shirajira
2026-03-18 20:03:35
6135文字
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影が二つ

ぱこせんせーの黒シャツビマとスーツヨダナのイラストにぶち抜かれて原稿をほっぽりだして書いた、年の差転生現パロのビマヨダ

「マゴにも衣装だな」
 鏡に映る男の顔を見て、口が勝手にひん曲がるのをビーマは感じた。鏡の中の自分の顔が、険しくなる。
「そんな年離れてねえだろ。何かと年寄りぶりやがって」
 吐き捨てると、鏡に映る男が呆れた顔をした。
「マゴってそのマゴじゃないわ。……おい、こっち向け」
 振り返る。筋張った武骨な手が伸びてきて、髪を撫で付けてきた。次に襟を整えられる。不愉快でないほどに、何だったら少し物足りないくらいに匂わせられた香水の香りを、ビーマは吸い込む。
……よし。まあいいだろう。服に着られているのが少しは誤魔化せる。……お前の年でこれだけ仕立のいいものを着ていれば、女どもも放ってはおかんだろう。服を貸してやったわし様に感謝しろよ」
 最後に純金のネックレスを撫でて――指先は少しもビーマの肌に触れなかった――年嵩の男が満足げに笑った。
「ドゥリーヨダナ」
 ビーマが名を呼ぶと、男がこちらを見た。ギラギラと燃え盛る瞳に近寄ろうとすると、一歩退かれる。眉間にできた谷底や、最近本人が気にしているらしい目元の皺を、ビーマは見つめた。
 生まれ変わってみたら、生前は同い年だったはずの男と、二回り近く年が離れていた。自分の方が随分と後に死んだからかもしれない。
 男を見つけた時、ビーマはまだ小学校に入ったばかりだった。一方でドゥリーヨダナは卒業も近い大学生。前世と違い血縁なわけでもない。交わるはずのない人生だった。
 だからビーマは随分と頑張った。何故そうしたいのかもわからなかったが、そうしたかったから、休みの日はせっせとドゥリーヨダナの家に通った。ドゥリーヨダナが世間から見たらどう思われるか気にしているようだったので、無理やり親に紹介だってした。
 唯一ビーマと同じで記憶のあるアルジュナだけは複雑な顔をしていたが、家族は概ね寛容だった。ドゥリーヨダナの家に通うようになってから、ビーマの素行と成績がよくなったからだろう。もしかしたら一時的に年上の男に懐いているだけ、こんなにビーマがべったりになるとは思ってなかったのかもしれないが。
 今世は妹一人しかいないという男の面倒見はよかった。ドゥリーヨダナは毎回ビーマが遊びに行くと顔をくしゃくしゃにして不機嫌そうな顔をするくせに、ビーマから目を離すことはなかった。逃げずに、いつもビーマを待っていた。
 家に上がり込んで問題集を広げるビーマのノートを戯れに覗き込んでは、ここが間違っている、こんなのも解けないのかとドゥリーヨダナは小馬鹿にしてきた。大人なんだから解けて当たり前であろうに、さもものすごいことを自分は知っているのだと言わんばかりに数式やら歴史やら何やらを解説されたものである。
 正直、学校の授業なんかよりドゥリーヨダナの説明の方がよほどわかりやすく、楽しかった。だからわざとビーマは本屋で買った問題集の、まだ学校で習う前のページを開いていた。間違えると、ドゥリーヨダナが教えてくれるから。
 お陰でビーマの成績は、塾にも行かないのに高校卒業まで上位だった。それを伝えると、ドゥリーヨダナは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「お前のことなんて嫌いなのに、いると目を離せなくなるから、余計に嫌になる」
 いつだったか、そうぼやかれた。憎々しげな顔で。その日初めて、ビーマはドゥリーヨダナの家に泊まった。
