むかいえ
2026-03-19 18:00:25
4275文字
Public シャアム
 

名も無き「 」

CCA和平ifのシャアム。上空で爆発する機体から飛び降りたアムロと、彼をキャッチするシャアの話。

 轟音。全身を揺さぶられる衝撃に息が詰まり、一瞬思考が飛ぶ。
 ハッと我に返った時には、灰色の煙が視界を埋め尽くし、コクピットには警報の電子音が鳴り響いていた。機体は制御を失い、重力という名の死神に引かれるように、逆しまの大地へと急降下している。
 アムロ・レイは、最後に一度だけ通信用のパネルを叩いたが、無情にも応答はない。損壊箇所を示すモニター上、脱出ポッドの射出機構は先ほどの被弾で圧壊している。コクピット内にはパラシュートの備えもあるが、現状、飛び降りたところで上空を乱舞する敵の残党に見つかるのがオチだろう。
……チッ」
 数秒で結論を出した状況は絶望的。僚機を庇ったことに悔いはないが、被弾箇所を考えればそう間をおかずに誘爆し、機体そのものが爆散するだろう。どちらにせよ飛び降りるしか道はない。迷うほど生存率は下がる。
 手早くパラシュートを背負い、ハッチの強制解放レバーを握る。じりじりと心臓の裏を焼くような危機感が迫る。もう時間がない――あるいは、ここが自分の終わりなのかもしれない。
 案外呆気なかったな、と頭の片隅で諦観が募る。一度芽を出した諦めはあっという間にレバーを握る手のひらから力を奪う。
 自嘲気味に口角を上げた……その時。
 
 ――「アムロ!」
 
 声が聞こえた。アムロを呼ぶ声が。
 丸まった背中を叩くような力強い男の声だ。脳髄を直接揺さぶる、忌々しくも頼もしい『声』が、切実にアムロの名を呼んでいる。
 それは、通信ではない。実際の耳が捉えているのは機体の駆動音と警報、爆発音、そして切迫していく自身の呼吸音だけだ。だからその声は、アムロの心に直接触れる『声』なのだ。ニュータイプという特異な感覚が引き起こす奇跡。意識そのものの触れ合いとも言える。
 その『声』の主が誰であるか、アムロは即座に理解した。この戦場に何故いるのかわからないけれど、こんなにも重っ苦しくアムロを求め続ける『声』の主など、ひとりしか知らない。
「ハッ……
 緊張に強張っていた体から力が抜ける。肺を満たしていた恐怖を吐き出せば、今度は言いようのない昂揚感が胸を満たしていく。
 ああ、あの男なら、きっと見ている。俺が今から行う狂った賭けを、理解し、そして――
 
