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東の屑
2026-03-21 09:00:00
5045文字
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魔法にかけられて
森樺ちゃん掌編。tg←kb要素匂わせあり。最近失恋したらしい先輩の動向を追っていたら、ミイラ取りがミイラになる話。このmrkwくんは新卒でクサシノにいます
見間違いかと思った。
だってあのひと、陸上一筋っていうか。飄々とはしてるけど、その実なんだか硬派な印象があったから。
今、彼が見知らぬ男と雑居ビルの角を入ってった通りには、クラブとラブホぐらいしかないはず。
……
えっ、後者ってことはないよね? だって、誰? 一緒にいた男。失恋したからってそんな自棄になること、ある?
「モリモリどした〜?」
先を行った友人達がふざけたあだ名で僕を呼ぶ頃には、すでに僕の心は決まっていた。足も決断も速いのが僕の取り柄。
「ごめーん急用できちゃった! また連絡する!」
軽やかに手を振って、あのひとが消えた角へ。街灯に照らされて黒光りするモダンなビル。その地下へと続く階段に消えていく、丸い後頭部をかろうじて視界に捉えた。
年齢も人種も国籍もバラバラな人々が、アルコールとダンスナンバーの余韻をまとって地下から這い出てくる。クラブだ。まあラブホよりはね
……
うーん、クラブか、と首をひねる。
でも意外性のある人ではあるから、なくはないかな? あのクールな見た目で、ちょっと打ち解けるときつい関西弁が飛び出すところとか。元同業の先輩に、うっかりガチ恋しちゃうところとか。
ちょっとそれは、うっかりしすぎじゃない? と言いたくもなるけど。僕的には推しは推しであって、リアコはないんだよね。だから気持ちが分からないんだよなあ。
砕け散ったそれが何年越しの恋だったのかは知らないけれど、そんなだから負のオーラ満載で試合に出てきて、僕に追い抜かれるハメになる。稀に見るBADコンディションの理由が失恋だなんて。
僕だってもっとなんていうか、「わあ、ついに樺木さんに勝った!嬉しい!」って気持ちになりたかったのに。「勝ったら高い肉奢ってくれるって約束しましたよね!」なーんて、言う気にもなれなかったや。悲しいな。
べつに、彼がこの後どこで何をしようが、僕には関係ないけれど。見かけてしまったからには気にかかる。しっかりしてよ先輩、とか思ったりして。
あの人の吸い込まれて行った、薄暗い階段を降りる。漏れ聞こえてくる重低音。
入口の狭さに反して、スタッフが扉を開けた先で視界が大きく開けた。バカみたいな大音量のサウンドに、あっという間に鼓膜が麻痺する。音の振動が、体内にまでリズムを響き渡らせる。
頭上から扇状に降り注ぐライトが不規則に回転し、人々の肌の上をのたうち回った。
僕は揺れる照明の中、右に左に視線を走らせながら、人の波間を泳ぐ。見知らぬ人の腕が、何度か偶発的に身体に触れた。
ようやく人混みの狭間に見つけたその人は、ただ見るともなしにDJブースを見上げていた。彼よりもいくらか年上だろう、知らない男と寄り添いながら。
……
えっと。だから、誰? そいつ。
足を止めた僕の背中を誰かが押した。いや、押したように感じただけかもしれない。
一歩踏み出したそのとき。下卑たライトの下で、彼の
――
樺木さんの濡れた頬が虹色に輝いたのを見た。まっすぐな黒髪が幾筋か、目尻に張りついていた。
唐突に、衝動がきた。静寂とはほど遠いこの喧騒の中、号砲を聞いたみたいに僕の全身が反応する。
まっすぐ走りたいのに。人人人の壁が邪魔で全然進まない。気持ちばかりが先走る。
もう、あと5メートルといったところで、揺れ動く人々の頭越しに視線がかち合った。眠そうな目がパッと見開かれる。その瞳の真ん中には、僕が。
奇しくもフロアは、流行りのEDMから最高にクィアなナンバーへ。高揚感? 浮遊感? 得体の知れない感覚に、全身の神経細胞が乗っ取られる。
