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n-2m
2026-03-18 15:40:34
5855文字
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wash・wish・cherish
気持ちが漏れがちなアサミと、なにも気づかないリョーコ。
☀️→→→(←)🚓くらい。
リョーコは業務内の洗車の時間が好きだった。
そもそも乗り物が好きだから、それに触れ合える時間なら問答無用で好きなのだ。
でも今は、今日のこの時間だけは、この肉体労働がリョーコにとってはとんでもなくしんどかった。
ことの発端は今月の頭。
巷で流行りの宇宙風邪が銀京府警内でも大流行し、それはそれはありえないほどの欠員が出た。
リョーコはその穴を補填する側の人間だった。
連勤に次ぐ連勤。
リョーコは自分が今、日勤と夜勤のどちらをこなしているのかもわからなくなるほど、日々業務に追われた。
最早、署に住んでいると言っても過言ではなかった。
それでも昨日は久しぶりに帰宅できる目処が立ったのだ。
(あと1時間頑張れば、家のベッドで眠れる
…
!)
そう思っていたのに。
退勤直前に管轄内で輩同士の大乱闘が勃発。
取調室はしょっぴかれた不良たちで溢れ返り、全署員が駆り出され徹夜で対応するハメになったのだ。
そんなこんなで、帰れず、眠れずでリョーコは今日も勤務にあたっている。
そんな中での洗車業務だ。
車両は喚いたり、舐めた態度を取ったりしない。
その分気持ちは楽だった。
でも、いくら丈夫なリョーコの身体をもってしても、この人権無視の労働時間に肉体は悲鳴を上げていた。
(あー
…
ねみぃ
……
首も肩も腰も痛えしよぉ
…
)
洗車道具が入ったバケツを手に下げながら、リョーコはふらふらと駐車場へ向かう。
そこではひと足先にアサミが作業を開始していた。
「先輩、大丈夫ですか?」
その声と表情にはまだ張りが残っている。
「お前は変わらず元気そうだな
…
若さか?それは若さ由来の元気なのか?え?」
リョーコは問いかけを無視してアサミにずいっと詰め寄った。
(こいつだって、私とおんなじくらい連勤してるはずなのに
…
)
けろっとしている後輩が妬ましく思えるのは、羨望からなのか、疲労から来る八つ当たりなのか、リョーコにはもうよくわからなかった。
「うわー、疲れてる先輩ってめちゃくちゃ面倒くさいんですね!」
この後輩は爽やかな笑顔で毒を吐く。
いつものリョーコなら確実に手が出ていた。
パーではなく、グーが。
繰り返すが、今のリョーコは疲労困憊だった。
後輩を殴ることに使う気力も体力も、1ミリだって残ってはいなかった。
「
…
はぁー」
リョーコは溜息を漏らしながら、アサミの横をすり抜け、隣の車両へのそのそと移動する。
(バケツに洗剤泡立てて
…
スポンジで磨いて
…
洗剤
……
水
……
)
足元が覚束ないリョーコを目で追っていたアサミは、彼女がバケツを見つめたまま動かなくなってしまったことに少なからず動揺した。
「え、先輩?先輩!
