ポほ
2026-03-18 00:15:30
4065文字
Public 跡取り息子、やめました!?
 

新月つってもなぁ

第13話。前回とはうってかわってしっとり回

 体育祭明けの新月の日の朝。
わかってはいたが、やっぱり宗真は男に戻っていた。

……なんだ、男か。じゃあ今日は髪とか色々やんなくてもいいわね。行ってきまーす」
「いや露骨にオレの扱いひでえな!?宗真が男で何が悪いんだよ!――オレは(元々は)男だよ!」
 勢いよく言い返したものの、部屋に残った静けさの中で、宗真は小さく息を吐いた。
……呪いをかけられて、もう三ヶ月。
 なんだかんだで女子の身体にも慣れてきてしまった今、月に一度だけ元に戻るこの日は、かえって宗真の感覚を狂わせる。
 最初の新月――3月。男に戻った姿で、父に「跡継ぎは響でいい」と説得した日だった。
 次の新月――4月。女をやめたくて、待ち望んで迎えた日。けれど、男に戻っても悩みは消えず、別の違和感が増えただけだった。そしてその日、海成と出会った。
 5月の新月は、海成とヨツダを家に呼び、少しだけ距離が縮まった日。
……毎回、何かしら起きてるよな)

 そして迎えた、6月の新月。今回は特になんの感慨もなかった。
 どちらかというと――慣れ、という言葉が一番近い。あるいは、生理が来てしまった朝みたいな、どうしようもなく重くて、理由のはっきりしない気分。
……体育祭の一件で、宗真は少しだけ、クラスの一部の男子たちに嫌悪感を抱いてしまっていた。
 言葉の端々や、視線の向け方。「女子」として扱われる時に向けられる、あの軽さ。
……オレ、こんな気分で男に戻るようになるとは思ってなかったな)
 制服――男子の夏服を着るのはこれが初めてだった――に袖を通しながら、宗真は無意識に自分の手を見る。そこにあるのは、確かに“元の身体”。それなのに、胸の奥の違和感だけが、妙に残っていた。
 この日の新月は、そんな、はっきりしない不快感と一緒に始まった。

「ちなつ、ゆき、おはよ」
「誰だっ……あー、宗真かっ!おはよっ」
「おはよー。もう一ヶ月経つんだねー」
「うん……。初めて着たけどさ、男の夏服って全然可愛くねーのな。つまんねえわ」
「いやもう感覚が女子に寄りすぎ〜」
 軽口を叩き合う、いつものやりとり。最初の新月の時には、どこか探るような距離感があったちなつやゆきも、今ではすっかり“中身は宗真のまま”という事実に慣れたらしい。変に気を遣われることもない。からかわれる時も、笑われる時も、今までと同じ。それが、宗真にはかなりありがたかった。
……ああ、よかった。ちゃんと、ここに居ていいんだ)
 そんなふうに思った、その直後。
「今日の日直は、月城さんと新倉にいくらさん。よろしくね」
「はーい」
 名前を呼ばれ、宗真は新倉をちらりと見た。
……新倉さん?)
 その瞬間、胸の奥で何かが引っかかる。
(あれ?新倉さんって、もしかして……
 中学に入ったばかりの頃。まだ女子トイレに入るのがどうしても怖くて、廊下で立ち尽くしていた時。
「一緒に行こっか」と、自然に声をかけてくれた女子がいた。
……あの時の子、だよな?)
 あれから、約三ヶ月。制服も、髪型も、雰囲気も変わっているはずなのに、その名前を聞いただけで、妙に記憶がはっきりと蘇ってくる。宗真は、ほんの一瞬だけ、新倉つむぎの横顔を盗み見た。
――なぜか、胸の奥が少しだけ、ざわついた。

 日直作業中。二人は、出席簿と数枚のプリントを持って保健室へ向かっていた。廊下は昼休みで人も少なく、足音だけがやけに響く。

「あのさ……4月に、オレ……女の時にさ。トイレに入りづらくて、外で立ってた時に話しかけてくれたのって……新倉さんだったよね?」
……なんかたどたどしい。話し方、キモくなってないかな……
 新倉は一瞬きょとんとしたあと、「ああ」と思い出したように小さく笑った。
「ああ、そういえば……そんなことあったね?」
(よかった……覚えててくれた……
「トイレの前でさ、完全に固まってたから。なんかあったのかなって、ちょっと心配になって」
 そう言って、新倉は抱えていたプリントを持ち直す。胸元で紙を揃える仕草に、宗真の視線が一瞬だけ引き寄せられた。
(明日には女に戻んのに。オレがこんなの気にしてどうすんだよ)

「改めて……あの時は、ありがとう」
「いいっていいって!だってさ、あのままトイレ入れなかったら悲惨じゃん?」
 そう言って、新倉は軽く肩をすくめる。その拍子に、結んだ髪がふわっと揺れた。
……やば。なんで今、ちょっとドキッとしてんだよ……

