ちゆき
2026-03-19 23:30:51
2019文字
Public ワンドロ
 

夢の成れ果て

非公式スタバレワンドロ2026.03.19「セバスチャン」
セバスチャン×女牧場主
一応結婚候補のお話は「周りから見たセバスチャン」を元に全部同じ軸で書いてるんだけど圧倒的に数が足りず、それなのに最終回のつもりで書きました

 どこか遠くへ行きたかった。愛車に跨りこんな小さな町に住む誰も思いもつかぬような場所まで、この身一つで。家族も友達もすべてをこの地に置いて出て行ってやるのだと朝も夜もない地下室でひとりきり、枯らしたエネルギードリンクの空き瓶にそんな夢とも呼べない夢を詰めて眠らない夜を幾千も過ごした。
 居場所なんかどこにもない。わかっている。独学で手に職をつけて金を稼いだってそもそも出て行く勇気がないのだ。出て行けばもう二度と戻っては来られない。食卓で、母親の店先で、町中で、至るところで自分以外の家族三人を遠巻きに眺めては自分の夢を畏れた。
 そんな自分は誰の目にも映っていなかっただろうにあろうことか世界でたった一人だけ、自分と同じくらいに少し変わった人間がある日そんな地下室の扉を開けたのだ。


「セバスチャン、なにしてるの? 仕事?」
 真新しい木材の香る自室にこちらを窺う足音が響く。それと同時に穏やかな声がこの名を呼び、視線をやればつい先日妻となった女性がお疲れ様と歩み寄ってきた。
「あぁ……そんなところかな」
「そんなところってなによ」
「いや、ゲームでも作ってみようかなと思っただけさ」
「ゲーム作れるの?」
「ちょっとしたものならね」
 時刻は十九時を少し過ぎたところで彼女も牧場の仕事を終え戻ってきたばかりなのだろう。すごいねと春の香りを漂わせながら不思議そうにモニターを覗き込んでいた彼女は体を起こすとふとなにかを考えるような顔をして、冬の間に母が増築したこの部屋を見渡した。
……ねぇ、今の夢はなに?」
「夢? なんだよいきなり」
「意味はないけど……結婚したしなにか変わったのかなって」
 春が来て畑に蒔かれた作物が実るよりも少し早く、自分達は結婚した。数週間ほど前の話だ。確かにまだカーテンから溢れる朝日で目が覚めるのには慣れないし、夜も早くに眠りにつこうとすればどことなく時間がもったいないような気もする。誰にも干渉されることなく好きなことができるのもそうだし、良くも悪くも生き方は一変した。
 そんなまだ右も左もわからないさなかに突然変なことを訊ねてくるものだ。尤も彼女は真剣なようで、その理由もおそらく今朝自分がバイクをいじっていたからだ。それをすぐそばでまじまじと見ていたときと同じ顔をしている。きっと本人は気づいていないのだろうけれど。
……来週のフラワーダンスに出なくてよくなることかな」
「だめです、却下!」
「だろうな、冗談だ。今の夢はお前の稼ぎでのんびり暮らすことだよ」
「ヒモじゃん!」
……そこは主夫だと言ってもらえないか?」
「それはそうか……
「まぁ小遣いくらいは自分で稼ぐさ、お前になにも買ってやれないような情けない男にはなりたくないからね」
 むっと唇を尖らせる彼女に向けておどけるように肩を竦めてみせた。そう、彼女の稼ぎに頼らなくてもそれなりに生きていくことはできる。けれどデスクの上を見て思うのはあの頃、彼女と出会う以前のことだった。
……多分お前は勘違いしてるよ」
「え?」
 彼女へ向き直ればまだ馴染まない椅子が軋んだ。自分の居場所のひとつであったこのモニターの前は昔エネルギードリンクの空き瓶に塗れていた。灰皿には積み切らないほどの吸い殻を突き刺し、母親がそれを片づけにくることも不満に思った。
 でも今はどうか、綺麗に片付いた机の上にあるのは真新しいマグカップと新品の写真立てがひとつ。そうして吸い殻はおろか灰皿もない。きっとすぐに散らかしてしまう気もするが、夢の成れの果てが積み重なることはもうないと誓って言える。
「俺は夢を諦めたんじゃない。叶えたんだ、お前のそばで」
 お前の隣で眠って、朝は二人分のコーヒーを淹れるんだ。朝飯を食べたら畑に出るお前を俺は眺めて、たまには手伝うのもいいかもしれない。でもお前を眺めるのに気が済んだら部屋の掃除をするよ。お前がこの家にいつ帰ってきてもいいように。俺のそばへ真っ直ぐと戻ってきてくれるように。
 行き場のなさそうに宙を掴む彼女の手を取った。春の日差しをたっぷりと浴びてきたのかそれはやわらかな熱を伝える。今の夢なんて大層なものはない。そしてそれは昔も同じ、自分の欲しかったものは今も昔もなにひとつ変わってはいなかった。
「ゲーム、私も遊べる?」
……完成すればね」
「させてよ! 遊んでみたいから!」
 例えば他の人間から見たら今の自分はどう映るのだろう。そして過去の自分はどう見えていたのだろうか。別に誰にどう思われようとどうだって構わないけれど、自分の隣にいる彼女が世界中の人間から幸せそうに見えるのならばそれがいい。
 彼女の腰へ腕を回し膝の上へと抱き寄せた。早く夕飯にしようと二律背反なキスをして、唇の離れたあとにこんな間近で仕方のなさそうに笑う彼女の瞳には愛おしそうに目を細めた自分が映されていた。