ゲゲゲの森で開催されたあずき連合春の試食会は大盛況だ。お祭り騒ぎの森の中で、呼子は餅を冷ましながら笑い声に耳を傾ける。あんころ餅に、いとこ煮、汁粉、おはぎに赤飯など、あずき料理が振る舞われ、集った妖怪たちが舌鼓を打つ。最初に小豆を称える長話さえ聞き流せば、おいしいものが食べられる会。妖怪たちにとってはあずき普及より食い気が重要である。
呼子も食事目当てに初めて参加したが、どの料理も力が入ってるのを感じた。ほどよい温度になったあんころ餅を口に含むと笑みがこぼれる。
「おいしい……!」
丁寧に裏ごしされたこし餡とつきたての餅は互いのうまさを引き立て合うようだ。一方の粒あんも炊き加減が絶妙噛みしめる度に小豆の風味が強く感じられる。どの妖怪も満足しているようだ。
次は汁粉を貰いたいが、呼子は熱いものが苦手だ。猫妖怪でもないのに猫舌で、あんころ餅も冷めるのを待ってから箸を付けた。どうしようかと考えている呼子の前に一人の男が立つ。
「汁粉もいかがですか」
妖怪の会に一人だけ混じった人間が呼子に汁粉の椀を差し出す。和装をしたこの男は鬼太郎の伴侶らしい。だからゲゲゲの森で妖怪に混じっていることがあるんだと噂好きの豆狸から聞いたことがある。
「椀に取って少し冷ましたものです」
「え?」
熱いものが苦手と伝えていないのに、なぜ知っているのだろう。驚く呼子に人間が笑いかけた。
「先ほど、餅を長いこと抱えていたので猫舌なのかと」
沢山妖怪がいる中で、呼子を気にかけてくれる誰かがいるとは思いもしなかった。呼子が椀を受け取ると、じんわりと熱が伝わってくる。この温度ならすぐに箸を付けられそうだ。
「……ありがとうございます」
温かくて優しい心遣いに頭を下げる。その人は会釈をして去って行った。お盆の上には他にも汁粉が乗っていて、猫又にも声をかける。それが終わると空いた食器を下げて茶を用意してと、みんなが楽しめるようにせわしなく動いている。
呼子は汁粉に口を付けた。柔らかい口当たりとこわばった身体を解きほぐす穏やかな甘さ。白玉を口に含んで出会ったばかりの人を目で追う。きれいな人だと思った。顔立ちだけでなく立ち振る舞いも整っている。ふと、あの人がこちらを見たような気がして汁粉に視線を落とした。何だろう、胸のあたりが温かい。汁粉は十分冷ましたはずなのに、火照ってくる。
「呼子」
顔を上げると鬼太郎が立っていた。
「あの人が好きなのか」
鬼太郎に問われ身体がこわばる。同時に熱は恋だと気がついた。遠くの山で暮らしていても鬼太郎に人間の伴侶がいることくらい知っている。あちこち飛び回って朗らかな顔で笑う美しい人は鬼太郎のものだ。秋波を送る妖怪がいたら咎めるのは当然だ。
「おれは取ろうとか、けしてそんなつもりじゃ」
鬼太郎に刃向かうつもりなんてない。震える声で答えると鬼太郎はばつが悪そうに視線をそらす。
「ああ、すまない。咎めるつもりはなかったんだ。僕はどうにも聞き方が下手で……」
鬼太郎はしゅんと身体を丸める。自分の伴侶に懸想する奴なんて引き裂きたいのではないだろうか。鬼太郎なら呼子の頭を掴んで身体を縦に裂くことだってできるだろう。
「あの人は……どこにいたって目を引くから。好きになる気持ちはよく分かる」
鬼太郎がぼそぼそと言ってあの人に視線を向ける。眩しそうに目を細める鬼太郎に呼子は言った。
「さっきね、熱いものに難儀しているのに気がついてくれたんだ。冷ました汁粉を渡してくれて……そんなので好きになるなんて馬鹿みたいだろ?」
気がついてくれたから好きになったなんて。自嘲する呼子に鬼太郎がゆっくり言葉を発する。
「君の恋は君のものだ。君が感じることがすべてだ」
まるで自分に言い聞かせるみたいだ。ちらりと鬼太郎の様子を伺う。お盆を持って湯呑を配り歩く人を眩しそうに見ている。呼子と同じ、あの人の眩しさが鬼太郎には視えている。呼子は小声でぽつりぽつりと話した。
「お日様で輝く田んぼみたいにきれいだなって思うんだ」
水を引き入れた田んぼが陽光をはね返し眩く輝くような人。呼子は山中から春の営みを見下ろすのが好きだ。山が笑い、水がぬるみ、山すそへ春の息吹が巡り、里の人間が田を耕し、一等美しい春を呼子に知らせてくれる。呼子の例えに鬼太郎が小さく笑い肩を叩いた。
「悔いのないようにして欲しい」
カラコロ下駄を鳴らして離れていく鬼太郎の背を追う。
「あ」
湯呑を配るあの人の前に誰かが立ちふさがった。あれは隣山の大入道じゃないだろうか。赤ら顔でふらつく様子は明らかに酔っている。大入道があの人に伸ばした手を鬼太郎がたたき落とした。
「こら、やめないか」
鬼太郎があの人の前に割って入る。
「茶じゃなくて酒を寄越せって言ってんだよぉ」
ふらふらする大入道を鬼太郎が睨む。庇われた人はそっと後ろに下がった。
「酒は出ないと言ってあっただろう。持ち込みも禁止だ。酔っ払っているなら帰ってくれ」
駆けつけた小豆洗いが拳を振り上げる。