そのとき、僕は悟った。これ、ナイトクラブのマジックだ。あるんでしょ、なんか知らないけど。DJが恋に落ちる魔法をかけることが。誰にって、僕に、今。だとしたら目の前にいる彼にも、同じ魔法がかかってたらいいのに。なんて。
先輩の目の前に飛び出して。僕は失速することなく彼にぶつかるみたいに身体を寄せて、その目尻に舌を這わせた。
「しょっぱい」
「な、な、なんやおまえ
……
」
ドン引き。まあ、そうなりますよね。わかります、という気持ちを込めて僕は頷いてみせる。
「すみません、僕ちょっと今魔法にかかってて」
「え、こわぁ
……
」
呟いた小さな声を鼓膜が拾う。こんなにも煩いフロアで、ただこの人の声だけを。そんな自分がおかしくて、僕はつい笑ってしまった。僕の微笑みに、樺木さんが恐怖の二文字を浮かべた顔で後ずさる。ひどい。みんなからは「森川のキラキラキラースマイル」なんて、よくほめられるのに。
「ねえ、僕と出ましょう、こんなとこ。うまく走れなくてイライラする」
言えばポカン、と彼の唇が半開きになって。両目が大きく見開かれた。
「お、まえなあ。傍若無人がすぎるわ
……
」
「だって。樺木さんが欲しいもの、ここにいる人達は持ってないよ。だーれも」
その人もね、という意図を込めた視線を樺木さんの連れの男に投げかける。
急に現れてとんでもない奇行を働いた僕に向かって、連れの男は何か言いかけた。それを手で制してから、先輩は僕に舐められた目尻ごと、頬をぐい、と掌底で拭った。泣いていたことを隠しもしない。潔いその人は、最後にすん、と鼻を鳴らした。
「そう言うおまえには、速さ以外に何があるん」
「若さ」
即答して、先輩の非常に思わしくない反応を受け、あわてて言い募る。
「
……
と、体力」
「わんぱく小僧か。おまえそれ、償却されてくやんか
……
若さも体力も。なんかもっとあるやろ」
あきれたように言う、彼の態度に焦れる。なにが嫌って、知らない男の隣から離れようとしないのが嫌。
今夜が初対面でしょ、その人。雰囲気でわかるよ。ここを出た後、その人とどうするつもりだったんですか?
「僕だって、あなたの一番になれるなんて思ってませんけど。でもよく知りもしない人よりは僕の方が良いでしょ? ね、今は最高の選択が無理なら、最善の選択をするべきじゃないですか?」
畳みかけて、鼻で息を吐く。どうだ。
樺木さんは僕を指差して「最善? え、おまえが?」と呆然とつぶやいた。
「うん、はい! ぜーったい満足させるよ。ね、樺木先輩、僕にしてください。お願いお願いお願いお願い」
つかまえた袖をぶんぶん振り回せば、唖然としていた先輩が思わずと言ったふうに噴き出した。
「おま、メチャクチャやな
……
」
何がツボにハマったのか、俯いて肩を震わせている先輩に、僕は勝利のガッツポーズ。連れの見知らぬ男には「では、そういうことで!」とキラースマイルで会釈。
みごとにナイトクラブの魔法にかけられた僕は、先輩の手をつかんで出口を目指す。僕らは不格好に、人波と音楽の中を走り抜けた。十秒の世界を知る身からしたら、信じられないくらい時間がかかった。それでも、手を振りほどかれたりはしなかった。
それに気をよくした僕は、内心「忘れられない夜にしてやるんだ!」なんて意気込んで外へ出て。何せそこはクラブかラブホしかない通りであるからして、まあ、あっけなくチェックインして。
結果、忘れられなくなったのは僕の方だった。
今、店内に射し込む朝日によって、正面に座る樺木さんの頭頂部には光の輪ができている。
僕はそれをただ、ぼうっと眺めていた。開店直後の、某和食チェーン店で。ソファー席に向かい合って、先輩はタッチパネルを覗き込んでいる。
「森川なんにすんの」
その声の、わずかな柔らかさ。気のせいかな。どうだろう、元からこんな喋り方してたっけ。でも僕に対する雰囲気が変化したとして、それってやっぱり
……
体を許したから?