…
リョーコさん!!!」
一向に返事をしない彼女を見て、アサミのそれは本格的なものとなった。
手に持っていたブラシとホースを放り出しリョーコに駆け寄る。
彼女はアサミに肩を揺すられて、ようやくその声に気がついたようだった。
「あっ、え?なに?怖い顔して」
「なにじゃないですよ!先輩バケツと見つめ合ったまま立ち尽くしてましたよ!」
リョーコにはそんな記憶はなかった。
「嘘だ〜私はちゃんと仕事しようと
…
」
喋りながらスポンジを手に取ろうするリョーコの腕を、アサミの手が掴み引き上げる。
「ちょっと!!」
「リョーコさん、無茶はよくないです。少し休みましょう」
アサミはもうさっきみたいに笑ってはいなかった。
「お、大袈裟だよアサミ。これくらいどうってこと
…
」
「ダメです」
彼はリョーコを見つめたまま、もう一度はっきりと言った。
「ダメです」
「
…
疲れてるのはみんな同じでしょ。私だけそんな都合の良いこと、言ってられない」
「お願いです、休んでください」
「私は!私はそんなに柔じゃない
…
」
リョーコの瞳が戸惑いがちに揺れた。
「みんな自分の業務に忙殺されています。リョーコさんがどこで何してるかなんて、誰も気にする余裕ないですよ」
「そうだとしても、自分だけ休憩するなんて許されるわけないでしょ」
アサミに腕を掴まれたままだったが、彼女は身体を捻らせそっぽを向く。
(あーあー、頑固なんだから)
アサミはリョーコの腕から手を離した。
しかし、すぐにその手でリョーコの右手を掴み直す。
そして反対の手でも彼女の左手を握りしめた。
「離して」
「話を聞いてくれたらすぐに離しますよ。だから今は我慢して」
強制的に向かい合わせの状態にされ、リョーコは気まずそうに顔を伏せた。
「署員のほとんどが強化人間かサイボーグです。私たちは生身の人間より、多少は無理が利く。でも、あなたは違う。これは差別で言ってるんじゃありません。それはわかってくれますよね?」
アサミのこんな声色、リョーコは今まで聞いたことがなかった。
こちらの逆立った気を撫でて落ち着かせるような、そんな声だった。
リョーコは下を向いたまま無言で頷く。
「ん、よかった。リョーコさんは私たちと同じくらい動けてしまう人だから、みんなあなたが人間だということをすっかり失念しているんです。普通の人ならとっくにぶっ倒れてます」
アサミの両手にぎゅっと力が込められる。
「リョーコさん、車内で一眠りしましょう。脳も身体も一旦休ませないと、頑張りたくても効率が落ちますよ。大丈夫、30分くらいで私が声かけますから。ね?」
リョーコは首を縦にも横にも振らなかった。
その代わりにアサミの手を、本当に微かな力できゅっと握り返した。
「!ははっ、やっぱ疲れてる先輩って面倒くさいですね!」
アサミはカラッと笑うとリョーコをひょいっと小脇に担いだ。
「ちょ
…
!自分で歩けるから!」
「今日の先輩、ふらふらのそのそしてるから遅いんですよ。こっちの方が断然早い」
そのまま庁舎から1番離れた車両まで来ると、アサミは後部座席のドアを開け、そこへリョーコをぽいっと放り投げる。
「ぎゃん!」
狭い車内に悲鳴がこだました。
「先輩になんつうことすんだ」
柔らかい座席にぶつけた肘は大して痛くもなかったが、リョーコは起き上がりながら大袈裟に摩ってみせた。
「お姫様みたいに扱ったら、それはそれで怒るじゃないですか。だったら雑にやってキレられた方がマシっていうか、楽っていうか」
アサミは悪びれもせずそう言うと、後部座席のシート越しにトランクへと両腕を突っ込んだ。
しばらくガソゴソと音を響かせた後、彼はずるりと腕を引き抜く。
その手にはベージュの毛布。
彼はサッと裏表に汚れがないことを確認してから、それをリョーコの膝に置いた。
「運がいいですね、見た感じこれ新品ですよ」
「おー、あんがと」
「車内の酸素循環機も回さないとですね!ヘルメット外した方が寝やすそうですし」
アサミは運転席側に回り込むと、キーを差し込みエンジンをかける。
「寒くないですか?エアコンもつけます?」
「いや、ちょうどいい
…
です
…
」
(雑にやった方マシだの楽だの言ってた割には、ちょいちょい丁寧なんだよな
…
)
後輩に甲斐甲斐しく世話を焼かれていると思うと、リョーコの胸の辺りが途端にむず痒くなる。
その感覚がなんとなく居た堪れなくて、何を見るともなく窓の外へと視線をやった。
「じゃ、時間になったら声かけるんで!ちゃんと休んでくださいよ」
運転席から後ろを振り返りながらそう言うと、彼は車から降りていった。
ばふんっとドアが閉められ車体が揺れる。
アサミは泡の付いた車両までスタスタと戻っていくと、何事もなかったかのように作業を再開し始めた。
「若い子
…
ってか、アサミってよくわかんねぇな
…
」
手際よく洗車をこなしていくアサミを見ながら、リョーコはぼそりと呟くとシートにゆっくりと寝転がる。
(仕事サボって寝るなんて
…
)
未だに心苦しさと罪悪感があったが、身体にかけた毛布の暖かさに、その意識は一瞬で遠のいていった。
「〜〜〜♪ぐるぐるな
……
気持ち、すれ違う瞬
…
ざわーめき
………
♪」
不明瞭な誰かの声と、自分の身体が揺れている感覚でリョーコの意識は浮上した。
(ん
……
なんだ
…
?)