 前世と違い戦う必要がないからだろう、ビーマの体は生前ほど逞しくは育たなかった。ドゥリーヨダナが奇妙なものを見る顔をして体に触れてきた時、ビーマは「筋肉がある方が好きか?」と尋ねた。そうだと言われれば、ジムに通おうと思った。
 だが、ドゥリーヨダナは表情を変えないまま「いや」と言った。どこか心ここにあらずの様子で、「お前は……生まれ変わっても、お前なのだな」と生前とほとんど変わらぬ、努力の末に手にしたのだろう鍛え上げられた肉体を持った男は、そう言った。
 初めて会った時と比べればビーマの体は見違えるばかりに成長したが、時の流れは誰にでも等しく訪れる。ビーマがどれだけ早く走ったところで、ドゥリーヨダナとの距離は埋まらない。
 ビーマに成長がもたらされた分、ドゥリーヨダナは老いていく。
 今年四十を迎えたドゥリーヨダナの様子がおかしいのは、前から気づいていた。それとなく好みの女を聞かれたり、そういう店に遊びに連れていってやると言われもした。ビーマは全て断った。
 今世では甘いだけの恋を知るより先に、愛憎入り雑じった瞳を向けられ、途方に暮れたように悪意の中に忍ばされ差し出される愛を知ってしまったから、ビーマはもうこの道以外進めないし進もうとも思わないのだと、ドゥリーヨダナはいつになったらわかってくれるのだろう。
 高校の同窓会があるとビーマが言うと、ドゥリーヨダナは張り切った。言ったのが前日の夜だったからか、もっと早く言えばオーダーメイドで服を作らせるなりしたのにと文句を言いながら、ドゥリーヨダナの持つ質のいい仕立てのシャツを羽織らせ、アクセサリーを出し、いつも雑に後ろに流している髪をまとめあげてくれた。
 モテるぞ、と確信を持った声で、ドゥリーヨダナは言った。誇らしげに、寂しげに。まるで子を見送る親のような声で。
 ビーマはドゥリーヨダナの子供ではないし、今世のドゥリーヨダナに子はない。お前のせいで婚期を逃した、と言われたのは五年ほど前だったか。その頃ビーマは二十歳にもならなかった。
 汗ばんだ体を抱き締めて、自分が何と返したかは覚えていないが、嬉しく思ったのは覚えている。
 朝起きてすぐに着飾らせられて、ちょうど買い物に出るからと一緒に家を出た。ビーマが押し掛けた形で暮らしている駅近のマンションから駅までの短い時間、ビーマはドゥリーヨダナが向けてくる、ねっとりとした、纏わりつくような視線を感じていた。
 そんな目を向けるくらいなら、何か言うことがあるんじゃねえの。思いながら、ドゥリーヨダナより少し前を歩く。
 格好いいお父さんだね。二人で歩いているのを見られて、クラスメートにそう言われたのは中学生の時だった。大人の威厳だなんだで髭を生やしており、生前よりは真っ当な苦労をしているせいか頬のこけたドゥリーヨダナは、実年齢より上、ビーマの若い父親のように見えたらしい。
 本人に聞かれなくてよかったと、ビーマは思う。聞かれていたら、ドゥリーヨダナはビーマに黙ってどこかに消えていたかもしれない。
 隣を並んでもおかしくなくなるのはあと何年後だろうか。三十年、下手したら四十年、五十年? それまで自分達は生きていられるだろうか。
 歩く速度を少し落として、隣に並ぶ。それとなく手を繋ごうとしたら、避けられた。こちらに目もくれない横顔は、ただ静かだった。
 そのまま無言で駅に着いた。ドゥリーヨダナがトイレに行くと言うので、手洗い場で待っていたら掛けられたのが、冒頭の言葉だった。
「ドゥリーヨダナ」
 ビーマは再びドゥリーヨダナの名を呼んだ。色鮮やかな瞳が、ビーマを映す。
「同窓会、行くのやめる」
「は?」
 今日初めて、ドゥリーヨダナの眉間の皺がほどけた。ずい、とビーマは距離を縮める。無理矢理手を握った。
「このままお前とデートする」
