紫よか
2026-03-18 15:42:34
2856文字
Public 羅小黒戦記
 

愛という名の祈り

碧玉×鹿野 弟子を取った碧玉の話

 鹿野ルーイエへ。
 今時紙の手紙? なんて思うかもしれないけれど、私が何か変なことをしても真面目に受け止めてくれるあなただから、そんなあなただから手紙を書きます。

 弟子を取りました。明珠ミンジュという名前の女の子です。もともと師兄の弟子だった子だから、私にとっては師姪にあたる子です。だからもしかしたら師姉である私が師匠になるのはあの子にとって不服かもしれないけれど──

「この流れ要る? 弟子を取りましただけで良くない?」

 思わずぶつぶつと口に出していた。くしゃくしゃにして没にしようと便せんに力を込めようとした手のひらを、いやいやまだ考えようと離す。
 そっと後ろを振り返ると、私のベッドの上に横たわる女の子──明珠の後頭部が目に入る。明珠とは私のそう広くない住まいでふたり暮らしを始めて一週間になる。彼女用の部屋なんて無いから、そろそろちゃんと彼女のパーソナルスペースのある部屋に引っ越した方が良いかもしれない。できれば、この手紙を完成させて"彼女"に送った後にでも物件を見つけた方が良い。

「明珠、起きてる?」 

 返事は無かった。うさぎに似た彼女の長い耳はぴくりとも動かない。眠っているのか無視されたのか。はあとため息が私の口から漏れる。
 続きを書くか……と、私は再びテーブルに向き直る。師匠の元にいた時に私用と、私の部屋に備え付けられたベッド脇に置く小さなテーブル。幼い頃から独り立ちをするまでずっと使っていて、そしてその後、師匠から離れた今でも使っている、師匠から私への贈り物のひとつ。脚がほんの少しかたかたと揺れる、すっかり古びたテーブル。
 思えば、私は師匠の最後の弟子だった。およそ百年前に人間の手で開発されつつある森から師匠に連れてこられて、師兄や師姐たちに囲まれて、私はゆっくりと大人になった。今では師匠はすっかり隠居してしまい、師兄も師姐も全員独り立ちして、門は閉じられた。それでも私はたまに師匠の元に会いに行く。

 いつまでたっても甘ったれの末っ子なのだ、私は。

 そんな私が、なぜひとりの子どもの師匠なんて引き受けたのかというと、師匠があなたならできると笑ったから……と、ほんの少しのあわれみからだ。

……

 私は書き進める。

 明珠の師匠……私の師兄は、あの日流石会館にいました。明珠は自分の師匠に、今日は友達と遊んでいなさいと言われていたそうです。そう、ついていかなかったそうです。ほんの偶然、師兄はあの場所にちょっとした用があって、この子は自分の師匠についていかなくて。そして、師兄は死にました。彼女の見ていない場所で。
 それが明珠にとって良いことなのかそうでないのか、私にはわかりません。一緒に死ぬことと、生きてしまうこと、どちらが良いことなのかは私には、本当にわかりません。私も、いまだに風息フーシー兄と離れて師匠についていったことが良いことなのか悪いことなのかわからないのだから。
 師匠に紹介されて初めて出会った時、明珠は「人間を殺す方法を教えて」と私に言いました。顔を真っ赤にして。「あなた師匠と大師匠と同じ執行人なんでしょ、強いんでしょ」って震えた声で言いました。

 そのとき何というか、あー……ってなっちゃって。

 なので私は「教える気はない。ないけれど、私はあんたを他者の命を軽んじない者にすることはできる」って師匠の前で言いました。そしたら師匠は、なんか……あの人笑って、碧玉ビーユー、この子を頼むって言ってきて。
 その日の夕食は、ハンバーガーにしました。それ人間が考えついた良い食べ物だよって言ったら、明珠は「あなたやなやつ」って言ってバーガー二つにポテトのLサイズを平らげました。やっぱりおなかがすいているということは、あらゆる悪い思考に繋がると思います。鹿野、あなたはどう思いますか?

 私だって人間が好きってわけではありません。私たちの森を奪ったのもそれによって大哥を追い詰めたのも人間だし。
 でもだからといって、争うことはもっと嫌です。まあいつか人間と妖精が二手に分かれて争う時が来るならば、今度こそ私は妖精側につくでしょうけど、そのときが来ないことを願うばかりです。

 できるなら、この子が、私の弟子が大人になるまでは。私の手から離れていくまでは、世界はなるべく穏やかであってほしい。そう祈るほかありません。

 見守っていてね。師匠という概念の先輩として。

 あなたの友人。碧玉


「そういえばあなたからの手紙読んだんだけど」
「えっ、今言うの? 返事に手紙送ったよとかじゃなく?」
「うん。ここで」
「えっ、ええー?」

 数日後、私はカフェで鹿野にいきなり切り出された。てっきり何かしら文字の媒体でさらっと返されると思っていたから面食らってしまった。今さら、手紙を書いたことが何だか恥ずかしくなってきて、背中のあたりがくすぐったくなってくる。

……その子が大人になるまでは面倒見るって話だったけど」
「うん」
「師弟関係って、そんな甘いものじゃないと思うよ」
「え……
「何て言うのかな。魂の契約? ……上手く言えないけど、大人になっても関係は続くし、なんなら家族よりも濃いと思う。この関係って」
……それは、鹿野がそうだから?」
……まあね。経験談」
「おー」
玉々ユゥユゥは、一生かけてその子の帰る場所になったわけだ」
「お、重たーい……
「そんなものでしょ。あなたにとっての師匠も」
……

 まったくもってその通りだった。

「碧玉も私も、人間のことは……まあ、アレだけどさ。それでも、それよりもあってはならないこと、起こしてはいけないことを知ってる。だから、それを後の子に繋げなくちゃならない……というか、そういう責任があるって、私も弟子を取って……そして、師匠から一度離れて、わかったから」
……うん」

 運ばれてきたカフェラテに唇をつける。私は、明珠……あの幼い復讐者にどこまでしてあげられるだろうか。かつての私が重なる。というか、ちょうどあの時の私が思い出される。大切な人が人間を憎む復讐者になったとき、私は何もできなかった。街の中心に生えていく彼の命の大樹を見て、泣くことしかできなかった私が。

 できることなら、誰も何も失わない世であってほしい。憎む感情よりも、今の私はそっちの心の方が大きい。もう、失うのはこりごりだから。そしてきっとそれは、明珠も……目の前に座ってメニューを見ている彼女、鹿野もそうだろう。
 手に届く範囲のものを、守りたい。きっと誰もがそう思っている。人間も妖精も。

……鹿野、ケーキおごってあげる。勉強代として」
「えー? じゃあこれ」
「一番高いやつ! もー、いいよ!」
「ふふ」

 私の大切な日常のひとりは、たった今笑ってくれている。できれば、未来でも笑っていてほしいと、私は祈るのだ。