まだ覚醒し切らない重い頭を持ち上げながら辺りを見回す。
(そっか、車で仮眠取らせてもらって
…
)
車外からは未だにくぐもった声が聞こえるし、窓という窓は何故か真っ白で。
さらには、キュッキュッという小気味良い音に合わせて車両が微かに震えていた。
リョーコの寝起きの脳みそが、ゆっくりと現状を理解する。
「
…
ん?ん?え、今何時?!!」
慌ててスカートのポケットからピコポを取り出す。
煌々と光る画面がしょぼつく目に容赦なく突き刺さった。
「は!?1時間半以上寝てる!!!」
フロントガラスでビシャッ!!!と大きな音が轟き、リョーコは反射的に顔を向ける。
「あっ、先輩!起きたんですね!」
水と泡とが混ざったカーテンの奥から、アサミの溌剌とした声が響いた。
(仕事仕事仕事!戻らないと!)
リョーコは後部座席のドアノブを引きかけてハッと手を止める。
(このまま開けたら泡が
…
)
アサミはボンネット側から水を撒いており、リョーコが居る後方ドアはまだもったりとした泡で覆われたままだった。
彼女は運転席と助手席の間から身を乗り出し、フロントガラス越しに声を張る。
「アサミ!降りたいからさぁ!後ろ流して!!」
「
…
」
アサミは白々しい表情で耳に手を添えた。
「おまっ、聞こえてんだろ!!!」
アサミはニッと両方の口角を上げると、ホースの口を潰しながら、怒鳴るリョーコの顔面目掛けてビャッ!と水を飛ばす。
アサミが食うはずだったリョーコの拳を、ダッシュボードが黙って代わりに受け止めた。
「アハハッ!そんな強く叩いたらエアバッグ開きますよ!まあもう終わるんで、あと少し、のんびりしててくださいよ」
リョーコは後部座席に戻り毛布を畳みながら、無意識に唇を尖らせる。
こちらを気遣ってくれているのはわかっているが、後輩にいいようにやられすぎて面白くないのだ。
「前から思ってたけど、やっぱアイツ私のこと舐めてるよな
…
」
運転席側の窓から車体を磨くアサミの顔が見える。
リョーコはそちらに視線をやったまま、毛布をぼふぼふと数発殴った。
基本仕事中は省エネで、澄ました態度でいることが多い彼だが、今日は随分とご機嫌らしい。
その証拠に、車外では彼の鼻歌が絶えず鳴っていた。
「〜♪ほら フフーンフンフン飛んでく〜
…
フーフフンフンフンきらめき こーの想いだけは繋げたい フフンフン 奉げーたい〜
…
」
「口ずさむ割には歌詞覚えてねぇな」
あまりのお粗末さに、リョーコがふすっと笑いを漏らす。
「ミナミちゃんに失礼だろうがよぉ〜」
これはミナミちゃんの分!と、彼女はもう何発か毛布に拳を落とした。
キュコッキュコッキューーッ
リョーコが毛布を痛めつけるのに夢中になっていると、右手側の窓から甲高い音がする。
そちらを見やれば、白い泡の中を赤い指先が楽しそうに滑っていた。
ハの字の下に逆三角形が2つ、その中に1つずつの点々。
逆三角形と少し離れた下方には真横に伸びる一本線。
最後、それらの横に『リョーコ』の文字が付け足される。
簡略化されてはいるが、やけに特徴を捉えた落書きだった。
「おい!こんな柄悪い顔しとらんて!」