「はあ!?」
 すっとんきょうな声を出して、ドゥリーヨダナが「何を考えとるんだお前、気でも狂ったか」と顔をしかめた。だが、怯むビーマではない。
「そっくりそのままお前に返すぜ。強欲なはずのお前が、何で今更俺を他の女に押し付けようとするんだよ。お前に他に好きな相手ができたけじゃねえんだろ?」
……もし、そうだと言ったら?」
「嘘つくな。そんなやついるわけがねえ。俺がお前のことで、気付かねえわけがねえんだ」
「どこから来るんだ、その自信」
 呆れたような声。だが、否定はなかった。つまりそういうことだ。
 ビーマはドゥリーヨダナが何を気にしているか知っている。かつてはビーマだって同じように気にしていたから、気持ちはわからないでもない。だから何も言わないでいた。
 だが、それで向こうがビーマと距離を置こうとしているなら、話は変わる。
「お前はどうせ、俺はまだ若いとかそういうことを考えてるんだろうが、俺は今更お前以外のやつを選ばねえよ。だってそいつはお前じゃない」
 出会ったばかりの頃、ドゥリーヨダナには付き合っている彼女がいた。何度か家で鉢合わせしたこともある。別れたと聞いた時は嬉しかったが、また次の彼女ができるのではないかと不安でもあった。
 だから、お前のせいで婚期を逃したと言われた時、嬉しかった。ドゥリーヨダナはビーマ以外の誰かと幸せになるのを諦めて、ビーマと幸せになることにしてくれたのだと、そう思ったから。
 どれだけ背伸びしても釣り合えないことが不安だった。いつか相手が自分以外の釣り合う相手を見つけてどこかへ行ってしまうのではないかと、焦った。早く大人になりたかった。大人になって、堂々と隣を歩けるようになりたかった。
 ビーマはもうとうに成人して、社会人にだってなって、ようやく隣を歩いてもそんなに見劣りしなくなった。それなのに今度はドゥリーヨダナが、年齢を気にしてビーマを手放そうとしている。
……お前はいいだろう。若いお前は。何度だってやり直せる。わし様は違う。今ならまだ、何とかなるかもしれん。だが五年後、十年後、それからお前がわし様の元を去ったら、もうどうにもならん」
 今なら何とかなると言いつつ、どうせ相手はいないんだろうが。思いながら、ビーマは言い返す。
「しねえよ、そんなこと。五年後も十年後も一緒だ。死ぬまで俺とお前は一緒にいるんだよ」
「何勝手に決めつけとるんだ。心変わりというものを知らんのか、お前は」
「普通ならそういうこともあるかもしれねえが、俺とお前だぞ。あると思うのか?」
 ドゥリーヨダナが黙り込んだ。ビーマは重ねて告げてやる。
「その頃にあったのは怒りだったが、生前俺は賽子賭博で森に追放された後もお前のことをずっと考えてたし、お前が死んでからも――やっぱりお前のことを考えてた。だから生まれ変わっても、頭にはお前のことがあったよ。きっと死ぬまで俺はこうだ」
 物心ついた時には、世界のどこかにいるはずの男を探していた。元々は、それこそ敵対心や危険を回避するためだったかもしれない。だが、生まれ変わって初めて男を見た途端、そんな気持ちは消し飛んだ。
 ビーマ、と呆然と名を呼んできた顔は、迷子の子供がようやく親を見つけたような顔だった。向こうも自分を探していたのだと、その顔で知れた。
 それはやっぱり、元々は敵対心だとか復讐心だったのかもしれない。だが本当の本当にお互いの奥底にあったものは、違ったのだろう。
 当たり前のように、相手が世界のどこかにいることを望んだ。それが、それだけが、答えだ。
「今更離ればなれになる必要はねえだろ。せっかく……こうやって手も繋げるようになったのに」
 昔は随分と大きく感じた、今は同じくらいの大きさの手を握る。まだ黙り込んでいる顔を覗き込んだ。
