとはさすがに思っていなかった。
「約束守りますから――ちゃんと復活せぇへんかったら、しばくぞほんまに……
呟いた言葉は部屋の空気に溶けて消えた。


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ずっとtgsとkbkにはピロートークをしててほしいと思っている私です。
kbkくんは幸せにする予定です。絶対。
途中のシーンはそのうち別途書きたいです(たぶん)。