作者に声が届いたのか、すぐに上から水がかけられ、窓の『リョーコ』は瞬く間に溶けていった。
アサミはその下から現れたホンモノのリョーコと目を合わさないよう、リアにも水をかけながら、反対側の窓へと移動する。
そして懲りもせずに、再度ガラスへ指を添えた。
キュッキュコッと迷いなく動く指先は、見覚えのあるキャラクターの顔をするすると描きあげていく。
『みんな なかよく』
スペースの都合で縦書きになったそのワードには、なんとも言えない味があった。
「へー!アサミこういうの上手いんだ!初めて知ったんだけど。てかこのポッピーくん、めちゃくちゃかわいいな」
リョーコはクスクスと笑いながら、泡の隙間から外のアサミを見上げる。
「ふ
…
かーわい
……
」
はしゃぐ彼女に思わず漏れたアサミの声は、車内の本人には届かなかった。
アサミはその窓にも手早く水をかけてしまうと、天井も側面もチャキチャキと拭き上げる。
そして後部座席のドアを開け、その大きな身体を屈めて中を覗き込んだ。
「眠れました?」
「おかげさまで。アンタ最初から起こす気なんてなかったでしょ」
「まあ、そんな事はどうでもいいじゃないですか」
アサミは誤魔化すようにそう言うと、リョーコへ手を差し出す。
彼女は少し躊躇いながらも、その手を取り車外へゆっくりと降り立った。
「うん、人間らしい顔色になりましたね。さっきまではほぼ土でしたよ」
「つ、土
…
」
酷い言われように、伸びをしていたリョーコの表情が引き攣る。
「先輩が土になってたら、そりゃ引きずってでも休ませるわな
…
」
「あ、やっとわかりました?リョーコさんってば、意地張って話聞いてくれないし仕事は続けようとするしで、本当にマジで面倒くさくて!」
「あーーー悪かったって。でも、その割にはアサミ機嫌いいよね。私が寝てる間になんかあったの?」
「
…
へ?」
洗車道具を片付けていたアサミの身体がギシッと軋んだ。
「え?だって、さっきからずっとニコニコしてんじゃん。いつもはもっと、こう、すんってしてることが多いのに」
それを聞いてアサミは口元にパシッと手を当てた。
「
…
いや、と、特に何も
…
なかったデスヨ」
モゴモゴと指の隙間から声を漏らす後輩に、リョーコは「あ?」と怪訝そうに目を細める。
「なに?その態度、絶対なんかあったじゃん」
「いや!マジでなんもなかったです!!」
アサミは道具を素早く拾い集めると、庁舎へ足早に戻っていく。
「え〜いいじゃん、誰にも言わないからさぁ、教えなさいよ」
そんな彼の背中を、リョーコが無邪気な笑顔をたたえながら駆け足で追いかける。
(あなたに世話焼けるのが嬉しくてニヤついてたなんてバレたら、俺は
…
俺は舌噛んで死ぬ!)
「アサミってば〜!あ!ん、ゔぅ"ん
…
やあ⭐︎ボクはポッピー⭐︎ここでのお喋りは絶対に他では喋らないから
…
」
背後で元気にポッピーの声真似まで始めたリョーコに、アサミは大きな大きな溜息を吐いた。
「あぁーもう!やっぱ30分で起こせばよかった!!!」
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