「だいたいお前、やたら年寄りぶるけどよ、前世から数えたら俺の方が年上だぞ。お前の方が年上とかいちいち気にすんなよ」
「何かとわし様の膝に乗ってきたガキが、何を言ってるんだ? ……本当に、心変わりはしないと言いきるのか? 正気の沙汰ではないだろう、正しいのがお前らの売りだろうに」
 前世で悪の名を与えられた男が、皮肉げな笑みを浮かべた。昔のビーマだったら、嫌悪を抱くだけだっただろう。だが今は、強がりが透けているような、寂しい笑みだと思う。どのみち、ビーマの好みではない。
 だから、吹き飛ばす。
「そんなもんを売りにした記憶はねえが、間違ってはいねえだろ。お前だってそう思ってるんじゃねえのか」
 本当にビーマが間違えているのなら、ドゥリーヨダナは鬼の首を取ったように得意満面な笑みを浮かべ、ビーマを小馬鹿にしているはずである。子供の頃、ビーマが問題を間違える度に指をさしてきたように。ドゥリーヨダナとは今も昔も、そういう男であった。
 そんな男と生涯を共にしたいというのは、なるほど見方によっては正気の沙汰ではないのかもしれない。それでもビーマは、やっぱり間違っているとは思わないのだ。
「もし間違いでも、別に構いやしねえよ。誰かに決められる正しさが欲しいわけじゃねえ。お前の隣があればそれでいい。……後悔なんて生まれる前にしつくした。これ以上しようがない」
「後悔? お前が?」
 心底不思議そうな顔をされる。こういうところだよな。
 己の口がひん曲がるのを感じる。今世でこの男と出会ってからの癖。子供っぽいからやめたいのだが、なかなか直らない。
「おい、さっきも言ったけどな、俺は通算ならお前より年上なんだぞ。今のお前よりずっと年寄りになるまで生きてたんだ。……年取ると、色々思うところもあるんだよ」
「そのツヤツヤの肌で言われても説得力がないわな。……ま、わし様が親切にも逃げ道を用意してやったのに逃げないお前が悪いのだし? お前が婚期を逃すのを見届けるのも悪くはない、か」
 呟いた口調には、まだ疑念の色が残っていた。仕方のないことだ、少し言葉を交わしただけで不安が払拭できるなら苦労はしない。ビーマとてそのくらいはわかっている。
 ひたすら行動で示す、それだけである。今までと、同じように。
「しかし、本当に同窓会には行かんのか? せっかくわし様が服もネックレスも貸してやって、髪までセットしてやったのに」
「行かねえよ。仲いいやつとは他で普通に会うしな。それに、お前が着付けてくれたんだから、責任持って脱がすのもお前がやれよ」
「いくつになってもお前は甘えたのクソガキだなあ。着替えくらい一人でできるようになれ、もう大人なんだから」
 ふっと眉間の力を抜き、柔らかな笑みをドゥリーヨダナが浮かべた。目尻に皺が寄る。
 きっと今世、ビーマがドゥリーヨダナに追いつくには長い時間がかかるだろう。ひょっとしたら、追いつけないままかもしれない。
 けれど特等席でこの男の変わりゆくものと変わらぬものを見続けることができるのであれば、それはこの上なく幸福なことのように思えた。
 初めて痛がられずに、手を握れた時のように。
「さ、そうと決まればデートだデート。お前は買い物する予定だったんだよな? 何見る? 服か? 靴か? 食べ物か?」
「ふむ。それなんだが」
 ドゥリーヨダナが手を伸ばしてきた。ネックレスを指先がなぞり、そこから首筋、次いで頬を撫でられる。何だか嬉しくて、ビーマが頬を寄せると、ドゥリーヨダナが囁いた。
「お前にはその服は窮屈だろう。脱がしてやるから、家に帰るぞ」
 その言葉の裏の意味がわからぬビーマではないので。おう、と返事をし、ビーマはドゥリーヨダナの手を引いた。
 鏡には今日一番の笑みを浮かべた、似合いの男が二人、映っていた。