「そうだ! 小豆の味が分からなくなっている奴は帰れ!」
小豆はかりも、へらを振り回して大入道を威嚇する。
「そうだ、そうだ! 水木さんに迷惑をかける奴は帰れ!」
妖怪たちの冷え冷えとした視線に晒された大入道は、酔った頭でも分が悪いと察したようだ。舌打ちをしてその場から去っていく。鬼太郎は振り返り伴侶に怪我がないか問いかけている。
「……水木さん」
あの人の名前は水木。口の中で音を転がすと汁粉のように甘く感じる。悔いのないようにと鬼太郎が言った。呼子はぐっと奥歯を噛みしめて手早く椀を片付けた。力強く地を蹴り、ゲゲゲの森の奥へ跳ねて行った。
「あの、これ!」
呼子は野花の花束を水木に差し出した。
「……これは?」
水木が野花を見つめ小さく首を傾ける。少しだけ貰うと断りをいれて花畑で盛りの花たちを摘んできた。多くの人間が好きだというお金や宝石と比ぶべくもないが、呼子がきれいだと思う季節を精一杯かき集めた花束だ。この胸に芽吹いたのが恋であるならば、せめて自分の言葉を伝えたい。
「俺、あなたのことが好きです!」
呼子が心のままに叫んだ声を水木が聞く。呼吸一つ置いてから、優しい人が片膝をついて呼子と視線を合わせてくれた。日が傾いて橙の光彩が木々の隙間から差し込んで、水木の目の青さを際立たせている。
「花をありがとう。……でも、君の思いには応えられない。知ってるかもしれないが、伴侶がいるんだ。裏切ることはできないし、そんなこと絶対にしたくないんだ」
苦しそうに顔を歪めて一つ一つ丁寧に言葉を紡いでくれる。向き合って、呼子の思いを受け取って答えを返してくれる人だ。そういう人を好きになれたのだ。苦しそうに鬼太郎への思いを語る水木の顔を真っ直ぐに捉える。
呼子がありがとう、と言って頭を下げると水木も小さく頭を下げた。呼子は破れた恋を抱えて家に戻ることにする。実ることなく絶えた恋は亡骸も美しかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。太陽は地平線に触れる少し前に小豆の会はお開きになった。長く伸びた影を引き連れて、鬼太郎は水木の背後に近寄る。水木の手元をのぞき込むと、野に咲く花が束ねられていた。
「水木さん、眉よってますよ」
鬼太郎の指摘に水木は眉間の皺を深くした。袂からハンカチを取り出して近くの小川にひたす。花束の根元を濡れた布で包んで深々と息を吐く。
「酔っ払いの嫌がらせなら適当にあしらえるが、本気の思いに向き合うのは大変なんだぞ」
「よく知っている。僕が告白する度に眉間に山脈が出来ていたもの」
お前と深い仲になるとは考えられない。赤子の頃から育てた子をどうこうすることは出来ない。水木はいつも自分の言葉で鬼太郎をきっちりと振った。百回誠実に振られたら、百一回真摯に告白した。鬼太郎の諦めの悪さに水木は頭を抱えていたのが懐かしい。
水木が首を回し、ぬらしたハンカチで花束の根元を包む。
「本気の相手を弄ぶようなことは出来ないだろう。それだけはしてはいけないことだ」
呼子があちこち走り回って集めた花はどれも素朴で優しい色合いだ。会ったばかりの人に似合う花を必死で考えて摘んだ切実な思いが読み取れる。そしてささやかな花束を無碍にせず向き合う水木の優しさに鬼太郎の胸が温かくなる。
「なんだ、うれしそうな顔をして。だいたい、恋敵に塩を送るとはどういう了見だ」
会を取り仕切りながら鬼太郎の様子も見ていたらしい。水木の視野の広さに感心しながら、鬼太郎は答えた。
「呼子の恋は呼子だけのものだから」
己の中で芽吹いた恋をどうするのか、決めるのは自分だけでいい。
「恋の結末くらい自分で握っていて欲しいじゃないか」
相手に思いを寄せて振られたって構わない。言わずに去る決断もできるだろう。芽吹いた恋に妥協だけはしないで欲しいというのが、鬼太郎の願いだ。実るとも朽ちるとも、終わりを決めるのは自分であって欲しい。少なくとも鬼太郎は自分の恋の行く末を一度も取りこぼさなかった。
「あなたはきちんと答えをくれる人だから。だから僕は何回でも好きだと言えたんだ」
水木はいつも終わりを示してくれた。百の告白を断られ、百の恋を終えた。振られた日に小さく身体を丸めて帰路に着くうちに百一番目の恋が胸に息吹く。そうして何度も彼の元に足を運んだ。
「お前みたいな馬鹿がそう何人もいてたまるか」
水木は花束を抱えて鬼太郎に背を向ける。多分一番見目のいいコップに花を飾るだろう。鬼太郎は水木の隣にぴたりと並んだ。
「あなたが好きだ」
鬼太郎の告白に水木の肩が跳ねる。
「水木さんは? 僕のことが好きですか?」
水木は髪をかき上げてうなり声を上げる。
「添い遂げると誓うくらいには好きだよ!」
やけくそじみた返答に鬼太郎は声を上げて笑った。冬が解けて春が息吹く美しい日のことだった。
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