「だ、だよなぁ!?あはは……
 笑って誤魔化しながら、宗真は前を向いた。胸の奥に残る、さっきの小さな違和感に気づかないふりをしながら。

 廊下に戻りながら、二人は並んで歩いていた。保健室を出ると、昼休みのざわめきが少しずつ戻ってくる。
「今更だけど月城くん、今日は……男の子なんだね」
「ああ。なんか知らないけど、新月の日だけこうなるんだ」
 新倉は「そっか」と小さく相槌を打ち、少し考えるように視線を落とした。
「それって……大変じゃない?なんかさ、一生ずっと女の子、とかだったら……それはそれで割り切れそうじゃん?でも、こうやって間にインターバル挟まるとさ……かえって混乱しないかなって」
 その言葉に、宗真の足がぴたりと止まりそうになる。

「そ……そうなんだよっ!」
 思わず、前のめりになっていた。
「え?」
「新月の時にオレが思ってたこと……ここまでピッタリ当ててくれたの、新倉さんが初めてかも……!」
 言いながら、宗真は自分でも驚いていた。こんなふうに、誰かに気持ちを言葉にされるなんて。

「新倉さんって……すごいね!」
「え、ええ……?」
 新倉は少し照れたように、困ったように笑う。
「すごいっていうか……月城くん、いつも色々抱えてそうだからさ?」
その何気ない一言に、宗真の胸がきゅっと鳴った。
……なんだよそれ。この子と話してると、なんでこんなに……落ち着くんだ?)
 宗真は慌てて歩き出す。新倉がそれに合わせて、少し早足になる。二人の距離が、ほんの少しだけ近づいていた。

 宗真は教室に戻ると、自分の席に座り、ふっと息を吐いた。さっきまでの新倉とのやり取りが、何度も頭の中で再生される。
……オレ、新倉さんのこと……好き、とか?)
 その感情に気づいた瞬間、胸が少しだけあたたかくなった。けれど、すぐに別の記憶が割り込んでくる。
 体育祭の準備の時。チアのメンバーを決める場面で、自分をやましい理由から持ち上げてきたクラスの男子たちの視線。そして、倉庫裏で起きた告白未遂――ヨツダに助けられた、あの出来事。
(もしかして男って……結構簡単に女を好きになるもんなのか!?)
 自分でも乱暴な考えだとは思う。あの男子たちに同情できるわけでもない。それでも、その疑問は消えなかった。
(もし……オレの新倉さんへの気持ちが、あいつらと同じだったらどうしよう)
 胸の奥が、ずしりと重くなる。
(そんなことないって思いたいけど……それを決めるのはオレじゃない。新倉さんだ)
 もし、自分の気持ちが相手を軽く扱うものだったとしたら。もし、それで新倉を傷つけてしまったら。
……それなら、いっそ……
 宗真は、ゆっくりとその続きを飲み込んだ。そして、そっと胸の奥にしまい込む。
(どうせ、明日には女に戻ってる。その時に新倉さんに近づいたって、しょうがないし)
 男でいられる日は、月に一度。一年で、たった12回。
(男の時を待ってたら、年に12回しか会えない……結局、かなうわけないんだ)
 そう結論づけて、宗真は前を向いた。その表情はいつも通りだったが、胸の奥には、小さな想いが静かに眠ったままだった。

 給食は、ひとりでかきこんだ。ちなつとゆきが誘ってくれたが、「今日はいい」とだけ言って断った。
 ヨツダのいる教室にも、海成のいる図書室にも足は向かなかった。気づけば、宗真は中庭に来ていた。
 噴水の水面は強い日差しを反射してきらきらと揺れている。けれど、新月の今――当然、昼の空に月は浮かんでいなかった。
……明日からは、オレは女なんだ)
 それなら。今ここで無理に答えを出す必要はない。
(戻った時に、どう思うか……だよな)
 そう自分に言い聞かせるように、宗真は新倉への気持ちを、胸の奥へと押し込めた。結局、それ以上の結論は出せないままだった。

 翌朝。目を覚ますと、やはり女の子の身体に戻っていた。
「はー……ただいま、オレ」
「おはよー!今日は編み込みしたげる!」
「静姉、昨日よりテンション高ぇな……
「反動かしらね。新月の後って、なんかとびきりオシャレさせてあげたくなるのよね〜」
 髪をいじられながら、宗真は小さく息を吐いた。だが、不思議と悪い気はしなかった。
 
 登校中、ヨツダの姿を見つける。
「なあなあヨツダ、今日の髪型かわいーだろっ?」
「ん? あー……
「返事が雑!」
「うるせえな。昨日、海外の試合見てて寝不足なんだよ……
「あっ、宗真くん!今日もかわいいねっ」
 海成が話しかけてくる。
「えへー♡ 知ってる!」
 軽口を叩きながら歩いていると、前方に見覚えのある姿があった。

……あ!新倉さん!おはよーっ」
「月城……さん、おはよ。今日からまた女の子なんだね」
「うん、よろしくなっ」
 昨日とは違い、胸がざわつくことはなかった。言葉も、視線も、自然に交わせる。
(今はオレが女だから……なのか?)
 それとも。新倉に会う前に、ヨツダや海成と話していたからだろうか。昨日、あれほど揺れた心が、今日は嘘みたいに静かだった。答えは、誰にもわからない。
 宗真自身にも。
 ただひとつ確かなのは――この違和感も、この距離感も、また次の新月まで持ち越されるということだけだった。もっとも次の……7月の新月は、夏休み中のことなのだが……