――――受け止めろよ、シャア!」
 
 己を鼓舞するように叫び、アムロはレバーを引いてハッチを強制開放した。ガゴン!と重い音と共に、外気と爆風が容赦なくコクピットに流れ込む。
 抗う暇もなく身体が放り出され、アムロは奥歯を噛み締めた。高度数千メートルからの自由落下――暴風に揉まれ、アムロの身体はまるで捨てられた人形のように回転する。吹き荒ぶ風の音がヘルメット越しに鼓膜を突き刺す中、彼は無理やりこじ開けた目で、ただ一点を見つめた。
 閃光が走る。
 それは彗星の如き、情熱的なまでの真紅の機影。『赤い彗星』と名を馳せた男が操る、型式番号MSN-04――サザビー。
 赤き巨人は、迷いなく主武装のライフルを捨て、巨大な手のひらを差し伸べるようにして加速していた。凄まじいGの中で、機体は極限まで計算し尽くされた軌道を描く。
「アムロ!」
 オープン回線でサザビーから放たれた男の声が、今度は直接空気を震わし、明確にアムロを呼ぶ。
 指示もないのに、まるで通じ合ったように互いがどう動くべきなのかがわかった。男は――シャア・アズナブルは必ず受け止めるだろう。アムロがそう願ったように。サザビーの動きに応えるため、アムロはどうにかパラシュートを開いた。
 瞬間、背後で数秒前まで搭乗していた機体、ジェガンが爆散し、炎の華が咲く。
「ぐ、ぅ……ッ!」
 爆破の衝撃波が彼の身体を翻弄し、大きく不安定に揺れた。風に遊ばれるちっぽけな人間の身体だ。まるで四方から殴られ続けているようである。アムロは思わず呻いた。無意識のうちに閉じた瞼を、どうにかもう一度開く。
 その時、巨大な手のひらがまるで掬い上げるように彼を包み込んだ。
 全身への衝撃が一度。安定しない着地で背を打ち、肺から強制的に空気が押し出されて数秒息が止まる。それでもほとんど滞空の間を置かないまま掬い上げてその程度の衝撃で済んでいるのだから、落下速度に合わせたシャアの操縦がいかに神懸かっているのか知れる。いかにパラシュートで減速していても、本来ならば叩き付けられて死んでいるだろう。
 アムロは咳き込みながらパラシュートを外し、マニュピレーターにしがみつく。巨人の手のひらが動き、包み込んだアムロごとサザビーのコクピット近傍へと寄せられた。
……シャア」
 息を切らしながらアムロが呟くと、聞こえるはずもないのに、反応するようにサザビーのモノアイが瞬く。アムロの無事を確認したのか、素早くサザビーの頭部ハッチが開き、目立つ赤い軍服の男が身を乗り出した。パイロットスーツを着ていないことにアムロは内心驚く。まるで、性急に身一つで出撃したような……そもそもこの男がこの戦場にいること自体がおかしいけれど。
「来い、アムロ!」
……っ簡単に、言うなよ、な……!」
 全身を打ち付けた影響で身体は軋んでいる。上空の強風に攫われてしまいそうになりながら、サザビーのコクピットへと乗り移るのはなかなか至難の業だ。シャアが腕を伸ばす。真剣な青い眼差しと視線が絡んだ。
 ――まったく唐突に、そんな余裕もないのに、アムロは感慨深くなる。
 手を。
 この男が差し伸べる手を、アムロは握り返してやったことが、あっただろうか。
「アムロ!?」
「わかってる……!」
 急かす声に、明後日の方へ向かっていた思考が戻る。ハッと息を呑んで、アムロは伸ばされた腕の中へと飛び込んだ。
 アムロの腕を掴む男の手のひらは、彼が考えていたよりも大きく、高い体温をしている。ぐっと引き寄せられると、もう目の前には軍服越しにもわかる鍛えられた胸板しか見えない。
 重い機械音が聞こえた後、強風が遮断される。ハッチが閉じられ、コクピット内が静寂を取り戻したのだ。
……ッハ――……
 とりあえずの危機を脱し、深く息を吐く。結構な無茶を通したことに今更ながら冷や汗が流れた。
 被ったままのヘルメットを外したいと思って腕を上げる。しかし、そこでようやく、アムロはシャアに抱きかかえられたまま動けないことに気付いた。
……シャア?」
 名を呼べば、さらにきつく身体を抱き締められる。アムロの肩に顔を埋めるシャアの表情は見えず、何を考えているのかもわからない。
 パイロットスーツを着ていても華奢な体躯をしているアムロは、恵体であるシャアの腕の中にすっぽりと抱え込まれていた。予想以上の密着度に、何故かアムロの中に焦燥が湧く。それは、羞恥にも近かった。
「おい、シャア……
「君を、」
 離せ、と意味を込めて上げたアムロの言葉を遮るのは、低い男の声だ。
「君を撃ち落とすのは私だ」
 続けられた言葉は掠れている。
 背中に回った腕が、パイロットスーツを握り込んだ。ちょうど心臓の裏側のあたりだ。
 アムロは察して、今度は呆れたように息を吐いた。この男は怒っているのだ。下手を打てばアムロが死んでいたかもしれないという事実に。そして拗ねてもいる。アムロが僚機を庇って死にかけたことに。
「誰にも、どんな戦況にも、ましてや運命にも――君の命を譲るつもりはない。だから勝手に死ぬことなど、断じて許さない」
 ……怖がっても、いた。アムロがシャアの知らないところで、死んでいたかもしれないことに。
……死ぬなって言うなら、あなたこそ……仮にも軍のトップが、なんだって前線に来てるんだよ……
「私でなければ間に合わなかっただろう」
「それは、そうだけど……うわっ」
 シャアはアムロを抱え込んだまま、コクピットシートへと腰を下ろした。自由にならない身体でバランスを崩したアムロは、咄嗟にシャアの首に腕を回し、膝の上に乗り上げる。さらに密着度が上がったことに羞恥が増す。
 だが、男はアムロを離さない。片手でパネルを操作すると機体は戦域から脱出するように高度を上げる。
「シャア!」
「どうやら制圧は完了したらしい。帰還命令が出ている」
「そうなのか? ……いや、それよりも離してくれ」
「嫌だ」
「い、嫌だ……?」
 子供の駄々みたいな返事に呆気に取られる。
 操縦をオートモードにしたのか、離れていた片手がアムロのヘルメットに触れた。そのままごそごそと器用に外される。何にも隔てられず、間近で青い瞳と視線が絡んだ。
「君を撃ち落とすのは、私だ」
 もう一度、誓いのように繰り返される。
……私を撃ち落とすのも、君だろう?」
 だから死ぬなと、眼差しが語る。縋るようにアムロを抱きしめながら、その瞳には闘争心と微かな憎悪が宿っている。
「なんだよ、それ」
 アムロは曖昧に笑った。
 現在、紆余曲折の末に地球連邦政府と新生ネオ・ジオン軍は和平を結んでいる。しかし、両軍ともに一枚岩ではなく、この和平を受け入れられない者たちもいた。やがてそれらは過激派組織として独立し、各地でテロ行為などの問題を起こすようになり、その火消しとしてアムロの所属するロンド・ベル艦隊は奔走していたのだ。この戦場も、そのひとつである。
 今、二人がモビルスーツに乗って対峙することは叶わない。戦う理由がないからだ。アムロが設計したνガンダムも完成こそしているが、搭乗を許されていない。ニュータイプをガンダムに乗せたがらない連邦政府上層部の意向だった。だからアムロはジェガンで出撃していたのだ。
 シャアの切望するアムロとの決着も、世界が許さない。
 わかっているくせに諦めきれない男の、なんと情けない顔。――殺されるなら君がいい、なんて。
「下手な告白だな?」
 アムロは自嘲気味に、だが穏やかな笑みを浮かべてそう返した。何千もの言葉を重ねても届かなかった、二人の到達点。憎しみも殺意も、紙一重の距離で、反転する。
「そう聞こえたなら、そう受け取ってもらおう」

 ヘルメットがコクピットの床に落ちる。どちらともなく重なった唇に、不思議と嫌悪感は湧かなかった。
 サザビーが静寂を取り戻した戦場を進む。その内側で密やかに交わされた口付けの意味など、誰もわからない。果たしてそれを「 」と呼んでいいのか、すら。
 ただ互いの体温だけは確かに、そこに存在していた。