「僕は
……
、鶏と野菜の黒酢あん定食で」
「おもんな」
「定食に面白い面白くないとかないでしょ。そう言う樺木さんは?」
意外にも優美な指先が、ほっけ定食の写真をタッチする。そのとき不意に、あの憧れの人にご飯に連れて行ってもらったときの記憶がよみがえった。
「
……
あ」
「あ?」
「やっぱり僕もそれにします」
ほっけの横、注文数の+ボタンをさっと押す。樺木さんは特に何も言うことなく、変更した注文を送信した。
僕はセルフサービスのお茶をマシンでふたつ注いで、片方を先輩に献上する。サンキュ、とか言ってスマホを確認しているのを良いことに、その人の顔色をまじまじと観察した。
身体に負担は、残ってなさそう。僕がそんな無茶な抱き方しなかったのもある、けど。なんていうか、ちょっと手慣れてたんだよなあ、この人。失恋したから自棄になったのかと思ってたけど、前々からああいうこと、結構あったのかな
……
。えー、なんか、それは、ちょっと。
泣きそうかも。
目の前に運ばれてきた、ほっけ定食をじっと見下ろす。さっさといただきますをして手と口を動かし始めた樺木さんが、不意に箸を止めた。
「なあ、エグい骨あるわ。気ぃつけや」
エグい骨とやらをつまみ上げた、お箸の先が僕に向く。その行儀の悪い仕草に、胸がギュッとなった。
……
あ、ダメだ。これ。
僕はそわそわしながら、ほっけの身をつつき回す。ちょっと、目が合わせられない。
少しの間だけ迷ったけど、すぐに心を決めた。やっぱり、足も決断も速いのが僕の取り柄だから。
「樺木先輩、明日の練習終わり、ご飯行きませんか」
「
……
今食ってんのは?」
「
…………
ご飯。です、けど! 今は今、明日は明日! 僕は明日の樺木さんの予定を聞いてるんです」
「え、なんで」
樺木さんは、珍獣を見るような目つきで僕を見た。
なんで。なんでって、そりゃ
……
。
「好きになっちゃったから」
「
……
一回寝たぐらいで? うっかりしすぎやろ」
「うっかり
……
えっ、僕?」
そっか、そうかも? ていうか、一回寝たぐらいでって。やっぱり、やっぱり? そういう感じなんだ、この人!
「先輩
……
まさか、これきりにしようとか思ってました!? それって、樺木さん的に僕は一夜の過ち、ということはつまり、ワンナイトのおつもりで!?」
「
……
なに、おまえ動揺したらアホになんの? なんとか構文みたいになってんで」
揶揄されて、納得いかなくて。じとりと樺木さんをにらむ。彼は大根おろしに醤油を垂らしながら、僕の方を見もせずつぶやいた。
「
……
解けるから、そのうち。ナイトクラブの魔法なんか」
自分は、解けない魔法があることを知っている、とでも言いたげな口振りだった。
あの憧れの選手の、いつもまっすぐ伸びた背中が脳裏に浮かぶ。トラックを駆けていく、忘れられない、鮮烈な赤。
たしかに、トラックの魔法は解けないのかもしれない。
「あの、じゃあいつか
……
一番になれば、樺木さんもかかってくれますか。解けない魔法に」
「一番? レースで一番? こないだも一位やったろ、おまえ」
「いや、うーん
……
僕が欲しいのは、樺木さんの、一番」
思考を素直に言語化しながら、何やら自分はとんでもないことを思っているらしい。そう、ようやく気がついた。
――
今この人の一番欲しいものが、僕には与えられないのなら。僕がこの人の一番欲しいものになればいいんじゃないか? なんて。なんか、傲慢? 若さゆえの、とかで片付けられる話なのかな、これ。
箸を持ったままぐるぐるしていたら、樺木さんの唇の端が少しだけ弛んだ。
「なんや、かわいいな。おまえ」
「
……
今さら? え、知らなかったんですか? 僕、かわいいが売りでここまで来たのに?」
軽口を返せば、気分も上向き、調子も上がる。なにしろ、今の僕にあるのは、若さと体力。
他にも償却されない何かがあるはず、なんて、この人が言っていたその「何か」については、ゆくゆく樺木さん本人から教えてもらいたい。
「あの、好きなタイプ聞いてもいいですか」
「なんで」
「努力しようかと」
真摯な僕の眼差しを受けとめて、樺木さんは付け合わせのひじきの煮物を箸でつまみ上げる。それを口に入れるついでに、言い放った。
「年上の人?」
「
……
ひどすぎ」
僕は八つ当たりするみたいにほっけを引き裂いて、がつがつ食べた。向かいから聞こえた喉を震わすような愉快げな笑い声に、性懲りもなく胸が疼いて。長期戦を覚悟する。
魔法はしばらく解けそうもない。
魔法にかけられて【完】
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